青い鳥を手に入れる努力は並大抵のことじゃない | ナノ

  2


 こんな設備があったのかと驚くのは俺だけじゃないはずだ。
 鯨井は両手が動かないように異様な服を着せられていた。
 ドラマとかで見たことある拘束着ってやつじゃないだろうか。
 猿轡とか目隠しもサイドテーブルにある。
 SMプレイを学校の中で始めているような背徳感。
 
「ケンタっ!!」
 
 俺の登場に鯨井は満面の笑みで自分の姿に頓着せずベッドの上から跳ね起きようとして転がる。
 上半身のバネだけで起き上がるには無理があったようだ。
 痛そうな音がしたが大丈夫だろうか。
 
「鯨井、落ち着け」
 
 保険医は彼に付き添っていないものの人の気配があるのに誰も鯨井を支えようとしないので俺が手を伸ばそうとしたら弟に引き留められた。
 よく考えれば彼や弟の顔に傷をつけた鯨井なので俺に何かをするということも考えられる。
 言っては何だが非力なので俺など鯨井の力で一捻りだ。
 
「ケンタッ! なんでこっちに来ねえんだよっ。遅いぞ!! オレは待ってたのに!」
 
 ギャンギャン騒ぐ鯨井に何を言っているのか耳を素通りする。
 言わせたいだけ言わせて改めて後で聞こう。
 保健室のベッドから落ちた状態の鯨井にどうしようかと思っていたら「静かにしなさい」と厳しい口調。
 隣のベッドに居たらしい声の相手はベッドを区切るカーテンを開けた。
 聞き覚えのある声だと思ったらサッカー部のマネージャーさんだ。
 あの後に恋人という俺を拘束していた一年と一緒に頭を下げに来たけれどそれ以降見ていない。
 頭を押えてうめく先輩は具合が悪いんだろう。
 保健室にいるんだから体調を崩しているんだろう。
 
「ここがどこか分かってるの?」
「うるせえ! 男のくせに変な言葉遣いしてんじゃねえよっ」
 
 鯨井が「おかま」と罵倒する。
 本当のオカマさんなら「アンタは男に『この男』って叫ぶのかしら? それって、とっても滑稽ねえん」とか言われるんじゃないのかと考えていたら先輩は枕を鯨井に投げつけた。
 
「気を遣ってやってりゃあクソガキが殺すぞっ」
 
 先輩は鯨井を踏んづけた。
 かわいらしい顔を悪鬼のように豹変させて「お前の頭をサッカーボールにしてやろうか」と言いながら鯨井の顎を足で蹴り上げる。
 
「イライラさせんなっ、クズ」
 
 怖い。もうメッチャ怖い。
 弟が俺を慰めるためなのか後ろから抱きしめて頭を撫でてくる。
 この体勢になってしまうと体格が違いすぎて弟の腕から抜けることが出来ない。
 手に持っていた桐の箱は地面に置かれている。
 蹴り飛ばさないためにも下手な動きが出来ない。
 
「凶暴な小動物キライなの治んねえなァ。アニキが鳩につつかれてオレに泣きついたのを思い出すわァ」
「お前が餌をぶちまけたからだろ」
 
 鳩が凶暴なのか弟の行為が非情なのかよく分からない。
 頭から餌を被ったせいで散々な目にあったのだけは確かだ。
 大惨事なのにみんな笑っているだけで助けてくれないし。
 弟に手を伸ばさなければ俺は鳩に骨まで突かれたかもしれない。
 思い出してもうすら寒い。
 
「また鳩なんか追い払ってやるって、ナァ?」
「次の機会なんかない」
「どうだか」
 
 ニヤニヤと笑っているだろう弟にすこし苛立って身体をひねる。
 動かないようにか抱きしめる力が強くなった。
 
「ケンタケンタケンタケンタケンタ!!!!!!」
 
 急に火がついたように叫び出す鯨井にどうしたのかと思えばサッカー部のマネージャーである先輩にベッドに寝かせられていた。良かったじゃないかと思ったのだが身体を起こして前傾姿勢というよりも俺を目指そうとしている。
 それでベッドから落ちたのに学習しない。
 
「鯨井、落ち着け」
 
 俺はまた同じ言葉を繰り返す。
 どうしてこんなに鯨井は興奮しているんだ。
 キムチが好きだったような気がするからカプサイシンか?
 カプサイシンが悪いのか?
 
