森の小鳥

 「・・おい、いい加減出てきたらどうなんだ」

 昼を告げる鐘がちょうど鳴り終わった所でマルチェロは聖堂騎士団の宿舎の廊下を振り向く。日の差す長い廊下にある柱の影から、おずおずと女が出てきた。ここ最近ずっと視線を感じてはいたがまあいいだろうと放置していたーーが、今のマルチェロは虫の居所が悪い。まとわりつくような視線についに耐えかねたのだ。
 女をざっと一瞥する。シスター服を着ているがマイエラ修道院に女はいないはずだ。そもそも、こんな女をこの修道院内で見かけたこともない。サファイアブルーの瞳に色白な肌。まあ整った部類であろうこの顔は印象に残るであろうが、聖堂騎士団の面々もそんな女の話をしていたのを聞いたこともない。ここまで考えると目の前の女がすこし薄気味悪くなってきた。

 「何の用だ。そもそも、ここへどうやって入った」
 「・・入るときは小鳥に化けました」
 「で、わざわざ小鳥になってまで私に何の用だ」
 「・・・・分かりません」
 「・・ふざけているのか」
 「団長」

 自分を呼ぶ部下の声に、ちょうどいいとマルチェロは声のした方を振り向くと女を指さした。

 「おい、こいつを今すぐつまみ出せ」
 「・・は、こいつといいますと・・?」
 「だから、」

 あっけにとられる部下からまた再び女へと視線を戻すーーが、今さっきまでそこにいたはずの女が忽然と消えていた。マルチェロは「クソ、」と小さく悪態をつくと何が何だかといった表情を浮かべる部下を勢いで怒鳴り飛ばす。

 「いいか、この宿舎に文字通り小鳥の一匹も通すな!いいな!」
 「は、はい!・・・・小鳥?」

 そのまま去っていく怒り心頭、といった上司の背中が廊下の角を曲がって見えなくなると部下は頭を掻く。どうもタイミングが悪かったらしい。



 「あの、」
 「うわっ」

 あれからすっかり日も暮れ、夕餉を終えて自室へ戻ったマルチェロは終わらせた報告書の束を纏めて机の隅に押しやり伸びをするーーと、また昼間の女の声が聞こえてきた。しかも唐突に、背後からだ。突然の事にマルチェロはそのまま文字通り飛び上がり振り返った。そこにはやはり昼間の女がいた。

 「・・お前どうやって、」

 確かに部屋に入った時には誰もいなかったはずだ。唯一死角として挙げられるのはベッドが置いてあるパーテーションのその向こうだが、魔物相手に何度も戦ってきたマルチェロなら気配程度は感知できたはずである。

 「ネズミに化けて入りました」
 「そうかネズミか」

 一瞬芽生えた感心からつい、出てしまった素の言葉にマルチェロは慌てて咳ばらいをすると女を見た。感心を取り払った今、残った感情は怒りである。

 「・・おまえはよほど私をおちょくりたいらしいな、」
 「ち、違います!その、ええと、わた、私、お礼を言いたくて、」
 「・・礼?」

 女は胸の前で両手をもじもじさせていたが、意を決したようにマルチェロをまっすぐ見た。そのまっすぐなサファイアブルーの瞳に思わずたじろぐと逸らした。

 「ありがとうございました。あの時魔物から救ってくださり、分けて頂いたスープの味は一生忘れません。だから私、今度はあなたの力になりたくて、でも何も考えてなくて・・その、私にできることはありませんか?」

 一気にまくしたてられたマルチェロは頭をフル回転させるーー魔物、救う、スープ。どうやらこの女を過去の自分が魔物より救ってやったらしいが一切記憶にない。前言撤回、顔が整っていようがいまいがそれが記憶に残る材料にはならないらしい。
 そもそも、聖堂騎士団の名誉を上げるためにそういった活動はしてきたし救ってきた人も多い。いまさらこう押しかけられて何か手伝わせてくれと言われても困るのが本心であるーーふとそんなことを考えていれば、目の前の女の耳が真っ赤になっていることに気付く。

 「っ!」

 試しに見つめ返してみる。女はたちまちゆでだこのように顔も真っ赤にさせて俯いた。なるほど、と一連の流れから出した結論を他人ごとのように処理した次に思い浮かんだのはどこまでも腐った考えであった。

 「・・特にないな。もう夜も遅い、今日は泊って明日ここを出ればいい」
 「む、無理です。ここを出たってもう行く場所はありません。あの村で生き残ったのは私だけで、もう帰る場所もありません。ご迷惑なのは承知です。でも出ていきません」

 少しかまをかけてみればボロボロ情報が出てくる。なるほど。帰る場所もないのか。口元に手を当て、困って考え込むようなふりをしながらますます好都合だな、とほくそ笑む。

 姿を変える魔法で思い出したことが一つあった。サヴェッラの館に住まう現法皇は「雀」と呼ばれる魔法使いを傍に置いていると。雀は容姿を変え法皇の目となり耳となり、各地の修道院や教会を回って彼に報告する。だから、法皇はなんでも知っているーーそんなおとぎ話のような話が教会に属する人の間でひそかに囁かれていた。
 聞いた時は、各地に伝わる童話よろしく「悪い事は誰かが見ている」という教訓を含んだ作り話だと思っていたが、目の前の女を見る限り、それもあり得ない話でもなさそうだ。
 マルチェロはそうか、と女を見据えた。女は慌てて背筋を伸ばす。

 「お前、名は」
 「・・ユエです」
 「そうか、ユエか。このあたりじゃ聞かない名前だな」

 すこししょんぼりしたようなユエに内心「いちいち助けた人物の名を覚えていられるか」と思ったが、その言葉を呑み込み言葉を続ける。彼女が抱いている感情が憧れであれ、はたまた恋心であれその感情は大いに利用できる。マルチェロには今、やらねばならないことがあった。

 「そうか、ならばお前に仕事がある」

 ぱあっと顔を輝かせたユエに、マルチェロは内心ほくそ笑んでいた。




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