青い鳥を手に入れる努力は並大抵のことじゃない | ナノ

  3


 昼は彼と一緒だ。
 雨音と離れるのは少しだけ気になるところだが親衛隊としての仕事があると言っていた。
 
 生徒会室という静かな空間で二人で向き合う。


 お弁当箱というよりはタッパーの中に俵型のお握りを何種類も作って敷き詰めた。
 食べきれなかったら放課後に生徒会の仕事をしながら彼が摘まむだろう。
 それでも残ったらリメイクして夕飯にしてもいい。
 ドレッシングを一番下に入れてナッツ類、豆類、ニンジン、キュウリ、トマト、アボカド、サラダ菜や水菜を瓶に詰めたものを昨日の夜にたくさん作ったので俺に何かあっても最低限の栄養は摂れる。
 大体、瓶に入れたサラダは五日ほど日持ちする。
 サラダをいちいち作る手間が省けるし意外に手伝いたがりの彼に盛り付けをお願いするということもできる。
 料理に興味がなく、生きていくことにさえ興味が薄そうに見える彼が俺が料理している最中に簡単なことをしようとしたのは今にして思えば構って欲しがっていたのかもしれない。
 俺は手元を見られているのが落ち着かないから彼と一緒にキッチンに居なくていいように追い払うようなことをしてしまったが不器用どころか器用で要領のいい彼は俺と一緒の作業を望んでいたのかもしれない。
 これが正しい彼の考えかはともかく俺と彼の会話は確かに足りなかった。
 彼の望みをきちんと理解していないままに恋を胸に愛だけを道しるべで突き進むのはあまりにも世間知らず。
 足元をすくわれても仕方がない。
 一年前のことなのに振り返って思うことが「若かった」という感慨なのは俺の気持ちが老成しすぎたかもしれない。
  
 彼が優雅な仕草で箸を使う。
 どこまでも彼は綺麗だった。
 中学の頃よりも大きくなって多くなった口数からは他者を威圧する言葉ばかりがこぼれていくにもかかわらず裸の王様にならない愛されて守られている人。
 弟よりも彼を取り囲む集団の規模が大きいのは分かっている。
 学園の中だからまだマシなぐらいかもしれないことも知っている。
 学生の身分が外れたら針の筵になるかもしれない。
 
 それが怖かったから去年の俺は激情を彼にぶつけたんだろうか?
 
 そうではなかったはずだ。
 捨てられたくないと思った。
 別れを切り出すのなら俺ではなく彼からだから。
 親衛隊に限らず「早く別れろ」とは何度も言われた。
 俺は彼と居られて幸せだったから彼が俺を必要としなくなるまでそんな他人の言葉を聞く気はなかった。
 あの写真がなかったら今でもあのままで居られたとは思わない。
 彼が他人を求めなかったら、ではない。
 俺が彼は俺以外を目に映すことがないと無意識に驕りながら彼の独占欲を理解していなかった。
 弟いわく俺が愛されたがりで満たされることに貪欲だというのなら彼は愛したがりであるのかもしれない。
 ふたりっきりなら需要と供給はガッチリと一致していて誰も入り込めないけれど、俺は彼を部屋の外では避けていた。彼にまとわりつく周囲の視線が嫌だった。弟の言う通り将来的に彼が物理的に人里のいない場所に住むことを選択するならその煩わしさもなくなるだろう。
 
 俺の愛は打算が絡み束縛が強い。
 それを思い知って俺は自分の中で封印したものが紐解かれていく気がした。
 醜悪としか言いようのない自分の心。
 
「サラダ、気に入ったのか?」
「クルミの歯ごたえがいいな」
「ドレッシングの味が違うものを夕飯に出してもいいか?」
「構わない。……いつも複数サラダを作るのは堅太の癖か? 悪いわけじゃないが大変じゃないのか」
「瓶に入れてるのは一気に作っているから大変じゃない。生野菜は消化に悪いから温野菜でもサラダを作るようにしているのは弟のせいもあるな」
 
 弟は好き嫌いが激しいわけじゃなかったが気分によって食べたり食べなかったりする。
 マヨネーズをかけたらとりあえず口に入れるならブロッコリーやアスパラガスを茹でておけば問題ない。塩コショウ振ったアスパラガスの肉巻きにマヨネーズをかけられた時は無言になったが、今にして思うと味は濃そうだがマズくはないだろう。
 
「作っておいておけば両親も食べるから種類を作るようにしている。トマトが入ったサラダを食べたくないとかキュウリは嫌いだとか人それぞれ好みがあるだろ」
「そうか……」
 