「鯨井、怪我はヒドイのか?」
 
 正直言って拘束着のせいで何処を怪我しているのか分からない。
 顔色は頭に血が上っているから判断つかない。
 
「ケガ? ケガなんかしてねえぞ? 勘違いか? ケンタはそそっかしいな」
 
 鯨井の無邪気な笑顔は「オマエは、あのちびっ子に内臓持って行かれそうだったじゃネエかァ」という弟の言葉で気味の悪いものに変わった。
 
「俺が聞いた限りだとその外見美少年、中身は肉食獣は風紀委員長の服すら脱がしにかかったって」
 
 溜め息をつきながら頭を押さえてベッドに腰掛ける先輩。
 やらしい口調はやめたらしい。
 
「見た目こんなんなのにバリタチってか、かわいい系の顔の男が嫌いっぽいなぁ?」
「うるせえ! おかまっ」
「ぶち殺すぞッ」
 
 先輩と鯨井の間で火花が散るがそれはどうでもいい。
 
「話しにならないなら仕方がない……これから俺は病院に行く。じゃあな、鯨井」
 
 薄情な気もしたが顔を見に来たのだから十分だろう。
 鯨井が狂ったように俺の名前を呼ぶことは俺には関係ない。
 原因を究明してもきっと対処できないので離脱するに限る。
 
「さすがアニキ、人にできないことを平然とやってのけるッ」
 
 ひぃひぃ人を抱きしめながら笑うのはやめて欲しい。
 なぜか「冷たさ世界一かよォ」とか言われたが知らない。
 
「ケンタ! ケンタはオレのこと、好きだろっ。みんなが違うって言うんだッ」
 
 涙目で鯨井が俺を見る。
 先輩は俺にか、鯨井にか、哀れむような顔。
 そんな顔をされる義理は俺にも鯨井にもない。
 
「嫌いじゃないよ。お前がもう少し声の音量を下げられるなら、なおさら」
 
 俺の言葉に鯨井は静かに微笑んで「そっか」と頷いた。
 納得したのなら良かった。
 静かにしていれば素直な奴だからどこでだってやっていけるだろう。
 弟や彼と同じタイプの人種だ。俺とは違う、持っている人間。
 
「オレが騒がしくなかったらケンタはオレと結婚するんだな」
「それは……え? なんで?」
「オレのことを好きなんだから一生傍に居たいと思ってるんだろ? 隠さなくてもいいんだぞ。大丈夫だ。オレもそろそろキャラを変えるべきだと思ってたからなっ」
「…………そうだな、俺を嫁にしたいなら木佐木冬空……お前が永遠と呼んでいた人間よりも稼いでみろ。そうしたら話を聞こう」
 
 無茶なことを言った気がするが目標が大きいと張り合いが出ていいだろう。
 
「ちょ、コイツって理事長の親戚なんだろ? そんな約束して大丈夫なのかよ。会長は確かに普通よりは上の稼ぎだろうけど気分屋だから家の会社なんか継がないだろ」
「木佐木冬空は伝統工芸品の復旧と普及に力を入れているけど服飾、ジュエリーデザインなんていうのも請け負っている。イラストや商品パッケージの雛型も作ってたかな」
「それでこまで給料貰えないだろ」

 たぶん企業絡みのものは家からの頼まれ事で彼の個人的な仕事とは違う。
 俺は動いている金額を軽く聞いているので首を横に振る。

「ジュエリーなんかは顧客が上流階級の人間で作るものが常に一品ものだから価格は言い値だって」
「アニキ、それ……人挟んでんだろ。あのダンナは絶対に営業できネエだろォ」
「仲介してくれている人は良心的みたいだけど? 釣鐘っていう」
 
 先輩との会話に入って来た弟は釣鐘の名前に押し黙った。
 俺に寄りかかるようにしながら「そりゃあ、丸儲けだわなァ」と言った。
 
「客から法外な手数料とってもダンナは中流家庭よりも豪華な暮らしができるだろォが……寄りにもよって釣鐘が噛んでるならバカが金を抜くこともないしダンナは将来安泰すぎるわァ」
 
