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食堂での生徒会長土下座事件から数か月。
俺にも新しい生活が馴染んできた、と思ったがそうもいかないらしい。
「オレさあ、マジでまゆまゆのこと結構好きなの」
「はあ、そう」
まゆまゆというのは繭崎堅太である俺のことだ。
発言者は前の席に座る伊須《いす》海夢《かいむ》。
カイムとは読めなかった。思わず「シードリーム?」と聞いてしまったら爆笑され以降ずっと構われることになった。
カイムと聞くと皆無を連想して見目麗しくなんでも持ってそうな伊須に対して憐れみを覚える。
伊須は「オレのことはあだ名で呼んでいいよ」と言うので「なっしー?」と呼びかけたらまた大爆笑。
どうやら伊須のあだ名はなっしーではなかったらしい。
カイムだから「なし」ただ無しよりも梨のキャラをもじった方が愛嬌があると思ったのだが外れた。
「伊須、貝は口を閉じているものだと思うぞ」
伊須《いす》海夢《かいむ》のあだ名は単純に海部分だけを呼んでカイらしい。
海繋がりで貝で覚えやすいかもしれない。ウミ、と呼ぶことはない。
「熱を加えると開くんですぅ」
そう言って口を大きく開く伊須はバカっぽかった。
バカっぽく騒がしいぐらいが俺には似合っているかもしれない。
自分から人と関わっていかないのは元恋人である彼のことがあったからではない。
俺自身の人間性の問題だ。
彼に限らず目の前にいる伊須に代表される注目を集める人間の容姿は腹が立つほどに整っている。
伊須は肩につかない程度に長くしていて部活をしている時だけ結んでる。
髪の色は海どころか砂漠状態だが瞳は綺麗なアクアマリン。
日本以外の血が混じっているのは体格的にも間違いないと思う。
身長がある伊須がそれほど威圧感を感じさせないのはいつでも明るい笑顔を絶やさず心遣いが出来る人間だからだろう。
俺と会話をする切っ掛けになったのも自分の身長のせいで黒板が見にくいんじゃないのかと伊須が聞いてきたからだ。
サッカー部のエースでクラスの人気を一身に集めているにしては伊須は謙虚だった。
どこかの誰かとは違うと思ったのことについて他意はない。
俺の心に未だに巣食う彼は俺に許しを求めてくる。無意味なのに。
彼は俺を好きで有り続けると言う。
「オレ、まゆまゆが好きだよ」
俺の近頃の困っていること、それはこれだ。
伊須がこうして堂々と告白してくる。
それに対して俺は困るだけ。
伊須が良い奴なのはわかるが恋愛感情なんて抱けない。
「練習試合の応援なら親衛隊がいるだろう」
「オレはぁ、まゆまゆに来てほしいんだってば」
いつからか伊須は俺に対してこんな対応になった。
以前は俺の嫌がることなんか絶対にしないとばかりに気遣いの鬼だったのにどうしてだろう。
風紀委員長の玖波那いわく俺は人を調子づかせてしまう素質があるらしい。
伊須が偉そうかと言えばそんなことはないが、日に日に押しが強くなっている気はする。
困っていると隣の席から遠慮がちな声がした。
天利祢《あまりね》雨音《あまね》だ。アマオトとつい読みたくなるが雨音は良い奴だ。
俺よりも数段容姿がいいのだが暗い表情で俯きがちなせいで地味っ子呼ばわりされている。
身長が小さいのもあって心細そうな姿は年下に見える。
「伊須くん、堅太くんが迷惑してるからこれ以上はやめてあげて」
「なんでアメちゃんがまゆまゆの気持ちを代弁するかな〜」
拗ねたように「空気読んでくんないかな」と言う伊須にいつになく強気な口調で「空気読んでるから、言ってる」と雨音は言い放つ。
驚いている俺を尻目に伊須は一瞬表情をなくした。
それから雨音を鋭く睨みつける。
「アメちゃんって生徒会長の親衛隊だっけ?」
「そうだよ。だからボクは堅太くんに迷惑をかける人に注意しないといけない」
「へえ? 会長に浮気するよう煽って別れさせた親衛隊が今度は復縁しろとか言うわけ? 勝手じゃねえの」
冷たい伊須の声に雨音が拳を握りこむ。
苦しげに歪んだ顔が見ていられない。
「雨音は親衛隊だからじゃなくて、友達だから言ってくれたんだ。
俺は伊須の気持ちには応えられない、そう返事はしているだろう」
天利祢《あまりね》雨音《あまね》は生徒会長の親衛隊長だ。俺と彼が付き合っていた当時はただの親衛隊員だった。
彼と寝たり、彼に浮気するように吹き込んでいた親衛隊員は親衛隊を除名になり人によっては転校や退学。
彼は自分の親衛隊を自分と俺、繭崎堅太を結ばせるために活動する団体になることを義務付けた。
つまり、俺が彼以外の相手を選ぼうとするのを妨害するし、彼との復縁を後押しする。
彼のことを恋愛的な意味で好きで俺に嫉妬心を持つような人間は親衛隊に所属できないということにしてくれたらしい。
正直に言えば恋人であった当時にそうしておいて欲しかった。
それならあんなに惨めな思いはしなかった。
毎日のように彼に似合わないと言われ続けて粗探しをされる日々。
彼が好きだったから耐えていたが人の視線が嫌になる苦い思い出だ。
雨音との付き合いは中学のときに同じクラスで隣同士になったことから始まるので彼とはまた別の話だ。
初等部から学園に居て人付き合いが上手くない雨音は彼のことが好きだというよりも家の関係で彼の親衛隊に入隊した。
けれど、俺が彼と同室者になったということで親衛隊から厳重注意という名の嫌がらせをされ始めたことが雨音の行動を決めた気がする。
親衛隊の内部は外からは分からない。
雨音が教えてくれる情報で何度も窮地から救われたし、最悪なことは起こらなかった。
ただ、彼自身が親衛隊と行ったことは雨音の知り及ぶことではなく食堂での暴露の後、泣きながら雨音に謝られた。
雨音は何も悪くない。
「伊須くん、好きだって言うなら堅太くんが嫌がることをしないでよ」
「それはあの会長にも言ったらどうなんだ」
「もちろん、会長様にも言ってはいるけど……」
小さく「あの人、言葉が通じないから」と聞こえた。
彼は優秀ではあるがとても気分屋なので雨音にも迷惑をかけているらしい。
人に興味を持たないので他人から話しかけられても無視し続けることなんか普通だ。
俺は無視された覚えはないが、聞いていないふりはされる。
うちの猫にそっくりだった。
興味がある話題を振ったら即座に食いついて聞いてないふりをしていた内容についても返事してくれる。
好き勝手にふるまう彼は自由人だった。
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