016 生徒会長浅川花火の悩み1
12話「副会長と親衛隊の登校風景」の生徒会長浅川花火の視点です。
「おはようございます、生徒会長」
「……きよら?」
「どうかしましたか、浅川会長」
朝一番に顔を合わせたきよらにそんなことを言われて俺はどんな顔をすればいい。
俺は確かに生徒会長で浅川花火という名前だが「浅川会長」なんて言われたことはない。
きよらからハナちゃんと呼ばれなかった日はない。
公けな場ですらうっかりとハナちゃん呼ばわりしてくるのがきよらだ。
それが「浅川会長」なんて。
自分でも驚くほどにショックで思わず呆然としてしまったけれどきよらの隣で博人が笑っていた。
あいつはどちらかといえば無表情が板についていて楽しいと思うことなどこの世にあるのかと気になるようなやつだった。
最初は俺と同じ学園に通う予定だったけれど駄々をこねたあいつは別の学校に通っていた。
それが小学校四年の頃、急に転入してきた。
やっぱり俺と一緒にいたいんだろう。そう思っていた。
でも違った。
博人にとって俺はそんな存在じゃなかった。
俺の中での葛谷博人は言葉が少なくて俯きがちな静かな子供。
俺の後ろをついてくる弟みたいな存在。
母さんたちは仲がいい姉妹だったらしくて同い年の子供が生まれたことを喜んで俺と博人を四人で育てる、そんな気持ちでいたらしい。
妹も弟もいない二つの家族のこの関係がおかしいと思わなかったのが俺の最初の間違いだったのかもしれない。
葛谷博人はなんでも俺とセット。
同い年のいとこで兄弟のように育った相手。
好きとか嫌いとかいう前に相手の存在が当たり前だった。
家族はそういうものだと考えていた。
だから嫌われているなんて思ったことはない。
小学校は別がいいっていうのは反抗期みたいなもので時間が経てば終わる。
中学からは一緒になると漠然とした予感があった。
だが、結果は俺の予想を裏切った。
俺を目当てに転入してきたわけじゃないのはすぐに分かった。
一目瞭然ってこういうことを言うんだと納得してしまった。
きよらの隣で楽しそうに笑う博人に「お前、そんな顔できたのかよ」と言ってしまったのは苦い思い出だ。
博人のデフォルトの表情は無表情だと思ってた。
美味しいものを食べてもまずいものを食べても眉ひとつ動かさない。
喜怒哀楽を捨てた面白味のないやつ。
でも俺のいとこだから見捨てることなんかしない。
かわいくないけどかわいい弟分そう思っていた博人はあからさまに俺のことを嫌っていた。
それとも朝霧きよらの隣にいる浅川花火という俺が嫌いなんだろうか。
きよらの隣にいる人間を誰彼かまわず嫌ってるわけじゃなかった。
俺のことをとりわけ嫌っていた。
それでも俺ときよらを一緒にいさせないために博人と二人っきりになるのはよくあった。
「いいざまだ。お前なんか名前の通りに散ればいい。一瞬の閃光みたいに消えてしまえ」
ショックを受けた俺を楽しそうに見ている博人は俺への嫌悪を隠してない。
俺がきよらの敵に回ったからなのか、それともこれを機に俺を追い落とせると思っているからなのか。
追い落とすにしてもどうする気だろう。
博人は朝霧きよら親衛隊長という肩書きを気に入っている。
きよらの近くにいるのは自分だと自負している。
なら、今のままでよかったはずだ。
それを変えようとするなら、それはきよら自身が変化を望んだということになる。
きよらの望みを博人は叶える。
そうすることで博人はきよらに自分が必要な存在だと刷り込んでいる。
俺にはそれが愛には見えない。
博人の愛が俺には理解できないからこそどう動くつもりなのか見切れない。
「ねえ、いま……どんな気持ち?」
愉しそうに博人は俺をのぞき込む。わざわざ屈んで上目遣い。
こう見ると母さんに似ていると博人に対して思いながら俺は双子と一緒に去っていくきよらを見る。
同学年でも有名な双子。
双子の悪い噂は多く聞く。
いわく、人をハサミで切り裂いた。
いわく、後遺症が残るような薬を人に飲ませた。
いわく、狂気に満ち溢れた猟奇的な人間である。
それが本当なら風紀が黙っているはずがないし、きよらのそばにだって置きたくない。
それが嘘で牽制の役割を果たしているのなら放っておくべきだ。
双子の身体は小さく中学生で通用するレベル。
顔は女顔というよりも幼すぎるゆえの未分化な中性顔。
とち狂ったやつがついうっかり手を滑らせそうな容姿をしている。
本来、根も葉もない噂なら風評被害と言っていい悪い噂だが双子を守る力になる。
本当に危ないやつならば風紀や警察の厄介になっていはず、そう思っていながらもし噂が本当なら、そう思いとどまらせる。
わざわざ危険を冒す必要などないと監視カメラがある家の庭先に侵入しないように自衛の一種だ。
