035 匿名希望な風紀委員いわく5
月曜日、夕方。
副会長朝霧きよらがが立っている場所は生徒会室の扉の前。
風紀からの確認書類を持って俺は生徒会室に向かっていた。
立ち尽くしている副会長の姿を見た瞬間にトラブルの気配。
近寄りたくなかったが書類を持ち帰った方が怖い。
風紀委員長はそうでないと務まらないということもあって怖い。
風紀委員になっていなかったとしてもあの人は怖い人だと思う。
とにかく怖い。怖くない風紀委員長を想像できない。
単純に強面なのもあるが人として大切なものが欠けているぐらいに冷静に物事を対処する。その姿は恐ろしい。
こっちが慌ててるのがおかしいのかと思うぐらいに風紀委員長の表情は変化を見せない。
仕事のできる上司は助かるが仕事をしすぎて部下への労りに欠ける人だ。
誰よりも一番、委員長が仕事をしていることが分かるので下っ端である俺が疲れたとか言えない。
そんな風紀室の空気に俺は耐えられないので見回りや書類を各委員会に持っていく下っ端らしい仕事を率先してこなす。
委員長が嫌いなわけじゃない。
一緒の部屋にいるのは緊張するということを抜いても最初から仲良くやっていこうと思ってないだけだ。
社長とバイトが委員長と俺の距離でそれ以上なんて望んではいない。
目をつけられるなんて怖すぎる。
友好的な態度なんて想像もしたくない。
ビジネスライクでいい。
卒業しても実家の職種的に委員長と付き合いなんかないからこれでいい。
俺は風紀委員として平均的な能力で物事を処理して委員長の記憶にもとどまることなく平和に卒業する、はずだった。風紀委員長と関わりを持つことはありえない。
けれど、目の前に朝霧きよら。
副会長であり一学年上の先輩にあたる朝霧きよら。
彼は冷徹機械な強面の風紀委員長が唯一微笑みを浮かべて対応する相手である。
何故なのかは知らないが朝霧きよらがいる空間内で風紀委員長はやわらかな雰囲気を作り出し、以前ふと見た時など頭を撫でていた。風紀委員長が頭を掴んで振り回すのではなく副会長に優しく触れていたのだ。
男子として平均的な身長体重らしいが副会長はどうしても華奢な印象がぬぐえない。
一緒にいることが多い生徒会長がしっかりとした身体つきの男前だからかもしれない。二人が並ぶと女性らしさなどないとはいえ比較的中性的な美形である副会長は折れてしまいそうな花に見える。
ゴリラ三歩手前の風紀委員長に頭を撫でられている姿は頭が首から落ちないか不安で仕方がなくなる不自然な光景だった。
朝霧きよらが困った顔をしていることは実は結構ある。一度や二度ではないぐらいに見るほどに副会長は困り顔が癖になっている。ただ青白い顔で今にも倒れそうな顔なんて初めて見た。
風紀に対して手作り菓子の差し入れなどしているところから見て食べ物を口にし忘れて貧血気味というのはないだろう。
常にお菓子を持ち歩きポケットを探すと飴やビスケットが出てきそうな人だ。
俺以外が第一発見者なら副会長の心配をしつつ発見した人に任せて俺は自分の仕事をするので失礼しますとばかりに通り過ぎるだろう。だが周りには誰もいない。今の状態の副会長と顔を合わせるて背中を撫でたり頭を撫でる人間がいない。
俺の前でされても困るが抱きしめたとしても今の副会長の状態ならきっと問題は起こらない。
それなのに誰もいない。
生徒会室前なので役員の誰かが帰ってくるに決まっているのだがそれまで待っているわけにもいかない。
風紀委員である俺の仕事は死にそうな顔の副会長を無視せず声をかけて副会長の身に起こったことを把握すること。
それが私事ならプライベートに踏み込むのは最低だと建前を主張して面倒を回避するが、この学園の特性を考えてそうもいかない。風紀委員としての知識が警鐘を鳴らす。副会長にプライベートなどあってないようなものだ。
生徒会役員というのは学園の雑用係である前に生徒たちの偶像崇拝の対象だ。
面白味のない学園生活を彩る存在として生徒会役員たちは生徒たちの上に立つ。
寮生活には刺激が足りなすぎる。
