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元恋人であるのかまた恋人になるのか分からない木佐木冬空が検査のため病院に連れて行かれて俺は呆然としていたが意外なことに弟によって状況の説明がなされた。
彼に食べてもらう予定だったテーブルに出しっぱなしの昼食は弟の胃に収まってしまったが俺の知りたいことはまとめて教えてもらえた。
要約すると彼の顔は硫酸をかけたとかそういうわけじゃないらしい。
それはよかった。
包帯だらけの怪我の原因と彼がそもそも食事中に呼び出された理由というのが、転入生鯨井青葉のことだ。
どうやら鯨井は謹慎処分を言い渡されて寮の自室で待機という言いつけを破って外出、すぐに発見されて生徒会役員各位に通達、そして厳重注意のはずだったが玖波那をはじめとする風紀委員、雨音を筆頭にする生徒会長親衛隊が逃げる鯨井を追いかける騒動に発展した。
俺を探してくれていたらしいのだが俺が生徒会室にいることは彼しか知らないことだったらしく鯨井の求めに応える人間はいなかった。
会計に呼ばれて暴れまわる鯨井と対面した彼は顔を手ひどく引っ掻かれたらしい。
包帯の下のガーゼはその切り傷の治療跡。
弟の話のせいで勘違いしたが硫酸を頭からかけて病院にも行かずに学校に居るのはおかしい。
ただ弟いわく彼の顔が傷ついた時に俺がどんな反応をするのか見たいから避けずに受けた可能性はあるとの事だ。
彼は本当にどうしようもない。
彼が倒れたのは俺がタッパーの蓋を投げて頭に命中させたこともあるが栄養失調と睡眠不足もあるという。念のための検査は今日中に済ませて退院か俺が何かを作って病院に持って行かなければ夕飯も明日のご飯も彼は食べないかもしれない。
「お疲れ様」
爪痕のある弟の顔を見て伝えると虚をつかれたように目を見開いた後、嬉しそうに笑った。
俺が自分を見ないと弟が言っていたことを思い出す。
悪いことをしたと思わなくもないが弟が俺に無視されて拗ねたように俺だって拗ねていた。
弟が学校に乗り込んできてまで俺に会いに来たのに玖波那と一緒に居てあまつさえそれが結構前からだというのだから気に入らない。
玖波那の部屋は生徒会長である彼の部屋の向かいにある。
だから今日の朝に廊下で出会ったわけだがちゃんと教えてくれていたって良かったはずだ。
「ケダモノは凶暴だったァ〜」
「鯨井がこんなことをしたのか……」
「アニキがダンナを沈めたから保険医を呼んで来ようとしたら保健室で鉢合わせェ」
「鯨井もどこか怪我をしたのか?」
「あァ、アニキの飼ってる小動物が噛みついたらしいィ?」
なんことだと思っていると雨音のことらしい。
雨音は確かに小動物だが俺は飼っていない。
噛みついたのは物理的に本当に噛んだのか、比喩なのか謎だ。
「アニキが火山を噴火させた後にスッキリした顔をしてるのを見るの、初めてかァ?」
「……感情の揺れを表に出した後にこんなに気分が晴れているのは初めてだ」
「いつもは罪悪感?」
「言わない方がマシだったと思ったことは多い」
「あんま、自分の行動を振り返って後悔スンのはやめろよォ。後悔しないことなんかないんだからァ」
「お前に比べればマシだと思うようにしてるから大丈夫だ」
「アニキはホントそうやってオレのツボをついてくるのがうめエェェェ」
「ヤギさん、手紙を読まずに食べるメェ」
「オレの話は聞いてネエってことか、ソレっ! おいっ!!」
弟の声は大きい。肩を掴まれて顔を覗き込まれる。目をそらすとオデコとオデコがごっつんこ。
メェメェ言ってると「クソかわっ」と言われた。新しい罵倒の仕方だ。
かわってなんだ。河か?
「繭崎兄弟、いちゃついてないで〜、ハイ〜注目っ!」
玖波那が弟が食べ終わった空っぽの食器にしょんぼりしていたので目の前にあるのはよくないと片づけようとしたのだが座るように言われた。
せめてお茶の一つでもと思ったがすぐに終わると言われた。
「これからケンちゃんは木佐木の着替えとか身の回りのものを持って病院に行ってもらいまーす」
「授業の方は?」
そもそも授業の存在を思い出したのはついさっきだ。
生徒会室では予鈴や本鈴などチャイムの音が聞こえないようになっている。
いろいろとあって時間感覚もなかったが出ようと思えば六限目には間に合うだろう。
「悪いけど、こっち優先で! センセイには話し通してる。クラスの誰かにノート貸してもらって……えっと、木佐木の親衛隊が貸してくれると思うから、うん! きっとね」
角刈りで男らしい外見だというのに茶目っ気のせいで玖波那は厳つくない。
笑って誤魔化されたが俺の交友関係の狭さを思い出してノートを貸してくれるだろう雨音が鯨井と騒動の中に居たのなら誰に借りればいいのか分からないと思ったのだろう。
伊須は貸してくれるかもしれない。
何だかんだで気遣いが出来る優しい奴だ。
困っていると頭を下げればなんとかなるはず。
「オレもそれについていくが文句はネエよナァ」
「ハイハイ、暴君はお好きにどうぞ〜。……オレは後始末とセンセイや理事長に説明回りぃ〜」
ぐっすんと泣き真似をする玖波那の頭を撫でると「ケンちゃん優しいっ。大好き! ずっとそのままでいてね」と言われた。弟は気に入らないのか玖波那の頭を後ろに引っ張った。いつもの弟だ。彼に対しての態度は例外的だっただけで弟はいつも通りに自分勝手に突き進む。
