011 親衛隊長が親衛隊長になった切っ掛け
副会長親衛隊、隊長の葛谷博人視点。
幼稚園での出会いをきよらが覚えていないのは許容範囲というか想像できていたことなので俺は落ち込んだりしない。
ただ、今回のことで浮き彫りになったことがある。
朝霧きよらはギリギリの崖っぷちにいたのだ。
それが浅川花火によって突き落とされた。
まだ崖から落ちている最中なのかもしれない。
きよらが地面に落ち切ってしまう前に俺はその手を捕まえられるのか、それとも落下地点に衝撃を吸収させるための用意をするべきか。
答えは両方だろう。
不発になっても構わないし、できるだけ安全で無理のない着地が出来るように祈るのではなく行動しなければならない。
もし万が一、間に合わなくて大怪我を負ったとしても守り切れるように、救えるように早めに手を打っておかなければいけない。
そのぐらい、きよらの顔色は悪くて、そして、玄関を開けた瞬間の顔が人形のようだったのだ。
朝霧きよらは美しい。
西洋人形のような顔や体の作りではあるが黒髪黒目。
そのせいで落ち着いた雰囲気を持っている。
だが、きよらを生き人形とは誰も言わない。
動いている人形ではなくきよらが動くと人形の印象が消えるのだ。
戸惑って、楽しんで、驚いたり、慌てたりと表情が目まぐるしく動くかと思えば困ったような笑顔で固定されたりする。
元気がいいというわけではないが人形の無機物さがない。
小動物が知らない場所で身の置き場を探している仕草が一番似ているかもしれない。
少しの物音で過剰なほど驚いたりするが餌を食べ始めると夢中になるような図太さ。
そのため美しさは損なわれてはいないのにきよらの印象はかわいらしいものになる。
ビックリするほど幼い表情をするからかもしれない。
三日ぶりに見たきよらは美しさに拍車がかかっていた。
悪い意味で。
人間ではないような、たとえるのなら幽鬼。
美しい雪女のようなゾッとする美貌は心を冷やす。
風紀委員長の秋津先輩も美しい顔の造りをしているが正面から見ることが難しい。
破邪の剣のような人に扱いきれない存在を思わせる鋭さ。
人間的な柔らかさのない無骨でありながら研ぎ澄まされた人工物。
人形も幽霊や雪女も形状は人型かもしれないが根本的に人間とは違う。
抱きついて、きよらがそこにいるのか確かめなければ不安で仕方がなかった。
きよらはたった三日とはいえ食事ももしかしたら睡眠すらもまともにとっていなかったのかもしれない。
冗談のように双子と一緒に抱きついてその細さに呆然とした。
元々、きよらの食は細く偏食なところがある。
食べ物の好みというよりは何らかの理由により口にしたくないと思っているのが分かる。
心がアレルギー反応を起こすとでもいうような見えない傷。
その食べ物自体や食べることによって頭の中で再生される記憶に嫌なものが含まれているのではないのかと俺は当たりをつけていた。
俺にも似たことがある。
絶対にイヤで耐えられないこと。
小さなことだけれど生徒会長浅川花火と誕生日にホールのケーキを切って食べることが出来ない。
花火のことが嫌いで一つのケーキを分け合って食べることを拒否するのではなくそれにまつわる記憶を思い起こさせるのが耐えがたい。
この話を誰かにしたのなら俺の心が狭くて小さい人間だと非難されるかもしれない。
何度も繰り返されたせいでいつのことなのかも覚えていない。
いつも不満で息苦しくて、最初はたぶん、怒ったり駄々をこねたかもしれない。
誕生日のケーキが、市販品だった。
これを聞けば誕生日にケーキを食べられるだけマシだとケーキも与えられない人には感じるかもしれないし市販品であるのは当然のことだと思うかもしれない。
俺の母親は管理栄養士の資格を持ちホテルやレストランなどの企業にアドバイザーとして雇われている。
家柄で肩書きだけ貰っているのかもしれないがレシピ本などを出版して時々ではあるもののテレビ出演もしていた。
