まほうつかいとくろのきし

 「うーむ、足りないかもしれんのう」
 「先生、薬草もないかも」

 棚を見てそう唸る軍医に、ユエは薬を調合しつつ今しがた空になった瓶を見て言葉を返す。医務室は今、少してんやわんやしていた。
 数時間前、ユエの一言を聞いたグレイグが行動を起こすのは早かった。

 「それは間違いないのだな?」
 「う、うん。聞こえたの」
 「・・・・分かった。危く我が国は一つ罪を犯すところだったな・・間に合えば、良いのだが」
 「リタ、すぐ出れるよ」
 「分かった。ユエ、一応怪我人が出るかもしれない。準備を」
 「う、うん。任せて」

 グレイグは少し何か考えた後に、隣で聞いていた部下に手短に指示を出す。そしてそのまま馬屋へ急ぎ足でかけようとする前に、ユエに向き直った。

 「ありがとう、ユエ」
 「・・いっつもあんたが信じてくれるから、そうしたんだよ」

 去っていく大きな背中にユエはそう、一人呟いた。
 それからしばらくして、グレイグは件の村の住人をみな捕虜として連れ帰ってきた。怪我人は出たものの、幸い軽いやけどで済み、ユエはほっと胸をなでおろした。
 グレイグと共に帰って来たのはホメロスだった。この人物がきっと命を下したに違いないーーと盗賊を捕まえたグレイグを睨んでいた顔を思い出しながらユエはそう思ってしまったが素知らぬ顔をしてグレイグに駆け寄る。

 「どうすればいい?」
 「捕虜は城の奥の部屋にいてもらう。ユエは怪我人の治療を」
 「うん」

 頷いたユエを、隣のホメロスが冷たい目で見据える。目があったユエは、根っこが生えてしまったようにその場から動けなくなった。ホメロスの瞳はどこまでも冷たく、頭から冷水をかけられたような、とにかく頭のてっぺんからつま先まで一気に体温を奪われたような、そんな悪寒に襲われた。彼はいつだって少しキツい印象はあったが、こんな目ではなかった気がする。

 「・・・・・・お前か」

 おそらくその言葉はユエと、ホメロスにしか聞こえなかっただろう。それほど小さく、でもユエにはそれが剣の切っ先を喉元に素早く突き付けられたような鋭い声音だった。ユエは何も言わなかった。いや、言えなかった。指の先まで凍えたユエはホメロスから目を逸らせずにただそこに突っ立っていた。二人の空気にさすがに何か感じたらしいグレイグがユエをかばう様な形で二人の間に割って入る。

 「・・ホメロス、お前には少し聞きたいことがある」
 「そうか、こちらには何もないな。王の命だ、そう言えばお前も分かるだろう?」
 「ホメロス、」

 ホメロスはグレイグを一瞥すると踵をかえしてその場を去った。ユエはその足音を聞きながら思わずグレイグを伺い見る。その横顔は、どこか苦し気だった。

 「・・グレイグ、」
 「お前ひとりでは大変だろう。軍医殿と共に彼らの具合を見てほしい。俺は少し、王と話してこよう・・なんだその顔は」

 グレイグは困ったように眉を下げて優しくユエの肩を叩く。

 「・・超有能回復役、頼りにしているぞ」
 「まっかせなさい。このあたしが完璧にやってあげる」

 ユエは笑ってみせた。そしてそのまま王のいる玉座の間へ向かうグレイグと別れ、今に至る。
 イシの村の人々の態度はあまりよくなかった。いくら助けた側とはいえ、同じデルカダール配下であるホメロスが村人ごと村を滅ぼそうとしていたのは事実だーーホメロス。ユエは薬をしまう手を止めずにあの整った顔を思い出す。最近、あの顔に影がよりましたような気がするのは思い違いではない。下層で暮らしてきた経験からくる直感はだいたい外れることがない。だが、ユエには彼を悪だと糾弾できるだけの根拠と彼に関する知識はなかった。そうである以上、ユエは何食わぬ顔をするのが正解だとも思う。

 (・・まあ、もう目を付けられたかもしれないけれど)

 先ほどのホメロスの顔を思い出してユエは身震いしてふと脳裏によぎった疑問に見て見ぬふりをした。そう言えば神殿へ行けと王より命がくだったと話を持ってきたのはホメロスだった。それは、本当に王の命だったのだろうか?そして最深部の魔物の動きはまるでユエ達を待ち伏せしていたかのような動きではなかったか?



 「失礼、」
 「おおグレイグ」
 「軍医殿、ユエと話があるのだ。少し外してほしい」
 「はいはい、いったいここをなんだと思っているのやら・・」

 捕虜の世話に追われているうちに日はすっかり傾いていた。そろそろひと段落つくといったあたりで医務室の扉が勢いよく開いてグレイグがやってきた。聞こえてきた彼の声に、洗って干し終えたタオルを畳む手を止めずにユエはパーテーションの向こうから顔を出して入り口を覗き込む。

 「グレイグ?王様とのお話はどうだった?」
 「・・ああ、いや、それはまた後で話す。それよりも俺は少し城を空けることになった」
 「え?」
 「・・・・悪魔の子が、逃げたのだ」

 そこで、とグレイグはユエの肩を強く掴むと言葉を続ける。痛いくらいに掴まれてびっくりしたユエはグレイグと目が合うなり少したじろいだ。グレイグの瞳はそれくらい鬼気迫るものだった。

 「俺のいない間、捕虜のことをお前に頼みたいのだ。頼めるのがお前ぐらいしかいない」
 「グレイグ、」
 「王には今すぐ出立せよと仰せつかっている。あと俺がいない間はいつも見回りの時に一緒にいるあいつをお前に付ける。それから、」
 「グレイグ!」

 ユエは一喝するとグレイグの両頬を両手で軽くたたくようにして添える。びっくりしたのか、グレイグは言葉を止めて唖然とした表情でユエを見つめ返した。

 「捕虜のことは任せて、いないときはその兵士さんを頼ればいいのも分かった。でも、どうしてなの?一体今、どうなっているの?」

 グレイグは少しの間、何か思考を巡らすように目を泳がしたのちに深く息を吐くと項垂れるようにユエの肩口に頭を乗せた。いつものその大きい背中が縮こまる様子にユエは戸惑いながらもグレイグの肩を撫でて、今一度問いかけた。今度は、優しく。

 「らしくないじゃない。どうしたの?」
 「・・分からないのだ。全て、理解が追い付かない」
 「なにが」
 「・・お前には言えない」
 「なんでよ」
 「なんでもだ」

 こういうところで変に頑固なのだ。ユエは諦めたように一つ溜息をつくと肩を励ますように軽くたたいてやる。

 「はやく行ってきなさいよ。待っててあげるから、外行って頭冷が冷えたらあたしにきちんと説明してよね。何が起きてるのか」
 「・・分かった」

 グレイグは顔を上げると、振り払う様にしゃんと背を伸ばす。

 「・・いってくる」
 「いってらっしゃい」

 グレイグは少し笑うと医務室を後にした。
 一人残されたユエはしばらく目の前の現実問題について考え込んだ後、先ほどのグレイグが肩口に頭を乗せたあの時の体勢を不意に思い出して一人真っ赤になる。思わず受け入れてしまったが、あれは、少し近すぎたのではないだろうか。真っ赤になって肩をさするユエに軍医が意味ありげに笑うのだからユエはもっと赤くなった。
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