青い鳥を手に入れる努力は並大抵のことじゃない | ナノ

  4


 
 他者から否定されることへの劣等感を愛されることへの優越感で帳消しにする。
 それが俺の自己肯定の方法だ。
 祖母はぼんやりとしている俺を急かさない。
 弟は「アニキはアニキ、オレはオレ」のスタンスを崩さない。
 両親は愛はあっても基本的に「自分で考えて好きにしろ」の放任。
 子供だから単純に孫に甘い祖母に懐いて行動を真似た。
 
 祖母がやらなくても通っている家政婦が家事などはこなすとしても自分で動くようにしたのは居場所を得たかったのかもしれない。

 猫を拾ったのもその一環。

 愛されている弟を見ると疎外感をどうしたところで覚えてしまう。
 のんびりとした祖母の隣にいるのが楽でそうしていたら俺はいつの間にか若年寄なんて言われてしまった。落ち着いているんじゃなく鈍いと言われる。どん臭いとか動作が遅いと言われたことはないがぼんやりとしていて愛想がないとはよく言われる。明るくて元気がある弟とは対照的だと見たままの評価は陰口ですらないのに俺の中の何かを削っていく。
 弟が自分を愛してくれる周りの人間よりも誰よりも一番俺を大切にするから何とかなっていた。
 どうして弟の周りにいる人間のように弟は俺を厄介者として扱わなかったんだろう。
 今もまだ、離れまいとしがみついてくる。
 高校にもなって兄弟に執着するなんてバカみたいだ。
 弟の存在がコンプレックスになっているのに俺はそんなことを思う。
 意識的に弟を見下すことで心のバランスを保っている。
 それに薄汚さを感じるからこそ中学は寮に入ったのだ。
 俺は自分が気持ち悪くなる。
 プライドが高い覚えはないし、自己否定をしているつもりもない。
 他人の評価は関係ないと頭では意識している。
 脳で考えることと心で思うものは別だというのが生まれてから今までの時間で俺はゆっくり理解した。
 祖母でも弟でも猫でも元恋人である彼であったとしても俺とは別の存在としてこの世界にあって、頭の中ではそれを理解しているのに感覚が受け入れていない。
 いつでもそこにあると思っていた。
 当然のように自分の生活の、人生の、存在の、世界の、一部だと思っていた。
 祖母の死を予感しながら心は受け入れていなかった。
 弟との別離に考えないようにしながら淋しがっていた。
 猫の命が消えるなんて考えることもしていなかった。
 家に帰ったらまた撫でられると思ったぬくもりが永遠に存在しないなんて思い浮かびもしない。
 永遠を約束してくれた彼に何も感じなくなる日が来るなんて想像すらできなかった。
 
 俺は子供でしかなかったんだろう。
 想像力は自分の経験した範囲内だけしか適応できない。
 初めての感情には舞い上がって周りが見えない。
 
 そして、どうしようもない潔癖症。
 でも、異常じゃない。普通のレベルだと思う。
 誰だって俺程度の奴はいるだろう。
 大抵のことをどうでもいいと思って、事実そういう風にふるまっている俺だから意外に思われるだけで、そんなにおかしなことを考えてちゃいない。
 
 それは例えば納豆を入れられたうどん。
 
 うどんに納豆は否定しない。
 問題は「俺の」うどんであるということ。
 それは受け入れられない。
 
 俺が所有した俺のものが他人によって形を変えられるのが我慢できない。
 我慢などしないから納豆が入ったうどんは作った人に悪いと思いつつ俺には無価値なゴミに見える。
 味など関係なく生理的な問題で口に入れようと思えないものに変わっていた。
 誰だって自分のものに手を出されるのは嫌かもしれない。
 俺はその気持ちが人一倍強い。
 自分のものをあまり持っていないからかもしれない。
 大切なものが少ないから大切だと思ったものへの執着が強い。
 