母親は俺のために家でできる仕事を選んでいると口にして事実俺が学校に通うまでは仕事をセーブしていたらしい。
育児の中で出来た時間を創作料理や新作のお菓子を作り出すことで消費していた。
そんな母親だったので自分の誕生日はもちろん夫である俺の父親や自分の姉である俺からして伯母そしてその子供の花火の誕生日ケーキは彼女が作る。
それも新作であったり力作であることが多かった。
花火がムース系にハマったと聞けば何種類ものムースが華やかな見た目で食卓を囲む。
誕生日でなかったとしても花火のためならそのぐらいやってのける母親だったが、俺の誕生日は外で食べたり、家でもデリバリーだ。
もちろん、粗末なところへ連れて行かれたことはないしデリバリーとはいえ母が懇意にしているホテルの特別な料理だったり食べ物自体に問題はない。
ケーキも常に用意されているし、誕生日を忘れられたこともなかったはずだ。
両親も伯母も花火も俺にプレゼントを用意しなかったことはない。
葛谷の人間として俺の誕生日という名目でパーティーを開き、人を招いたりしたのは小学校に上がって何年か経った時のことだ。
パーティーが開かれるようになって俺の苦痛はだいぶ減った。
自分を納得させるのが上手くなった。
ホームパーティーと呼ぶには大規模になるから母が作らないのは当たり前だ、そう思える。
浅川の家でも同じように誕生日パーティーが行われて、その規模が葛谷のものよりも大きくとも母が指揮を執り、メインに当たる料理は母が作ったものであったりその日のためだけに考えられた特別な料理が振る舞われるのだとしても、俺の誕生日のことさえ考えなければ不自然ではないし、おかしくない。
母と伯母は仲がいい姉妹でありその子供である花火を母がかわいがるのはフツウのこと。
人を呼ぶのにも母が料理全般に携わっているというのは浅川としてプラスであり、浅川と葛谷の両家の仲は良好だった。
きよらと再会できたのだって花火が母の名前を出して自分の誕生日パーティーに呼んだからだ。
誕生日にしか食べられない特別な料理だときよらを呼ぶ材料にしたのは聞いている。
そこできよらに出会わなければ小学校や中学を花火と一緒に過ごそうとは思わない。
きよらと会わなかったのなら花火とは必要最低限の接触で済むように努力しただろう。
花火が俺のことを弟のようだと思っていることを知っている。
けれど、俺には兄はいない。
俺は一人っ子だ。俺の母親の子供は俺だけ。
そんな当たり前のことをどうして繰り返さないとならないのか分からない。
心に引っかかって自分では制御できない痛みが走る。
市販品のケーキを切り分ける時、上に乗った飾りをどうするのか。
名前はチョコレートのプレートに書かれている。
ショートケーキであればイチゴ、チョコレートであればチョコの飾りや金粉。
ホールのケーキを切り分けるのは常に母であり、上の飾りは一旦外して等分する。
その後に切るために避けた飾りを上に乗せ直す。そして、一番初めにまず花火にケーキを渡す。俺の誕生日であってもその行動は変わりない。
俺の名前が書かれた誕生日おめでとうのプレートが乗ったケーキを花火に渡す。
行動に他意はないのかもしれないが理解できない。
花火は少し考えてケーキの皿を俺に渡すまたはプレートだけを俺に渡す。
いつだって何をスルにしても花火が優先される。
ケーキのサイズが違ってしまったら大きな方が花火。
イチゴの数が多かったら花火のもの。
形がよくて美味しそうなのは花火のもの。
挙げていくと小さなことを女々しいとしか思えないし、誕生日なのにどうして自分が優先されないんだなんて憤りを俺が持っていることを花火は知らない。
俺の母親に特別甘やかされている自覚すらないだろう。
浅川花火は自分と誰かを比較しない。
自分を持って、自分は自分で生きているから誰かと比べて自分が上だと考えたりしない。
花火が俺に向ける感情は単純な見下しではない。