男子校で恋なんて出来ない人間も多い。
何かに盛り上がりたい気持ちは誰だってある。
八割は外を知らず学園の中だけで生きている生徒たちだ。
共通の話題は学園内の有名人。
娯楽としてテレビを見たり本を読んだりすることのない優等生たちの遊び。
親衛隊という団体は簡単に言えば部活動のようなものだ。
申請すれば空き教室は使いたい放題だし、対象の生徒に対して風紀の一部の権限も使用可能になる。
生徒会役員というのはブランドだし、役員の親衛隊というのはそれだけで色々な義務と権利を得て忙しく楽しい学園生活が約束されている。
成績優秀者の上位から人気投票で決定される生徒会役員である朝霧きよら副会長に何かがあれば親衛隊が動く。動かないわけがない。
副会長の人気を考えれば親衛隊に所属していない人間ですら動きを見せるかもしれない。
役員の影響力というのはすごい。
プライベートの悩みで暗い顔をすることすら出来ないのが生徒会役員である。
会社で考えれば社長などが暗い顔をしていたら経営が心配になってくる、そういうものだ。
今期の生徒会役員はそれ相応の家柄の人間ばかりで立ち振る舞いにそつがなかった。
無邪気ではない大人な綺麗で優しげな微笑みを浮かべる副会長、朝霧きよら。
彼の微笑みが崩れるときはたいてい困り顔であり、素の顔というのは見たことがない。少なくとも大勢の前で晒すことはなかった。そんな副会長なので微笑みの仮面のない今の彼に関わるのは絶対に厄介なことになる。
俺じゃなくても分かりきっている。
「どうしたんスか、副会長さん」
風紀委員として無視できない。
そういうのを前面に出したつもりだが伝わったかはわからない。
機嫌を取る必要はないが副会長が何に悩んでいるのか知らなければならない。今後の風紀の動きを考えながら俺は副会長を観察する。
親衛隊が動かないなら捨て置けばいいし、明日に笑えるようになるなら多少の愚痴を聞いてあげてもいい。
スクールカウンセラーに話せないことを風紀に匿名で相談のメールが来ることはままある。
その相談事を処理しているのは俺だ。
風紀宛の相談用メアドというのがあり、委員長と副委員長と相談を担当している風紀委員だけがメールの中身を見れる。
風紀に相談して噂になって追いつめられることになったら目も当てられない。
相談内容は守秘義務がある。口が堅いことは風紀委員に必須とはいえ相談を担当する委員は極秘。
顔のわからない相手だからこそ言えることがあるという考えらしい。
そして、俺がその相談役の風紀委員だ。
荒事に向いてないので雑用でお願いしますと言ったらこうなった。
自分の部屋からパソコンでメールができるし、風紀として支給されている携帯の端末からもメールの確認はできるようになっている。だから、今のところ困ったことはない。
「俺、こう見えて風紀の相談窓口担当してんで、話聞きますよ」
自分の身分を明かして副会長の緊張をほぐしにかかる。
生徒会会計ほどじゃないが俺は風紀を乱すような行動をとってる自覚がある。
集団行動は基本的にしない。
参加しない理由を風紀に擦り付けて俺はサボりを謳歌する。
俺が風紀に入らなかったら生徒会補佐になり次の年には役員というお決まりらしいルートを巡ることになる。そんなの冗談じゃなかった。だから、役員フラグを折るために風紀入りして目立たない下っ端をしている。
学力上位であり、きちんと整えれば見れる造形である俺だがそれを誤魔化す術も持っている。
顔を覚えられていいことなんかない。
平凡なんて自称する気はないし生徒会長や副会長ほど整った見た目だと思ったことない。
でも、決して不細工ではないと断言できる。強がりじゃない。
俺は学園の中で三枚目のうだつのあがらないキャラでいくつもりでいた。
一番人気にはならないけれど脇役が好きな人に愛されたりする。
そのぐらいの規模でいい。
クラスで人と交流しなくても風紀の中でそれなりに使える程度の評価を貰っていれば学園の中で平穏に過ごせる。
幸いに同学年に目立つ風紀委員がいるからこのまま委員長なんていう肩書きを持つこともなく卒業できるはずだ。