「ねえ、きよらの『親友』を捨てて、どんな気持ち?」
親友という立場を俺は捨てた。
そんなの知ってる。
そうしなければ始まらなかったんだから仕方がないだろう。
こうしなければ俺はきよらに触れられない。
博人の憎しみがこもった瞳に俺は今更納得する。
「お前、欲しかったのか」
朝霧きよらの親友という立場が葛谷博人は欲しかった。
親衛隊長なんていう役職としての肩書きではない関係性の名前。
バカじゃねえの。
最初から諦めてやがる。
「残念だったな。俺は恋人しか興味がねえんだよ」
博人だってそういう意味できよらを見ているくせに諦めてる。
俺がいるからじゃない。博人はきよらの恋人になろうとは思ってない。
たとえばその理由は「きよらが望んでいないから」なんてくだらないものだろう。
「お前とは覚悟が違う」
出会った頃のきよらは博人に似ていた。
似ていただけだ。
きよらは流されているようでいてその実、頑固。
柔軟になんでも受け止める癖に自分が気に入らないことに首を縦に振らない。
適当に受け流すことが出来ずに頷いたら死ぬとでもいうように頑なだ。
『最後に勝つのは勝ったと思った方なんだよ!』
なぜか得意げにきよらが口にした言葉がなんだかおかしくって愛しくってずっとそうであって欲しいと思った。
きよらの気分は上下が激しい。
触ってはならない場所みたいなものがあるのだと一緒にいて気づいた。
俺は内心で地雷スイッチと呼んでいる。
きよらの地雷スイッチは数多い。
それでも、少しずつ減ってきて明るいきよらでいることが増えた。
明るく元気でみんなに親切な朝霧きよら。
それは偽者じゃないないけれど時々きよらは自分が自分であることに自信がなくなって俺に泣きついてくる。
イヤだと思ったことはないけれど不思議ではあった。
『きよらじゃなくて、気弱かよ』
笑って言うときよらは悲しそうな顔のまま微笑んだ。
弱気な自信のないきよらが嫌いなわけじゃない。
でも、明るく元気で自信にあふれる朝霧きよらのことが俺は好きで、ずっと明るく元気なままでいて欲しいからもっと強くなって貰いたい。
「お前は何もわかってない。人間はそんなに強くないんだ。
みんながみんな、お前みたいに耐えられるわけじゃない」
意味が分からない言葉に首を傾げる。
「お前はさあ、自分の能力にあぐらをかいてる。
自分の強運をただ甘受してる。
お前にきよらをどうにかする権利なんかない」
それはお互い様だろと俺は言葉を吐き出し損ねた。
博人が泣きそうな顔をしていたからだ。
「お前は自分の欲望のためにきよらを傷つけたって、分かってない」
切なそうな顔で見ているのは俺じゃない誰か。
それはきよらに決まってる。
博人が感情を出すのはきよらに関することだけだ。
仮面のように常時微笑みを浮かべるのは学園にきよらがいるから。
誰かと話すのはきよらのための情報収集。
人当りをよくしているのは朝霧きよらの親衛隊長として当然の義務。
徹底して葛谷博人は自分をきよらを理由に固めて作っている。
そんなの愛じゃない。
俺はそんなもの認めない。
依存じゃないか。
きよらじゃなくたって自分を擦り付ける相手なら誰だっていいんじゃないのか。
博人に真っ向からそう言ったことはない。でも、常に思ってる。
俺は嫌われたって博人のことが嫌いじゃないけどきよらに関しては譲れない。
きよらじゃなくたっていいと思ってるような男にきよらは渡せない。任せない。
「きよらの敵になってきよらが成長して、だから?」
今のきよらを傷つけてまで得るものがあるのかと博人は言外に聞いてくる。
俺の考えを見透かしたうえで否定してる。
「このままだと俺ときよらは一生いいオトモダチだ」
気軽に俺の寝室に出入りするきよらに危機感はない。
自分が襲われるなんて思ってない。
その信頼が憎らしい。
恋愛的な意味で意識されていないのと同じだ。
「転入生を持ち上げて嫉妬させようって? バカみたい」
呆れ果てたと博人は首を振る。
俺を憐れむような顔で「何もわかってないんだな」と口にした。
「お前はもう、きよらの『ハナちゃん』じゃないんだよ。その意味がまだ分かってないんだ」
博人は「哀れだね、浅川会長」と肩を叩いてきた。
どういうことだ。
確かにきよらは俺のことをいつものように「ハナちゃん」と呼ばなかった。
「俺のきよらを返してくれてありがとう、浅川会長。
人にはそれぞれ呪縛があるんだ。お前はそれを分かってない」
だから手遅れになる、そう言い残して博人は去って行った。
どう反応していいのか分からず周囲に視線を向けると一人の生徒と目が合った。
どこか見覚えのある一年生。
制服をよく見ると風紀の腕章をつけていた。
「お前……」
何を言おうとしたのか分からない。
