きろにて

 「ユエさーーーーーん!!!!!」
 「うぐっ」

 今度は弾丸のように飛び込まれて自分が受け止める側だった。ユエは何とか踏みとどまるとわんわん泣き出した兵士の頭を撫でてやる。

 「よかったっスよぉーー!!はぐれちゃった時はもう、もう、何と隊長にお詫びすればよいかと・・!!!うわーーん!!」
 「あんたねぇ・・立派なデルカダール兵なんだからしゃんとしなさいよ・・」
 「だって・・ずびっ・・ハラキリって知ってますか・・うぅっ・・どっかの国ではそれでお詫びをするとかなんとか・・ううっ・・」
 「あぁ、もう、鼻水はぜったいあたしにつけないでよね!」

 ユエは大きく溜息をつくとどんより曇った空を仰いだ。
 グレイグとユエはあの後、森から隊員と共に撤退して船着き場へと戻って来ていた。至急、デルカダールへと戻るためだ。伝令兵曰く、ホメロスの足取りはダーハルーネ以降途絶えているらしく、彼がいない今のうちに一刻も早く国へ帰り王へと報告しなければならない。
 出立の準備で慌てふためく現場の中にいるグレイグをユエはそっと伺い見た。はるか向こうへと広がる海を見て桟橋に立っているその背中は重々しい空気をまとっていたーー不意に、その体がゆっくり揺れて倒れた。

 「グレイグ!ほら、あんたも泣き止んで!」
 「ハ、ハイっス!」
 「・・熱ね。ちょっと、グレイグを運ぶのを手伝って。行きにあたしが使ってた部屋を使っちゃいましょう。あたしはちょっと使えそうなものを探してくるわね」

 ユエは兵士を振りほどくと慌ててグレイグの元へ駆け寄った。浅く息をしたグレイグの額は熱い。きっと猛吹雪と先ほどの氷魔法でやられたのだ。ユエの隣にいた兵士は慌ててグレイグを助け起こすと肩を貸して頷いた。ユエはそれを見届けると、慌てて自分の荷物を取りに行った。



 とんとんとん、と一定のリズムが遠くで聞こえてきてグレイグは目を開けた。ぼんやり視界に映る天井は、はるか昔に消えてしまった自分の家と似ている。木でできたあの家は今よりも貧しい物だったがそこには確かに幸せが満ちていた。
 額に載せられた冷えたタオルが心地よいーーそういえば、大昔に風邪をひいてしまった時に母は決まってこうしてくれた気がする。目を閉じて体をゆっくりベッドに沈ませれば、ふわりと自分を包み込むように立ち上がった優しい匂い。その中に薬草の匂いが混じっていた。この匂いを、グレイグはよくよく知っていた。瞼の裏に、明るい茶髪の彼女が映る。
 のろのろ瞼を開けると音のする方を見た。いつものあの灰色のエプロンスカートではないがその小さな背中はよく知った、ユエのものだ。ユエは刻んだ薬草を鍋に入れてかき混ぜている。その背がどこか母を思わせた。風邪を治すための薬を嫌がるグレイグのために母はああして小さく刻んでこっそり粥にいれていたっけ。グレイグはゆっくり瞬きをして、名前を呼んだ。

 「・・・・ユエ」

 くるりと振り返ったユエはびっくりしたような顔をしたが、すぐさま柔らかく笑うと布巾で濡れた手を拭いてこちらへ寄ってきた。ベッドの淵にユエは腰かけ、グレイグを伺い見る。

 「調子はどう?」
 「・・悪くはない・・ここは?」
 「帰りの船の中。急に倒れるからびっくりしたんだからね」
 「・・すまない」

 タオルが退けられた代わりにユエのすこし冷たい手が額に重なった。自分の物より幾分も小さく、細いそれにグレイグは目を細めた。こちらのほうがタオルよりも心地が良い。

 「デルカダールに付くまであと数日はかかってしまうそうだから、ゆっくりしてなさい。道中の魔物は兵士さんたちに任せちゃいましょ。お腹はなにか入れられる?ちょうどできたところなの」
 「・・ユエ」

 ぎしり、とベッドからユエの重みが消えて薬草の匂いが少し遠のくーーグレイグは思わずユエの手首をつかんだ。
 ユエはこちらを振り向いてびっくりしたような顔をしたが、すぐ優しい顔になるとベッドの淵に戻ってきた。揺れる船と共に、部屋をぼんやり照らすランタンの炎も揺れてユエの影もゆらゆら揺れている。

 「・・俺は、分からなくなってしまった」
 「あたしとおんなじね。もうなにがなんだかって感じ」
 「・・そうでなくて、根底からわからなくなってしまった」

 体をユエの方に向けて動かし、枕に顔を半分埋めながらグレイグは呟く。
 いままであのイレブンが全ての元凶だと思って追いかけてきた。しかし、ここまで来て追い詰められたのはグレイグの方だった。机に置かれたペンダントをぼんやり見ながらグレイグは呟く。

 「・・あれは、小さな頃に王より賜ったものだ。俺は、ユグノアの前に滅んだバンデルフォン王国の生まれだった。故郷を失い、路頭に迷っていた俺に住む場所も暮らしも・・すべてを与えてくださって、我が子同然に育てていただいたのがデルカダール王だ」
 「・・そう、だったの。辛かったわね」
 「・・・・だからもう、失いたくはなかったのだ。故郷を、大切な人を、居場所を」
 「・・だから、イレブンの事をあんなに目の敵にしていたのね」