 納得がいっていない顔の彼は食べ物の好き嫌いはあまりなかった。
 うちの家族は口うるさい人間の集まりだった気がする。
 カレーのジャガイモは形が崩れるほど柔らかい方がいいと言う父と歯ごたえが欲しいと形がしっかり残っているジャガイモを希望する弟。
 ちなみに俺はどっちでもいい。
 カレーを煮込んである程度のしてから半分に分けておいたジャガイモを投入する。
 煮崩れるジャガイモと火は通っていながら形の残ったジャガイモが共存するカレーが出来る。
 ちなみに母はジャガイモはどうでもいいからニンジンを多めがいいらしい。
 祖母はなんでもニコニコして食べていたが中辛よりも甘めじゃないと食べにくそうにしていた。
 
「食べるなら気持ちよく食べたくないか?」
「食事は栄養のためじゃないのか。俺は堅太の作ったものが自分の血肉になることに興奮するが」
「栄養だけ摂りたいなら多様な料理や食品も食材も作られないだろう。美味しいものが食べたいから研究したりして新種の野菜や調味料や調理法が生み出されるんだ」
「まあ、三大欲求のひとつだから軽視するべきじゃないだろうけど……堅太の負担にはならないか?」
 
 今更なことを聞いてくる。
 
「本当に嫌なら何もしない」
 
 彼の部屋の冷蔵庫には食材があったという理由だけでは片づけられない料理が入っている。
 提供までの時間を短くするための自分への優しさ、ではない。
 
 俺と一緒じゃないと食べないなんてことは言っていないから日持ちのするものを作り置きして備えておくのは彼への気遣いというよりは俺のどうしても感じてしまう圧迫感の除去だ。
 事故で俺が調理ができない状態になっても彼はバカ正直に何も食べないだろうから作ったものを冷蔵庫に入れている。
 
「俺はそういう事をされると堅太に愛されているって思ってうれしい……勘違いだとしても」
 
 勘違いなのだろうか。
 彼のことを考えた結果であるのは間違いない。
 半ば強制的だったとしても、彼を見捨てることが非人道的であったとしても本当にイヤなら俺は去年の食堂の時のように彼を徹底的にはねつけたはずだ。
 
「失ったものは戻って来なくても新しいものは育めると俺は信じてる」
 
 怒りは風化するというが空虚な心は埋まるだろうか。
 不思議と長く尾を引いていた未練がましい気持ちは減った。
 猫は鳴かない。さびしくない。
 目の前に彼が居るからだとするのなら俺はどれだけ彼の存在を重要なものだと感じているのだろう。
 彼の見合い話が信じられずに泣きついた俺の気持ちを振り返ることで俺は冷静に分析しようとしていた。そうでもしなければ泥沼から抜けられない。足を取られて転ぶばかりだ。
 
「生徒会室ってなんでもあるんだな」
「だから、ここに来た。一般生徒は来ないからちょうどいい」
 
 一通りのランチ用の食器も持ってきたが生徒会室の備品の方が大きくて使いやすかったのでサラダボウルと皿は借りた。
 箸やフォークは俺が持ってきたものだ。
 とはいっても彼がデザインした食器。見本やサンプルとして自分が作り上げたものを彼は持っているが使うことがあまりない。中学の時はチェックしたら実家に送っていたのだが高校に上がってから見てそのままで整理していないせいで溜まっていた。
 彼が居ない間に夕飯を作りながら俺が部屋を片付けて発掘したのが今回の箸やフォークだ。
 
 
 今更な疑問だが生徒会室に彼しかいないのはどうしてだろう。
 気を遣われたのではなく彼が追い払ったのかと思っていたら会計が現れた。
 
「会長〜、おめでとー」
 
 巨人と称されるほどにデカい会計は俺を見ると手を振って来た。
 俺は思わず彼を見る。彼は「なんのことだ」と首を傾げてサーモンのマリネを食べる。
 彼の冷蔵庫の中には豊富な食材が用意されており俺がいた頃に使っていた調味料が新品で用意されていた。
 一年前のものはダメになってしまったものが多いのかもしれない。
 ドレッシングは基本手作りでケチャップ、マヨネーズ、ウスターソースも自分で作っていた。
 理由は思い浮かべるのも恥ずかしいことだが添加物が入っていない必需品ともいえる調味料を自作するとすぐに傷んだりダメになるからその都度使い切ったりしないとならない。それは俺がずっとここで料理を作り続けるということを意味している気がした。
 彼が風呂上がりに飲むフルーツ酢の炭酸割りなんかも中学からずっと俺が作っている。
 俺が作ったラズベリー酢を炭酸水で割ったものが彼はとても気に入ったらしく初めて飲んだ時から風呂上がりの定番になった。去年、俺が別れてからはどうしていたんだろう。
 市販品で同じ味は出せない。
 俺がいたから飲んでいたが飲まなくても問題ないのだろうか。
 