 弟に奪われたとは思わないが何でも持っている弟を見ていると自分が何も持たないくだらない人間に見えてくる。
 そんな俺の物欲や所有欲は人よりも大きいのだろう。
 けれど、俺のルールの中での束縛なので理解されにくい。
 長い付き合いだからか弟は俺の内心を見破ることが多い。
 彼と俺のことを聞いて彼にも俺にも怒らないのは忍耐強くなったというよりも二人の性格いいや性質上、仕方がないことだと割り切ったからなのかもしれない。
 彼と俺は人を煩わしいものだと感じながらお互い正反対の他人の付き合い方をしていた。
 彼は完全無視、俺は自分に危害を加えない相手とだけ細々とした交流。
 彼は独裁政治、俺は受け流すために全てをぼんやりとやり過ごす。
 彼は他人を便利に利用して、俺はそれに色んな意味で裏切られた気分になった。
 結局、彼は弟と同じ恵まれた存在でしかない。
 猫のように餌をよこせと俺にねだってこない。
 餌がないと困ると思ってない。
 俺が居なくてもどうでもいいんだ。
 そう、彼の浮気写真を見て俺は無意識に考えていた。
 俺の中の根深い劣等感という言葉だけでは収まらない感情。
 弟いわく愛されたがり。
 親衛隊に刺激されてささくれだった心は彼を失ってぽっかりと穴が開いたはずだった。
 
「何もないはずなのに……なんでだろうな」
 
 家に帰って来いと泣く弟に対して頷けない酷い兄。
 そんな俺を見捨てることない弟の頭を撫でる。
 彼とは違ってサラサラではなく腰のあるしっかりとした髪の感触。
 賢治の名前の通りじゃない賢くないのがかわいいと思う。
 俺がそう思うのを分かって粗雑な振る舞いを身に着けたのかもしれない。
 名前の通りに堅実であろうとしても失敗する俺からしたら弟の振る舞いは健気ではなくどこか鼻につくものに感じる。
 地味平凡であることを受け入れてはいるが周りがその俺を受け入れずに理想を高くする。
 賢治の兄ならこうであるべき、彼の恋人ならこうであるべき。
 どうでもいい雑音だと割り切れない俺が弱いのかもしれない。
 放っておけば消えるノイズだと思っていたら入れ代わり立ち代わりやってきて煩わされる。
 彼の周囲で疲れさせられ彼自身の存在で心を癒すのはやはりマッチポンプ的。
 
「お前のことも家のことも嫌いじゃない」
「わかってンよォ。……どうでもいいンだろォ」
「拗ねるな」
「これで拗ねネエのは頭がおかしい奴だけだァ」
 
 それで言えば彼は頭がおかしいのかもしれない。
 彼はただただ傷ついて捨てないでくれと縋りついてきた。
 俺がどれだけ無視しても彼は俺の視界に入る。
 甘えるのが下手で上手な猫のよう。
 
「去年のゴールデンウイークは帰って来た、だから平気になったんだと思ったンだけどナァ」
「彼は死なないって言った。俺だけを愛するって誓った……だから、鳴かないアイツに会いに行ってもいいと思った」
「ソラは元々そんなに鳴かネエ」
「そうだな、……そうだった」
 
 知っている。ちゃんと覚えている。餌の催促も尻尾を床やテーブルに叩きつけて音を出していて鳴き声を上げるのは稀だった。アイツが明確に鳴くのは俺に何かがあった時だけだ。
 だから、俺はアイツのわがままを叶え続けた。俺にだけ構われたがるかわいい猫。
 誰にでも愛されるのに俺を特別の位置に置いた猫。
 
 彼と猫は本当に似ている。
 けれど、彼は人間で自立して動いている他人だ。
 
「フユゾラって書いてトアだったっけ?」
 
 因果な名前だと弟は俺の胸にうずめていた顔を上げる。
 涙は見えない。泣き真似だったのだろうか。
 弟は賢くないが小賢しくずる賢い。
 
「冬の空き地で拾ったソラを連想するには十分かァ」
「彼が先に自分を撫でろって言ってきたんだ」
「別に猫の代わりを人間に求めてもオレは批難しネエよ」
「代わりじゃない。代わりなんか何処にもいない」
 
 亡くなった猫、失った恋心。
 代わりのないものばかりだからこそ心残りができる。
 新しいものには新しいものの価値があって以前とは違う。
 なくなったものを取り戻すことはできない。
 
「アニキ、未練があって痛みがあるなら……なくなってネエよ。痛いのはそこにちゃんとあるから、だろォ?」
 
 弟は祖母の葬式で泣きながら「どうでもよく思うをやめろ」と言ったけれど俺にはどうしようもない自動的な反応だ。好きで切り捨ててるわけじゃない。
 
「アニキが今、生きてることがアニキの恋人の価値だろォ」
「俺は別に猫が死んだからって死ぬ気はない」
「でも死にそうになっても何とも思わネエだろォ? 犯されそうになっても何も思わなかったようによォ」

