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風紀室を出ようとする俺に玖波那が着いてきた。
生徒会に渡す資料があると言いながら俺の隣に並ぶ。
やはりデカい。
座っている時にデカさを感じないということは玖波那の姿勢が悪いのか足が長いのか。
腹にパンチを一発かまして跪かせたくなる。
中学の時に生徒会長と風紀委員長として対面した時にそんなことをした覚えがある。
ケンカを売られたら全力で買うことにしているので俺は容赦なく跪かせた玖波那の頭を踏みつけたものだ。
現在、友情が築き上げられているのはきっと玖波那がMだからだろう。
そうじゃなければ険悪なムードは避けられないはずだ。
俺と役職抜きで会う時は常に堅太とご飯が同席していたのでおいしくて場が和んでいたのもある。
「俺が持って行ってもいいぞ」
本当は堅太が待つ寮の自室に帰りたかったが玖波那には世話になっている。
堅太は少し怒っているかもしれないが未遂なので注意されるぐらいで終わるはずだ。
連休を堅太と過ごすために仕事を根詰めてやり過ぎたがなんとかなった。
なったはずだ。
リテイクなんかないし、というか仲介業者が釣鐘のあの人になってから今まで直しをお願いされたことがない。
以前は口やかましく依頼の前提を打ち崩すような構想を破壊するようなことを喚く騒音製造機がいたがあの人は違う。そのせいでついつい仕事を請け負い進めてしまう。
やり過ぎたら後で自分の首を絞めるから必要最低限にしようと思っていたのに穏やかな雰囲気に騙される。
善人にしか見えないから詐欺師になったら世界を狙える。
堅太との触れ合いは阻止していかなければいけない。
きっと堅太は純粋だから汚染されてしまう。
「資料は言い訳。さっきの話が少し気になって……」
「俺の作った置物が猫の生前の肉体とそっくりすぎて乗り移っているという話か」
「もしかして監視カメラや盗聴器があるんじゃない?」
「俺が作った作品だぞ? 中は確かにスペースとしては問題ない……が……」
「陛下でもケンちゃんでもない相手で盗聴器を仕込めそうな人間、いるんじゃないの」
どうして玖波那はそんなことを言うんだろう。
そう思うだけの根拠があるかのようだ。
風紀委員長としての長年の勘か。
経験則の方がそれっぽい。
玖波那は将来なんになるんだろう。
成績から考えて警察官僚はありえない。
テレビに出ている歌のお兄さんにしては厳つすぎる。
スーツを着るときは角刈りをやめるのかそれとも暴力担当の部署に配属を希望するのかもしれない。
就職先に困ったら自宅警備員にならないか誘ってやろう。
堅太も玖波那がいるなら安心できるはずだ。
「……あのケンちゃんの弟、繭崎賢治。オレの部屋に居るじゃない? 別に何かしてくるわけじゃねえんだけどイヤホン耳につけてんだよね。音楽聞くのは別に構わないんだけどさぁ、片耳だけなわけ」
「玖波那から話しかけられた時に無視しないようにじゃないか?」
「いや、オレは別に話すことないし」
「堅太がいるから弟様も俺の部屋に頻繁に来ることがあっても不思議じゃないが……そういうことはないな」
俺に弟様は遠慮しているんだろうか。
病院まで一緒に来ておいて堅太を残して自分はホテルに泊まったと言う。
夜中に俺が起きると思ったのだろう。
堅太と二人っきりで話せるようにそれとなく気を配ってくれた弟様は人間が出来ていている。
もう明日には弟様は学園を離れる。
ゴールデンウイークに入ってしまうからだ。
弟様が目的としていた堅太の中にあったわだかまりは解消され実家に顔を出すのは問題ない精神状態になっている。仲がいい兄弟なら帰ってこない兄に弟様は淋しかっただろう。
俺も堅太と離れるのは淋しいが嫁の実家に旦那がついていくのはいつがベストなんだ。
高校卒業していない今はまだ早いだろうか。
「大学から来た教授がいたでしょ?」
「長谷部教授がどうかしたのか」
「検査する機械とか持ってるし詳しかったと思うから聞いた方がいいと思って」
教授はストーカー被害者だったと言うからこの話題はお手の物かもしれない。
だが、生徒だけで話を済ますのではなく非常勤講師とはいえ大人を噛ませるとなると後々面倒が出そうだ。
「どうしてそんなに心配性なんだ?」
「普通は兄の恋人をたぶらかしたりしねーんですよ」
「たぶらかされた覚えはないぞ」
「陛下キスしそうだったじゃんか」
「繭崎兄弟の中では口移しが一般的なのかと思って」
「陛下的には馴染もうとした結果なわけですか? ねえっすわー」
呆れ顔の玖波那の気持ちなど知らない。
俺は早く堅太とめくるめく官能の世界にダイブしたい。
キスもいいがそれ以上もしたい。
いっそ猫が絶対に居ない風呂場か!?