ただ声をかけないといけない気がした。
「委員長が朝霧副会長に電話した時に『人にはそれぞれ事情があるのだから正しさだけでは救えないものがある』って言ってたっスよ」
朝だからなのか気だるそうにしながら名前も知らない一年は言う。
「公平さだけが命みたいな委員長の言葉じゃないみたいでマジ引くんですけど、……獅子は子供を谷に突き落とすっていうけど実際のライオンは落ちた子供を助けに行くらしいんで、まあ、そんな感じ」
「よく分からないがつまり秋津先輩は今回のことについて怒っているのか?」
「さあ? なんて思ってるのかは知らないっスよ。ただ、あの人は良くも悪くも変わらない対応をするはずだ。会長さんの思惑もさっきの隊長さんの願いも副会長の考えだって知らずに『正しい道』を選ぶんだろうよ」
会長である自分に風紀とはいえ一年が生意気な口をきいているとは思わない。
なんだか、自嘲が混じっていた彼の言い方に既視感を覚えた。
諦めたように伏せがちな瞳。
人と視線を合わせないようにしているくせにさっきまで俺を凝視していた。
「お前、きよらに似てるな」
思わず口から出た言葉に自分で驚く。
目の前の風紀の一年は覇気が薄く、整った顔とは言えない。
不細工ではないが印象の薄い顔できよらの一目見たら忘れないような美人顔ではない。
それなのに印象が被る。
「それ、委員長にも言われた」
何の冗談と肩をすくめて彼は去って行った。
登校する生徒たちが増えてきた。
俺と今までの彼らのやりとりは見られている。
全部を盗み聞けるような耳のいい人間はいないだろう。
声を張り上げて話していたわけではない。
だとしても雰囲気で感じ取れたはずだ。
俺ときよらの関係が完全に終わったのだと生徒たちに見せつけたことになる。
博人の狙い通りであり、俺も予期していたことだ。
「おー!! 花火じゃねえかっ」
騒がしい声。転入生である彼は基本的に声が大きい。
それがいいことであると思っている。
教育の差だろうか。
きよらは声の大きさだけで脅されたような気持ちになって怯えただろう。
分かった上で俺は引き合わせた。
「おはよっ。なんでこんなとこに居んだよ!!」
小さく挨拶を返してその場を離れる。
彼を邪険にするつもりはないが親切はここまでだ。
きよらが居なかったから俺が面倒を見ていただけ。
転入しておいて学園のことにあまりにも無知な彼が起こすトラブルは俺がそばで張り付いていたおかげでだいぶ少なくなかったはずだ。
フォローしきれないものも多かったが器物破損は未然に食い止めた。
視野が狭く周りを見ずに突っ走る。
彼と離れようとしていることなど無視して袖口をつかまれた。
空気が読めないというか自分の言いたいことが終わっていないのだろう。
まるで彼は子供のようでそれならそう扱えばいい。
同い年だと思うから呆れたり苛立ったりする。
自分より十歳ほど年下だと思えば怒りなど湧かない。
「なあ今日はきよら来てる? 花火は知ってる?」
「さあ、どうかな」
「同室者がさー、きよらの親衛隊だって言うんだよ」
相槌を打ちながら考える。
きよらはこの転入生がなんであるのか理解しているのだろうか。
自分から親友をとった異邦人。
学園の秩序を壊す無頼漢。
騒がしいトラブルメイカー。
新しい風を持ってくる玩具。
きよらはどう思っているのだろう。
俺は知らなかった。
人にはそれぞれ過去があり、自分が知らない顔がある。
友人でも恋人でも他人のすべてを知ることは叶わない。
もし、先ほどいた一年の風紀委員に「きよらが転入生をどう思っているのか」そうたずねていたら博人の予言は外れた。
きよらと同じ目をする彼は「羨ましくて憎らしい自分の願望のかたまり」そんな風に答えただろう。
絶対に自分には成りえない願望の具現化。想像すら痛みの走るまぶしいもの。
自分の心を直視できずに泣き出したきよらを見てしまった彼だからこそ言える朝霧きよらのひび割れて漏れた心情。
俺との会話の後にきよらが泣いていたなんて知らない。
きよらが俺に抱かれてもいいと思うほど好きでいてくれたなんて知らない。
そう、俺は知らなかった。
明るく元気なきよらに普通にわがままを言って自己主張するような子供時代がなかったなんて、知らなかった。
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浅川花火はガキ大将タイプの俺様なので好き嫌いが分かれるかと思います。
圧倒的きよら派な博人と(自分の)理想の関係になるために(きよらの)傷を厭わない花火。
(鍵かっこの中は無自覚という……ハナちゃん俺様)
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