優越感を得たいから俺を下に考えるのではなく最初から俺が自分を超えるようなものだと思ってもいない。
自分の後ろに居る存在。隣に並ぶものとすら考えていない。
誕生日のことを思うと苦い気持ちになる。
その理由は誰にも言えない。
自分の小ささをさらけ出したくはない。
こんな格好の悪い気持ちを見せたくない。
マザコンなのかと言われるとよく分からない。
ただ、どうしようもなく悲しかったのかもしれない。
浅川花火の母親、俺の伯母は俺にも優しいが自分の子供である花火を優先する。
花火をよく見て、気にかけて、愛情を与え続けている。
隣でそれを見ている俺は不条理を感じてしまう。
俺にも俺の母がいて、彼女は悪人であったりするわけじゃない。
フツウの人。
その人に愛されない俺は出来損ないなんじゃないのかと心が欠ける。
母が伯母に傾倒していることは今なら分かるが、当時からすればどうして花火ばかりが贔屓されるのか納得がいかなかった。
俺の不満に対して母は花火の出来がいいからだと答えた。
駆けっこで一番、テストも百点。リーダーシップもあって人気者の浅川花火。
それからすれば俺はテストは百点が取れても運動はそこまでじゃない。
花火の後ろから人を観察していて友達付き合いなど嫌になっていた。
人間嫌いとでも言うんだろうか、俺と花火を比べるような他人と関わりたくなかった。
母が花火を打ち負かすようなことを俺に望んでいたのなら俺も少しは報われたかもしれないが、そんなことはない。
彼女が俺に望んでいた役割は花火の引き立て役であり、踏み台であることだ。
俺個人の能力などどうでもいい。
浅川花火と関わるとどうしても母を思い出し、俺を必要とする人間がこの世界に居ない気がしてきて心が冷える。
そんなわけないのは子供じゃないから分かってる。
それでも脳裏に浮かぶのだ。
心が欠けた瞬間というものは忘れられない。
諦めて、流されて、割り切ってしまうには俺のプライドは高かったのかもしれない。
『こんな毎日がずっと続くなんてこと、ない』
そう俺に言ったのはきよらだ。
俺たちが幼稚園で話したことのいくつかは記憶からこぼれて覚えていない。
小学校に上がって離れていたら忘れてしまうようなおぼろげな記憶を再会するまで失わずにいたのは朝霧きよらという人間が俺に及ぼした影響が絶大だったからだろう。
『大人になれば自由が手に入る』
負け犬の遠吠えじゃない。心を軽くしてくれる魔法の言葉。
過去がつらくても今が苦しくても未来はそうとは限らない。
『いつかがあるって思うしかない』
そう言ったきよらを忘れることは出来ない。
苦しみを誰かと分かち合うことで癒そうとするのは傷の舐め合いで恥ずべき行為かもしれない。
弱さを露見することになるのだからするべきじゃないかもしれない。
けれど、俺は忘れていない。
きよらの言葉を、きよらの行動を。
『誕生日おめでとう。博人のお母さんと比べられるものじゃないけど、一ヵ月洋酒につけてたからドライフルーツ、結構おいしいと思う』
ドライフルーツとナッツがぎっしり入ったケーキ。
一ヵ月も前から準備をしていてくれたことに俺は呆然とした。
『博人にだけ特別だから、ハナちゃんには内緒だよ?』
『花火には作らないの?』
『料理するのは男らしくないんだって』
『へぇ、何それ。バカみたい』
『そうなの?』
『料理人は男が多いよ』
『そっか、別に俺は料理人になるつもりはないけど変じゃないんだ』
安心したように笑うきよらに心が痛んだ。
気のせいだと思いたかった。
幸せなんだって思い込みたかった。
食べやすくカットされているケーキを口に入れる。
具が多いせいかボロボロとくずれていくが、手作りの温かみがあった。
胸が熱くなって鼻の奥がツンとする。
自分のためだけに用意されたものがこんなに嬉しいなんて考えても見なかった。
『博人は洋酒のきいたちょっと大人な味が好きだから一ヵ月以上漬けられたら良かったんだけど誕生日を知ったのが……ん、言い訳だね』