霊的には水場が相性がいいのかもしれない。
長谷部教授と面と向かって会うのは二回目だ。
生徒会長として挨拶をさせてもらったことがあるが個人的な面識はない。
堅太がこっちの道へ進むのなら教授との繋がりは将来的に大きくプラスになるが勉強することが多くて俺との時間が減りそうで嫌だ。
だが長谷部教授は悪い人ではないのだろう。
簡単に会ってくれた。忙しいと門前払いを覚悟していたので意外だ。
「生徒会長さまがこんなところへどうしたんですか?」
意外にも敬語を使われた。副会長の孤塚のような言い方だが声の柔らかさが全然違う。
長谷部教授は伝統工芸品を作り続けるご老体と同じ匂いがする。
三十代後半ぐらいだろうが雰囲気が老成していた。
頑固で妥協はしないが排他的なわけではない優しい老人。
教授が俺の顔を覚えてくれていたのには驚かない。
自分が特徴的な顔だとは思わないが何処にでもいる平凡な顔とは程遠いのは知っている。
見るからに野暮ったい無精ひげと伸ばしっぱなしの髪とは裏腹に礼節を重んじるタイプなのかもしれない。
「個人的な要件ですが、お時間よろしいでしょうか?」
「繭崎くんに関係することでしょうか」
「半分は、そうなります」
そう言うと長谷部教授は自分の部屋に通してくれた。
自分の部屋と言っても個人の部屋ではなく学校の中にある教師が火元責任になっている受け持ちの教科の準備室。
これは大体の教師が与えられている権利だ。
風紀が乱れていた頃は教師が生徒を連れ込んでいたりしたらしいが今では条例が厳しいのでそんなことはない。
条例があるからということを理事長各位に白い目で見られるだけで警察に引き渡されはしないのだが潔癖なところがある理事長は性犯罪に対して厳しい。
堅太を襲った宇宙人の始末などあっさりとしたものだった。
知り合いだという堅太と理事長の話は少しだけ興味あるが聞かなくてもいい過去の話だ。
そう思わなければ嫉妬してしまう。
長谷部教授の部屋はパソコンが五台稼働している。機械音が響く室内は想像したものとは違っていた。
何かの作業中なのかと思ったがパソコン画面に教授が注意を払うことはない。
配線が足に引っかかるような汚い部屋ではない。ホコリもなく整理されていた。
どこかオフィスを連想させるのは大きいコピー機があるからかもしれない。
業務用のコピー機は職員室や資料室、売店横にある。
小型の家庭用のものなら生徒会室と風紀室にもあるが個人で持っている教師がいるとは思わなかった。
「あぁ、ここは新聞部の活動にも使ってるんです。このコピー機は号外を刷る用で私は関係ありません」
「長谷部教授」
「ここではただの先生ですよ」
「長谷部先生はこの学園に慣れましたか?」
「まだついていけないこともありますが、不便のないぐらいには……」
そして、恥ずかしそうに目を伏せて長谷部先生は語りだす。
ひもじい思いをした時に堅太が毎日ご飯を作ってくれたこと。
授業が終わった後の片付けを手伝ってくれること。
廊下で会った時に挨拶を欠かしたことはないこと。
重い荷物を運んでいる時は半分持ってくれること。
その他諸々の堅太が天使であることの証明を長谷部先生は語る。
「堅太が天使なのは疑いようがない事実です」
「……天使かはともかく繭崎くんには何かとお世話になっているので私で手伝えることなら」
「実は天使が何者かに監視を受けているかもしれないんです……」
つい沈痛な面持ちで長谷部先生に俺は玖波那が覚えた危機感を語る。
俺が視線を感じるのがどうして盗撮や盗聴に繋がるのかは知らないが玖波那のキングオブ普通人の感性を俺は信じることにした。
どうやら俺は危機感が足りないらしい。
そして堅太も警戒心が薄い。
そう思うと俺たち二人だけでは安全を得るのは難しいのだと分かる。
玖波那に俺の自宅警備員を打診するなら三年生になる前がいいかもしれない。
決めた進路を変更するのは難しい。悩んでいる時に囁くのが賢い方法だ。
「これから一緒にその問題の置物を見に行ってもいいですか?」
「ご面倒をおかけしてすみません。お願いいたします」
堅太に長谷部先生の分の夕食を頼むべきだろうか。
少し考えていると部屋がノックされた。
顔を見せたのは新聞部の部長だ。
「永遠様っ、どうされたのですか!」
大事件でもあったのかと腰を低くしながら俺に近づく彼は確か三年生だったはずだ。
俺の威光は世代に関係ないということだろう。
中学の時に顔を見た記憶があるから目の前の彼はずっと部長や委員長をしているのかもしれない。
それなら俺の偉大さを分かっていてこんな態度になるのも頷ける。
「もしかして繭の君に何か!?」
繭の君ってなんだ。
堅太の異名か。繭崎だから繭の君なのか?
