青い鳥を手に入れる努力は並大抵のことじゃない | ナノ

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 堅太が投げたタッパーの蓋は俺の頭にクリーンヒット。
 残してきた昼食を誰かに食べられないように急いで生徒会室に戻ってきた俺は些か注意力にかけていたかもしれない。
 避けられなかったタッパーの当たり所が悪かったのか意識が遠のいている。
 
 弟様が爆笑してる声が聞こえた。
 それはつまり堅太に例外的なことが起きているということだ。
 以前、階段で笑っていた弟様の笑いのツボからみて堅太絡みでもなければ弟様は傲岸不遜を崩さない。
 
 
 
 ブラックアウトする意識の中で俺は弟様との会話を思い出していた。
 
 ついこの前のことだ。
 
 階段で堅太を含めて会ったその数時間後に俺は点滴を受けながら生徒会室で作業していた。
 副会長の孤塚がすごい顔で俺を見ていたが無視だ。
 小賢しい考えしか浮かばない狐の言い分は俺の求めるものじゃない。
 保険医というよりも医者が点滴の針を抜いて俺に厳重注意をしたところで玖波那に呼び出された。
 そして、風紀室に来てみれば弟様がソファに座っていた。
 三人掛けぐらいのソファを一人で使う弟様。さすがの態度のデカさだ。
 こちらをうかがうように玖波那は弟様の対面にあるソファを勧める。
 
「彼のことは――」
「知っている。弟様だろう」
「……繭崎賢治だ。オレのことはイイ。まずはアンタの話から聞いてやるよ」
 
 繭崎堅太の弟である繭崎賢治は小中高と自宅から通える距離の学校に通っている。成績はあまりよくないが人をまとめる能力が高いらしく見かけは不良だが意外なことに教師との相性は悪くないらしい。
 普通なら教師という大人を共通の敵として不良はまとまりそうなものだが繭崎堅太の弟であるだけに賢治は一味違っていた。
 なにやら「他人のせいにしても何も変わらねえンだよォ」と言い放って反発してくる人間を拳で沈めていったらしい。
 暴力による恐怖政治かといえば独裁ではあるらしいが賢王に見える。
 
 それというのも賢治の通う学校の教師とウチの学園の教師が知り合いであり度々、賢治に堅太のことを教えることを条件にクラスをまとめて引っ張らせたらしい。
 弟様が学校に居なければ学級崩壊ではなく学園崩壊すらありえるぐらいに酷い有様になっているという弟様の通う学校。
 どうも濃い人間たちが同時期に入学したり復学したせいでカオスと化したらしい。
 
 弟様は学校を学校のままにしたという功績で何でも願い事を聞かせる権利を得てウチの学園に期間限定の転入をしてきた。これは国内留学という名目なのかもしれない。書類上の処理は分からないがゴールデンウイークまでの後、あと数日間はこの学園に滞在する。それは生徒会長として先ほど知った。
 
 ふたつの学園は理事長同士が遠縁という繋がりから姉妹校ではないものの何とかしているのだろう。
 興味がないのでそのあたりはどうでもいい。
 正当な手続きを踏んだ上で弟様が一年生として通われているという事実が大切なのだ。
 そしてこれは俺にとってきっと最後のチャンスだ。これでしくじればもう後はない。
 いいや、後なんて最初から求めちゃいない。
 背水の陣であることこそが俺に必要なものだ。
 決意表明だけでは何も伝わりはしない。
 
「俺は中学の時に繭崎堅太と同室になった者だ」
 
 弟様はすこしだけいぶかしむように器用に眉を動かした。
 俺は苦笑して事実を告げることにした。
 玖波那は口を挟むつもりがないのか静かにお茶を飲んでいた。
 昔からマイペースだ。
 
「早い話、俺は堅太に飼われていた」
「――アンタ、名前は?」
 
 弟様に名乗りもしていなかった。
 俺は胸ポケットに入れている学生証をテーブルに置く。
 
「冬の空き地で拾ったソラ」
 
 意味の分からない言葉の羅列のはずなのに俺にはその景色が見えるようだった。
 堅太の涙を覚えている。それは永遠に忘れられない。
 陳腐な表現ではあるが俺にとって堅太の涙は衝撃的だった。
 人は肉体的な痛み以外でこれだけ涙を流すことが出来るのかと、そう思った。
 
『何が分かるって言うんだっ。なんでも持ってるから! だから、分からないんだ。分かるわけないっ』
『……そうだな、俺はお前が持っているものを知らない』
『なんでも持ってるから何もわからないんだ』
『そうかもしれない……近寄るなと言うなら、そうする。けれど、先に手を差し伸べてくれたのはお前の方だ。気まぐれだとしても嬉しかった。おむすびというものを俺は口にしたことがなかったから』
 
 そう伝えると堅太は目を丸くして涙をぬぐった。
 俺を見て笑いながら「また違う味のものを作ろうか」と言ってくれた。
 淋しくて悲しくて流す涙を俺は知らない。知らなかった。今は泣けると思う。だって、堅太に名前を呼んでもらっただけで胸がいっぱいになった。
 好きで好きでどうしようもなくて胸が苦しくなる。
 以前だって好きだったけれど今はもうこの感情がない日々が思い出せない。
 
「オレのダチなんかみーんな誤解してヤがんだけどよォ。アンタ、わかってんだろ」
「あぁ、堅太が面倒くさがりの省エネ思考というのは知っている」
「そうなんだよなァ。アニキはオレのダチの好きなお菓子とかわざわざ買って家に準備しといてくれんだけどよォ」
「本当に良妻だな」