黙っている俺に味が悪かったと思ったのかきよらが言い訳のように言葉を重ねた。
胸がいっぱいな俺は美味しいと言う代わりに抱きしめた。
きよらは嫌がらない。静かに背中を撫でて「飲み物も一緒に持ってくればよかったね」と笑う。
『俺はちょっと気が利かないかもしれない』
そんなことないと否定してもきよらの心に届かない。
その理由の一端に俺はこの時触れた。
『お前ら、何してんの?』
『何もしてないよ』
花火の登場にきよらは焦ったように俺から離れようとする。
どこか怯えていた。正確に言えば花火の反応をうかがっていた。
それで俺はきよらが花火をどう思っているのか知ってしまう。
『花火はホント空気が読めませんね』
『誕生日だからお前が欲しがってた本を手に入れてきたのに、やらねえぞ』
『翻訳前の原本ならいるけど日本語のなら遠慮します』
『ちゃんと原本だっての。焼かれたりして数がない希少本だぞ』
『それはありがとう』
口にしてから俺はきよらにまだお礼を言っていないことを思い出した。
花火からきよらに視線を戻して俺は固まった。
きよらが笑っていたからだ。
仮面をつけたように顔に笑みを貼り付けていた。
それは笑顔じゃない。
けれど、きよらは分かっていない。
『きよら、野球の人数足りないから来いよ』
『うん、野球は得意じゃないけどいいよ』
軽く笑う。友達同士の会話。フツウの会話。
おかしさがあるのは俺がきよらに夢を見ているからだろうか。
『きよら、ご馳走様。ありがとう』
『おめでとう博人。生まれてきてくれてありがとう』
そう言って笑ったきよらの顔は作り笑いじゃない満面の笑顔。
綺麗でかわいくて堂々としていた。
この落差に俺は朝霧きよらという人間の本質を見た気がする。
きよらは装っている。
花火に嫌われないようにフツウでいようとしている。
朝霧きよらの傷は深すぎて常に笑うことなんかできないんだろう。
笑っているふりで周りに合わせるのが彼の痛みを少なくする方法。
野球をすると言って出て行った二人に感じた嫌悪は一人残されたことじゃない。
花火は何も気づいていない。
俺が今、見えたものを花火は絶対に気づかない。
きよらの首に首輪が見えた。
そして花火の手にリード。
自由などきよらにあるのだろうか。
花火の顔色をうかがっているようなきよらは本当に朝霧きよらと言えるのだろうか。
強い意志を持つ花火は前だけを向いていてきよらが見えてはいない。
リードの長さが足りなくて引きずっていることが分からない。
強い憤りと嫌悪感。
それは花火に対して感じ続けていた劣等感を上回る。
自分の意思を持たない朝霧きよらは俺の知っているきよらではない。
花火を好きだなんていう理由できよらが花火に従うならそれは愛じゃない。
安心したいがために飼い犬であることを選ぶきよらを否定したいわけじゃないけれど、受け入れられない。
くすぶり続けた俺の激情は中学できよらが上級生にちょっかいを出され始めて爆発した。
綺麗だからからかわれているんだろうと口にする花火など無視だ。
放っておけば収まると言う花火の意見は正しいかもしれない。
間違っていた場合、責任など取れるはずもない。
『親衛隊を作ろうか? あぁ、俺のじゃないよ。きよらのだ』
きよらが上手く笑えない日に俺が笑えるように愛想笑いを覚えた。
そんな俺は花火とは違う種類とはいえ同じレベルの人気を得た。
自分の顔の造りを把握しているので爽やかで優しげで思いやりに満ち溢れたような人間であるように動くのは簡単だ。
弱い人間や弱った人間や弱らせた人間に働きかけるのは苦じゃない。
俺は人を人とも思わない冷たい人間なのかもしれない。
それでもいい、きよらが自由に笑ってくれるなら構わない。
親衛隊はそういうためにあるだろう?
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