「いいか、この子はちょっと普通の人より魔法が得意なくらいだ。ウルノーガの力を受け入れられるだけの容量は持ち合わせちゃいないんじゃよ。幸いおまえさんがはやく着いたから、まだ傷は浅い少し休ませたらすぐに目を覚ますよ」
ぐったりとしたユエをベッドに横たえ、その横でユエをじっと見つめていたグレイグに見かねた軍医がそう言う。しかし、尚もその場から動かないグレイグにしびれを切らした軍医はその大きな背中を叩く。
「しっかりしなさい、この子はわしが責任を持って治療するからおまえさんははよいかんかい!今はそれどころじゃなかろうて!」
長年この国を統治してきたのは王に入り込んだ魔物であった、悪魔の子は真の勇者であった、王女のマルティナは生きていた、双頭の鷲の片割れのホメロスが死んだーーさまざまな事がこの数時間にわたって広まったデルカダール城は騒然としていた。王は長年ウルノーガに乗っ取られていた影響で寝込み、その娘のマルティナが指揮を執ったところで今まで死んでいたと思われていたために余計事態がややこしくなる。今、そんな混乱をどうにかできるのはグレイグぐらいである。
短いその叱咤に込められたそんな思惑に気付いたグレイグはしばらくユエを見つめ、ふ、と短く息を吐くと医務室を後にした。こんな時にホメロスがいいれば、と思う弱い自分はもういてはならない。
「ん・・」
「ああ、よかった、ユエちゃん!」
ユエが目を覚ましたのは数日後の朝の事である。寝起きの視界に飛び込んできたのは、王やホメロスから遠ざけるために奥の部屋にいるはずのエマであった。
「・・エマちゃん、どうして・・」
「よかった、顔色もだいぶ良くなっているし・・軍医さん、お水はあるかしら?」
エマは起き上がろうとするユエに笑いかけ、そのままパーテーションの向こうへと消えていく。なにやらばたばたと騒がしい足音をユエはぼんやり聞く。確か、何やら世界樹から王だけが戻ってきて、呼ばれてそれからーー再び戻ってきたエマの後ろには兵士と軍医もいた。
「ユエさん!!うおおお、よかった!!」
「おい、うるさくするならでていけい」
「はい、ユエちゃん喉が渇いてるはずでしょ、飲んで」
エマからコップを受け取ったユエは、ベッド脇の小棚に乗ったペンダントを見、一気に目が覚めた。そう、グレイグ。あの人が、帰ってきた。ユエを助けてくれたのだ。
「ねえ、エマちゃん、グレイグは?」
「グレイグさんはね、今すごく大変みたい。城中を文字通りあっちこっち状態。でも、大丈夫、帰って来ているよ」
「そっか。そっか・・」
彼は将軍という立場にいるのだ。それを思い出してユエはどこか彼を遠く感じた。今まで構わず一緒に過ごしてきたが、彼にはそれなりの地位があるーーユエは首にもう一度かけようとしたペンダントをそのままポッケに突っ込んだ。
他にもエマはだいたいのことを教えてくれた。聞いたところでユエが理解できないことの方が多かったが、無事にイシの村の人達は解放され、エマも無事にイレブンと会えたらしい。
そんなことを一通り語り終えたエマは「そうだ、」と声を上げた。
「ユエちゃんもう平気そう?」
「ええ。すこし動きたいくらい」
ずっと寝ていたからだろうか、体のあちこちがすこし怠い。そんなユエの答えを聞いたエマはにっこり笑う。なんだかユエは嫌な予感がして、引きつった笑みを浮かべてじりじりとベッドの上を後退した。
「やだー!似合うじゃない!」
鏡の中の自分は引きつった笑みを浮かべている。首から下は、いつもとは違う服。いつもの地味な灰色エプロンスカートに変わり、フリルや大きなリボンのついたドレスがそこにあった。依然として微妙な顔をするユエとは対照的に、後ろに立つシルビアはご満悦である。
