青い鳥を手に入れる努力は並大抵のことじゃない | ナノ

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 俺が病院について入れ替わりで保険医は学校へ戻った。
 学校側が手配した車で来たので俺の帰りの車はないので病院かホテルに泊まることになるのだろう。
 入院していても彼の親は顔を見せていないらしい。
 同じ状態になっても俺の両親も顔を出すことはないだろう。
 危篤だったりするわけじゃないんだから、ドライなぐらいが仕事人間なら普通だ。
 
 病室に彼以外居ないのかと思えば釣鐘を名乗る人が少し困ったようにベッドの脇にある椅子に座っていた。

 一見すると甘い顔つきの優男のようだが挨拶をする時に立ち上がった釣鐘さんに驚いた。
 予想よりも身長があって立派な体格だった。座っててそう感じなかったということは足が長いということなのかとつい視線を下に向ける。
 高身長にも関わらず不思議と威圧感はなく爽やかさがあった。
 意外でもないのかもしれないが弟とは面識があるらしい。
 母や父の仕事の関係で子供の同伴が必要な時に着いていくのは弟の役目なのである程度の家柄の当主や次期当主といった人間と弟は知り合いだ。
 
 珍しくというよりは初めて見るぐらいに弟が下手(したて)に出ていた。
 下手(したて)という言い方は変かもしれないがちゃんと一歩下がった態度でいる弟に驚く。
 彼の作品全般の売買に関わっているのなら年上だろう。
 服装がカジュアルすぎるがスーツを着たら三十代ぐらいだろうか。
 いいや、肌年齢が二十代か十代にも見える。年下ではないはずだが友好的な態度が年上の物言いにしては距離感が近い気がする。
 
 年齢不詳だと結論付けて釣鐘さんの話を聞くと彼にゴールデンウイーク前までに納品する予定の作品を何点か頼んでいたという。
 契約打ち切りとか体調管理できないことへの嫌味があるのかと思えばスケジュールの調整は問題ないが作品を継続的に作れない状態になるのなら依頼人に説明して回るから彼に伝えて欲しいと言われた。
 どうして俺に伝言するのかと思ったが釣鐘さんも忙しいらしく俺がいるのなら自分はいらないだろうと言った。目が覚めた時に一人だとよくないと思って着いていてくれたようだが釣鐘さんには釣鐘さんのやるべき仕事があるのだろう。
 引き留めるのも悪いとは思ったが気になったので彼の年間スケジュールを聞いてみた。
 
 みっしりとスケジュールが埋められているにもかかわらず、去年、俺が海外旅行している時期に彼は仕事を入れていない。その事実に尾行でもされていた気がしたが自意識過剰だろう。俺は見なかったことにした。
 
 毎日でも何かしらを作り続けている予定になっている彼は拒否権がないのか才能が枯渇すると思って出来るだけ今の内に作業しているのか謎だ。
 今回の問題はスケジュールの詰め込みではなく俺が原因なので釣鐘さんにそこは説明して頭を下げた。男同士の痴話げんかみたいなことで倒れたなんて信頼を失うんじゃないのかと思ったけれど「仲良くていいな。そういうのが出来るのはある意味特権だ」と微笑まれた。
 弟の会話から適当な誤魔化しよりも真実を伝えるべき相手だとは思ったが男同士ということも彼が俺の料理しか食べないために絶食していたというのも驚かずに聞いている釣鐘さんはどれだけの修羅場を経験したんだろう。それとも心が物凄く広いんだろうか。
 
「冬空くんが起きたらここに連絡を貰えるかな? 彼は自主的に俺へ連絡してこないだろうから堅太くんにお願いするよ」
 
 年下に言い聞かせる口調なのかむず痒い。
 これで釣鐘さんが俺よりも年下だったら気まずいが人間的な器が違うと思っておこう。
 釣鐘さんは彼のマネージメント的なことを二年前ほどからしているのだという。
 