 釣鐘という家がお金に執着せず化け物みたいな人脈を作り続けているというのは聞いたことがある。
 彼は良い人と出会ったということだろう。
 弟は「両親はダンナを金の卵を産むニワトリだと思ったろうナァ」と言った。
 どうなんだろう。
 彼は親や親戚など周囲にどう思われているのか俺は知らない。
 彼の口から親の名前は出てこない。
 お握りを俺が作るまで食べたことがないと言っていた。
 食に執着がなく、身だしなみもどうでもよくて、他人に興味もない。
 彼が寝食忘れてすることと言えばいわゆる物作り。
 模型や木を彫ったり、各種デザイン画が乱雑に散らばる部屋。
 彼は黙々と作業する。その作業風景は少し鬼気迫る。声をかけなければ飲まず食わず。
 命を消費するような彼の姿は学生ではなく職人や芸術家の顔だった。
 中学の頃からずっと彼は一人で籠って作業をしていた。

『他人に興味なくても他人が使うものを考えるのはいいだな』
『そうだな、やってもいいと思ったから作っている。それが契約だから反故にはできない』
『契約?』
『学校に通う契約。さすがに最低でも高校を卒業しないままでは社会を知らなすぎるだろう。……中学と高校はそんなに変わらないから大学まで行きたいところだが』
 
 どうなるかな、と彼は少し考えるようにつぶやいた。
 
『何だっていいから作れ、一つでも多く作品を仕上げろって言うのが一般的な見解だろうな。才能の無駄遣いをしている俺に対する正しい評価だ。俺の力は俺のために使うものだから、雑音は聞き流すに限るけど』
『誕生日プレゼントに何か欲しいって言ったら……』
 
 やっぱり負担になるだろうかと俺が言葉を濁したら彼は顔を上げて笑った。
 
『仁王立ちの猫以外がいい?』
 
 彼が言う仁王立ちの猫というのは中学の時に玄関に飾った猫の置物だ。
 薄茶色に塗られた腕を組んだ招かない猫。
 何かの拍子にもう少し小さいのはないのかと聞いたら作ってくれた。
 最初の猫が大なら中、小と一年ごとに増えた猫。
 それは今も生徒会長である彼の寮の玄関を飾っている。
 少しほこりを被っていたが愛嬌のある猫の顔は彼が作ったものとは思えない人間らしさに溢れている。
 
 そこまで考えて弟が持っている桐の箱の中身が俺は想像できた。
 去年は彼にねだりながら何も貰っていない。
 バースデーカードは貰ったが物は受け取れないと最初に断った。
 
「鯨井、さっきの言葉は訂正しない。頑張るなら頑張れ。人の足を引っ張らないで自分の価値を高めればいい」
「永遠よりもケンタはオレが好きなんだって分かったから今は我慢しておく」
 
 おだやかな微笑みはどこか狂気を感じさせるが元々おかしな奴だったので考えても仕方がない。
 俺は先輩に「お大事に」と声をかけて鯨井に「またな」と手を振る。
 弟はさすがに空気が読めるので俺を抱きしめていたの腕を解くと大きく溜め息を吐いた。
 保健室から出て数歩歩いて弟は「猫目は大成するタイプなんだろォ」と言われたので頷く。
 
「たぶん鯨井は淋しかったんだろう。荷造りを手伝ったぐらいの俺に親友だと言い出すぐらいだからぬくもりってのに飢えているのかもな。その内ちゃんと現実と折り合いがつくだろう」
「ぬくもりや愛情を欲しがってる奴に手料理なんか出して世話を日常的に焼いたら……そりゃあもう粘着されるに決まってんじゃんかァ。アニキは男心を分かってネエなァ」
「家事をする人間は便利で、男子校であるここでは多少の需要はあるかもしれないが」
「違うってのォ。家政婦とか使用人を雇えてもアニキじゃネエなら意味ネエの」
 
 俺は木佐木冬空の口にする永遠は信じても鯨井のことは会って一ヵ月も経っていないのだから正直よく分からない。懐いた猫に多少の愛着はあったかもしれないが時間を挟めば薄らいで消えるだろう。
 こんなことは彼と別れた時にも思った。
 
「絶縁状を叩きつけたり、襲ったことを批難したり、オレやダンナのビューティフルな顔に傷をつけた苦情を言うかと思えば……希望を持たせることするしィー。アニキの残酷さは留まるところ知らずかよォ」
「大成する人間が落ちていくのを見るのはそんなに楽しいものじゃない」
「自分を犯そうとした人間に対して菩薩みたいじゃネエかァ」
「実際に犯されてたらまた言い分も違った」

