この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ

 その女がふらりと現れたのは今朝の事・・らしい。その話を聞いたククールは、心底今日だけは聖堂騎士団の朝礼に顔を出すべきだったと珍しく後悔したのである。以下は聞いた話だ。

 その日、いたっていつも通りの事務的な朝礼を済ませたマルチェロの話を、いつも通りにぼんやり聞いていた聖堂騎士団の面々は「それと」という接続詞になんだなんだとマルチェロを見る。大半はまだあるのか、という態度であったがひょこりとのぞいたウィンプルの端にすぐさま態度が変わったーー女だ。

 「今日からこのマイエラ修道院で料理番をする者だ。訳あってここで働くことに・・・・」

 紹介していたマルチェロは、背後から出てこない女に痺れを切らして言葉を止めると空咳をする。

 「は、はい、」

 鈴の転がるような軽やかな声に期待度がぐっと上がり、皆固唾を飲んで少しずつ見えていく女を見つめるーーマルチェロの背後からおずおずと女が出てきた。
 陶器のような白い肌に雀のような可愛らしい茶髪、サファイアブルーの瞳は恐る恐る聖堂騎士団の面々を見渡し、視線が全て自分に注がれている事に気付いたのか頼りなさげに細い指でマルチェロの服を掴んだ。

 「・・き、今日からお世話になります・・マリアと申します・・よ、よろしくお願いします」

 束の間、突如現れた美しい女に見惚れる時間が流れーー彼女に自己紹介しようと騎士団の面々がどっと詰め寄る。怯えた女は小さく悲鳴を上げるとマルチェロの後ろに隠れた。一連の流れを黙って見ていたマルチェロは、女と騎士団の面々との間に割ってはいるように動く。

 「とにかく、今日から彼女もこのマイエラ修道院で働く事になった。各々・・・・色々と弁えるように」

 了解しました、と今日一番大きな声で完全に浮かれきった返事が返ってくる。マルチェロは深く深くため息をついた。

 ここまでが聞いた話だ。
 もちろん、そんな話を聞いたククールが例の女を見に行かないわけがなく、朝礼が終わった頃にのんびり起床しだらだらとあてがわれた部屋で過ごしていた時間を取り戻すように、話を聞くなり身なりを整え食堂へ向かったのだった。

 「・・なるほどなぁ」

 みんな考える事は同じと言うことか。
 いつもより賑わう食堂にククールは鼻で笑う。そのままぐるりと見渡し、賑わいの中心へと赤いマントを靡かせて闊歩する。

 「やあこんにちは。君がマリアさんかな?」

 ククールに気付いた聖堂騎士団の面々は、それぞれ渋い顔をしながら女の周りを去っていく。女を口説く事において、この伊達男に勝てる見込みはないと知っているからだ。
 ククールはそんな男達を笑顔で見送ると、女の隣に座るーー女がこちらを向いた時、思わず息を止めた。
 雀のようなふんわりした茶髪に陶磁器のような色白の肌、その全てに見覚えがあったからだ。唯一違うサファイアブルーの瞳に見つめ返されてククールは慌てて言葉を続ける。

 「朝礼で君に挨拶し損ねてしまったから、改めまして。俺はククール、よろしくな」

 女はじっとククールを見つめた後に、とくに表情を変えることなく瞳だけ瞬かせる。

 「・・よろしくお願いします。マリアと申します」
 「ああ、よろしくな。ここには長くいるんだ、わからないことがあったらなんでも聞いてくれよな。俺の部屋は食堂の上の階だから」

 鍵は開けているからいつでもおいで、と声を潜めて囁いてやる。

 「・・・・はい」

 表情は相変わらず変わらない。そしてまた瞳が瞬いただけだった。




 「ふふ! つまり、貴方は全く相手にされなかったのね!」

 今日のこの流れを話せば、存外に楽しそうな声音で返事が返ってきた。
 食堂からそのまま自室に返ってきたククールは、そのままふてくされたようにベッドへ寝転がっていたが、さらに眉間にシワを寄せて声の主ーー窓枠に腰掛けて笑う女を睨んだ。

 「随分楽しそうじゃねえか、モワノーちゃん」

 モワノーと呼ばれた女は、ルビーのような赤い瞳を楽しげに細めるとこちらを睨むククールの視線を気にせず言葉を続けた。

 「残念ねぇ! 貴方のその落ち込み様、さぞ綺麗な人だったのでしょうけど残念。世の中、美貌で傾く女ばかりではないのよ」
 「はいはい、とてもお勉強になりましたよ」

 モワノーというのは愛称である・・らしい。というのも、そうであると知ってはいるが彼女の本名をククールは知らないからだ。なんでも彼女の一族のしきたりらしい。
 魔法を唱える事なく姿を変えられる一族の生き残りである彼女は、その能力で現在の法皇の専属魔法使いである。姿を変えて定期的に各地の教会を見て周り、実態を法皇へと伝えるというのが彼女の役目だ。