 さすがに言いたくなったのか玖波那が前のめりで食いついてきた。
 堅太の出来るところは玖波那も知り及ぶところだ。
 
「ダチはバカだから自分がアニキに好かれてると思ってんの。……オレもガキだったからオレよりダチのことを優先してんのかってムカついて文句言いまくったナァ」
「だが、治らないだろう」
「腹いせにアイツの作ったもん全部にマヨネーズかけてたら俺が殺されちまった」
 
 どこからどう見ても死んでいない弟様。
 その表情は少しだけ暗い。
 溜め息を一つしてから首を横に振る。
 
「アニキはそりゃあもうヒデー奴だ」
「炊き込みごはんにマヨネーズは仕返しにしてもやり過ぎだ」
「マヨネーズと醤油の相性の良さを知らネエのかァ!!? メチャウマだってのォ!」
「……で、ケンちゃんの何がヒドイって?」
 
 玖波那が話を軌道修正しようしてくれた。
 弟様は弟様なのでそんな考えは無視される。
 
「アニキは自分の価値観の外にあるものを認めねえし自分の手の中から零れ落ちたものはゴミなんだ」
 
 弟様が語る堅太の姿。
 
 ひとりでジグソーパズルをしていた堅太。
 構ってもらいたくてパズルを一緒にやろうと勝手にピースをハメたら、そのジグソーパズルに堅太はその後、一切触れることがなくなった。
 両親は飽きたのだろうと重く受け止めなかったらしいが弟様には異常に見えた。
 自分が横から手を出した罪悪感はあるものの「なにもそこまで」と思わずにいられない。
 堅太にはそんなジグソーパズルのようなことが人間関係でも起こっているという。
 基本的に堅太は喜怒哀楽が薄く分かりにくいが逆に分かりやすくなった時は危険信号だという。
 
「アニキの感情は爆発するとアニキ本人にも制御が出来なくなる」
 
 いつもがのんびりとしているせいで湧き上がった激情に対して自分の感情にもかかわらず堅太は戸惑って混乱してしまうらしい。
 堅太をゆさぶるものが元々あまりないため大きな問題にはならないが転んだことのない子供がつまずいて痛みよりも驚きから泣き出すように堅太も感情に振り回されてしまうらしい。
 
 俺はその姿を二度見た。
 
 そして、そんな堅太の姿を自分だけのものにしたくなった。
 むき出しの魂なんて言葉が似合うような堅太を誰にも見せたくなかった。
 柔らかな心に触れて所有したい気持ちが抑えられない。
 世界中に堅太は自分のものなのだと言いたい。
 
「爆発した後に静かになるから落ち着いたのかと思うじゃネエか」
「……あぁ、わかったわ。ケンちゃんって怒って発散するんじゃなくって『全部なかったこと』にするってことな」
「ジグソーパズルで言うならパズルへの執着心、愛着だなァ。アニキは捨てちまう。好きだと思ってた気持ちがないからパズルに興味を示すことなくゴミになる。アニキはこれを人にもする。……で、感情を捨てることに慣れすぎてアニキには何もなくなった」
 
 弟様は「それでも困ってネエからアニキはヤベー」と肩をすくめる。
 堅太の感情の動きを水でたとえるのなら氷を火にかけるような、なかなか沸騰しないものだが、条件がそろうと急に蒸発する。
 そもそも堅太の感情というものが水や氷ではなくドライアイスということなのかもしれない。
 俺はきっとドライアイスに熱湯をかけるような暴挙をした。
 俺たちの間に温度差がありすぎて爆発するように飛び散った。
 
「それにしてもアンタは物わかりイイなァ」
「堅太が普通の人間と違うことは知っている」
「普通の人間ネエ〜、それはアンタの顔見て媚びてきてウンザリさせてくるやつらってことォ?」
 
 普通の定義なんてないと言いたいのだろうか。
 ニヤニヤ笑いながら弟様は言った。
 
「アンタが顔に見るも無残な大怪我を負ったとして……アニキはどんな反応になると思うよォ」
「正直言って想像つかない……だが、顔の怪我ぐらいで堅太の態度が変わるとは思わないな」
「どっちの意味にィ? アンタがアニキを理由に怪我してアニキがなんとも思わないと思ってンのかァ!?」
「罪悪感を持つかどうかは俺には分からない。俺が勝手にやったことを堅太が背負う気はないだろう」
「そうそう、アニキは面倒くさがりだからナァ、自分が抱えなくていいものは出来るだけ回避する。罪悪感ってのも自分が能動的に動いた結果なら後ろめたさを覚えるだろうけど、誰かが動いた行動の結果をアニキのためだって言っても絶対に受け取らネエ。オレがアニキのために人を殴ったとしてもアニキはそれをオレが鬱憤を晴らすためだって解釈するンだァ。ま、正しいわナァ」
 
 玖波那は弟様の言い分を聞いて「そりゃあ、浮気がケンちゃんのためとか訳分からない話は一切通じねえわ〜。普通だってツッコミどころあるけどケンちゃんからしたら……それこそ、陛下の言う宇宙語ってやつだわな」と頷く。
 
「つまりアンタが怪我するならアンタの裁量でアンタの責任の下でやるンだナァ」
 
 ニヤニヤ笑う弟様は俺の怪我を望んでいるのだろうか。
 俺と堅太の復縁を期待してくれているのなら理由が知りたいところだ。
 
「オレはアニキのあの感じからして予想つくナァ」
 
 弟様はそう言って俺の頬を撫でた。
 玖波那が止めようとしたが弟様が手を放すことはない。「アンタは本当に綺麗だからアニキはきっと――」と見守るような煽るような愉快犯であるような、ニヤニヤ笑い。
 その時の声はどうにも耳に残って俺の背中を押してくる。
 
 
『アニキはきっと――ブチ切れるゼェ』
 
 

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