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食堂に来た。
堅太と別れた忌まわしい場所、とは思わない。
なぜなら今、ここに堅太がいるのだ。
俺の足取りは軽いがすぐに堅太のところへ行くには障害が多すぎる。
具体的に言えば生徒会役員たち。
コイツらがいると堅太はほぼ十割の確率で嫌そうな顔をする。
そうだよな、俺とだけ話したいよな。見つめていたいのも俺だけだよな、分かってる。
「あ、青葉っ」
孤塚が動く。会計も書記もそれに続く。
俺は堅太に会いに来たが他の奴らは転入生を見るつもりでいるらしい。
そんなに鑑賞に堪えうる美形などいるだろうか。
大体、どれほどの造形美があっても三日もせずに飽きる。
ちなみに俺は堅太に飽きたことがない。
堅太の表情はいつも微妙に違う。
絶妙な表情が多いので一度として同じものがないのではないだろうか。
空がいつでも上にあったとしても雲の流れで空模様は多種多様。
同じものを再び見ることはない。
だから俺は出来るだけ堅太と共に過ごしたいと思っているが人工的に雨を降らせたり雲を振り払って晴れ間にさせたり虹をかけたりが出来るのだとしたら試してみたくなるのが男だろう。
堅太の気持ちを後回しにしたと玖波那に非難されたがその通りだ。
俺は堅太よりも自分を、自分の欲望を優先してしまった。
それは謝罪するべきことだが俺はそろそろ気づいていた。
別れてから過ぎた時間の分だけ俺の悔恨は深い。
だから、堅太が俺の謝罪を必要としていないことにも気づいている。
「なーんか、変なフンイキ」
会計の土並の言葉通り堅太のいるテーブルは静かだ。
堅太と転入生らしき人物と眼鏡をかけた三人組。
別々のグループが大きなテーブルの端と端にいるのはよくある普通の光景だ。
生徒会役員を見ての静けさではないのが疑問ではある。
堅太が立ち上がる。
俺に気づいて駆け寄ってきてくれる、わけではない。
「帰るわ」
低く、とても静かな声。
この声は聞いたことがある。
一年の時に俺の親衛隊長をしていた先輩に向かって朗々と語った堅太の声はこんな感じだったはずだ。
「ちょ、ちょっと待て、まって、ケンタッ!!」
騒がしく堅太を呼びながらその腕に縋りつく転入生。
俺からは見えないが多分堅太の瞳の温度は凍えている。
あの時のように何も思わない瞳をしているはずだ。
「ごめん! そんなに嫌がると思わなくって……その、納豆、嫌いだったのか?」
上目遣いで堅太を見ている転入生の媚びた仕草に吐き気がする。
無駄に瞳を潤ませて堅太から慈悲の心を得ようとでもいうのか。
俺だって成功しなかったのにお前が出来るわけねえだろ。ふざけんじゃねえよ。
「そういう問題じゃない」
静かな堅太の声に俺は周りを見る。
よくよく見れば同じテーブルにいる眼鏡の三人組は俺の親衛隊の人間だ。
近づいて声をかける。
俺から声をかけられるという幸運に舞い上がっているのかガチガチに固まっているが低い声で「説明しろ」と言えば噛みながら教えてくれた。
要約すると堅太が食べていたうどんに転入生がちょっかいをかけたということらしい。
堅太は実のところ食事のマナーにうるさい。
うるさいというほどではない。根に持つというのが正しいのかもしれない。
汚い食べ方をする人間は口に出していないが間違いなく嫌いだし、食べ物を遊ぶのを見るのも嫌なのでTVのバラエティー番組などで大食い大会のようなものが映るとチャンネルを変える。
男子校特有のノリなのか大食い大会はこの学園内でも行われそうだったが会長権限で潰しておいた。
体育会系男子がそろって嘆いていたが俺の堅太が嫌な思いをする可能性を残すなんてありえない。
堅太は俺の好みを俺以上に把握してくれているので堅太の作った料理で味が足らないということはない。
そのため胡椒をかけたい、七味をかけたいという気持ちはまず起こらない。
疲れていたとしてもちょうどいい味を出してくれるのだ。
口には出していないが堅太はそれを崩されるのを嫌っている。
これは玖波那と俺たち三人で食事した時にカレーの味が三種類あったことからの推測だ。
俺のカレーは甘口で牛乳で伸ばして蜂蜜がちょっと入った甘くてマイルド。
玖波那のカレーは火を噴くように辛いらしい。
いつも汗をかいてハフハフしながら食べている。
堅太は中辛でやや甘め。
これは堅太の好みではなく俺が甘いのだけだと口が飽きてしまった気になり辛さのレベルアップを考えたりするからだ。
ハフハフしている玖波那が少し羨ましくて辛いものが食べたくなるが目が欲しいだけで実際に玖波那の食べているカレーを口にすると飲み込めなくてつらかった。からいはつらいものだ。
だから堅太は自分のカレーを俺の食べているものよりも辛いが俺が口にできる程度に甘さを残して作っている。
何が言いたいかといえば俺が勝手に堅太のカレーにラー油を入れたりソースを入れたりすることは許し難いだろうと想像が出来る。
他でもない俺用に作ってくれているのに手を加えるのは堅太の手抜かりを指摘するようだ。嫌味だろう。
まあ、玖波那は普通にソースを入れたり入れなかったりでカレーを食べていて堅太も何も言っていなかったので本当のところ問題はないのかもしれない。
だが俺の第六感どころか第七感は告げていた。
堅太の料理に何かをするのはご法度。
俺が考えるに堅太には弟がいて多分ソイツがいろんなことの元凶だ。
ソイツはどうやらマヨラーであるらしい。
堅太の作った料理を口にすることもなくまずはマヨネーズをかける。
開き直ってマヨネーズ和えの料理しか出さなくなったら米にマヨネーズをかける。
それを聞いた時に思った、堅太は泣いていい。
白米じゃない炊き込みご飯だ。
堅太の炊き込みご飯はもちろんとても美味しい。
それで堅太は怒ったりはしない。
菩薩か何かだ。
常々俺だけの天使だと思っていたが神の化身だった。
怒らなかったが弟に対して料理を作るのはやめたと言っていた。
煮魚にマヨネーズをかけられた堅太の気持ちを考えると切なくなる。
堅太の煮魚はもちろん美味しい。
醤油煮も味噌煮も自由自在な堅太は俺の嫁になるために生まれてきたんだ。間違いない。
弟に堅太の料理を壊したりしたり侮辱したという気持ちはないだろう。
マヨネーズが好きだっただけだろう。
それでも堅太にはどうしても耐えられないことなのだ。
堅太は口に出さなかったがそうに決まっている。
今回のうどんの件も悲しい行き違いだと言えるだろう。
行き違いも何も人のうどんに勝手なことをする転入生の頭がおかしい。
堅太は何一つ悪くないが、間が悪かったり運が悪いことが往々にしてある。
俺は食堂の端末を操作して注文をする。
転入生は未だに堅太に縋りついていて不愉快だ。
堅太に嫌われることが確定したくせに偉そうなんだよ。
事情を聞くために眼鏡の三人組の近くに来たせいで俺には堅太の姿がよく見える。
堅太はすでに帰ることを決意していた。
どれだけ転入生が謝罪したところで心変わりなどない。
堅太が自身の決定を翻すことはあまりない。
頑固というよりも「どうして貴様の意見に従わなければならない」というプライドを感じる。
どこから見ても堅太は偉そうではないし人を見下したりもしないが副音声が聞こえることがあった。
今は「うざったいからその口を閉じろよラクダ頭。そして手を放せ」とかだろう。
俺はちゃんと堅太のことを理解している。
以前はきっと理解していたつもりでいただけで本当は分かってなかった。今は違う。
反省も後悔も数えきれないほどにした。
俺は成長する男だ。
自信過剰やナルシストではなく事実として俺は成長して自分を見直すことが出来る。
だから、分かったのだ。
堅太が求めているもの。
謝罪が不要であるのなら、何が必要であるのか。
玖波那の言う通り誠意というものだろう。
誠意とはなんであるのか。
うそ偽りのない真心。
私利私欲のない気持ち。
許してもらいたいから謝るのはただの情状酌量を求める訴えだ。
自分が悪かったのなら罰則の軽減を求めるべきじゃない。
甘んじて受けよう。
とはいえ、俺は堅太と別れて半年以上も我慢しているんだからご褒美をもらっていいはずだ。
「食堂は食事をするべき場所だ。騒ぎを起こすな」
俺の言葉に堅太はハッとしたらしく逡巡のち、席に座りなおした。
堅太は常識人である。
転入生に掴まれている腕が外れないと悟ったのだろう。
押し問答になった場合、堅太は自分が折れたり引いて場が収まるのなら、折れておくタイプの人間だ。ただ目が納得していない顔をしている。自分が望んだ展開ではないのだから不服なのだろう、当然。
俺は堅太の隣に座り冷めて伸びたうどんを自分の前に置く。
何か言いたそうな堅太はかわいらしいが今は何のリアクションも取れない。
他人がいる環境は煩わしく面倒だ。
「生徒会役員が立ちっぱなしだと普通の生徒が落ち着いて食事できないだろう。
お前たちは役員席に行くか、ここに座れ」
早くしろと視線で三人に伝えると慌てて会計と書記が座った。
一人立ちっぱなしの副会長の孤塚。
八人がけの席で眼鏡の三人組、転入生と堅太、その隣に俺、そして会計と書記が座れば席は埋まる。
「立ち食いなんてはしたない真似はしないだろう? 孤塚、早く役員席に行け」
ぶるぶる震えながら孤塚は一人で役員席に向かって歩いていく。
優しい労りの言葉を周りからかけられているから問題ないだろう。
どうせ何股しているのか分からない恋人とセックスをして憂さを晴らすのだ。
俺は堅太と全然していないのに生徒会役員ときたら充実した性生活をしていて羨ましい。死ねばいいのに。俺よりも満たされた日々を送る奴はみんな十年後に不幸になればいい。
小さい人間だと思われたくないから堅太には世界平和の素晴らしさを語ったりするけど俺は俺だけが幸せであればいいと常日頃から思っている。
「なに?」
堅太が俺を見る。それだけで俺のテンションは大気圏を突破して宇宙を旅した。
飢えに飢えているからか何でもないようなことが幸せだったと思う。
二度とは戻れないなんてことはない。
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