副会長は何がなんでも頑張らない | ナノ

  028 副会長親衛隊の内情2


 
 
 彼はおれを「毒キノコ君」と呼ぶ。
 
 誰にも呼ばれずに過ごしていたおれは自分の名前が分からなくなっていた。
 だから彼がそう読んでくれるのが少し嬉しかった。
 彼が考えて与えてくれたおれの名前。
 どんなものでも宝物だ。
 
 自己紹介として名字も名前もわからなくて耳に残っていたのは「玖珠地(くすち)」をおれは彼に伝えた。
 口にしてからそれが自分の名前であるのかもわからない不安がおれの中に生まれる。
 はじめてのことだ。
 ぼんやりと生きてきたおれの中のハッキリとした気持ち。
 彼に名乗ってから自分の名前じゃなかったらイヤだと思った。彼にだけは嘘を吐きたくない。自分を誤魔化したくない。
 
 それを彼に告げると彼はわざわざ調べてくれた。
 調べた人間は正確にいえば親衛隊長の葛谷博人さんかもしれない。
 けれどそれは彼が望んで初めて出来ること。
 望まれないことを親衛隊長は行わない。
 
 そこに気づいた時がおれの転機だったのかもしれない。
 
 彼のことをきよら様と呼び、葛谷博人を隊長と呼ぶ今のおれが出来上がった、その過程と原因は実のところ自分の名前どうのこうのじゃない。
 まずは気持ちの問題だ。
 おれがどう思っているのかそういった単純な話。きよら様の周りにいる人たちとおれは同じ気持ちでいるのだと実感したからこそ、おれは彼をきよら様と呼ぶ。
 
 きよら様に頼み事をされたら隊長は何だってやる。逆にきよら様が口にしないことをきよら様を理由にして行うことは決してしない。隊長がきよら様の願いを先回りして叶えることはあったとしてもそれはエゴだ。徹底して隊長はきよら様のためではなく自分のためだと口にする。それは一種の保険かもしれない。きよら様の望みに反した行動をとっているんじゃないのかという恐れが隊長の中にあるのだろう。
 
 だからこそきっと、きよら様におれのことを調べるように頼まれたのなら隊長は全力でおれが誰であるのかを探り当てる。

 だって、ずっとそれを求めていたんだ。隊長は自分の存在価値をきよら様に求めている。きよら様がありえないことだけれど隊長と縁を切ったのなら世界を捨ててしまえるほどに隊長の全てがきよら様だ。きよら様のためなら何だってできる。それがまるで苦ではない。愛と呼ぶには依存度が高く煮込まれて澱んでいるかもしれない。
 
 でも、おれたちはみんなして半端な気持ちできよら様の親衛隊に入っているわけじゃない。
 
 隊長はきよら様に頼りにされて信頼されているように見えるのにある一点で線を引かれている気がした。
 その違和感は釣鐘センパイもいろいろと思うところがあるらしいけれど、きよら様本人が違和感を持ったり隊長が動かない限りは触れないように言われている。
 見ていて歯がゆくて切なくなることもあったけれど釣鐘センパイには逆らえない。

 当人同士の問題に他人が入ってはいけないというのもあるが釣鐘センパイはきよら様に何かをするのが好きではないのだろう。そんな空気を感じる。
 
 きよら様の背中を軽く押したり手を繋ぐことを許しても力任せの動きは嫌悪しているように見えた。親衛隊の人間なら誰でもそうかもしれない。きよら様に不満を持つ人間は親衛隊にはいない。だから、自分の気持ちを押し付けてきよら様に変化を求める人間を排除していくのだ。
 隊長はそれを小石拾いと呼んだ。きよら様が転ぶことがないように歩きやすい道を作る。親衛隊はそのためだけの組織。きよら様のためじゃなくきよら様を愛するおれたちのためのエゴのかたまりの組織。
 
 おれのあやふやな人生をきよら様が色づけて導いてくれたのは本当のことで恩を感じるのは異常じゃない。
 玖珠地という名前から割り出されたおれの情報はずいぶんと面白いものだった。

 幼い頃に誘拐された玖珠地というそれなりに権力や財力がある家の次男がおれ。
 冗談みたいだと思った。
 誘拐というよりは使用人の若い女性を当主が孕ませてお金を渡して追い払ったという。
 醜聞になるので当主の子供を使用人が誘拐したという扱いにしたらしい。
 もちろん、おれの存在は歓迎されてはいなかったけれど冷遇されてもいないまま中学を家庭教師をつけてもらって過ごした。
 すでに跡取りがいるにもかかわらず男の子供なんて面倒があるだけという考えすら当時のおれには浮かばない。
 自分の立ち位置が名前と同じく不明瞭だった。
 
 ただおれが冷遇されたなかった理由の一端がきよら様にあるのは少ない家族の会話からも感じ取れた。朝霧や釣鐘の家と縁ができるのは僥倖であると玖珠地の人間は判断した。だからおれに対して冷たく扱ったりしない。縁を持ってきてくれた人間として見ている。
 
