副会長は何がなんでも頑張らない | ナノ

  1


風紀委員長あっちゃん先輩視点。


日曜日。
 
 午前の部が終了して汗をぬぐっていると釣鐘が場所を移動するように言ってきた。
 部員たちとこれから別行動になる。
 昼食はきよ達ととるのを剣道部員は知っているので俺達の行動をとがめだてたりしない。
 待ち合わせ場所があるのだろう釣鐘に先導される。
 
 
 
「どうして待っててやらないんだろう」
 
 不思議そうな友人の言葉に俺は無言で見つめる。
 誤魔化すのなら笑って「なんでもない」と首を振るだろうし、言いたいことがあるのなら教えてくれるだろう。
 友人である釣鐘晴太はある人には世界の支配者と言われ、ある人には善意のかたまりという狂気と言われ、ある人には存在そのものがコンプレックスを刺激する劇物と言われ、ある人には温もりの擬人化と言われた。
 そのすべてに対して釣鐘は「想像力がありすぎると目が曇るらしいですね」と笑っていた。
 嫌味でも皮肉でもなく心からの賞賛。
 釣鐘を嫌う人間はそういった態度が「舐めている」とか「余裕ぶっている」とかで嫌うのだろう。
 俺は単純に釣鐘はとても心が広いのだと思った。
 そう伝えると釣鐘は「俺にだって心があるから嘘は言ってないけど毒だって吐き出すさ」と肩をすくめる。
 
『秋津、君の方が真っ白だよね。俺を善意のかたまりだとか偽善者だという人たちは何を見てるんだか。呆れるな。どう見ても俺は事なかれ主義の日和見だ』
 
 釣鐘は俺にこそ善意の人間という称号が正しいと言う。
 自分から自称するものではないと思うので俺は自分が善人であるかはともかく釣鐘にそう評価されたことは喜ばしいことだと思うことにした。
 
『俺はきよら派の人間だ。自分の居心地のいい場所に流れてまどろむ。でも、それの何がいけないんだろう。秋津にはわからないかもしれないけど苦労を買ってでもしようなんて思わない』
 
 釣鐘晴太という人間は自分の行動に制限がかけられるのが大嫌いだった。
 だから、学生が持っているのがおかしなぐらいに色々な資格を持ち、現在もまた取り続けている。
 年齢的なもので制限を受けない資格はコレクターのように手に入れていた。
 資格自身が欲しいのではなく資格がないと行動に制限がかけられてしまうからという理由。
 不必要に感じるような資格も多いが釣鐘の時間を使った釣鐘の人生設計なので口を挟んだことはない。
 自分が持っているものを誇ることも振りかざすこともない釣鐘は周りから見て余裕に見えるらしい。
 本人は自分が呼吸をしやすいようにしてるだけだと言ってはばからない。
 今、俺と釣鐘の視線の先にいる朝霧きよらもそれに似ている。
 必要に迫られたから「そういう在り方」になった。
 人間の性格は遺伝子で決められているわけではなく環境によるものが大きい。
 感情の発生、苛立ちの構造などは脳内物質が関係するので食生活という外的な環境は重要だ。
 栄養素が足りないせいで病気になるのは科学的に証明されている。
 
 俺は次男として家の習わしで両親と兄と引き離され祖父母と山の中で暮らしていた。
 娯楽といえば釣鐘からの電話や少なくない来訪者。
 
 食生活は質素で生き仏でも作るのかと言われた。
 見目がいいというのは生まれた頃から言われていたらしくそれを維持するというのが教育方針の原則。
 それが祖父母との隠居生活になるのは意味が分からないが自分のあずかり知れぬうちに決定したものを自我が芽生えて言葉が話せるようになったからといって不満を口にすることはない。
 釣鐘は「お前はたぶん怒っていいし、不満に思っていいし、傷ついたり寂しがってもよかったんだ」と言ってくれたが俺は感情の仕分けが上手くいかない。
 祖父母の感情は基本的に穏やかか厳しいかの二択であり複雑なことは何もなかった。
 だから、他人の感情に無頓着で精神的に無痛症だと言われてしまったりする。
 人を傷つけることは詫びなければならないが、俺はいろいろと下手くそな人間だった。
 
『じゃあ先輩、練習しましょう』
 
 あっさりと言いのけた後輩は現在いろんな人間の思惑の中で「普通の日常」を謳歌している朝霧きよら。
 
 きよは得難い人間だと釣鐘は言っていた。
 俺もそう思う。
 朝霧きよらは俺や釣鐘のように心のどこかが普通の人間よりも足りなかったり有りすぎたりする。
 普通のバランス感覚に偽装するのに苦労しているのが、俺やきよであり、普通の人間といって差支えないのが釣鐘だ。
 釣鐘の感性は普通だ。行動だって奇抜じゃない。
 だが、言動の結果の効果が普通じゃない。

prev / next


[ 拍手] [副会長top ]

×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -