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昼休みの食堂といえば全校生徒の半数以上がいる場所だ。
時間帯のせいで満席ではないものの七割近く席は埋まっている。
その中で生徒会長、俺の元恋人は、土下座した。
何もしなくても注目される男前な顔面を床に擦り付けて俺への愛を叫ぶ。
震えた声は哀れだ。
生徒の代表であり学園一の有名人で人気者、学園の支配者と言われた姿が嘘のよう。
俺様で知られる生徒会長、その彼がプライドをかなぐり捨て俺を求めていた。
それは実のところ気分のいいものじゃない。
俺はこんな事、望んでいないのだから。
生徒会長との出会いは中学で同室になったことから始まる。
当時は輝く美貌の男前というよりは成長途中だったせいでワガママで意地っ張りな美少年という感じだった。
キラキラ王子様というよりは将来は男前になるのが予想できる発展途上の美貌が幼いゆえにかわいらしさに変換される感じ。
どんな人格だったとしても人に愛される顔だと初対面で思った。
事実、俺は彼を心の底から憎んだり恨んだりすることが出来ない。
そんな関係でもなかったと言うべきなのかもしれないけれど。
一目見て彼に恋をする人間なんて珍しくない。
だから逆に彼に恋をしない俺は貴重な存在だった。
容姿の優れた彼の同室者が間違いを犯さないことは絶対条件で部屋割りを決める時に教師や寮長などを大いに悩ませたらしい。多数の候補者の中から俺は選ばれた。彼に危害を加えない人間として大人から少しばかりの信頼を得たのだ。
当初、彼は警戒心の強い猫のようだった。
自分に向けられる視線に敏感で自分の立ち位置を知ることに積極的。
気位の高いツンと澄ました姿は実家にいる猫を思い出させる。
彼の髪の色は甘い香りがしそうなミルクキャラメル。
瞳の色はブラウンシュガー。
べっこう飴を光に透かした色に少しだけ赤みを足すと彼の瞳の色になる。
光に弱いらしい彼は瞳を保護するために外出時にはサングラスをすることが多い。
以前は色のついた眼鏡ぐらいなものだったけれど年齢が上がるにつれてデザイン性の高いものになっていた。
肌は白くきめ細かい。そのせいで日本人離れして見えるが外国の血は入っていないらしい。
長い手足の動きは軽やかで柔軟性に富んでいた。
なおさら猫のよう。
実家の猫もダークチョコレートではなくミルクチョコレートいいやカフェオレが近いのかもしれない、そんな毛並。瞳の色は金緑石。猫と人間だから当たり前だが彼とそっくり同じではない色彩。
かわいらしい鳴き声をめったに聞かせてくれない猫。
尻尾を床や壁に打ち付けたり軽く爪を立ててきたりして食事を催促するかわいげのないところがかわいい猫だ。
俺に懐いたりしないくせにいつだって俺の視界に入る場所にいて気まぐれに撫でろ、構えとねだってくる。
甘えるのが下手なのか得意なのか分からない。
ただ自分を持っていて曲げたりしない猫だった。
何かの訴えを無視するとこちらが大罪人であるかのように鳴いてくる。ここぞとばかりに責めてくる自分勝手な俺様猫。
家族全員に尊大な振る舞いをするのかと言えば違う。
俺だけに特別ワガママで気分屋な姿を見せる。
けれど、俺が落ち込んでいる時は元気になるまでずっとくっついている。
肉球を触っても怒らないし頬っぺたを舐めて頭を撫でるような動作をしてくる。
俺を心配したような声で鳴く。
いつもは鳴かないくせに落ち込んだ俺を励ますように小さく鳴く。
取っつきにくいと思っていた彼と大切な猫がイコールで結ばれてから俺は彼のことがなんだか好きになっていった。気持ちに弾みがつくと止められなくなった。それは同室者としての裏切りだと内心苦い思いを噛み締め、けれど心は殺せない。
生徒会の人間は各学年から学力上位二十名、三学年合計六十名の中から特待生と辞退者を抜いて役員の候補者になる。
学力上位二十名の中で特待生がいないとなると幼い頃から英才教育を受けている家柄のしっかりした人間になり、古い家は総じて美形が多い。
美形を嫁や婿として自分たちの血に取り入れるからだろう。
そして、金持ちは美しいものを崇拝する文化というのがあり学園内でもその風潮は強い。
学力上位の人間から選ばれるとはいえ、最終的にはやっていることは人気投票だ。
みんなの上に立つのが相応しい人間、自分たちの憧れの人の代名詞。生徒会の肩書きは高級ブランドと同じだった。
学園の改革案など口にする権利と権限があっても長いものに巻かれすぎて本当に変えようとする人間はいない。
生ぬるい箱庭だ。
中学二年の時に生徒会に入り中学三年で生徒会長。
高校では一年から生徒会長をすることになったと言えば彼の人気のほどがわかる。
生徒会に入ることは名誉なことであり会長職に就くということは何よりも尊いことなのだ。
生徒会長になった彼の気持ちはともかく彼の周りを取り巻く者たちはみんな思っていた。会長である彼は素晴らしく尊い人間、そう言って敬った。
彼の名前を呼ぶものは殆んど居らずみんな会長という役職名を口にする。
成長して逞しくなった身体に誰もが彼を学園の代表だと認めた。
彼の中身はいつまでも変わらないのに周りにいる人間の種類は変わっていた。
そんな学園一愛されている彼が俺に向かって土下座をしていた。
所属に限らず親衛隊たちはやめてくれと泣き叫ぶ。
生徒会役員たちは補佐以外は先輩たちにも関わらず狼狽えて慌てて役に立たない。
一般生徒は固唾を飲んでこちらを見つめる。
こうなった原因は彼にもあったし俺にもあった。
現在の生徒会長と中学の時に同室だった、それが俺の肩書きだ。
繭崎堅太を説明するのは俺ではなく他人である彼だった。
それが彼の存在の大きさであるのと同時に俺の特別だあることの証明になっていた。
中学で生徒会に入るまで彼が同室者である俺以外との交流を持とうとしなかったからだ。
彼は無意識かもしれないが俺が自分以外と親しくするのをよく思っていなかったし、それ以上に自分自身の人付き合いに興味を持っていなかった。
いつでも近寄りがたいオーラを出す彼だったが俺がそばに居ることを嫌がることはしなかった。
つまり俺は彼にそばにいることを許された特別な人間、その説明こそが学園内での俺の肩書きだ。
何年の何組のどんな生徒という説明でもなく彼の隣にいられる権利を彼から貰った男が俺だった。
彼は俺を否定しない。
口癖のように他人に近寄るなと言い放つ彼だが俺にそういった言葉を口にしたことはない。
初めからそうだった。
同室者として仲良くなる前から彼は俺を拒絶しなかった。
実家の猫もそうだった。
気まぐれだが嫌われてはいない。
懐いているわけではないが近寄るなと威嚇されたことはない。
距離感を間違えると鬱陶しいと思われるぐらいだ。
それでも不思議なことに俺は猫から引っ掻かれたことがない。
気まぐれで気難しい猫は多かれ少なかれ家族を引っ掻いていたが俺に対してはツンと横を向いて今は遊ぶ気分じゃないと伝えてくるだけ。
猫パンチすらされたことはない。
そんな猫を連想する彼に告白されたのは中学の卒業式でのことだ。
生徒会に入ったことで彼との同室は解消され、クラスが違ったことで触れ合いが減った。
共通点のない俺たちなので縁が切れなかったのが不思議なくらいだ。
彼は俺を見かけたら必ず声を掛けるし、俺のクラスと合同の授業では必ず隣に来る。
自分を忘れさせないようにする彼の姿に俺はどんどん彼を好きになっていた。
他の誰にも見せない綺麗な顔で微笑みかけてくれる彼が好きだった。
両思いだと知っていても俺は告白する気はなかった。
彼と恋人になることで自分に降りかかる災難が想像できたからだ。
彼の前の代にあたる二歳年上の生徒会長の恋人が自主退学をしたと聞いたことがある。
理由は公表されていないが誰もがなんとなく気づいてた。
容姿は凡庸で外から見て特技などなさそうに見える平凡な人。
悪口ではなくそれが見たままの周りの評価とされているが次第に彼に対する評判は悪くなっていった。
人は誰かを褒めるよりもけなす方が楽しいのだと薄ら寒くなる。
嫉妬からの言われのない中傷と蔑みに蝕まれて寮に引きこもってしまった生徒会長の恋人。
その姿に俺が自分を重ねるのは簡単だった。
立場が似すぎている。
俺は彼を思うだけで満足して恋人の地位を手に入れたいとは思わなかった。
彼が自分を求めてくれたという幸運を前にして失礼にも喜ぶよりも先に戸惑ったのだ。
未来への不安みたいなものはどうしても付きまとう。
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