「髪の毛の艶まで違くない?」
「昨日の夜、堅太がパックをしてくれた」
「髪を?」

 聞いてくる会計に頷いて彼の髪の毛を撫でる。
 彼の髪は元々細いのだが栄養的な問題なのか髪の毛の腰がなくなっていた。
 髪の色は甘い香りがしそうなミルクキャラメル彼の薄い色素の瞳と相まって海外の血が入っていそうだが多分ミックスなどではなく日本人。
 古い家柄の中にはときどきあることだが先祖返りのように黒髪黒目の家族の中で薄い色素を保有する。身体の作りは日本人のものだから普通は違和感が出るところだが彼は綺麗に調和している。
 年齢と共に髪や瞳の色は変わるというので彼の最終的な色彩はそこら辺に居る普通の人と変わりなくなるかもしれない。
 どうなったとしても彼が美形であり人目を引くことだけは変わりないに違いない。
 それなのに持って生まれた輝く美貌を彼は簡単にどぶに捨てる。
 どうでもいいと思っているんだろう。
 男だとしても身だしなみには最低限注意するべきだが彼は寝癖すら尊ばれる。
 ちゃんと直すように言わないから朝に顔を洗う習慣もないし髪の毛を梳かしたり整えることもしない。
 弟も面倒だからとやらない人間だったが彼はそれを超える。
 というか、面倒くさがりは弟の方だ。
 俺はちゃんと出かける前に鏡を見て変なところがないか確認する。
 別に鏡を見て落ち込む顔じゃない。
 彼や弟よりも下なだけで普通の顔だ。
 最低限ぐらいは気を遣う。
 
「風紀のイインチョが言ってたけどホントに嫁だ。しかも出来た嫁だ」
 
 笑う会計は彼に何事か囁いた。
 すこし眉を寄せる彼に俺は不穏な気配を感じた。
 
「堅太、済まない。先に食べていてもらえるか」
 
 ここで席を外すとなると彼は午後の授業を受けないのかもしれない。
 生徒会役員には授業免除という特権がある。
 もちろん食べられなかった昼を摂るために使うものじゃないが会計が呼び出したということは彼はこれから生徒会として動くのだろう。
 俺は一般生徒なので食べずに彼を待っていることも彼についていくことも出来ない。
 
 
 彼が居なくなって一気に食欲が失せてしまった。
 後で彼が食べる時に困らないように広げた食器などを小さくまとめようと立ち上がった直後、生徒会室の扉が開いた。
 ノックがなかったので副会長か書記だろうと思っていたら、予想外。
 
「よォ、アニキ」
 
 手を挙げて挨拶してくる弟に「お前の分はない」と告げる。
 彼の昼としては多い量だとはいえ弟のつまみ食いでなくなってしまったら困る。
 
「会長サンは……あァ猫目の処理かァ」
 
 彼に会いに来たらしい弟にどうしてか俺は腹が立っていた。

 弟が俺を優先していないから?
 まさかそんなことはない。
 弟が彼を気にしているから?
 男を弟が好きになるなんてない。
 
「……やっぱアニキはオレを見ねえよナァ。会長サンがいる時は視線が合うってのによォ」
 
 俺は俯いてテーブルの料理を見ている。
 弟が俺に近づいてくることに気づいても顔を上げることをしない。
 襟首をつかまれソファーに投げ飛ばされた。
 俺の上に弟が覆いかぶさってくる。
 つい先日、鯨井と似たような体勢になったと思い出しながら俺は生徒会室の天井を見つめる。
 初めて生徒会室の天井を見たかもしれない。
 意外に汚れている。
 生徒会室に入る人間は役員と委員会の委員長や各種部活の部長などで普通の生徒はやってこない。
 取り扱っている書類の種類からして業者を頻繁に居れることは難しいだろうから掃除をするのは生徒会役員になるのなら天井まで気を配れないだろう。
 