 弟が慈善事業だとツッコミを入れていたが「頑張ってる人は応援したいから」と答えるだけで否定していなかったので彼から給料が出ていないのだろうか。
 それで膨大な予定の管理をするなど慈善事業というよりも彼に弱みを握られた人間の行動にしか見えない。いや、まさか、と思うが彼は人を信用しないし興味もないから平気で酷い扱いをする。
 爽やかに微笑んでいる釣鐘さんに後ろ暗いことがあるようには見えないが、どうなんだろう。
 
「もし気になるなら俺のやっていることを引き継ぐか俺の助手でもするかい」
「アニキは引きこもりのコミ障だぜェ」
「失礼なこと言うな。どこにも引きこもってない」
「コミ障は否定しネエの……」
「お前ほど上手くないのは事実だ」
 
 釣鐘さんは「問題ないよ」と微笑んだ。人の心を穏やかにする雰囲気を持った人だが彼は釣鐘さんにも懐いていないのだろうと思うと俺は何者なのかと考えてしまう。
 絶対に俺と話すよりも釣鐘さんと話す方が話しやすい。
 
 釣鐘さんいわく問題になるのは対人コミュニケーションではなく対木佐木冬空とのやりとりがどれだけ出来るのかだという。
 彼以上に気難しい人間はいないかもしれない。
 
 病室を去る釣鐘さんに弟はついていった。
 彼が起きるにしても面会時間がもうあまりないので近くのホテルをとるという。
 学校に帰ればいいと思いつつ弟なりに彼を心配しているのだろう。
 ホテルが釣鐘さんと一緒のものだからという理由かもしれない。
 
「アニキ? 拗ねんなよォ」
「別に拗ねてない」
「オレが病室にいたらおっぱじめられないだろォ?」
 
 気遣いだと言い出す弟の言っている意味が分からない。
 何を病室でするというんだ。
 
 
 
 
 彼の病室は個室で簡易ベッドを置いて俺も泊まれるようになっていると教えてもらった。
 病院はホテルではないが彼がどちらかといえば精神的な問題で体調を崩しているので俺がそばについていることは認めてもらっている。事前に彼が保険医に言い含められていたらしい。
 もしもの事態を想定するような行動をとって欲しくはないが彼が彼である限り改善は見込めないかもしれない。
 
 小さな冷蔵庫があったので持ってきた惣菜のいくつかは冷蔵庫に入れた。
 食事制限があるわけでもないので好きにしていいらしい。
 むしろ病院で出す食事に手を付けないのが確定しているので俺がきちんと用意して彼が何を食べたのか記録するように頼まれた。
 医者ならば彼に俺の食事以外を食べるように進めるのではないのかと思ったが「かわいい命綱じゃないか」と彼の担当医は笑った。
 彼の気持ちを理解する人間は言葉が足りない。
 弟もまた俺に対する説明を不足する。
 俺が言えた義理でもないかもしれないけれど分からないことが積み上げられる。
 
 シャワーを浴びてパジャマに着替えて目覚めない彼の枕元を見る。
 桐の箱が存在を主張する。
 俺は中を見ていいんだろうか。
 弟が勘違いして俺宛じゃない可能性を考える。
 
 彼の静かな呼吸音。
 胸が静かに上下しているので生きているのは間違いない。
 それでもなんだか不安になって彼の手を握って温度を確かめる。
 胸に耳を当てて心音を感じる。
 
「好きとか愛してるは……分からないけれど、大切で必要だ」
 
 去年と同じ気持ちは持てない。
 去年までの心は俺の中にはない。
 
 中学の頃のような一人だけで完結する報われないことを期待する両思いの中の片思いでもない。
 ただ俺は彼という存在を失えなくなっている。
 
 それは猫の死に目に会えなかったトラウマなのか彼の愛情に感化されたのかは分からない。
 彼を見殺しにすることは俺が猫を意識的に殺すような気分になって出来そうにない。
 誰かに任せるんじゃなくて全部自分ですれば良かった。
 後悔は俺の中に根を張っている。
 そうしたらいずれ寿命が来たとしても俺がいない時なんていう事にはならなかったはずだ。
 
 ああしたらよかった、こうしたらよかった、そういった気持ちがどうしても消えない。
 その気持ちが幻聴を発生させて心の中にある猫の姿を強固にするんだろう。
 忘れないでいたいから思い出に縋りつく。
 