 もし生き埋めになって声を上げれば助けが見込めたとしても俺はきっと無言のままぼんやりとしているかもしれない。自殺願望はなくても生き続ける活力は足りない。大切なものがない世界なら、もう、いいかな、そう思ってしまうだろうことは想像がつく。誰かが見つけて助けてくれたら生き延びられてお礼を言うだろうけれど、そのまま息絶えたとしても誰も恨むことがない。

「……それなら俺が彼を好きだとしたら鯨井に本気で抵抗出来たってことになって、俺は彼のことを何とも思ってないってことを肯定してるじゃないか」
「鯨井ってあの猫目か……」
 
 ちなみに鯨井は猫目、いわゆる釣り目がちな目つきじゃない。
 金緑石色の瞳を弟も猫のようだと感じたのだろう。
 
「逆じゃネエの。あの猫目のことをそれなりに大切だと思ってたからそのまま抱かれたって気にならネエんだ。抱かれるとは思わなかっただろうけどォ」
 
 そうなのだろうか。鯨井に対してそんなに心を俺は果たして持っていただろうか。
 彼に対する防波堤に使っていたことに少しの罪悪感はあった。
 声の音量は好きじゃなかったが俺に対して懐いて素直なところは好感が持てる。
 
「フユゾラと別れて……その後の進路希望ってどうなってンのォ」

 本当、弟は聞かれたくないことを聞いてくる。
 身内は容赦がない。彼に弟に遠慮してどうするのかと言ったが弟も兄に対して遠慮する気がない。
 それが俺たちの距離感だった。
 
「白紙だ」
「だから家に帰って来ネエの?」
 
 家に帰ったら、自分の部屋だと意識している場所に来てしまったら俺は糸の切れた人形のように動けなくなるかもしれない。俺の猫が息を引き取ったのだろうクローゼットの中を思って実家の自分の部屋から外へ出ることをやめるだろう。
 
「アニキが引きこもり希望だってンなら、構わネエって言ってンだろォ。学校を辞めたければ辞めればいい」
「勝手なこと言うな」
「楽なように生きていいんだって、難しく考えンなよォ」
 
 俺よりも年上の顔で弟が笑う。
 きっと弟は高給取りになるんだろう。
 そして家事などすることはない。
 俺がやらなくても人を雇ってやらせるかもしれないが、他人を家の中に入れるのが好きじゃない弟は俺がやるなら俺がいいと言うんだろう。我が儘だから。勝手だから。俺がいらないって言っても俺に居場所を与えようとする。俺のことを大切にしすぎて人生を損している。
 
「朝に言ってた秘策さァ、何だと思う?」
 
 ニヤニヤと弟は笑う。
 秘策って言うのは最終手段っていうやつだろうか。
 何をする気なのか全く想像がつかない。
 
「硫酸でも頭からかぶって顔を溶かせばって――」
 
 俺のことをよく分かった弟だ。
 彼の気に入らないところを潰してしまえばいいと力技。
 でも、それは間違ってる。
 
「ふざけんなよ」
「うァ、アニキが怒るなんてどっかで火山が噴火すんじゃネエのォォ」

 冗談じゃない。彼はバカじゃないが人と違う価値観の中で生きている。
 それが有効な手段であると思ったら人の道に外れていたとしても行動に起こす。
 
「俺はとあの顔が嫌いだなんて言った覚えは――ねえっ!」
 
 弟を殴りつけたところで生徒会室の扉が開いた。
 一瞬誰が来たのか認識できなかった。
 頭というか顔中が包帯だらけだったからだ。
 
「堅太?」
 
 まだ俺が生徒会室にいると思わなかったのだろう彼の声。
 生徒会長木佐木冬空が生徒会室にいるのはおかしなことじゃない。
 顔面が包帯だらけじゃなければ。
 
 さすがに弟も驚いたのか「有言実行すぎるだろォ」と呆気にとられている。
 演技じゃない。それは兄弟だからわかる。
 
「ふざけんなっ、てめぇ!」
 
 弁当のタッパーの蓋をフリスビーのように彼に向かって投げる。
 どうしてそんな行動に出たのか激情に動かされて理性などなくした俺のやることなのでよく分からない。
 
 

prev / next

[ アンケート ][拍手][ 青い鳥top ]

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -