青い鳥を手に入れる努力は並大抵のことじゃない | ナノ

  3


 
 雨音《あまね》が、涙目で俺を見上げてくる。
 陰鬱そうな表情はいつもと変わりない。
 震えた身体は小動物さながら。
 思わず抱きしめていた。
 
 どうしてこうなったのかと言えば、至極簡単。
 伊須《いす》海夢《かいむ》の親衛隊からの制裁が開始したのだ。
 
 


 少しトイレに出歩いた、それだけで俺は災難に見舞われる。
 真っ直ぐ寮に帰って部屋のトイレを使えばよかった。
 同室である鯨井の顔を見たくないなんて思ってしまったせいで放課後、手ぶらで歩いていて因縁をつけられる。
 校内をぶらついて時間つぶしでもしたいと思ったのが悪かったかもしれない。
 

「アンタ、まゆまゆ?」 
 
 
 違いますと即座に言うつもりだったのが後ろからハンカチで口を押えられて出来なかった。
 変な薬品を嗅がされるわけじゃなく声を出さないように口を押えたらしい。
 ハンカチを持っていないもう片手は俺の身体を押えている。
 どうするのかと思って俺の口にハンカチを当てている相手を見ようと身体をひねる。
 それがハンカチを外そうとする動きに見えたらしく「無駄な抵抗はするな」と警察さながらの台詞を言われた。
 俺は立てこもり犯か何かか。
 
「大人しくしてたら酷くはならない」
 
 まるで自首したら減刑が望めると教えてくれる刑事のようだがお前らが極悪人だろう。
 苛立ちが伝わってしまったのか俺の身体をつかんでいる手の力が強まる。
 
「お前、細すぎねえか? 食ってんのか?」
 
 心配されたがそれが気に入らないのか俺に「まゆまゆ?」と聞いてきた背の低い先輩が「なにやってんのよー」と吠える。女言葉に違和感を覚えるより先に残念な気持ちになる。
 よくよく見れば色付きのリップでも使っているのか唇がほのかに色づいている。
 ガッツリ化粧をしていないだけナチュラルと言いたいが薬用以外のリップをしている時点でドン引き。
 女子として生まれ直すか改造手術を受けてきて欲しい。
 そうしたら優しくできる。
 先輩なら今十七でこれから十八になるのだろう。
 十八でその身長でテラテラピンクな唇はアウトだ。
 生きていて恥ずかしくなる黒歴史が作られている。
 大学では同い年の女子にマスコットという名のオモチャにされて恋人に見られないまま飲み会に参加し続けるのだろう。
 
「ちょっと、何考えてんのよ」
 
「かわいそうだなって」

「あぁ? 確かになー、こんなことしても伊勢は振り向いてくれねえのになあ」 
 
 俺を捕まえている男がハンカチを外して相槌まで打ってくれた。
 何考えているのか聞いたわりに先輩は不服そうだ。
 俺と俺を捕まえている男が会話するのが嫌なのだろうか。
 
「オレとコイツ、付き合ってんのよ」
 
 あはは、と軽い笑い声。
 先輩は「うっさい、バカ、死ね」と悪態をつくが「まったく素直じゃねえんだから」と男はあくまでも軽い。
 別に親衛隊に入っているからといって対象を性的な意味で好きだとか、付き合いたいと思っている人ばかりじゃない。
 応援したいという気持ちで親衛隊にいるのだろう。
 
「ごめんね。コイツは伊勢くんのこと死ぬほど大事なのよ」
「伊須だって言ってんだろ。神宮じゃねえよ」
 
 女言葉だった先輩が低い声でツッコミを入れる。
 驚いている俺に気づいたのか咳払いして「カイのこと、どう思ってる?」と聞かれた。
 カイとは伊須のあだなというか海夢《かいむ》という名前の短縮形。
 ムは無としてなかったことにされた。
 
 男なのに艶っぽいという謎の仕草で下から覗き込むように俺を見る先輩。
 申し訳ないがただ気持ちが悪いだけで「先輩の就職先がオカマバーしか思いつきません」と頭に思い浮かんだことを口に出してしまう。
 伊須のことより目の前に居る先輩のことしか考えられない。 
 普通の就職先は見込めないだろう先輩を憐れんでいると俺の拘束が解かれた。
 
 身体を折り曲げて俺を押えていた男がひーひー、言いながら笑っている。
 先輩を見れば顔を真っ赤にしていた。
 照れた、わけではないだろう。
  
「優しくしてればつけあがりやがって」
 
 優しくされた覚えはなかったと思ったがさっきまでの女言葉と変な媚びっぷりが先輩の優しさであるのならそれは間違っている。
 喜ぶ人間が多いこの学園が悪いのかもしれないが先輩の今後を思えば誤解は解いた方がいい。
 いつもは積極的ではない俺だったが先輩はいい人そうなので「先輩の優しさはきっと股間にしか響きません」と伝えた。
 
「俺は受け身をやってましたが抱くなら普通に女子がいいです」
「何の話だッ」
「先輩の優しさという名のやらしさは俺には響いてこないという話です」
「やらしさってなんだ、やらしさって!」
「さっきまでのやりとりが先輩のやらしさなんですよね?」
「やらしくした覚えなんかねえよ。怯えさせねえように親衛隊っぽく振る舞ったんじゃねえか」
「親衛隊はオカマっぽくないですよ」
 
 どちらかと言えば戦闘部隊だった。
 陰湿的な行動も統制されているせいで外部に漏れにくい。
 人を立てて肉の壁。
 その中で何をしてもいいのだと本気で思っている。
 
「オカマオカマ言うんじゃねえよ」
 
 気にしているのか先輩が頭を抱えて足を踏み鳴らした。
 そんな風になるぐらいなら変な演技などしなければいい。
 先輩が普通にハキハキ喋っているところを俺は見たことがある。
 
「サッカー部のマネージャーさんですよね、先輩」
 
 低い身長だがマネージャーとしては有能らしい先輩。
 名前は知らないがグラウンドで見た覚えがあった。
 
「俺のこと知ってんのか」
「知りませんけど見たことがあった気がするので」
「……そっか、あのな」
 
 そして語られたのはよくある親衛隊の言い分。
 俺が近づいているせいで伊須が迷惑しているというもの。
 確かになんだか日に日に急接近な伊須海夢だが俺からは近寄っていない。
 親衛隊からすれば伊須から俺に近づいているなんてことを認めることは出来ないのだろう。
 平凡で取り立てて特技があるわけでもない繭崎堅太。
 あえて言うのなら美貌の完璧超人と名高い生徒会長に愛されている。
 俺は俺を示す肩書きを彼に委ねられていた。
 
「いくらカイに言っても聞かねえんだよ」
「俺も同じです。伊須の気持ちには応えられないと返事しています」
「んだよ、それ。……会長とはもう縁切れてんだろ」
「彼と付き合っていないからって伊須と付き合うわけじゃない」
「そうだけど……なに? カイの何が気に入らねえわけ」
 
 ほら言ってみろよとばかりにたずねてくる先輩はかわいい顔をしているのでなんだかときめかない。
 先程よりも男前さが上がったので気楽なところはあるが彼は伊須海夢の親衛隊だ。
 下手なことを言うわけにはいかない。
 
「気に入らないというか恋愛対象に見られません」
「なんで?」
「……友達だって思ってるから」
 
 友情は感じるが恋情は覚えない。
 伊須と俺とはいつからお互いに見るものが違ってしまったんだろう。
 好かれたことは光栄なのかもしれないが俺には厄介だと思う気持ちと戸惑いが先にくる。
 
「今後絶対に伊須のこと好きにならねえの?」
「さあ、人間だから何があるかなんて分からない」

 現状を考えると伊須を好きになる要素がないから無理だろうけれど。
 友達としてすら付き合いを考えるレベルになるかもしれない。
 俺に話しかけてくる人間は少ないので友人も当然数えるほどしかいない。
 だから、伊須が友達じゃなくなるのが悲しいがどうしようもないことだろう。
 
「ちょっと来い」
 
 そう言って先輩は俺を手招く。
 動かないでいると先輩と付き合ってるらしい男が俺を担ぎ上げた。
 そのまま移動されてマズいと思ったが声が出ない。
 小さく「うるさくしちゃうと落とすよ」と言われて身体がビビってしまった。
 
「ちょっとここに居ろ」
 
 男らしく言い放つ先輩は自分の彼氏に俺をマットの上に放り投げさせた。
 そして扉が閉まる。
 どうやら体育倉庫に閉じ込められたらしい。
 サッカー部のマネージャーなので倉庫の鍵を手に入れるのは簡単だろう。
 ベタだが効果的。
 古典的な手法というのは有効だから残っているのだ。
 俺は埃っぽくじめじめとした体育倉庫が好きではない。暗くなったし。
 嫌いで過呼吸になったりパニックを起こしたりはしないが長居したくない場所だ。
 
「堅太くん」
 
 呼びかけられて心臓が止まりかけた。
 扉が閉じて窓もないので真っ暗になっていたはずの体育倉庫に明かりが点る。
 普通に電気をつければよかったのかと当たり前に納得してから俺は電気をつけた相手がいるという事実に固まる。
 直後に硬直は解けた。
 見知った顔、天利祢《あまりね》雨音《あまね》がそこに居た。
 俺を「堅太くん」と呼びかけてくれるのは|雨音《あまね》ぐらいのものだろう。
 
 ビビって損をしたと肩から力が抜ける。
 
「どうして、ここに?」
 
 肩を跳ねさせて雨音が俺を見上げる。
 怒られると思っている子供の仕草に見えた。
 大丈夫だと伝えるように雨音の頭を撫でると少ししてから「堅太くんが制裁されるって情報が入って……」と教えてくれた。
 生徒会長親衛隊の情報網はなかなかのものであるらしい。
 
「誰かが外から開けてくれんのか?」
 
 普通に考えてその手筈になっているのだろう。
 だが、雨音はガタガタと震えだすだけで何も言わない。
 どうしたって言うんだ。
 雨音のこの態度はリレーの時にバトンを渡すのに失敗して最下位になってしまった時と同じだ。
 失敗したのは確かだが死ぬわけでもないんだから、そこまで思い詰めなくてもいいのに、そう感じるほどの絶望顔。
 
「……いの」
 
 聞き取れなかったが急かすことはしない。
 雨音には雨音の時間の流れがある。
 焦らせると余計によく分からなくなる。
 
「誰も来ないの」
 
 なんでやねん、とノリのいいツッコミは雨音にはしてはいけない。
 罪の意識で震えている雨音の息の根が止まるかもしれない。
 
「……ここ、が、暗くて怖かったからずっと……ケータイでゲームしてて」
 
 震える雨音に俺は「あー」と意味にならない声しか出てこない。
 
 つまり、要約するとこういうことになる。
 制裁があることを知った雨音はその事実を確認するために体育倉庫の中に先回りをして隠れていた。
 だが、暗い倉庫の中で気分が滅入ってきた。
 いつ俺が来るかもわからない、本当に来るかも不確か。
 何もせずに待っているのは雨音の精神に無理がかかる。
 そのため思いついたのがケータイのゲーム。
 暗い中で一人でいるから鬱々としてしまう。
 気分転換と暇つぶしに最適。
 そんなわけでゲームをしながら雨音は俺が来るのを待っていてくれたわけだ。
 そこで問題になるのがケータイの電池。
 早い話がゲームしていたせいで充電が切れたと、そういうことだ。
 外に俺と雨音が体育倉庫に居ることを知らせる前にケータイは携帯する電話の役割を全うせずに沈黙。
 雨音の様子からすると事前に誰かに体育倉庫のことを伝えたりはしていなかったのだろう。
 充電が切れた段階で体育倉庫の中ではなく体育倉庫が見える場所に隠れる場所を変更するぐらいに頭が回っていたらこの不幸は起こらなかったかもしれない。
 雨音はそこまで目がよくないので犯行現場の近くに居ないといけないという心理が働いたのだろう。
 
「怒ってねえよ」
 
 俺の言葉に信じられないと言いたげな雨音。
 抜けた雨音の行動はいつものことだと思ってしまう。
 間違いなく雨音は友達思いの良い奴だがドジでどん臭いのもまた事実。
 
 雨音《あまね》が、涙目で俺を見上げてくる。
 謝る雨音を抱きしめて「気にすんな」と言う以外に俺に何ができると言うんだ。
 
「雨音がいるから俺はこんな場所で一人で淋しい思いしないで済んでる」
 
 ありがとうと伝えると雨音が首を横に振る。
 零れ落ちてしまいそうな涙に俺は再度「雨音が来てくれてよかった」と伝えた。
 最悪でも明日の体育の授業か部活などで近くを通る人はいるだろう。
 電気の使用状況を警備員が確認しているという話もあるのでこのまま電気をつけていたら誰かがいるのかもしれないと確認しに来てくれるかもしれない。
 
 一人でいたかもしれないことを考えれば雨音がいてくれることは心強い。
 というか、ケータイの話になるとケータイを携帯しない俺には何も言えない。
 俺のケータイは鞄の中であり現在は手ぶら。
 
「あの、……ね」
 
 言いにくそうに雨音が俺の腕の中で身動ぎする。
 驚かせないように優しさを心掛けて「どうした」と聞き返すと気まずそうに雨音は爆弾を投下した。
 
「会長様が気づいて助けてくれるかもしれない」
 
 そんな有りえない、というか、思考の片隅にも思い浮かばないことを雨音は言う。
 俺の疑問に答えるように雨音は先程の気まずげな姿を吹き飛ばして力強く言い放つ。
 まるで確信があるかのように。
 
「あの人は堅太くんのことが、好きだから」
 
 どうしてそれで俺が制裁を受けたことや体育倉庫にいることが分かるって言うんだ。
 それに、もし体育倉庫に俺がいると知っても助けにくるように動くだろうか。
 面倒事は好きじゃない人だ。
 
 心の中で猫がニャーと鳴く。
 
 期待しているのだろう。
 
 だけど、雨音《あまね》。
 お前が俺と彼との復縁を望んでいないことを知っているんだ。
 俺に期待をさせるようなことを言って実際は違った場合、俺の気持ちがどうなるのか分かってるんじゃないのか。
 
 何を信じればいいのか分からなくて俺は目を閉じて自分の心を慰めるような猫の声の幻聴を聞く。


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