魔法使いと終着点

 「まず状況を整理しよう、グレイグの隊とホメロスの隊が正門からなだれ込んでくる魔物を退治しているがそれも時間の問題じゃ。城は捨てるしかない。いまはただ一人でも多く逃げるための時間を稼がねばならん・・わしはその前線の兵士たちの治療と援護をしてこようと思う」
 「先生、あたしもいく」
 「来るな。お前さんは邪魔になる・・・・いいかい、城の中の人はまだ残っている。お前さんは正門を迂回して下層へと続く道から抜け道へと案内をしなさい。イシの人たちはどうなっている?」
 「・・まだ、ここに」
 「それならば、そこから先は彼らに協力をしてもらいなさい。ここの土地勘は彼らの方が優れているからの」
 「・・分かった」

 軍医はそれだけ言うと杖を持って去っていった。その背を見送りながら肩を落とすユエに兵士は笑ってみせる。 

 「大丈夫っスよ!ウチの隊と・・まあ、ホメロス将軍の隊もいちおうっスけど・・わが国で一番強いんス!軍医殿も仕事なくて怒るかも!」
 「・・あなたはここにいていいの?」
 「はい、自分は隊長から何があってもユエさんから離れないで守れと言われてるんス。それはあなたが何と言おうと守ります。それが、今の自分の仕事っス!」
 「・・ありがとう」

 ユエは目元を拭うと立ち上がった。
 それに何よりもグレイグが世界樹へと向かう前に約束したのだ。この城を守ると。彼はおそらく大丈夫だ。それならば、自分がやることはただ一つ。約束を守ることだけだ。



 最後の避難者がイシの村人と共に出ていくのを見送ったユエ達は大地が割れんばかりの大きな轟音と共に今までで一番大きな衝撃にそろって地に伏した。

 「ユエさん危ない!」

 ぐいと引き寄せられたそこに城の天井が落ちてきた。
 ようやく城内の人の避難が終わったころには至る所から魔物とデルカダール兵が戦う音が響いていた。

 「まずいっス、建物は危ないから一旦そとに出ましょう!」

 兵士に手を引かれて城の歪んだ門をこじ開けて外に出るーーその先には凄惨な風景が広がっていた。家々は壊れ、至る所に人間と魔物の亡骸が散らばっている。兵士はユエを守るように後ろ手にやると見まわす。

 「おい!そこで何をしている!」
 「せ、先生・・!」
 
 聞き慣れた大きな怒鳴り声にユエは軍医に駆け寄った。あちこち怪我をして出血しているが、この状況の中で彼は大事ではなさそうだ。軍医はユエの肩を掴むと大きく揺さぶった。

 「もうお前さんも逃げなさい」
 「でも、」
 「いいかい、こんなおいぼれよりもお前さんにはまだまだ先がある。おそらくあのデカブツも生きている。だから、生きなさい。お前の力はまだ未熟でもこの先に必要となる」
 「いやよ先生、あたしもここにいる!」
 「おい、うるさいの。引っ張ってでもユエをつれて逃げなさい。ユエになにかあったらあの世から呪ってやるからな!」
 「うっわ、あなたが言うとそれ冗談にならない・・でも任されたました」
 「ちょっと・・!」

 ユエを担いだ兵士に抗議の声を上げようとした、その時だった。

 「ほう、おまえはまだ生きていたか」

 聞き慣れた声にユエ、兵士、軍医はそれぞれ身を固くしたーー声こそは知っている人のものだが、目の前に大きなはばたく音と共に現れたそれは到底知っている彼の姿ではなかった。もとより白かった肌はもう人のものではない灰色の肌に変わり、魔物のような毛が体を覆っている。なにより、その背中から生える翼が、胸に埋め込まれた紫色のオーブが、悪魔のような尾が、彼が人としての道を辞めてしまったことを象徴していた。

 「・・ホ、ホメロス・・あんたなの・・?」
 「左様。それ以外に何者でもないと思うが?」
 「・・おまえさん、よもや国を裏切るか!」
 「黙れおいぼれ。オレはそこのユエに用がある」

 ホメロスがパチン、と指を鳴らすと兵士が悲鳴を上げて吹っ飛んだ。抱えられていたユエはそのまま地面に投げ出されて地に這いつくばる。ホメロスはそんなユエに近付くとしゃがんでユエの顎を掴むと顔を上げさせた。

 「おまえは覚えていないだろうが、我が主はお前に興味がおありのようでな。こちらへこい。助けてやろう」
 「結構よ、そんな助けはいらな・・うっ、」

 ホメロスは冷たくユエを見下ろしたまま、ユエの頭を強く掴んだ。

 「ああ、そうか、この貧弱な頭にはもう少しはっきり言った方が分かるか。ここで死ぬか、こちら側へきて生きるか決めろと言っているのだ」

 ホメロスは目を細めて笑う。

 「もうここが落ちるのも時間の問題だぞ。このまま無意味に戦って死ぬよりも賢くいきようじゃあないか」
 「・・・・離して。あたしは、絶対、あなたの側になんか、行かない・・!」
 「・・そうか、ならば・・」

