青い鳥を手に入れる努力は並大抵のことじゃない | ナノ

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 鯨井が俺を体育倉庫から助け出してくれて、やって来た伊須を殴りつけて説教をしている姿を見てなんだか弟を思い出した。
 弟は地味で平凡な外見である俺とは違い、明るく元気で騒がしいけれどそれが嫌味にならない愛嬌がある。元恋人である彼、木佐木冬空のように思わず見惚れるほどの人間離れした美貌を持っているわけではない。転入生である鯨井青葉ほどにキラキラと輝かしいオーラを放つ美少年でもない。
 あえて言うなら雰囲気イケメンに分類されるのかもしれない。
 小さいときには勢いですべてを丸めこみ掌握する小悪魔で俺には理解が出来ない生物だった。
 血の繋がった兄弟なのに不思議だ。

 常に集団の中心にいる友人の多い弟と地味で平凡で特技も友人もいない兄。

 真逆の二人で仲が悪いのかといえばそんなことはなかった。
 こんな兄で恥ずかしくないのかと思いながら一緒に暮らしていたが弟は純粋に俺を慕っていた。
 いつでもどこでも俺についてくることを望んだし、俺が弟を適当にあしらっていると不機嫌になる。
 俺が誰かと一緒にいるのを見るとどういう関係なのかしつこく聞いてくる。
 弟の友人たちは揃って弟のことをブラコンとはやし立てていた。
 
 鯨井と共通するところが多い。
 声が大きくて無駄に密着しようとしてくるところも同じだ。
 だから、鯨井を制御するのはそれほど大変ではない。
 マイナス面を覚悟さえすれば問題なかった。
 
 抱きついてくると言えば雨音も不安を感じると俺に抱きついてくるがそれは震えている雨音を俺が抱きしめたりすることがあるから、でもある。
 怯えている雨音を見ていると俺が悲しいので落ち着かせるために俺は雨音を抱きしめたり頭を撫でたりする。
 そうすると驚いたりするものの雨音の震えは止まって俺に笑いかけてくれる。
 雨音が何かを出来ないと悔やんでいても、それは大体の場合たいしたことはない。
 今まで俺にしてくれたことを思えば雨音が倉庫に閉じ込められた時にケータイを充電切れにしていたぐらいなんてことない。
 気にしないでいいよくある失敗の一つだ。
 
「雨音、大丈夫か?」
 
 俺の声が聞こえていないのかもしれない。
 意識が外に向けられていないと音は普通の人よりも聞こえにくいらしい。
 雨音はどん臭いところがあるがそんなに耳に障害があるようには見えない。
 それはつまりいつも外に意識を向けて音を拾う努力をしていたということになる。
 気が休まる暇がない。
 音の聞こえ方は精神面で変わるともいうから無理に意識をこちらに向けさせて声を聞いて欲しいとは思わない。
 落ち着いたらまた普通に戻るだろう。
 
 自室のベッドに座って雨音を抱きしめている姿を見られたらなんだか誤解されるかもしれないが俺と雨音に友情以外の気持ちはない。
 話していると人は気分をスッキリさせるというが抱きしめられると痛みが緩和するとも言われる。
 雨音は耳が遠いせいで会話を拒絶する傾向にある。
 音を聞きもらしても頭の中で補足するために人の口元に注視する。
 読唇術というやつだ。
 それは正直言って神経をとがらせていないといけないから疲れるだろう。
 
 雨音の頭を撫でながら俺は友人を守るために同室者である鯨井を生け贄にした非道さについて考える。
 体育倉庫から俺を救い出したのが鯨井で良かった。
 もし、元恋人である彼が来ていたら彼を嫌いになったかもしれない。
 喜びはあるかもしれないがそれ以上にどうして以前の時にそうしてくれなかったのかと憤る。
 彼の親衛隊から受けた様々な嫌がらせ。
 人に興味のない彼だから大半は知らなかっただろう。
 噂話など彼の耳を素通りするし、彼は他人がすることの真意を読み取ることがない。
 行動の裏を想像しないのではなく誰が何をしたところで自分に敵うはずがない小細工であり足元をすくわれるわけがないと思っている。
 他人というものを無意識というか息を吸うように見下している。
 そのこと自体は問題じゃない。
 人に興味を持たず自分の世界だけで生きていて他人を見なかった彼が俺を見ていたのだから、彼の在り方は別に構わなかった。
 