「アニキ、オレを見ろよォ。……もう十分だろォ」
 
 許してくれと俺を抱きつぶすように体重をかけてくる弟は身体の大きさに反して幼い。
 俺の胸あたりが濡れる気配がする。
 どうして弟が泣くのか、そんな理由は一つしかない。
 原因は俺だ。
 
「……アニキ、……ナァ」
 
 弟に俺は弱い。思わず貰い泣きをしてしまうぐらいに弟の涙に弱い。
 誰にでも愛されている奴で俺が兄じゃなければ言葉を交わすこともなかったほどに違う人間。
 
「アニキ、家に帰って来てくれよォ」
 
 俺以外なら気の強い弟のこの涙に折れるだろう。
 強固な意志で家に帰らないわけじゃない。
 
 ただ、ただ帰る意味がない。
 
 それは例えばマヨネーズをかけられた料理。
 それは例えば納豆を入れられたうどん。
 それは例えば浮気をした恋人。
 
 俺の心を空虚にしたもの。
 
 怒りなど通り過ぎた心は空っぽ。
 何もないから反応できない。
 
 それは例えば老いて寝込むことが多くなった祖母の余命を考えて歩いた帰り道で拾った猫。
 
『ばあちゃんが死んだから、もう生きてるのにも興味がなくなったってアニキ、死ぬかと思った』
 
 祖母の葬式で弟は号泣していた。
 泣いていたのは祖母の死を悼んでいたのではなかった。
 
『何かが欠けたら、ぜんぶ、どうでもよくなるの……やめろって言わねえけど、諦めるのは早いって…………諦めきれないもの、見つけろよ』
 
 恵まれた人間の言い分だ。探せば大切なものが見つかると思ってる人間の勝手な考え。
 猫が鳴く、弟が泣く、猫が鳴く、弟が泣く。
 そしてやっと俺は泣いた。
 
 祖母とさよならをしても俺は生きていくと知って世界は色褪せた。
 それを猫の世話と弟の騒がしさで誤魔化したが周りの煩わしさに俺は潰されて寮のある学校へ来た。
 
『アニキが新しい中学に行った日から……猫が、ソラが、見当たらなくなって』
 
 ゴールデンウイークに帰省することになる中一の時の会話。
 思い出したくない記憶。
 声変わりし始めていた弟のかすれた声。
 
『言われたとおりにエサとかは用意してた、けど……食わねえってか、居ねえし』
 
 元々、空き地で拾った気ままな猫だ。
 家でご飯を食べなかったとしても外で何とかするだろう。
 
『……アニキのクローゼットの中で――』
 
 弟は衰弱した猫を動物病院に連れて行ったと教えてくれたが俺の耳を素通りする。
 子猫を拾ったわけじゃないから寿命だったと獣医は言ったらしい。
 
 だが、思ってしまう。
 考えてしまう。
 
 俺がその場にいたのならアイツは餌を食べただろう。
 俺がそばに居たのなら静かにひっそりと息を引き取ることもなかった。
 
 後悔と自責の念が俺に襲い掛かって身動きがとれなくなる。
 
『優しい猫だったんだな。お前が家から出るまで死なずに待っていてくれたってことだろ』
 
 彼はそう言って俺を抱きしめた。
 そんなことをする人間じゃないのに背中をゆっくりと撫でてくれた。
 
『失われたものは戻っては来ない。それを忘れる必要もない』
 
 綺麗事にしか聞こえない。
 俺はきっと彼にいろいろと苛立ちをぶつけた。
 弟に似て恵まれた環境にいる彼が気に入らなかった。
 言ったことの詳細は覚えていない。
 彼も掘り起こしたりしなかった。
 俺の僻みは醜いだろう。
 だが思わずにはいられない。
 持っている人間の輝かしい人生と俺のものを一緒にしないでくれ。
 
『茶色の毛並みの猫なんだろう……猫を撫でたくなったら俺を撫でればいい。俺は確実にお前よりも長生きをするから気兼ねしないでいいぞ。俺の家はハゲよりも白髪になるから年とってもふさふさだ』
 
 真面目に言っている彼がおかしくて俺は泣きながら笑った。
 猫が居なくなってからっぽになった心の中に彼が居座り主張する。
 俺は彼を思うだけで満足して恋人の地位を手に入れたいとは思わなかった。
 けれど、彼が口にする未来がとても幸せなものだと感じたのは嘘じゃない。
 
 弟と居ると猫は鳴かない。
 すでに何処にも居ないことを教えられたからだ。

 彼と居ると猫は鳴かない。
 鳴き声の代わりに彼がいつでも「愛してる」と俺に言うからだ。
 


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