022 副会長と親衛隊の食事風景
ハル先輩がいてあっちゃん先輩がいない。
それは普通なんだけれど剣道部の後なら一緒にいてもおかしくない、気がした。
少しだけ疲れが滲んだハル先輩の横顔に違和感があるからかもしれない。
ちなみにあっちゃん先輩は練習に出たり出なかったり。
剣道部は練習に参加しないと大会に出さないとかそういうことはないらしい。
顧問の先生の力がないとか舐められているとかではなく実力主義。
部長であるハル先輩も副部長であるあっちゃん先輩も顧問よりも強いと言われている。
本当のところは分からない。
流派が違うからと苦笑したのはハル先輩。
調理室の隣の部屋は空き部屋だった。
機材や道具が雑多に入れた物置状態だったのを一年の頃に博人の指揮で片づけた。
そういったことをしていいのかと疑問は寮の管理人さんが立ち会っていたことでなくなった。
生徒会役員の部屋がその都度リフォームされてバージョンアップを繰り返すのを放置するような場所なので物置を空き部屋にして利用するなんてどうってことないのか。
運び込まれたテーブルにはちゃんとテーブルクロス。
食器はワンプレートにプラスでご飯や汁物。
味噌汁からスープから、それぞれみんな夕飯が違う。
日曜日用に作ったお弁当のおかずをバラバラにわけたり、途中で違う調理をしての夕飯。
ハル先輩に見られると楽しみが半減するかもしれないからって部長さんが指揮を執った。
ちょうどハル先輩が来た時に全部が終わったのは神のタイミング。
「俺は生姜焼き定食? きよらは?」
「春雨スープです」
「それだけ?」
微妙な顔をするハル先輩。
麻婆春雨もあると告げたのに不満げな顔は変わらない。
まさかの春雨ぎらいなんだろうか。
俺の夏は春雨サラダだけだというのに。
ダイエットメニューじゃない。さらっと食べられるのが春雨なんだ。
「栄養足りないって」
剣道部主将に言われたくない。
もっと丼飯をガツガツ食べるのが部活男子なんじゃないのか。
ハル先輩はそういうところわかってない。
わりと品がある。それよりなにより爽やかだ。
生姜焼き定食のメインともいえる生姜焼きをハル先輩は惜しみなく俺に与えようとしてきた。
豚肉は栄養たっぷりだが無理がある。
でも、昨日の夜まで食べてなかった人間だからあまりお腹が空いていないのです。
昼のオムライスやおかず各種のお弁当も焼き菓子も会計である榎原に押し付けている。
朝ごはんは焼き立てパンのテンションで食べたけれど食は細いまま。
少し気になるのが榎原はちゃんと焼き菓子を食べただろうか。
日持ちすることを確認とっていた榎原がもし気を利かせていたら俺はどうすればいいだろう。
頭の中でまたぐるぐるとしてくる考えを俺はハル先輩のさらに肉を追加させる行動に打ち切った。
放っておくとハル先輩の生姜焼きが全部俺のものになってしまう。
「ハル先輩、お腹すいてないんですか?」
「お腹は空いてるけど、きよらがもっと欲しいなら譲るのが先輩だろ」
格好いいけれど俺はそんなに肉を食べない。欲しがってない。
生姜焼きの脂身が苦手。
濃い味もそれほど好きじゃない。
俺がわがままな人間みたいだ。
「食べさせてほしいのか?」
「それはイジメです」
ハル先輩ファンの人たちはやってもらいたがるのだろうか。
分からない。
ハル先輩にときめくにしろ「格好いい、抱いてっ」て思っているタイプじゃなくて「兄貴マジ尊敬しますわっ」みたいノリが普通だと思う。
「パンも食べます」
パンとスープとサラダもあってデザートもあるんだから栄養に問題はない。
先輩からの心づくしとして貰った生姜焼きは食べるけれどパンにはさんだローストビーフを取り出してハル先輩に渡そうとしたら拒まれた。
一度サンドしたものを分解するのはマナー的にNGですね、そうですね。
「きよらさん、大丈夫です。釣鐘にはおかわり分としてまだオカズがあります」
ハル先輩ファンはハル先輩に食べてもらいたいからいっぱい作るよね。そうだよね。
俺にハル先輩がオカズを分かるのが前提とかそんなわけないよね。
部長さんは気遣い魔でハル先輩とテレパシーで交信とかまさか。
キャベツが多めだったのはお肉も食べたら野菜もって言う精神でそれをオカズとか言うんじゃないよね。
体育会系男子にヘルシーすぎる。
不安になって部長さんをジッと見ると「お饅頭はお土産にして杏仁豆腐をデザートにしましょうね」と言われた。
俺の春雨スープはなんちゃって中華風なのでデザートも合わせてもらった。
匂いで苦手だと思う人もいるからミルク寒天もある。
「饅頭? 作ったのか?」
そういうのって手作りできるんだ、とハル先輩は感心するので俺は自慢げに部屋の隅にいる和菓子君に声をかける。
彼のおかげだと告げるとかわいそうなほど恐縮する。
悪いことしてしまった。
目立ちたくないとかハル先輩は恐れ多いとか周りの目とかいろいろあるのに俺は本当に空気が読めない。
夕食は調理に携わった人間の半分か十人ぐらいで行うことが多い。
人が多すぎると人口密度が高くなりすぎてしまうからか作り終わるとそれを持っていつの間にか人が消えている。
調理に参加していない親衛隊員にお裾分けしていたり自分の部屋で静かに食べているのだろう。
俺と残って一緒に食べているのは三年生が多い。
先輩とは肩がこるという人も多いだろう。
「楽しかったんだね。良かったじゃないか」
耳に心地いい声がやわらかく紡がれる。
ハル先輩と話していると春先にぽかぽかと暖かな陽気の中にいる気分になる。
美味しいご飯とハル先輩の組み合わせは最高だ。
ちなみにお土産だと箱詰めしたのにハル先輩はさっそく| 薯蕷《じょうよう》饅頭をぺろり。
食紅で桜を描いたりした饅頭に和菓子君は桜アンも持ってくればよかったと言っていた。
白餡に塩漬けした花を混ぜて着色してピンク色にするらしい。しょっぱあまい感じだろうか。
塩っ気のある甘みってハマるとやめられない。塩キャラメル的な感じだろう。
また機会があったらとお願いした。
来年のことになるのだろうか。
「美味しいな、これ」
言いながらハル先輩は次々饅頭を口に入れる。綺麗にできたと思ったので褒められるとうれしいが、不作法である。
「緑茶と一緒じゃないとダメです」
饅頭だけを食べるなんて喉が渇くに決まってる。
ハル先輩は何もわかってない。
「きよらさん、ツッコミどころはそこではないです」
部長さんが呆れ顔。
食べるなっていうのもハル先輩にあげたものに対して変だと思うので問題点はお茶だけだ。
気を利かせて誰かが煎茶を入れてくれた。
一服するとそのまま眠ってしまいそうになるがせめてシャワーを浴びないとダメだ。
「部屋に誰かが来る予定でもあるのか?」
部長さんは同じクラスでそれなりに付き合いがあるだろうハル先輩に対して俺よりも気安い口調になる。
たぶんハル先輩目当てな人だけれど俺をお客様な形で支えてくれるから部長さんはすごい。
「……バレたか。たぶん、秋津が来る」
「あ、じゃあ、あっちゃん先輩の分を……」
俺は博人に明日渡そうと思った分を渡そうとする。
いつもは一緒に最後まで残る双子が博人に渡すとご飯や饅頭を持ってさっさと消えてしまったのだ。
双子からもらうなら俺が渡さなくてもいいだろう。
「大丈夫。ちゃんとお仕事頑張ってる隊長に渡してあげて」
「よく博人のだってわかりますね」
「あぁ、きよらが自分の分を隊長と一緒に分け合うのもわかるよ」
いろいろと雑事をしてもらって何もなしじゃ悪いので個数は少ないが明日の昼に一緒に食べようと提案するつもりだった。
饅頭の一つや二つをそのまま渡すのは味気ないけれどご飯のお供だったらちょうどいいはずだ。
「だから、秋津にはやらない」
擬音が付きそうな反論のできない微笑み。
自分が部屋に持って帰ったらあっちゃん先輩に食べられるから今食べきった。
それは分かる。
分からないのはそう思った理由だ。
そこまで饅頭が好きなんて聞いたことない。
「あ、隊長からの伝言だけど電話は遅くなるかもしれないから気にしないで寝ててって」
博人は何をしているんだろう。
何かが動いている気配はする。
今日一日感じていた不穏な空気。
悪意に俺は気づきにくいかもしれない。
姉に常に悪気がなかった。
思ったことを思ったままにしていただけ。
俺には何をしてもいいと思っている、だけ。
博人が俺に危害を加えることはない。
それは断言できる。信じてる。
悪意なく無邪気にふるまったせいで俺に何かが起こるというのも博人ならない。
俺の考えなど博人にはお見通しだ。
エスパー博人の名は伊達じゃない。
「メールしてから電話して連絡しておきます」
博人がどう動いたところで俺は安全であるはずだ。
ただ気にかかるのはハル先輩の困ったような表情。
ハル先輩を困らせるようなことを博人はしようとしているのだろうか。
それとも俺を部屋まで連れて帰るのがハル先輩には負担なのか。
考え出すとぐるぐるしてくる。
正解は俺なんかでは分からない。
臆病で逃げていることを自覚して楽をする俺には人を思いやるだけの余裕がない。
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