「どうしたアニキ? そういや、アレは見せてもらったかァ」
「アレ? あぁ、渡したいものがあると言って……机へ向かって歩いて辿りつく前に沈んでいたな」
「スゲーぞ?」
一見して生徒会長用なんだろう事が分かる他とは違った机に向かう弟。
勝手に人の机を漁ることに弟はためらいがない。
自分のものは自分のもの、誰かのものも自分のものというタイプの考えで生きている。
俺は弟に何かを取られた覚えはないので例外はあるのかもしれない。
「本人から貰う」
「そっか? 枕元にあったらビビるんじゃネエの」
そんな驚かせるようなものを彼は俺に渡す気だったのだろうか。
俺の考えを読んだのか弟は手を振って「変なのじゃねーって」と否定する。
どうして弟が俺への贈り物の中身を知っているのか気になるがそれを問いただすと彼と弟の二人の仲の良さを再確認することになりそうで嫌だ。
「病院に行くまで見せネエからァ」
弟が机の引き出しから取り出したのは割と大きな桐の箱。
壺や花瓶が入っていそうだ。
「一番下の引き出しは鍵がついていなかったか?」
「番号なんだよォ。簡単だぜェ」
「もしかしてケンちゃんの誕生日とか?」
「にゃんにゃんにゃん」
「ゼロニイニイニイ?」
「そういうことォ。あの人、猫の日とか知ってんのナァ」
どうしてそれが分かりやすいのか玖波那には分からないらしい。俺も分からない。
俺の誕生日でも彼の誕生日でもない猫の日。
二人が出会った日でも告白を交わした日でもない。
けれど、猫は俺と彼の象徴でもある。
今では付き物が落ちたように冷静になって自分の感情や状態が分かる。
激動なようでいて何も大きく動いていないそんな高校生活。
ただやっと中学時代から進んだ気がする。
俺の心境変化は一言で表現するなら成長なんだと思う。
去年は恋に浮かれて酔ったお姫様。
中学の頃の気持ちを引っ張って期待と不安の中に居た。
分不相応な王子様の求婚に何だかんだで喜んで浮かれた子供。
甘い時間だけ見て恋から覚めるのを恐れていた。
厄介なものは全部見ないふり。解決なんかする気はなかった。
今は恋か愛かも分からないけれどただ彼に生きて健康でいて欲しい。
その力添えに俺が必要ならいくらでも手を貸そうと思える。
彼が輝いていることはそのまま俺の行動の結果。
それはとても満足がいくものだ。
言い方は悪いが俺は彼を支配する優越感に喜びを覚えている。
小さい人間だと思うかもしれないが彼の特別であることの威力はスゴイ。
自分自身、芸術品を作り上げながら彼自身の立ち姿もまた芸術品だと言われている。
中学よりも育ったとはいえ彼はまだ発展途上。
これからもっと人を惹きつけ色んなものに手を出すだろう。
それでも俺以外はどうでもいいという彼は自分のことすら俺よりも下に置く。
彼の優先順位の一位は俺から動かない。
そのせいで顔に傷を負うぐらいだ。
彼は自分の価値を何よりも分かった上でそれよりも俺をとった。
誰かが言うように、誰もが思うように俺は彼の価値を下げる不要な存在なのかもしれない。
ただ彼は彼だ。自分の価値が他者からの判断で決まると知りながらも、彼の人生において俺がマイナスに作用する可能性があると理解した上でも、なお彼は俺を求める。
こんなにも誰かに必要とされる人間は世界でも俺ぐらいだと思うほど彼は俺を欲しがった。
重いとか面倒だと思うところだが俺は空っぽの心が埋まる気配がする。
俺は取り立てて優しい人間でも善人でもない。
普通の男子高校生でプライドもあるしコンプレックスだって抱える。
彼の存在は俺の普通を壊すものだし、厄介事を連れてくるもので、常識に縛られない自由気ままな姿は嫉妬すら覚えるほどに眩しい。
そんな彼を求めるほど俺は自分をすごい人間だと思ってない。
彼と釣り合いなんか取れていないのは誰かに言われる前に自分が一番よく分かってる。
今でも彼に愛されることが恵まれたことだとは思わない。
ここまで人に思われて、必要とされて、欲しがられることは異常な執着だ。
俺は苦にならないし、彼から求められることは俺の自尊心を満たすものでもあるから問題ない。
「アニキはどうしようもネエやつだよなァ」
どうしてそんなことを言われないといけないのか分からないが俺は彼の部屋に立ち寄る前に鯨井の場所を玖波那に聞いていた。
未だに保健室にいるらしい。
「あの目をえぐりだしてやろうかァ」
別に鯨井のことを瞳だけで判断したわけじゃない。
俺の後ろをポケットに手を突っ込みながら歩くデカい図体の弟。
似ても似つかない見た目だけれど。
「鯨井とお前が似ているから見捨てたままにできないだろ」
怪我をしたと聞いてしまったなら見舞いぐらいするものだ。
病院に行ってすぐに学園に戻って来れるかはわからない。
鯨井の処分がどうなるのか分からないが、このままずっと会えないかもしれない。
「アニキってホント、オレが好きだよナァ」
上機嫌なその言葉は鯨井が口癖のように言っていた。
嫌いじゃない。犯されそうになっても怖くないぐらいに嫌いじゃない。
昔から泣いてる子供は嫌いじゃないんだ。
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