 どうだってよかった。
 
 きよら様の近くにいられるならそれでいい。そのために勉強をする。きよら様に褒めてもらうためにする。きよら様がおれの生きるための道しるべ。
 
 
『優しくしてくれてありがとう』
 
 
 カップ麺なんて不釣り合いなものを手にして、おれに笑いかけてくれたきよら様。
 人形ではなかったからこそ切なくて苦しくなった。
 きよら様が抱えているものは何一つ知らないのにおれは彼のためになることをしたくて仕方がなかった。
 これは隊長の考える通りにエゴだ。
 今まで暴力と恐喝の中で生きてきた。望んで自分でその道を選んだのだ。
 中学に行っていればまだ別の生き方があったかもしれないのに野垂れ死にそうになっていたのは自分の責任だ。
 明日すら見えないおれに何一つ持っていないおれにきよら様は礼を言った。
 その言葉は心に染み込んでおれを人間にしてくれた。
 今までのおれがただの人から金を取り上げる機械のようなものだったと気づく。
 
 
『今度は俺が何かを作って持ってくるね』
 
 
 優しさには優しさが返ってくるものだときよら様は言う。
 そこだけ切り取れば綺麗事かもしれない。
 だが、おれにはそうは思えなかった。
 人を怖いと言ったきよら様をおれは生涯忘れない。
 根が深い問題がそこにはある。暗くよどんだ瞳じゃない。
 とても無機質で何もない人形の瞳。
 それはおれ自身の心を映すように澄んでいて綺麗で悲しい。
 魂の入っていない抜け殻。
 そうはなりたくないのだと必死の抵抗がうかがえる。
 なにも考えなくなるのが楽なのだと流されるままに人から金を取り上げていたおれは思う。
 
 考え続けるからこそきよら様は傷を負う。
 その癖なぜか立ち止まることをしない。
 
 弱いのに、傷ついているのに、怖がっているのに、それでも人に手を伸ばせるのは強いからか優しいからか世界を愛しているからか。
 
 
『バカにしないでくれてありがとう』
 
 
 付き合わせてごめんねと泣きそうな顔で微笑むきよら様の心の内はおれなんかが理解しきれるものじゃない。
 失語症のような状態になっていたなんて想像もできない。
 校内で数時間、拉致監禁されている中できよら様に何があったのかは誰も語らない。おれも知らない。知る必要はない。
 ただ、おれとの触れ合いできよら様が笑ってくれたことが宝物だった。
 
 きよら様は「俺を助けてくれた恩人だね」なんて逆としか思えないことを口にする。
 野垂れ死にするおれを助けたのはきよら様なのに。
 生き続けられる環境に連れて行ってくれたのはきよら様なのに。
 自分には何もないという顔で少し申し訳なさそうに控えめに微笑む。
 
 
 高校で満面の笑みを見たいと生徒会長が口にした時にきよら様は困った顔で微笑んだ。
 その笑みを痛々しいと思えないから浅川花火は副会長親衛隊の敵なんだろう。
 
 笑わないんじゃなくて笑えない。
 きよら様の中にある恐怖の具体像はおれたちは誰も知らない。
 けれども、他人にはどうにもできない傷があるのは触れ合っていればわかる。
 
 きよら様の優しさは持っている人間が分け与えるものじゃない。
 王様の施しではない。
 自分の心を切り売りするような思いやり。

 自殺願望者ではないのに砂漠を歩く人間に自分の水筒を渡せる人間。
 心に淋しさや傷を抱えているのに心を貧しくさせていない。
 きよら様は砂漠でこれは自分の水だと飢えた人間の訴えを拒絶したりしない。
 分け与えることが出来る人だ。それは奇跡みたいに輝かしい。
 
『困ってたらお互い様だから……ふつう、じゃない?』
 
 自分の命綱を誰かのために手放せる。無知からの行動ではなく意思があるからこその譲渡。
 喉の渇きは自分も分かるからこそときよら様は苦しむ人間に与えることが出来る。
 優しさという言葉で済ますには胸に突き刺さる。
 きよら様の言葉は干からびた大地に染み込む雨粒だ。
 
 自身を軽視しているわけじゃない。
 きよら様は自分にできることをしようとするだけ。
 
『泣いてる人には泣き止んで欲しくなる……よね?』
 
 恐る恐る口にする自信はないのに自分の意思を曲げることのないきよら様。
 
『俺は別にすごい人間じゃないよ。もし、俺が親切に見えるならそれはきっと今まで世界が優しくなかったのかもしれない。だったら俺が優しくしても全然足りないはずだから、やっぱり俺は親切でも優しくもない』
 
 よく分からない理論を展開するきよら様。
 心から親衛隊としてきよら様を持っている生徒たちはきよら様のどうしようもない優しさに救われてきた人間だ。
 泣いている相手にはハンカチを渡して涙の理由を聞くクセに人見知りが激しいなんて自分を恥じる。

 砂漠における水筒、裏のない優しさ。純粋な真心。
 それは心に染み込んで救いになる。
 
 少なくともおれは彼が居なかったら学園に存在できない人間だ。 
 

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