 ユエの細い指がグレイグの髪を梳いた。

 「許せなかった。再び故郷を、家族を、俺のすべてが奪われると思うと許せなかった・・・・ただ、ユグノアであの惨劇の跡地を見て重なって見えた」

 彼もまた、恐らくすべてを奪われた側の人間なのだろう。
 マルティナと共に去っていたリタリフォンを待つ間にグレイグはユグノア王国の亡骸を見て回った。そこはバンデルフォンと同じく悲しみだけが満ちていた。城の跡地の、石の墓に添えられた花を見た時初めてグレイグは自分が歩んできた道を疑った。自分は見当違いをしてるのかもしれないーーそしてそれはあの氷の魔女の一言で確信へと変わった。そう、イレブンを追いかけていたあの道筋は誰かに仕組まれたものだったのだ。そしてそれは、恐らく。

 「・・あのペンダントは世界にたった二つしかない。一つは俺・・・・そしてもう一つは、ホメロスが持っている」

 ユエの指がはた、と止まった。

 「イレブンたちはきっとラムダを経由して世界樹へと向かうだろう。そしてホメロスは彼らに立ちはだかる・・俺は、まだどちらが正しいかがわからない。なぜ、ホメロスが俺を殺そうとしたのかも」

 デルカダール王に引き取られ、ちょうどいい遊び相手としてあてがわれたのがホメロスだった。聞けば名家の一人息子で、どうも斜に構えた態度に最初は顔を突き合わせるたびに喧嘩ばかりだったし、その結果はいつも泣き虫のグレイグが泣き出して終わった。
 それでも、ホメロスはなにかと理由をつけてグレイグが一人にならないように傍にいてくれた。初めて剣を握った日も、鎧を身に着けた日も、何かを企むときも、怒られる時もずっと一緒だった。二人でデルカダールを守る、その誓いを胸に今もそれは変わらないと思っていた。
 ユエをきっかけに、小さな歪には気付いていた。それでも信じたかった。ずっと切磋琢磨してきた友人を。 

 「・・なら、あなたもいきなさい。そこで、自分の目で見て考えるの。ここにきたあたしみたいにさ」

 ユエの言葉にグレイグはユエを見上げた。

 「あたしも一緒に行きたい・・けど絶対邪魔になるから待ってる。でもね、あたしはグレイグの味方だからね。グレイグがいっつもあたしを信じてくれたように、あたしもグレイグを信じているから」
 「・・言うようになったな」
 「成長したのよ」

 ユエを初めて見たあの日、まず印象に残ったのはあの悲しそうな目だった。今思えば、全てをなくした幼い頃の自分のような目をしていた。だからこそ、再び出会ったときに医務室へと連れて行ったのだ。後先は考えてなかったし無責任ではあるが、放っておけなかった。自分がデルカダール王に救われたように、今度は自分の番なのだとさえ思った。

 「・・が、しかし。お前に助けられる日が来るとはな」
 「ちょっと、回復係として少しは助けてんでしょ!今だってこうして甲斐甲斐しく面倒見てやってんじゃない!」
 「・・そうだったそうだった」
 「まったくもう」

 ただ、今は違う。
 グレイグはひとしきり笑った後に、ユエの頬に手を伸ばした。
 今、彼女にはまた違う感情が生まれていた。じっと熱のこもった視線にユエは不思議そうに首を傾げた。なだらかな茶髪が彼女の動きに合わせてぱらぱらと落ちる。

 「・・ユエ」
 「・・・・なあに」

 ぐ、と頬を包む手に少しだけ力を込め、ゆっくり後頭部へと手を動かすと体を起こし、ゆっくり顔を近付けーーようとして、船が大きく揺れたので体勢を崩したユエがそのままグレイグの腕をすり抜けて体の上になだれ込んできたのでグレイグは再びベッドへと逆戻りした。

 「うぐっ」
 「うわわ、ごめん!ごめんーーって、なにちょっと、」

 慌てて体を起こそうとしたユエをそのまま抱き込んだ。ユエは抗議するような声を上げたが、それには照れが混じっていて、事実、そのままおとなしくグレイグの体に体を預けてきた。

 「・・ねえ、全部終わったら。世界樹からグレイグが戻ってきたら色々聞いていい?」
 「色々?」
 「・・そう、色々。あたしね、はじめてデルカダール以外の国に行ってすっごく楽しかったの。だから、グレイグの故郷の話が知りたい。あ、あとグレイグの今まで行ったことのある国とか村の話も聞きたい」

 楽しそうに笑うユエにグレイグもまた笑った。

 「・・分かった。なあユエ」
 「なあに」
 「デルカダールに着いたら、俺も世界樹へ向かおうと思う。すべてを、確かめてこようと思う」
 「・・うん」

 グレイグはユエを抱きかかえたまま体を起こすとベッド脇に置いてあるペンダントを掴み、腕の中にいるユエの首にかけた。ユエは下がったペンダントをまじまじと見つめた後、グレイグを見上げた。
 
 「・・お前に、持っていてほしい」
 「ダメ、無理。そんな、こんな大切なものをもらえない」

 首をふって取り外そうとしたユエの手を絡め取ってそのまま膝の上に戻す。戸惑ったようなユエを見つめ返してグレイグは笑った。

 「・・俺が帰ってくるまででいい、持っていてほしい。親友としてではなく、一人の騎士としてあいつと対峙するためだ」
 「・・・・ねえ、グレイグ、あ、あたし、あたしね、」

 ユエはこちらを見つめたままなにか言いたげに口を震わせ、そのまま閉じてしまった。その代わりにそのまま俯いてグレイグの胸板に頭をくっつけるようにして寄り掛かると、

 「やっぱいい、やめとく・・・・帰って来て。ぜったい帰って来てよね」

 とだけ呟いた。
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