ああ、これはゆめなんだ。
明王は茫然と明王を見下ろして呟いた。その声は音としての質量を持たなかった。
見下ろされている明王は小さな体で薄汚れていて、小太りの男に揺さぶられながら、かみさま、と弱弱しく呟いていた。
かみさま、たすけて、かみさま、おかあさん。明王は鼻で笑う。ばかめ。かみさまなんて居ないし、おかあさんは迎えになんか来やしない。知っている。俺はお前なんだ。
なきながら瞼を閉じた明王に、明王はくちびるの端をきゅうと持ち上げた。霧のようにふわふわとしていた体が質量を持って、重力を感じた。がくんと視界が動き、落ちる。
真下には、明王がぽっかりと空いた眼孔で、明王を見つめていた。



ざあざあと雨が打ち付けている。雲は空を覆っているのに、明王の前には自分自身の影が、塗れたアスファルトにまるで染みの様に伸びていた。
塗れた体に触れていく風はまだ冷たくて、明王は座り込んで膝を抱えた。意味は無かった。
遠くにある地面をぼんやりと見つめる。ぬかるんだそこには、ぽっかりと眼孔の空いた明王が、泥にまみれて横たわっていた。
ああ、早く、
ゆっくりと明王の肌色に泥の茶色が染みていく。侵食されていく。吐き気がする。
早く、早く、
はやく!

「不動ッ!?」

何かが明王の右腕を掴んだ。がくんと体が後ろに引かれる。唐突なそれに反応できず、明王はそのまま何かに倒れこんだ。明王を支えきれなかった何かは、明王を抱えたまま一緒に真後ろにあったフェンスにぶつかった。
あたたかい腕と赤い布が明王を包んだ。

「ばっ…かもの!!何をしているんだお前は!!死ぬ気か!?」

ぎゅうと抱え込んだまま怒鳴りつけたそれをぼうと見上げる。ゴーグル越しに赤い瞳と目が合った。怒りで赤が深くなっている。
不安げに見下ろしてくる相手を、そのときようやく認識できた。鬼道だった。
じっとりと濡れた髪を、鬼道の手がそっと撫でた。鬼道の手は白くて、節もなく、染みひとつ無い、きれいな手だった。
明王は思わずその白い手に自分の手を伸ばしてしまった。黒く染みのついたそれに、めまいがした。

「不動、大丈夫か…?っ、お前熱が…!」

鬼道はマントを脱いで、明王の体にかけた。意味はないだろうが、と呟いた。
そのまま背中に背負われ、鉄塔からそのまま降ろされた。
鬼道は帰り道、一言も喋らずにいた。明王も、鬼道の温かい背中に背負われたまま、ただマント越しに雨に打たれていた。

視界の端で、明王がじいっとこちらを観ていた。ぽっかりと空いていたはずの眼孔には、強い光を放つ宝石が埋まっていた。青緑色の、きれいな、透明な宝石だった。
体中についていた泥の染みは、雨に流されている。
手には、黒い染みがついていた。

「…鬼、道」
「何だ?」
「……俺…、…俺、は…」

ぐらぐらと揺れる視界で、明王は、笑っていた。

「…苦しい……」
「…すぐに医務室に連れて行く。もう少し、耐えてくれ」

鬼道の歩調が早くなる。こちらを見つめる明王の姿が遠ざかる。
ばいばい。明王は手を振っていた。
黒い染みのついた手を。



20100821





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