 ホメロスが大きく手を振り上げたところで、突如大きな炎が飛んできた。呆然としていたユエは後ろから襟を引っ張られて無理やり立たされる。

 「ユエ!走りなさい!」

 それが軍医だったと分かったころにはホメロスから離されるように突き飛ばされ、振り返るとユエを守るように仁王立ちする軍医がいた。ユエは構わず立ち上がって彼の傍に寄ろうとすれば無理やり誰かに引っ張られる。

 「やめて、離して!」
 「ユエさん、ほら行きますよ・・!」
 「あ、あなた、腕が・・!」

 ユエを掴む腕とは逆の腕が変な方向を向いている兵士にユエは絶句する。兵士は眉をしかめながら笑って見せる。

 「片手で槍は無理でも片手で剣ならいけますよ!ほら!」

 兵士に手を引かれたユエは首を振った。

 「ダメ、あたしは行けない。行くならあなたが行って」
 「ユエさん!今はそんなワガママ・・」
 「違う、違うの!」

 思い出した。初めて王に謁見したあの日の事だ。違う、あの日倒れたのは使ったことのない魔法をたくさん使ったからではなかった。いくつもの恐ろしい声が、体の芯から冷えるようなとてつもない大きな力が、ユエを支配しようと体に入りこんできていた。それからだ、ユエに不可解な事が起き始めたのはーー神殿の魔物の不可解な動き、クレイモランへの派遣。理由は分からないがあれは支配できなかったユエを片付けるための罠だった。
 もしもそれが事実なら、ユエが今逃げ出したとしてもホメロスは今度こそ迷うことなく堂々とユエを追いかけ殺すだろう。ユエはそれからずっと逃げ続けなければならない。そんな逃亡劇をこなすにあたって誰かに迷惑をかけないことはまず不可能だ。ユエが逃げ込んだ場所は蹂躙されるし、行く先々で魔物が湧いてくるだろう。

 「いいぞユエ、逃げてみろ。かくれんぼといこうじゃないか。オレは得意だぞ、特に鬼役がな」

 ホメロスはそうせせら笑うと立ち上がって真っ直ぐユエを見た。ユエは震える手を必死に押さえつけたーーふと、胸元に下げていたペンダントが指にふれた。グレイグがあの船で、ユエに渡したものだ。この世に二つだけの、彼が何よりも大事にしていたペンダント。

 『俺は必ず戻ってくる、それまでこれを持っていてくれ。ここに俺は必ず戻ってこよう』

 目を瞑ると大きく息をすってゆっくり吐いた。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせた。彼が来る。きっと来てくれる。一人じゃない。
 ユエはゆっくり目を開ける。兵士の腕を振り払い、なにやら止めようとする軍医を跳ねのけるとホメロスの前に立った。手に持ったステッキはいつかの衝撃で曲がっていた。

 「逃げない。あたしは、逃げない」
 「ユエ、」
 「逃げてもあんたは追ってくるんでしょ。鬱陶しいのよそういうの。嫌いなの」
 「ほう、たいして魔法も強くもないお前が正義のヒーロー気取りか」
 「なんとでもいいなさい」

 頑なに動かないユエに軍医は諦めたように溜息をつくと横に並んだ。兵士も心を決めたのかユエの隣に並んだ。横は向かなかった。戦力的にもこの戦いが負け戦なことくらい分かっていた。だからこそ、彼らの顔は見たくなかった。気持ちが揺らぐからだ。楽しそうに三人を見回すホメロスをユエは睨んだ。




 とうに軍医もあの兵士も屍と化している。先程聞いた断末魔、視界の端にうつるおかしな方向を向く胴体ーー全て振り払ってユエはまっすぐホメロスを睨む。ホメロスはともかく、ここいらの魔物たちはユエを片付けた後はきっと逃げた人々を追うのだろう。だから時間を稼がねばならなかった。
 ホメロスは一瞬、躊躇するように瞳を揺らがしたが、すぐさま冷酷な笑みを浮かべた。その口の端がすこし震えたのをユエは確かに見た。だが、何も言わなかった。ここまでくれば、もはやお互いに意地の張り合いだ。

 「あたしはぜったい、ここを、動かないから!」
 「だ、そうだ。聞いたか?この小娘の威勢がいつまで持つか、試してやろうじゃないか」

 魔力は尽きた、回復のあてもない。ユエは恐怖で震える足でなんとか踏ん張り、折れかかった杖を持ち直す。ほとんど悪あがきのそれに魔物達はせせら嗤いながらユエに迫ってきた。ユエはホメロスから目を逸らさないまま吠える。

 「逃げないって言ってんでしょ・・!負けない、負けない、負けない負けない!!」

 ユエの叫び声が威勢の良いものから断末魔の叫びに変わるのはあっという間だった。それに服が、肉が裂ける音、骨が砕ける音が加わる頃には言葉にはならない、悲鳴に近いただの叫び声になっていったーーホメロスはただそれを見据えていた。空は、依然として赤黒い。
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