蚕か何かみたいだ。繭の君。
繭の中に包まれた堅太を想像するとちょっとかわいい。
全裸で真綿にくるまれる堅太。
それか蚕サイズなのか。それは妖精さんだ。間違いなくフェアリー。
今までずっと繭の君なんていう言い回しを使っていたのなら堅太は自分が噂されていることに気づいていないはずだ。
俺だって知らなかった。
「繭の君という名称をいつから使っている?」
「中学の時からですかね。彼はあれで地味に人気がありますから。一緒に行動している天利祢雨音が地味かわいいせいで繭の君は地味格好いいの扱いです」
天利祢のフォローを堅太がよくしているのは聞いている。
相対的に堅太の評価が上がっているのは喜ばしいが堅太にはその噂が届いていないのだろう。
どうして繭の君じゃなく「繭崎サイコー!」と言ってやらないんだ。
気が利かない。
堅太を観察していて気づいたことだが俺が「永遠」や「陛下」と呼ばれていることを堅太は知らない。というよりも意識していない。鯨井が俺を「永遠」と呼んでから鯨井がいうところの「永遠」が俺という解釈になっただけで人が話している時に「永遠」と耳に入って来ても木佐木冬空のこととは思わない。
「いくら褒めても感情がないように感じさせないクールでドライな繭の君に一部の人は罵られ隊を結成しそうです」
「堅太に罵られるのは俺の特権だ」
「はい、生徒会長親衛隊が動いて繭の君に関係する活動は阻止されています」
俺にその報告はないが天利祢雨音の仕事だろう。
意外にあいつは使える人間なのかもしれない。
だが俺に報告は必要だ。堅太のことは漏らさずに伝えろと言っているのに命令無視か。
「堅太は自分が褒められている意識がないと思うぞ。繭の君なんていう言い回しでは堅太の耳に届かない」
俺の言葉に新聞部の部長は大きくうなずいた。
わざとらしい芝居かかった動作なのは俺をバカにしているわけではなく癖なんだろう。
新聞部は放送委員会と密接な関係にあるという。
不定期にある昼の放送はテンションが高いから同じタイプの人種なのだと思うしかない。
「あぁぁぁ!! 陛下とお話しできるなんてっ、今日はよき日! よき日ィ!! ヨロレイヒー」
適当な感動をまき散らす新聞部はそこでハッとして「で、結局どうのようなご用で?」と聞いてきた。案外、抜け目ないのかもしれない。変な言い回しでこちらを煙に巻きながらその実、自分の主張は通しこちらを逃がす気がない。
面倒なので本来なら無視したいが俺はニュー俺を継続している。
弟様を見習って多少は交友関係を広げてもいいかもしれない。
一週間かそこらで一年生を掌握して今は玖波那と一番仲が良さそうに見える弟様。
俺と玖波那が過ごした時間は結構長かった気がするが気のせいだったのだろうか。
「弟様と玖波那の関係は――」
つい口から出た言葉に新聞部はそのジャーナリスト魂からか食いついた。
こいつは近い将来東京湾に浮かぶんだろう。
好奇心は身を亡ぼすのだと知らない。
俺は親切じゃないので教えてやることはないがニュースで死を確認したら黙とうを捧げることを誓っておく。
「繭の君の弟君は風紀委員長と同室というか居候状態だとか」
「らしいな」
「二人の関係を陛下はどう思われていますか?」
「羨ましいかもしれない」
俺は玖波那とお泊り会をしたことがない。
堅太の部屋に泊まりたいと言ったことは何度かあるが一般生徒の寮部屋に生徒会長が来ると目立つという理由で追い払われてそれっきりだ。さみしい。
玖波那なら風紀委員長で誰にも文句を言わせない気がするが玖波那は目の前に自分の部屋があるんだから帰れと追い払ってくる。友達甲斐がないのかハッキリ言えるからこそ友達なのか。
もし玖波那が自宅警備員になるのなら強制的に毎日がお泊り会と言えるかもしれない。
警備員に払う給料は実家を参考にして算出すればいいだろう。
警備会社と個人契約はまた違うから最終的には玖波那との話し合いになる。
