「で、負けたと」
「・・結果的にはそうなんスけど、なんていうかなー、その勝負でオレも一皮むけたっていうかさぁ」
「あなたって本当にプラス思考よね」
グレイグが悪魔の子の後を追いかけるようにしてこのデルカダールを出発してから一週間ほど経っていた。ユエはグレイグが自分がいない間にとつけてくれた兵士の話を半ば聞き流しながら洗い物を済ませていた。この兵士はユエのやることなすことを手伝ってくれるのは良いのだが、その間は止まることなくしゃべり倒すので最初は「割と気の利く兵士」だった評価が今は「おしゃべり兵士」に変わっていた。洗濯物のさなか今繰り広げられている話題は、この前ユエも手伝った赤いオーブを奉納した神殿の警備の話だ。
なんでも、あの後神殿の警備もグレイグの隊の管轄になったらしく、晴れて隊の中から神殿の警備を受け持つメンバーになるには隊長のグレイグと一騎打ちをして彼から一本取れることが条件だったらしい。
「でも、あんな魔物だらけで辺鄙なとこにずっと警備の為だけにいるのは退屈じゃない?」
「あはは、確かに。ユエさんはそう思うかもしれないっスねぇ」
「なによ、あたしならって」
ユエはベッドシーツを干す手を止めて先ほどまで洗濯物が入っていた籠を持って座り込む兵士を睨む。兵士はからから笑うとそんなユエを気にせずに続ける。
「オレらはこの国の盾となり剣となると誓った騎士なんスよ。そのための努力は惜しまないし、強くなってきたんスよ。だから国の大事なものが奉納されてる神殿を守る・・なんてすっげぇ光栄なんスよ」
「・・ふーん、そういうもんなの?」
「そ。そういうもんなんス。ま、平和な街の巡回ももちろん、大切だし手を抜く気はさらさらないんスけど・・まあ、これからはそうもいってられないかなぁ」
びゅう、と強い突風が吹いてユエは後ろを振り向く。視界の先には、城に漂う緊迫感を露ほどもしらない、いつもと変わらず賑やかなデルカダールの城下町が見える。悪魔の子が文字通り災いそのものにしろ、はたまた救世主にしろ、そういったワードが出てくる時点でこの世界はゆっくりと、だが確実に平和の世を終えようとしているのだ。
「・・これからどうなるのかしらね」
「・・・・さあ、そればっかりは神様くらいしかわからないっスよ」
「おお、ユエ戻ったか」
洗濯物を干し終えて医務室に戻ればそこはなにやら慌ただしい雰囲気が漂っていた。空の洗濯物の籠をもったユエと兵士を一瞥した軍医は押し上げていた眼鏡を掛け直すとユエを呼び寄せるように手でこまねく。ユエは洗濯物籠を兵士に押し付けるとそのまま軍医の元へ寄る。
「なあに」
「お前さん、神殿の魔物退治に付いていったときに地図を作ったんじゃろ?」
「あぁ、あれね」
「まだあるかい?」
「あるけれど・・」
「貸しておくれ、いますぐに」
いつものふざけた雰囲気とは違う軍医の空気にユエは理由を聞く前におとなしくうなずくと、自分の机に駆け寄ると上から二番目の引き出しを開ける。ステッキの下にある紙きれを取り出すとそのまま軍医に渡した。本当はもう神殿に赴くこともないだろうし帰ってすぐに処分してしまおうかとも思っていたが、グレイグが「せっかくお前が作ったのに」というものだからなんとなく捨てられなくて引き出しにしまっておいたのだ。グレイグーー彼は今、どこで何をしているのだろう。
もんもんと考えるユエをよそに軍医はユエの地図を受け取るとしばらく見つめ、「ふむ」と納得したようにうなずく。
「少しこれを借りるぞ。あとユエ、一日ほどここを開けるから医務室を頼んだよ」
「えっ、ちょ、ちょっと!」
「・・なんだ。薬の場所はもう分かるし、治療の魔法もまあまあ上達したじゃろ」
「そうじゃなくて、」
軍医は「なら構わんな?」と一方的に会話を終わらせると、上着を羽織ってそそくさと医務室を出ていく。
「ねえ、先生、どこ行くの?」
「ちょっと神殿に野暮用、以上」
