「・・やはりおかしい。ユエ待ちなさい。ワシがもう一度抗議してくるわい!」
「ちょっと先生、そうかっかしちゃだめっしょ!」
「いやでもユエさん、これは自分もおかしいと思うっス!」
厚手のコートをトランクに詰めながらユエは怒りでいきり立つ軍医と兵士を見やる。
かれこれ一時間前、ダーハルーネへと向かう前に医務室へとよったホメロスの言葉が主に原因だった。
「おい、ユエはいるか」
「・・なに」
「お前にも命が降りたぞ。クレイモランに向かえ。国中の人々を一夜にして氷漬けにしたおかしな魔法の調査をしてこい」
「・・は?」
ユエが抗議をする前に反論したのは軍医だった。
「ふざけるな、ユエはまだ駆け出し。彼女にいきなりそんな呪いの部類の魔法に関わらせるのはワシがゆるさん」
「あなたが許さなくてもこれは王の命だ」
「だまれ小僧、なら王に抗議してくるまでよ」
「あーっ、ちょ、軍医のおっさんそんな王様になんて、んなムチャな・・」
怒りで顔を真っ赤にした軍医は止めようとする兵士を押しのけ、その怒りの勢いのまま医務室を出ていってしまった。ホメロスは一連の流れを愉快そうに見つめ、睨み続けているユエに視線を戻す。
「・・安心しろ、グレイグもユグノアで一仕事終えたらクレイモランに向かう手筈になっているかららお前ひとりじゃないぞ」
「・・・・それはどうも」
「ユエさん、」
「いいわ、行ってやろうじゃないの。命令なんでしょ」
「・・ああ、そうだ。王の命令だ」
「本当に、王様のならね」
「本当だ。そろそろあのおいぼれがもっと真っ赤になりながらここに戻ってくるぞ」
ホメロスがそう言い終わるか否か、医務室の扉がこれでもかというくらいに勢いよく開いて、軍医が戻ってきた。怒り心頭に発するとはこのことで、兵士はこわごわ軍医を見やるとユエの方に寄った。触らぬ神に祟りなし、兵士は軍医をそっとしておくことに決めたのだ。
ホメロスはその流れをこれまた面白そうに見つめた後、ユエに封筒を手渡す。
「これはそのクレイモランから直々に届いた手紙だ。事の詳細はそれで確認しておけ。船はもう用意してあるから安心していい。お前はそのお供とともに一足早く向かって原因を突き止めろ。それが王の御意志だ」
「・・わかった」
「え、ちょっとユエさん、」
それだけ言い残してホメロスは去ってゆき、今に至る。
てきぱきと準備を始めたユエに兵士は自分の荷物をそろそろと纏めながらユエを伺い見る。グレイグに「くれぐれも目を離すな」と仰せつかった手前、ユエが行くというのならば灼熱の火山でも氷漬けの街でもついていく覚悟はできているのだが、ユエ自身が進んで危険に飛び込んでいくのだけは見過ごせない。恐らくグレイグもそれを望むからだ。
「ユエさん、でもいくら何でも無茶っスよ。」
「どれくらい厚着をすればいいと思う?」
「ユエさん、」
トランクを閉めたユエの腕を掴んだ。どうもこの命令はおかしい。クレイモランが氷漬けになったことはもちろん、それをたかが入って一年ほどの駆け出し魔法使いに調査をすべて一任するのだ。グレイグが合流するとはいえどもあの大国クレイモランから直々に依頼された一件に見合う人選じゃない。
それに、と兵士はユエの首元を盗み見た。彼女は魔法で治した気になっているが、そこにはまだうっすらと痣があった。ふと、思い出したのだ神殿の魔物討伐の時のあの魔物の不可思議な動きを。もしかしたら、これは彼女への罠なのかもしれないーーデルカダールに使える身の上としては、口が裂けても言葉にできないがここのところ彼女を取り巻く出来事にそう思わずにはいられなかった。
「・・でも、いかなきゃ。ここであたしが嫌だって言ったって変にこじれるでしょ」
「でもユエが行くべき案件ではない。お前、分かっておるのか。たった一瞬であの大国を丸ごと凍らせたのだぞ、そんな魔法と対峙するにはおまえさんは早すぎる」
「そうっスよ!別にユエさんを見下してるとかじゃなくて、これはあんまりにも敵が巨大っスよ!」
ユエはステッキを胸ポケットにしまうと軍医と兵士に向き直る。
「でも、あたしは行きます。あたしが解決できるとは思えない。でも、確かめなきゃ。何が起こっているのか、今この世界はどうなっているのか、自分の目で。ここに居たってなにも分からないわ」
軍医は真っ直ぐユエの瞳を見つめ返すと、諦めたように椅子に座り込んだ。
「・・行っておいで。おいそこの、くれぐれもあのデカブツのところまでユエを守るように。アイツにも合流したらよくよくいっておけい」
「おっさん、」
「先生、ありがとう。いってきます」
それだけ言って医務室を出ていくユエの背中を、軍医は見送った後に目を閉じて深く息を吐いた。
デルカダールより遠く離れたユグノアの地でグレイグも同じ命が下されたのはユエがクレイモランへと出立してから随分経った日のことだった。リタリフォンの背に乗って去っていくマルティナとイレブンを追いかける術も、気力もなくなったグレイグは彼らに背を向けて隊が待機している陣営まで引き返す。イレブンを追いかければ追いかけるほどに、追い詰められているのは追跡者であるはずの自分であるような錯覚さえ起きていた。まるで、自分が誰かが敷いたレールを走らされているような、とにかくグレイグのあずかり知らぬところで物語は、世界は大きく動き出しているーーそして、それに一枚噛んでいるのはグレイグの良く知る人物である気がしていた。
「大変です隊長!・・・・あれ、リタリフォンは?」
「気にするな、続けよ」
「あっ、ハイ。その、王より一夜にして氷漬けとなったクレイモランの救出へ行くようにとの報が入りました」
「・・・・もうなんでもありだな・・」
悪魔の子、死んでいたと思っていた王女、その次には大国が氷漬けときた。グレイグは目頭を押さえて溜息をつく。しかし、グレイグには一つ王の耳に入れなければならなかった。そう、マルティナの事だ。
「分かった。俺は後から追おう。先にデルカダールへ戻って・・なんだ」
「・・その、大変言いにくいのですが、」
「なんだ」
兵士たちは顔を合わせて気まずそうにおずおずといった。
「ユエちゃん・・じゃなくて、ユエ殿がもうクレイモランに向かって出立しているとか・・」
「なに、」
予想通り食って掛かったグレイグに兵士は「いや俺にいわれましても」と眉を派の字に下げる。
「我々の元へきた伝令兵と同じ時期にデルカダールを出立されたそうなので、おそらくもうクレイモランについている頃かと・・グレイグ様、あいつがいるとはいっても・・」
「分かった。王への報告はまとめてすることにする。リタリフォンが戻り次第、俺も追うので先にクレイモランへ向かうように。一晩で追いつく」
「はっ」
グレイグのピリピリとした雰囲気を感じ取ったのか、兵士たちはリタリフォンのいない訳を深く聞かずに各々の準備に取り掛かり始めた。その背中を見つつ、グレイグは遥か北を見た。彼女が今、自ら危険へ飛び込んでいるという事実よりも、数か月ぶりにあの顔を見られるという事実の方が今、グレイグを動かしていた。