「して、あの盗賊はどうした?」
「いや、まだだ。盗まれたものともども見つけていない」
ホメロスは忌々し気にそう呟き、机に広げた城下町の地図を睨んでいる。
寒い冬に見る薄氷のような髪色をした賊が入ったのは数日前の事だーーというのが分かったのが昨日の事だった。たまたま王の命でホメロスが宝物庫を調べなければ、彼が盗みに入っていたという事実も雪のように解けて消えて気付かなかっただろう。
調べたホメロスが赤い色のオーブが消えていたことに気が付き、不審者の洗い出しをして恐らく賊なのだろうと候補に挙がったのが薄氷色の髪を持つ少年だった。手口は実に鮮やかなもので、いつも食料を買い付けている商人の代理だと騙って城に難なく入り、宝物庫から赤いオーブだけを持って商人代理としてきた時と同じように堂々と城門から帰ったのだった。
デルカダールの街をひっくり返してでも探してやる、と燃える友人に付き合う形でグレイグも手伝ってはいるがこういった力任せの戦ではなく、相手を読んで頭を使って戦う戦においては完全にホメロスの管轄内なので、グレイグにできる事と言えば、友人の部屋にいてたまに考えに詰まるホメロスの話相手ぐらいだった。
「にしても、なぜその少年は赤いオーブだけを持ち去ったのだろうな。もっと金になりそうなものならあっただろうに」
「・・・・さあな。物を見る目がないといったあたりだろう」
珍しく憶測だけで語る友人にグレイグは引っかかるところはあったが、ソファに腰かけながら「まあ、そうか」と深く考えずに納得した。自分よりその道に秀でた自慢の親友がそういうのだ。きっとそうなのだろう。大抵、彼に間違いはなかった。そしていままでも、これからもそう言った彼の才にずっと助けられていくのだろう。
「・・そう言えばお前、娼婦を抱えて連れてきたらしいじゃないか」
「しょう・・!ち、違う、ユエは詐欺師だぞ!」
「それは庇っているのか・・? とにかく、そのユエとかいう彼女はどうなんだ」
城下町の地図から顔を上げたホメロスの顔は楽し気に口元を緩ませていた。そのことにほっとしたグレイグは説明を続ける。ここ数日、赤いオーブを追う友人の気迫は別人のような気がしていたからだ。ようやく、グレイグの知るホメロスの表情になった。
「なんでも仲間内でもめたらしい。折れたまま足を放置していたから軍医曰く少し治療にかかるが元には戻るらしい」
「そうか」
別にユエという彼女自身をどうだと聞いたわけではなかった。彼女をどう思っているかという意味合いを込めたつもりだが、目の前のグレイグにはもう少し直球に聞いた方が伝わったか。なんだかそんなグレイグに毒気を抜かれたホメロスは目頭を押さえて地図から顔を離した。盗賊の逃げ場は大方目星はついた。ホメロスはそのまま椅子に寄り掛かると足を組んでそう言えば、とグレイグに言葉を投げかけた。
「最近、ちょっとの傷でも医務室に行きたがる兵士が続出しているそうだ。ユエというのはそんなにいい女か」
「は・・?」
グレイグは素っ頓狂な声を上げた。
次の日、もうこの件においてお前の出番はないと遠回しにホメロスに言われたグレイグは盗賊を彼に任せてその代わりにホメロスの部隊が警備にあたる予定だったのを自隊で引き継いだ。将軍にこの仕事をさせるわけにはいかないと部下にもお役御免(彼らにそんな意図はないだろう)されてしまったグレイグが暇を持て余していれば、医務室から伸びる行列にばったり出くわしぎょっとする。そう言えば昨晩ホメロスがそんなことを言っていたな、と医務室に入ると行列は一人の女から伸びていた。
「・・はい、お終いです。国を守る兵士様とはいつも危険が隣り合わせなのですね、できれば今度お会いするときは医務室でなければ嬉しいわ」
この前のあっけからんとした性格も、口調も猫を被ったものだが間違いなく兵士を癒しているのはユエだった。
ユエに軽く手を握られ、控えめに微笑みかけられた兵士はまんざらでもなさそうにへらへらしている。そもそもこの兵士(だけではなく恐らく後ろの行列全て)は傷を治してもらうのが目的ではなく、ユエに癒してもらうのが目的なのだろう。
曲がりなりにもデルカダールを支える兵士がなんと怠慢な、とグレイグが何か言ってやろうとする前に横から声がかかる。
「来たか。いやいやお前さん、あんな子どこから見つけてきたんだい」
もはやヒマになった軍医は面白おかしそうに自分のデスクの椅子に深く腰かけて下心の行列と聖女の皮を被るユエを見つめている。
「軍医殿、あなたがなんとか言ってくださりませんか」
「何故? わしも仕事がなくて楽だわい」
いや、あなたがユエの場所にいればそもそもあの行列はできないのだといいかけて、やめた。このつかみどころのない老人に口で勝てたことは一度もないからだ。グレイグはそのまま不満げに隣の椅子に腰を掛ける、ユエは次の兵士の傷の具合を見てやっている。
「いやあ、あんまりにもあの子が暇そうにしておるからの、試しに自分で足に癒しの魔法をあててみいといったらするっとできてなぁ。わしより本人が驚いていたわい。で、調子に乗って色んな人に癒しの魔法をかけて今にいたるんじゃよ」
「・・良いのか悪いのか」
明らかに職務を全うしない男が続出しているこの事態だが、ユエの楽しそうな顔をみるとそれを取り上げるのも憚られたーーふと、ユエがこちらに気付いたのかグレイグと目が合うなり瞳を丸くさせた。そしてこちらに駆け寄ってくる。それを合図に隣の軍医は立ち上がると、「ほれほれお開きじゃ、散れい」というので蜘蛛の子がぱっと散るように兵士たちは各々の持ち場へ帰っていく。そして軍医の代わりに今度はユエが隣に腰を下ろす。
「なになに?あんたも怪我したの?この癒し手のユエに見せてみなさいよ」
「調子に乗るな」
「乗っちゃうでしょ!あたし、魔法がつかえんだって!」
興奮気味に掌を見せてきたユエに分かった分かったと頷いてやる。魔法は才能を選ぶ節がある。グレイグも人並にはできたが、どちらかといえば苦手な部類だった。そのための訓練に時間をかけたが、ユエはそれを数日でやってのけてしまったのだ。その点確かに、ユエにはその手の才能があったのだろう。
「おかげで足も治っちゃったしさぁ〜」
「ではもう、あんな金の稼ぎ方をしなくていいな」
「・・そうかも。そうかもね・・あのさ、」
ユエは少し頬を掻きながら視線を彷徨わせた後、グレイグを見上げるように見ると笑った。
「・・・なんか、ありがと、英雄さま。あんたのおかげかも」
「分かったから英雄さまはやめてくれ、俺はグレイグだ」
「おっけー、グレイグね」
にしし、と笑って親指を立てたユエに「どう呼んでもいいが、人前ではきちんとしろよ」とは釘をさしたものの、調子のよいユエに聞こえているかどうかは定かではない。