 そう、彼に見られて必要とされているのが「俺だけでさえあれば」俺は幸福のままでいられた。
 
 浮気をされてそれを見せ付けられて彼の言葉を何も信じられなくなった理由はやはり彼の根幹を形成していた人に対しての無関心さが覆されたからだ。
 理由がどうであれ彼は自分の親衛隊を「頼った」わけだ。
 彼の世界に存在しているのが自分だけだと俺は無意識に思い込んでいた。
 
 彼が他人に手を伸ばしたことが許せないんじゃない。
 浮気は問題外だがもっと根本的な話だ。
 
 俺は彼が他人を視界に入れることを考えもしていなかったことに衝撃を受けていた。
 彼が誰かを見たり頼ったりすることなど有りえないと思っていた。
 
 要は俺は彼自身よりもそんな風に彼を見ていた自分に対してショックだった。
 見通しが甘かった。彼を理解している気になっていた。
 だって彼は四六時中、俺に愛を囁いていた。
 俺を愛することに躊躇などなかったのだ。
 だから俺は安心して彼という人間を手に入れた幸せに酔っぱらっていた。
 そして、浮気の写真という目をそらすのが困難なもので正気に戻らされた。
 彼の思考を俺は理解しきれていなかったし、俺は理不尽を呑み込んでも吐き出してしまう人間だ。
 生徒の代表であり学園一の有名人で人気者、学園の支配者と言われたりする木佐木冬空。
 どうして俺はつきまとう厄介事の気配を忘れて幸せだけが自分にあると思い込んでいたんだろう。
 
『あんたじゃ満足できないから僕を選んでくださったんだ。愛されてるとでも思った? この身の程知らず』
 
 その以前の親衛隊長の言葉を俺は聞き流しながら傷ついていた。
 心の中で猫が鳴く。
 
 それは俺が涙を流さずに泣いていたからだ。
 
 何をしても許されるような弟の存在から逃げるように俺は中等部で寮に入った。
 弟には別の学校に行くように言い含めて俺は弟のいない空間での生活を始めた。
 それなのに同室者である彼は弟と同じように好き勝手が許される人間だった。
 それでも彼は弟と同じように俺を必要として猫よりも俺を愛してくれた。愛してくれていたと思っていた。
 
 家族愛に恵まれなかったわけではないが俺の絶対基準は猫である。
 弟が俺を好きでいたことは間違いなかったが何でも自分を優先させないと機嫌を悪くする弟は面倒くさい。
 だから俺の中での一番は猫である。
 そのことについて頭がおかしいと言われたところでどうしようもない。
 彼が案外自分勝手な俺様じゃないんだと思った切っ掛けは寮生活で猫と離れて淋しくなっていた俺に招き猫をくれたことから始まる。
 明るい茶色の招き猫は俺にくれたというよりも共同スペースである玄関に置こうという提案だろう。
 そして、招き猫のはずなのに両手を組んで仁王立ち。

 あれ? 招いていないからただの猫の置物?
 
 疑問が彼に伝わったのか「俺が作った」と別の角度からの返答。
 猫が恋しくてホームシックに陥って精神的に引きこもりがちだった俺が初めてしっかりと彼という人間を認識した瞬間だった。
 
 彼は物作りが好きであるらしくボトルシップ、陶器や置物などを年端もいかない頃から作りいくつかの賞を受賞しているらしい。
 人間国宝にも気に入られて海外からの評価も高いと聞いたこともあるので彼の人間性を問題視する者が誰もおらず、丁重に扱われるのは仕方がないのかもしれない。
 彼のために学園が焼きもの用にかまどを製作するべきかを真剣に検討したほどだ。
 ただ彼は本当に気分屋なので工房などを作ってしまえば授業など一切出ないで籠っているかもしれない。
 休みは個展や作品制作に当てられるのかと思いきや彼は彼だった。
 自分がやりたいことを自分がやりたいようにしかしない。
 電話で「俺の機嫌を見通してスケジュールを決めるのがお前の仕事だ」と理不尽を言い放っていたのを聞いたことがある。
 彼のマネージャー的な役割を担う人間の苦労がうかがいしれる。
 
『高校を卒業したら、大学に通いながら公私ともに俺のサポートをして欲しい。
 俺は堅太がいるなら我が儘は言わない。堅太だけが欲しいんだ』
 
 中学を卒業する時にそう言って告白された。
 俺は喜びに舞い上がるよりも先に面倒な気配を感じる最低の奴だったが彼を払いのけることは出来なかった。
 嬉しかったのも事実だからだ。
 