 一年前の新婚生活のような甘ったるい彼との時間を回想して長く続けるためにはどうすればよかったのかを考えだす時間は猫のことを思う時と似ているかもしれない。
 
 俺がもっと彼を理解して先手を打って釘を刺して、彼が満足いくほど強く重く愛して愛されれば今も彼と俺はべったりと密着していたかもしれない。
 
 猫にも彼にも未練が発生しないはずがない。

 俺は猫と二度と会えないなんて思ってなかった。
 実家に帰れば居るものだと思っていた。
 俺は彼と別れるなんて思っていなかった。
 彼の一番は俺だと疑っていなかったんだ。
 
「……っ、ん」
 
 彼の瞼が震えて目を開けた。
 もし彼が記憶を失って俺が誰だか分からなくなったなら俺はどんな反応をするだろう。
 元恋人なんて名乗らずに消えるのか、恋人だと名乗って去年のことに触れずにいるのか。
 
 恋人というものがなかったら俺は彼と中学の時に同室だった、それだけの繋がりしかない。
 俺は繭崎堅太という名前である前に彼との関係が名前になる。
 
 彼のことを何でも知っているような気になったのは彼がそれだけ俺に心を開いて木佐木冬空というものを与えてくれていたからだろう。
 他の誰も知らない彼の顔。
 綺麗に微笑んで俺を愛しいと瞳で語ることをきっと誰も知らない。
 俺たちに言葉はいらなかった。
 言葉はなくても愛し合って必要としあっているのが瞳で、仕草で、よく分かっていた。
 だからといって相手が何を考えているのかを探ろうとしたりしなかったのはきっと怠慢であり傲慢。
 
「……けんた?」
 
 目覚めた彼にナースコールを押さないといけなかったが俺は彼の首に手をかけた。
 
 猫は鳴かない。心の中に変わらずにいる俺の猫は鳴かない。
 窓の外から鳥の羽ばたきが聞こえた。
 もう日が落ちているのに珍しいこともあるものだ。
 
 彼が鳥のモチーフを使う時に絶対というほど鳥籠もセットにしていた。
 その理由は鳥に加護を与えるためだと言っていた。
 守るための鳥籠。逃がさないためじゃない。外敵からの侵入を拒む要塞。
 
 青い鳥の童話を彼はあまり好いていなかった。
 戯曲としてある原作ではない。
 現代に広く知れ渡る幸せはそばにあり気づいていなかっただけという解釈は欺瞞だと断言した。
 
 あっちこっちに青い鳥を探しに行く童話は自分の家にいたハトが青い鳥だったということでオチがつくが彼はそれを良い所探しの末にした妥協だと言った。
 ハトが青い鳥であるのならどうして最初に気づかないのか。
 いろんな場所に行き結局青い鳥が手に入らなかったから青い鳥への期待値が下がって自宅のハトが青い鳥ということで落ち着いた。
 
 どうして青い鳥など何処にも居ないと思わないんだろうかと彼は言った。
 俺は答えた。
 青い鳥に象徴される幸せや希望や未来というものがないと人は生きていけないからだ、と。
 人が我武者羅に幸せを求める姿は彼には滑稽に見えるかもしれない。
 生まれながらにして幸福と幸運が約束されている彼には不安などないんだろう。
 普通の人間が流れ星に願い事をする気持ちが分からない。
 普通の人間が見る夢は彼にとって実現可能な目標でしかない。
 
『俺は堅太が居ない未来が不安だ。だから鳥籠は必要だ。鳥は空を飛ぶものだから窓を開けたら外に出て行ってしまう』
 
 未来への希望なんて風が吹けば飛んで行ってしまう儚いもの。
 青い鳥は何処にも居ない。
 手に入ってもすぐにどこかへ飛んでいく。
 
 彼の首に触れる手に力を込める。
 青い鳥を手に入れるためには鳥籠ではなく殺してしまえば永遠だ。
 思い出して過去を反芻する行為は綺麗。
 希望は絶望にだって変わるから未来なんかなくてもいい。
 
 青い鳥を手に入れるためためには鳥の首をへし折ってしまうのが一番手っ取り早い。
 

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