俺は折れるつもりがないから玖波那は遅かれ早かれ俺の要求を呑むだろう。
「……ということは?」
「続きは特にない」
「そうですか、陛下が繭の君と風紀委員長たちのようになりたいと思っていることはわたくしの胸の中にだけ秘めておきます」
何を言っているのか理解しかねる。
さっさと堅太に会いたい。
新聞部はまだペラペラしゃべっていたが一切を無視して長谷部先生と共に俺は自分の部屋に向かった。俺が返事をしなくても構わないらしい新聞部は寮のエレベーターまで着いてきた。
「ささ、陛下どうぞお乗りください」
長谷部先生よりも俺に対して声をかけるのは不敬な気がするが非常勤講師よりも生徒会長が上だという価値観なのだろう。先生も何も言ってこない。大人とは忍耐力を持つ存在への称号なのだと玖波那は言っていた。近くにストレスが溜まっている大人でもいるんだろうか。俺は知らないが玖波那の付き合いの広さならそういう事もあるかもしれない。
俺は無言でエレベーターに乗るが新聞部は乗らなかった。
腰を深々と曲げて「またお会いできるのを楽しみにしております」と口にした。
長谷部先生がエレベーターの扉を閉める。
「いつもあんな感じですか?」
「何がでしょう」
「あなたに対する他の生徒の反応です」
ヒゲをさすりながら長谷部先生は気まずそうに聞く。
視線を彷徨わせているのは聞いてはいけないことを口にしている気分だからだろうか。
「大体そうですね」
「淋しくありませんか?」
「便利です」
「……そう、ですか。なにか気になることや知りたいことはありませんか?」
特にないと言おうとして目の前の相手が誰であるのか思い出した。
「堅太は授業中どんなことをしているんですか? 先生の授業は本来のカリキュラムを無視して自由にしてるんですよね」
「ちゃんと単位を取るための授業もやっていますよ。みんなが優秀なので余剰な時間が出来るだけです」
そういう建前らしい。
資格試験に合格すればその資格の勉強をしていたということに出来る。
「繭崎くんの班じゃありませんが先日試作品が完成したのはこんなものですね」
写真を撮っていたのか長谷部先生は俺にケータイの画面を見せてくる。
それは未知との遭遇だった。同時に新しいモノへの芽吹きでもある。
背筋がざわつく。
「興味がありますか?」
「明日、いや今日の夜にでもこれを製作した人間に会うことが出来ますか?」
「メンバーのひとりはさっき会った新聞部の部長ですよ」
「あぁ、二年と三年で合同の授業でしたか」
「小人数ということもあって二学年合同でも争いは起きませんし、授業はやりやすいです」
繭崎くんのおかげもありますね、と長谷部先生は言う。
堅太はどうやらのびのびと授業を受けているらしい。
自分に危害を加えてこなければ堅太は変なテンションの頭のおかしい宇宙人すら飼いならした実績がある。
クラスに馴染めないということはないのだろう。
ただそれは目の前の長谷部教授が現れなければ起こらなかったことだ。
例外ばかりの選択授業の詳細を知る人間は授業を選ぶ際に教えられていなかったはずだ。
長谷部教授が高等部で教鞭をとっていることすら知らない生徒は多い。
学園の中ではアンテナを伸ばして情報を手に入れようとしていなければ外部にいる人間の方が事情に詳しくなってしまう。この逆転現象は学園の閉鎖性を示しているようだが改善は難しいだろう。大勢の生徒がいるので掌握が面倒になる。
教授よりも先生の方が嬉しいらしい長谷部先生は案外研究開発よりも先生が向いているのかもしれない。
「あなたがこの学園に来てくれてよかった」
「……そう言ってくださったのはあなたで二人目です」
一人目は誰だろう。堅太かそれとも生徒会顧問の誠氷田か。
そういえば誠氷田との関係は先輩後輩でいいんだろうか。
聞くべきかどうか考えている間に部屋についてしまった。
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