 一般的に芸術家というのは食べていけない職業だと思われているが彼の場合は彼の家という最大のスポンサーがおり、この齢ですでに彼は一芸を極めてその道で名前を轟かせていた。
 十代半ばで成功者の称号を持って輝いている彼。
 嫉妬から「後は落ちるだけ」とも言われるぐらいに人生を上り詰めている感があるが彼と普通の人間が見ているものは違う。
 彼には今いる場所が途中経過かスタートラインにすらなっていない場所に感じているかもしれない。
 草木染めをしたいと言っていたのでそのうち彼が自分で所有しているらしい山に引きこもって生活するかもしれない。
 それについていくのは悪くないと思ったのは打算だ。
 彼に将来設計を任せるのは不安だが彼のパートナーでいることは悪くない未来だった。
 俺は人間不信でも人間嫌いでもないが弟や彼のような才能にあふれて周囲の理解にも恵まれた人間に対しての憤りが激しい。
 嫉妬心とはまた少し違う。同じ人間であるのに違いすぎるから不条理を感じてしまうだけだ。
 平凡で地味な一般人である自分を理解してはいても顔面格差や持って生まれた才能の違いに関してなんとも飲み下せないものがある。
 全くの赤の他人として関わり合いのない相手なら視界に入れることなく過ごせばいいが弟も彼も俺に深くかかわる人間だ。
 
 そう、だから情けがない話、俺は彼らが俺を愛して必要としてくれていないと自分を保っていられない。
 彼らが自分の存在を俺にひけらかしたり当てつけてきたわけでないにしても心に湧き上がる何とも言えない苦味は収まらない。
 俺は彼が愛してくれている限りにおいて彼自身や彼の周囲から与えられる痛みや屈辱を緩和で来ていた。
 彼の行動により俺の辛うじてあったらしい権威は失墜し親衛隊からの容赦ない侮蔑に晒された。
 それに耐える気のない俺は彼との別れを切り出すに至ったのだが、彼は俺のずる賢いとも言える考えを知った上でもまだ愛を口にできるのだろうか。才能にあふれる彼が俺の僻みともいえる本音を理解できるだろうか。
 
 俺は、俺を愛して優先してくれない彼を愛することが出来ない。
 どれだけ大袈裟に求愛行動をしたところでその場しのぎのパフォーマンスにしか思えない。
 
『俺には永遠に堅太だけだ』
 
 永遠なんて子供だましの言葉でしかない。
 俺たちは事実子供で、彼が世界的に認められていようと大金持ちであろうと生徒会長だろうとその事実は変わらない。
 俺たちは子供で何もかもがあまりにも手探りだった。
 
『堅太くん、あのね……言うのは止められてるんだけど、会長様は』
 
 だから、間違いだって犯してしまうかもしれない。
 
『堅太くんと自分の仲を認めない人間を退学にするか、それに近しい形にしようとしてるの』
 
 雨音が体育倉庫で言いかけた言葉の続きはその後に教えてもらった。
 伊須海夢を一発殴りつけてそれだけでは止まれなかった鯨井。
 その仲裁をしている最中に彼はやって来た。生徒会長として騒ぎを聞きつけてくるような殊勝な人間ではない。彼が来たのは間違いなく俺がいたから。自惚れではなくそう思う。
 
『堅太くんに暴力や暴言を行った人は今後一切そう言ったことをしないように親衛隊が制裁を加えることがこの前の会議で決まって……』
 
 俺の知らない場所での彼の行動。
 愛し続けると口にする彼の真心。
 玖波那に聞いてはいた生徒会長親衛隊の動向。
 
『阻止できなかったら親衛隊員にも罰則があるんだ』
 
 その愛の形や重さは一般的な人間の枠を超える。
 身体を震わせる雨音は俺の役に立たなかったことを気にしているのはもちろんだが彼からの罰を恐れている。
 一体、彼は何を始めているんだろう。
 
「鯨井には悪いけど、しばらくこのままでいさせて貰うしかないな」
 
 雨音の失態が露見していたとしても彼の意識は自分に付きまとっている鯨井にあるだろう。
 親衛隊を使って俺の周囲を固めて逃げ道をなくすのが彼のやりたい事とは思わない。
 復縁や俺からの謝罪などを彼が欲しがっているのかも分からない。
 ただ俺が鯨井の頭を撫でるたびに酷く傷ついた顔をする彼を見るのは微笑んでしまうぐらいに楽しい。
 
 彼が苦い気持ちになるのは俺が去年、写真に怯えていたのと同じだ。
 心の中で猫が尻尾を揺らしている。
 二人で悪戯をしてハイタッチ。猫はそんな時は鳴いたりしない。無言でただただ笑ってる。


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