それを少し離れたところでイレブンが見守っている。何度か目線で「助けて」と呼びかけたが、それが分かっているのかいないのか、既に正装へと着替え終えたイレブンはにこりと笑って手を振るだけだった。
「ユエちゃんは明るい色が映えると思うのよねん。髪はどうしましょうか!」
「いや、あたしはその、こんなの似合わな・・」
「じゃあ、アップにしちゃいましょうか!」
「き、聞いてくださいー!」
あの後エマに連れていかれたのはデルカダール城の一室だった。ズラリと並んだ華々しい衣装に思わず感嘆の溜息を洩らせば、間髪入れずに「ユエちゃんはどれにする?」とエマに問いかけられ、「は?」と情けない惚けた声を出した次にはシルビアにひっつかまれてあれこれお着換えが始まったのである。
次はとドレッサーの前へと慣れないドレスと慣れないヒールにひょこひょこしながら連れていかれる。
「でもよかったわー!あとはユエちゃんだけだったから。目を覚ましてくれてほんとよかった」
「はあ・・」
あの後、何とかグレイグとマルティナの二人で城は落ち着きつつあった。そこで、さらなる混乱を避けるために大々的にマルティナが生きて帰ってきたことだけを国民へ伝えるためのパーティを国を挙げて開くらしい。
もちろん、それには勇者一行を称える意味合いも混じっているらしく、正装とは無縁だった一行のためにとシルビアが「つて」を(詳細は秘密らしい)使って集めた衣装をこの部屋に一時的に置いているらしい。「私も借りる予定なの」とにこにこ笑うエマにそういったきらびやかなものとは一切無縁だったユエは「そ、そうなの・・」と答える事しかできなかった。
「ほら、見てちょうだい」
髪のセットが終わったのか、ようやく解放されたユエは恐る恐るドレッサーの鏡を見る。そこには、別人がいた。普段はただ伸ばしているだけの茶髪は綺麗に上でまとめられて綺麗な髪留めで止めてある。あんまりにも目を丸くして身を固くするユエにエマとシルビアが笑い出した。
「さ、これでグレイグにいっちばん綺麗な格好で会えるわねん!」
「はっ!?どうしてそこでグレイグが出てくんの!?」
「よかったねーユエちゃん、ここずっとグレイグさんに会えてなかったもんね!あ、次は私もお願いしていいですか!」
ちょっと、とユエが真っ赤になって噛みつく前にさらっとエマの流される。おいていかれたユエはもう、と椅子に脱力する。ふと、日が翳ったので顔を上げるとイレブンがいた。
「体は平気かい?」
「うん、それは」
「それはよかった。じゃあ、パーティが始まるまで少し時間をつぶそうか」
気分転換にと外を連れ出されたユエはイレブンとのんびり城の廊下を歩いていた。城内は準備もあらかた澄んだらしく、飾り付けられた城内をユエは見渡す。今の服装のおかげで自分もなんだかそういった身分に仲間入りできたようで少し内心わくわくした。
そのままイレブンについていってテラスへと出る。もう日が沈みかけあたりは暗くなっているが、城下町はお祝ムードに包まれ、いつもより明るくまだ人の声が聞こえてきていた。イレブンは手すりに寄り掛かるとその風景を見つめる。ユエもそれにならって隣に並ぶ。
「なんだかね、不思議な気分なの。こうしてみんなが笑っていて、楽しそうで」
「・・そうだね、まるで魔法だ」
そう言ったイレブンはふと、ユエの方を振り返る。その顔はなんだか泣きそうな表情だった気がして、ユエは慌てて目を瞬かせる。しかし、次に見えたイレブンの顔はいつものあの澄んだ笑みをたたえていた。
「よかった、今度また違う形で会おうっていってくれただろう。この形で本当によかった」
「う、うん・・?」
なんとも言えないその言葉の真意を問おうとする前に、イレブンが後ろを振り向き笑った。そのままユエの手を取り後ろを向かせる。そこにいた人物に、ユエは思わず背筋を伸ばした。
「ほら、ユエ。君の騎士がまってるよ」