 本来ならば教会の人間に人としての姿を見せない彼女だが、ククールがマイエラ修道院へ来て間もない頃、雀から人の姿へと変わった瞬間を院長室でうっかり鉢合わせてしまったのである。
 それ以来、モワノーはマイエラ修道院へと来るたびにククールの前でだけ(正確に言えばオディロ院長も)変身を解いて雑談するのがすっかり習慣となっていた。
 歳も近いこと、彼女の明るい人柄もあってなんだかんだとあの幼い日からの習慣はすっかりお互いに歳を重ねた今も続いている。

 楽しい話をする日もあれば、悲しい話、愚痴を零す日もあったーーそんな中、彼女から聞いた話をククールは食堂で出会ったマリアを見て思い出したのである。そう、マリアのあの姿は今目の前にいるモワノーと酷似していたのだ。

 「・・・・なあお前、妹を探してるんだよな?」

 夕暮れの風がモワノーの茶色い髪を攫う。妹、の言葉が出るなり彼女は表情を曇らせる。

 「・・そうよ一月前、突然サヴェッラから居なくなってしまったの」
 「・・その妹ってのは髪はお前と同じ色か?マリアって名前に心当たりは?」
 「・・・・え?いいえ、妹はそんな名前ではないし何より、あの子は美しい黒髪だもの」
 「・・・・そうか」

 なら、よく似た他人か。
 モワノーの様な明るい雰囲気は無かったが、顔つきはよく似ていた。だから、彼女を見た時心底驚いてしまったのだ。
 それに、とモワノーは続ける。

 「たぶんあの子は・・きっと教会が嫌になったんだと思う。一月前・・サヴェッラでの集会の時から様子がおかしくなったから」
 「・・・・あぁ」

 教会はジワジワとその組織の内側から腐りかけている。
 一月前、全ての聖堂騎士団がサヴェッラに集められ法皇の元礼拝をするという集会があったのだが、権力を見据えて法皇へと近付こうとする者、思惑を抱える者ーー少なからず、法皇のお言葉を頂戴するという者だけではなかった。かくいうククールはばっくれたクチなので何も言えないのだが。それこそあの中で真面目にやっていたのは、腹違いの兄ぐらいではなかろうか。

 「あの日からあの子、考え込んだり心ここにあらずって感じだったから、きっと嫌になったのよ。この組織ごと・・でも、あの子も私と同じ能力がある。また悪い奴らに捕まったりしてたら・・私・・」
 「・・・・そうだな、とにかく俺もまた注意してみるよ。黒髪な、さぞ綺麗な人なんだろうな」
 「当たり前でしょう、私の妹だもの」

 それに、とモワノーは呟くと立ち上がり、器用に窓枠に立つとため息をついた。

 「今の教会を憂いていらっしゃるのはお父様・・法皇様もです。ククール、その辺りの素行も気を引き締める様に」
 「はいはい、注意いたします」

 これ以上この男へ何を言っても無駄だと分かっているモワノーは、それでも嗜める様に見据えたが、では、と短く別れの挨拶をすると、そのまま手を離して窓の向こうへと背中からダイブするーー窓枠の向こうへとモワノーの姿は消えて、変わりに軽やかな囀りと共に小さな雀が一羽、飛び立っていく。

 「・・・・教会を憂いて・・ねぇ」

 そんなに真面目に教会を思う女が、果たして突然教会を捨てられるものだろうか?




 目の前で女の髪が、短い茶髪から長い黒髪へと変化するのをマルチェロはまじまじと見つめていた。
 彼女の能力を利用すると決めた以上、疑っていた訳ではないのだが、やはりこうして目の前でその能力を目の当たりにすると言葉が出なかった。

 マルチェロはすっかり元の黒髪へと変わったマリアーーではなくユエへ疑問を投げかける。

 「何故姿と名前を偽った?」
 「・・母の言いつけで、本当の名前を明かして良いのは限られた人だけにしています・・姿を変えたのは貴方の計画に支障が起きないようにする為です」
 「・・・・そうか」

 真っ直ぐこちらを見据えるサファイアブルーには覚悟が見えるーーただ、今からマルチェロが進む道は謂わば反逆だ。目の前の女は多少の悪事に片足を突っ込む程度だとでも思っているのだろうが、実際は地獄の門を自ら開いて中へ入って行くようなものだ。
 でもマルチェロはその道を進むしかない。世に思い知らせてやらねばならないのだ。権力も力も、限られた人だけが握るものでは無いのだと。証明してやらなければならない。

 どこまで付いて来られるか。まあ、音を上げたり付いてこられなくなったならば、内密に処理すればいい話だ。ユエにはそんな思惑はないだろうが、彼女が本性を周りに明かさなかったのはこちらにも好都合だ。

 「・・せっかく姿を戻したところ申し訳ないが、これからお前に用意した部屋へ案内する。付いてこい」
 「・・・・はい」

 マルチェロはユエに背を向けると、振り返りもせずに歩き出した。




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