 拗ねたように言っても弟は取り合わない。
 俺が犯されることを大したことないと考えているとでも思っているのかもしれないが俺は男に犯されるのが大事件だってちゃんと分かってる。
 
「尻が切れたり痛くて死にそうとかならともかく快楽に蕩けさせられたらアニキは流されるなァ」
「勝手に決めるな」
「ぜってぇーだって。アニキほど丸め込みやすい奴は居ねえってェ。頑固なのに自分のラインに抵触しなけりゃなんでも許容するよナァ。……ホント、アニキってば残酷だわァ」
 
 面倒くさがりの次は残酷を連呼するようになった弟に勝手に言っていろと思って早足で歩く。
 俺が早足でも弟は普通についてくる。今まで俺に合わせてゆっくり歩いていたのだろう。
 そういう小さな気遣いを昔からし続ける弟は人に愛されて当然なんだと思い知る。
 
「そーいや、あの猫目はダンナのことが好きだったのか?」
「どうだろうな。お前の友達と同じで自分に気持ちを向けない人間が気に食わないんじゃないのか」
「オレのダチって誰のことだァ」
「家に来るたびに俺に『好きだよな?』って聞いてくる子が居ただろ」
「あァ、メガネか。メガネは頭がイカレてたからなァ。……あの猫目も同じだってならアニキの対応は正しかったかァ」
「……メガネ君に何かあったのか?」
「中学の卒業式の日に教師をめった刺しにしてたァ」
「なんで?」
「好きじゃないって、刺された教師は答えたらしい……つまり、さっきアイツの言葉を否定してたら喉笛を噛み千切られたかもナァ」
 
 冗談なんだろう「なーんてナァ」と弟は続ける。
 メガネ君が起こしたことと先ほどの俺のシチュエーションが同じとは限らないが鯨井の中にも狂気はあった。
 面倒事を俺は流すのがたぶん得意だ。
 ただ、後でまとめて不発弾は爆発することがある。
 
「手と足が使えなくても口が使えりゃあなんとでもなるからナァ」
「喉笛は噛まれていないからその妄想はやめろ」
「アニキは綱渡りがウメエからァ……なんとかなるかァ?」
「俺に何かがあるみたいな言い方はよせ」
 
 雨音に会いたくなったが保健室に居ないのなら教室で授業を受けているだろう。
 弟が現れてからドッと疲れることが増えた。
 けれど気分は悪くない。
 
 彼にまとわりつく鯨井を見てモヤモヤしていた時よりも精神的に楽だ。
 自分の中にあった空っぽが埋まったから。
 空虚な心は痛みも悲しみもない代わりに淋しさと虚しさばかりが風となって通り過ぎていく。
 猫の幻聴を聞き続ける俺はまともじゃなかった。
 まともじゃなくても良かった。
 
 けれど。
 
「ゴールデンウイークはダンナ連れて来いよォ?」
「ダンナって誰だ」
「あン? 複数いるのかァ?」
 
 弟の言葉に「別に」と返しながら晴れやかな気分になる。
 まだどこかに残っていたのか桜の花びらが廊下に舞い込む。
 春は別れと出会いの季節。
 もう初夏と言っていいあたたかさだけれど風は少しだけ冷たい。
 
 隣にいる弟の手を握る。
 驚いた顔をしているだろう弟の顔は見ない。
 この齢になって兄弟で手を繋ぐなんてしないかもしれないが放っておいた中学の三年分に対して罪悪感はある。
 
 猫への悔恨。俺さえ家に居れば生きていたんじゃないかという後悔。悲しみと遣る瀬無さ。それを考えるのを彼に世話を焼くことで、彼を愛することで上書きしていた。彼への恋心を失って心は空っぽに逆戻り。
 
 何処にも居ない猫を求めて妄執に囚われてで生きていてよかった。
 けれど、いまは俺を求めてくれた彼がいてくれてよかったと思う。
 こうやって弟と手を握ることは彼が居なければ出来なかっただろう。
 
『アニキ、オレを見ろよォ』
 
 血を吐くような声を忘れないために俺は弟の手のひらの温度を確かめる。
 平気で抱きついたりするくせに何故か恥ずかしがるように歩く速度を上げる弟に俺は苦情を言いながら笑った。
 
 
 病院で、彼が目覚めないと聞くまで俺の気分は上向きだった。
 
 

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