ぴしゃっと目の前でドアを閉められてユエはびっくりして固まったままドアの向こうの軍医の足音が遠のいていくのをただぼんやり聞いていた。不意に、隣の兵士が洗濯物籠を持ったまま空を見つめていることに気付く。その横顔は血の気が引いていた。
「・・どうしたの?」
「・・・・・・したって、」
「え?」
「・・神殿警護をしていたウチの隊、全滅って、」
軍医が神殿へと出発してから時間は経ち、日はもう傾き始めていた。洗濯物の取り込みを兵士に任せてユエは捕虜の食事の準備へと取り掛かっていた。正確にはユエではなくきちんと城の料理番に作ってもらってはいるのだが、彼らもそれ以上のことはしたくない(というよりは厄介ごとに近付きたくない)らしく、纏めて入った食缶や食器を彼らの元へ運ぶだけの仕事だった。
洗濯物の取り込みも、この支度も兵士と一緒にやっていたのだが、今日ばかりは彼も一人になりたいらしかった。無理もない、共に切磋琢磨してきた同僚を数人一気に失ったのだ。それでもグレイグの「ユエから離れないように」という命令を忠実にこなす彼にユエから洗濯物と食事の準備を別々にすることを提案したのだ。本来なら力のいる運ぶ仕事であるこちらを兵士に任せた方が良かったのだろうが、何かと洗濯物の方が今の彼には都合がいいだろう。外で、誰の目にも触れないから。
「おや、今日は一人か」
スープの入った重い食缶にあくせくしていれば、ひょいと横から腕が伸びてきて軽々とそれを持ち上げ、ワゴンに載せる。視界に入る金髪に、ユエは警戒してその名を口にした。グレイグも兵士もいないこの状況で一番会いたくない人物、
「・・ホメロス」
「フッ、怖い顔だな・・・・それもあれらの食事か?」
ホメロスは残りの食缶を見遣ると鼻で笑う。ユエはふいと顔を背けると食缶をワゴンに載せる作業を再開させる。「それ以上関わるな」とでも言わんばかりのユエの背中を眺めホメロスは壁にもたれかかるとお構いなしに話を続けた。
「律儀だな?あれらはいつもお前とグレイグの陰口をたたいているぞ」
「あたしとグレイグじゃないでしょ、アンタのことだけ。勘違いしないで」
「・・お前も正義の味方気どりか?ほんの一年前までは何をしていたのか、今一度胸に問いかけたほうが良いんじゃないか?」
「御親切にどうも」
全て載せ終えたユエはワゴンの取っ手を握ると足に力を入れて運ぼうとするーーが、ホメロスはワゴンに片手を乗せていとも簡単にユエの力に勝ったために、ワゴンはびくともしなくなった。
「何がしたいの?あたし、そんな暇じゃ・・」
「・・・・神殿。全滅だったそうじゃないか」
「ッ、」
初めて動揺の色を見せたユエにホメロスは口を歪ませた。そしてそのまま、固まってしまったユエに近付くと囁いた。
「神殿内部はきちんと見たのか?あの地図、漏れがあったんじゃないか?」
「うるさい!どうせ、アンタが・・!」
「オレが?何を?」
「アンタがけしかけて・・っ、」
それ以上は続けられなかった。ユエの物よりも幾分も大きな手がユエの喉元まで伸びてきたかと思えば思い切り締め上げたのだ。痛みと呼吸ができなくて喘ぐユエをホメロスはどこまでも冷たい目で見下ろした。
「お前が何をしって何を考えてそう言おうとしたかは全く理解できないがたやすく言葉にしてはならないと薄汚い下層では学ばなかったのか?それともお前は誰かに頼らないと黙ることもできないのか?・・・・いっそ黙らせてやろうか、今すぐに」
「くる・・し・・っ・・」
「・・まあいい」
ホメロスはぱっと手を離すとむせこみながらしゃがみこむユエを見下ろす。
「オレはしばらくここを離れる。あの図体だけのグレイグは悪魔の子を見事に取り逃がしたようだからな、今度はオレの番だというわけだ。グレイグが帰ってくるまでお前は静かに捕虜の餌やりでもしてるんだな」
喉を押さえて咳き込みながら、ユエは去っていくホメロスの背中を睨むことしかできなかった。