俺はバイトで言えば社員よりも長年勤めて勝手知ってるハイパーなバイト、そういうのを目指している。
時給は安くていいから責任はいらない。
あくまでもバイトであり社員にはならない。
だから、社長の覚えがめでたいなんてことはなくていい。知られていようとは思わない。
生徒会の人間にだって本当ならそんなに関わりたくないけど、早めに対処しないとマズい。
副会長である朝霧きよらの影響力はきっと俺様カリスマ男前な生徒会長である浅川花火よりも強い。
親衛隊として背後にいるのが葛谷博人と釣鐘晴太。それだけでも凶悪だが他にも何人か副会長のために自主的に動きそうな人間たちがいる。
生徒会長と副会長は幼なじみだという。
副会長親衛隊長の葛谷博人とはいとこ同士である浅川花火。
この人間関係を考えると副会長に何かがあれば生徒会長だって他人事じゃない。
中学の時はともかく今の浅川花火に悪い噂はないらしい。生徒会長として優秀だという。
副会長に何かあれば風紀委員長である上司も何か動くかもしれない。それはそのまま俺の負担になる。
なら、副会長朝霧きよらの悩みはこの場で決着をつける必要がある。
そう月曜日の夕方に俺は理解していた。
「……な、んでも……ない」
敬語が板についていて生徒会長と自分の親衛隊長だけに砕けた口調で話す副会長にしては違和感のある絞り出されたとしか思えない言葉。
あるいは俺が知らないだけで副会長の言葉遣いはフランクなんだろうか。仮面の完璧な微笑を裏切る気軽さはそれはそれでギャップがあって人気が出るかもしれない。
「気にしないで」
青白い顔のままユラユラとフラフラと地に足がついてない状態で朝霧きよらは歩く。
どこを目指しているのだろう。
生徒会室に入らないのだろうか。
強引に目を合わせて話を聞きだすべきかもしれないと頭の隅で考えながら俺は当たり障りのない言葉を吐きだす。
面倒くささよりも朝霧きよらからの拒絶を恐れているのかもしれない。
「具合が悪いなら……」
「違う、ほんと、だいじょうぶ」
全然大丈夫ではない顔でどこへ行くのか副会長は歩こうとする。
俺が嫌なのかここにいるのが嫌なのか分からなかったがこの状態を放置するわけにはいかない。
おかしな状態の副会長を人目に触れさせるのもよくないしそう割り切ってしまえば風紀委員として動ける。
湧き上がる気持ちも何もかも蓋をしてただの風紀員の下っ端構成員としてやる気のない顔で副会長と相対する。
風紀としての相談用アドレスを渡して人目につかないルートで寮まで送り届ける。本当ならこの時すぐに風紀委員長や親衛隊である葛谷博人や釣鐘晴太先輩に連絡を入れるべきだった。
舞台に上がるようなことを俺は極力避けたかった。結果として彼らに亀裂やほころびが発生してしまったのではないのかと今となっては思ってしまう。
少なくとも俺は生徒会室の扉を開いてそこに誰がいるのか確認しておくべきだった。
副会長である朝霧きよらが勝手に死にそうな顔をするわけがなかったんだ。少し考えればわかるのに思いがけない出会いに気が動転していた。
月曜日の夕方に見た『副会長』のことを書き上げてみても真実からは程遠い。
俺だけが知る事実、泣きごと。朝霧きよらの胸の内、慟哭。
それを文面に書き起こして人に見せることは俺の精神が悲鳴を上げる。
けれど、伝えなければならないのだろう。
朝霧きよらの誰も触れることができない場所の話をしないとならない。
一番の問題は誰に話しをするべきか。
朝霧きよらが一番知られたくない相手か、朝霧きよらを絶対に見捨てない相手か、朝霧きよらが誰よりも信頼する相手か、朝霧きよら以外の味方になるつもりがない人間か。
俺の選択が朝霧きよらを地獄に突き落とす引き金を引くのか現状を打破することになる切っ掛けになるのか、わからない。どちらにしても俺では彼を救えない。それだけは確かだと俺の姿を直視することのない瞳に思う。
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