金曜日の魔法使い

 彼女は魔法使いだ。
 癒しの魔法が使えるから、と言えばそうなのだが彼女は特別な魔法を使う。場をぱっと明るくして、人を笑わせる愛の魔法だったのだと全ての光が消え失せた世界でようやく理解した。

 グレイグはイレブンとともに荒れ果てたデルカダール城をただひたすら無言で突き進んでいた。最後の砦を彼と共に出立するその間際、イシの村人が口々に「逃げる時に魔法使いが助けてくれた」との言葉がグレイグを突き動かしていた。
それはユエだ。デルカダールには数多魔法使いはいたが、彼女であるとグレイグは確信していた。根拠はない。だが、彼女なのだ。
 ユエを必ず迎えにいくと。だからあの誓いのペンダントを持っていてくれと。そう約束したのだ。きっと彼女はまだ待っている。

 「すまない、少しだけ寄り道しても良いだろうか」

 イレブンに一言断りをいれてから、少し道をそれてさんざん歩いた医務室までの道を足早に駆けた。
 ユエが闊歩し、いつも笑い声が響いていた医務室は扉が壊れ、中も以前の風景が見る影がない程の荒れようだった。彼女がいつも洗って干していたタオルは床に落ちて無残に踏み荒らされ、使っていた机は倒れている。残骸の中を歩きながらグレイグは暗い医務室だった場所を見渡した。

 「ユエ、いるか?」

 後から思えば、この問いに答えが返ってくることはないと心の片隅ではどこかで理解はできていた。だが、そう叫ばずにはいられなかった。認めたくなかったからだ。
 グレイグはそう呼びかけ再びぐるりと見渡すーーふと、視界に灰色のスカートの裾が写った。給仕服の色違いである灰色のエプロンスカートは彼女だけが着ている。グレイグは慌ててそちらを向いた。医務室の壊れた壁の向こうに見慣れたウェーブがかかった茶髪が消えていき、聞き慣れた笑い声と軽やかな足音が去っていく。

 「ユエ!」

 グレイグは慌ててその茶髪を追いかけて壊れた壁を越える。影は廊下の突き当たりを曲がっていくと誘うようにくるりと回る。グレイグは必死に影を追いかけた。楽しそうな笑い声と足音は聞こえるのに一向に姿が見えない。気がつくと、グレイグは王座の間へと続く大きな扉の前にいた。

 「・・・・あたし頑張ったよ、褒めて」
 「!?ユエ、」

 ふ、と耳元に優しい声がして振り返るもグレイグを追いかけて来て息を切らしたイレブンがそこにいるだけだった。そのイレブンは、扉を見るなり固まるーー正確には扉の向こうから漂う気配に体を強張らせたのだ。先ほどは気付かなかったが、禍々しい気配が向こう側より身を刺すようにこちらへと漏れ出ていた。意を決してグレイグは扉を押し開ける。この先に、ユエがいるーーどんな形であろうと。

 まず、目に入ったのはぽっかりと天井が消え失せ、代わりに夜の空がそこにあった。大きな月の光が静かに王座の間に降り注いでいる。ただ、グレイグはある一点ーー月で照らされた王座、否、そこで静かに座っている人を見ていた。
目を逸らさないまま、何も言わないまま、グレイグは惹かれるようにゆっくり、覚束無い足取りで向かう。いや、まさかそんな。逆光でよく見えないしあのスカートは緑色であるかもしれないし、まさか。あれが、彼女だなんて、

 「・・・・・・ユエ、」

 彼女はそこにいた。

 穏やかに眠るような顔に本当に眠っているだけではと思い、手を伸ばせば灰色のエプロンスカートが全て赤黒く染まっている。おかしな方向を向く細い足に思わず吐き気が込み上げる。理由はなんとなく分かったが理解はしたくなかった。いつも机の上だろうとなんだろうとお構いなく座っていた彼女は、グレイグに嗜められた時は決まってバタバタさせていた、白く細い足。なんとか吐き気をこらえると、何かを握る右手をそっと開くーーそこには託したペンダントがあった。グレイグは力が抜けたように膝を地に着けるともう一度だけ名前を呼ぶ。

 「・・ユエ、」

 あの日、ホメロスの異変に気付ければ。
 あの日、王を世界樹に連れていかなければ。

 過ごしてきた日々の中の歪を思い返し、世界樹が落ちてからというものの心の隅に巣食ってた負の感情がどっとグレイグに押し寄せた。負の記憶だけが押し寄せる、その最中にふと、ユエが見えた。記憶の中の彼女は笑っていた。
 不思議な人だった。突然グレイグの人生に流星のごとく現れた魔法使いは小さな魔法をかけてふっと消えていった。きっと彼女とはあの平穏な日々を過ごすために出会ったのだと、そんな気さえした。
 熱に浮かされたあの、クレイモランからの帰路でのユエの顔がふと浮かぶ。あの時、彼女が言いかけた言葉は心のどこかで分かっていた気がする。言葉という形にはならなかったが、グレイグに触れていた彼女の髪が、指が、そうだと語っていたーー本人が死んだ今、それはもう推測の域を超えないが。

 「・・・・ありがとう、待っていてくれたのだな・・約束通り」

 顔にかかった髪をゆっくり耳に掛けてやると、ペンダントを受け取り、握られていたその手の甲にそっと口づけた。いつものあの薬草の優しい匂いがグレイグを包む。
 愛おしい人、その傍へ行くのにもう少しだけ時間が欲しい。グレイグには今、大きな使命が、贖罪がある。親友を、魔王を打ち倒す役目だ。

 「ああ、もう少しばかり早く来ればこれの死に際が見れたのに。残念だなぁ、グレイグ」

 頭上から聞こえた声にグレイグは思わず拳を握り締めたが、深く息を吸ってそれを解いた。ユエを見つめたまま立ち上がり、ゆっくりと見上げれば哀れな男がいびつな姿で空にいた。ゆったり降りてくるホメロスをグレイグは静かに見据える。

 「・・ホメロス」
 「ああ、あれの最後の言葉を聞かせてやろうか・・・・ああいや、あれは言葉じゃないな、悲鳴だ。是非聞いてほしかったよ」
 「もう騎士の道からそれたお前に掛ける言葉はない」

 グレイグは立ち上がり、ユエを見つめたままそう返すとその体を抱き上げイレブンの立っている傍の柱の陰に横たえた。そしてイレブンの隣に並ぶと真っ直ぐホメロスを見つめた。
 人の物とは思えない白い肌に禍々しいオーラを纏ったホメロスはそんなグレイグを見、怒りの表情を浮かべた。

 「ほう、ついこの前その輝かしい経歴に世界を破滅へと導いたという功績を刻んだご立派なデルカダールの騎士様が私に御指導か」
 「それについては否定しない。だがなホメロス、俺はお前と違って立ち止まらない。その大きな罪も背負ってこれから先を歩むのだ」
 「・・・・私が?立ち止まっている?」

 ホメロスの顔から余裕を纏った仮面が剥がれ、代わりに憤怒の表情が現れた。

 「ふざけるな、ふざけるなよ!お前が、お前が私の前に立ちはだかっているだけだろ!!私がどれだけ、ここまでにどれだけ血のにじむ努力をしたと思っている!」

 グレイグは負けじと吠え返した。

 「これがその成果か!国を滅ぼし、人を殺め、全てを壊したこれがお前の努力の成果か!」
 「お前には分からないだろうな、ああそうだろうな!!ほめそやされてきた英雄グレイグ、その空っぽの頭じゃ一生かかっても分からないだろうよ!いいかよく聞け、私はもうお前の後ろは歩かない!」

 グレイグは剣を構えた。もうあれはホメロスではない何かになってしまった。グレイグの知る友人は死んだのだ。ホメロスは大きく笑うと柱の陰に横たえたユエを指さした。

 「希望も夢も意味を持たないとあの死体が教えてくれただろう?あいつもそうだった。ああ、思い出したよ、あいつは叫んでいたぞ、グレイグ、助けてグレイグと叫んで死んでいった!!希望があれを助けたか?夢があいつを救ったか?あのバカは力がない癖にそんなものを信じながら死んでいったよ、愚かだな!」
 「ああ、今のお前には分からないだろうな。彼女の魔法はお前にはもう一生かかっても分からない。彼女は誰よりも優れた魔法を使う魔法使いだった。さあもう無駄だろう、構えろ魔王の手下よ!その命、俺がもらい受ける!」

 不意に、グレイグの鼻腔にあの優しい匂いが霞めた。ユエがずっと握り締めていたからか、受け取った誓いのペンダントからは微かに彼女の匂いがするーー血がこびりついていることも気にせずにグレイグは迷わずそれを首にかけた。

 「・・ユエ、どうか魔法をかけてくれ」

 グレイグは剣を構えるとホメロス目がけ、大きく踏み込んだ。 
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