056 副会長はどうにもこうにも夢現
笑って済ませられない真剣さでハナちゃんが見てくれるので俺はあっちゃん先輩と付き合ってるのは嘘じゃないと伝えた。三日間だけのことでもこれは本気の話だ。あっちゃん先輩の相手に俺が相応しくないとか、男同士だとかそういうのは全部脇に退けて、俺はちゃんとあっちゃん先輩と交際中だ。
それがあっちゃん先輩の優しさと俺の弱さの行き着いた先なのだとしても、形からだとしても三日間は本物だ。
本物を味わわないと理解できない俺にハル先輩が教えてくれたもの。
無理矢理でもいい。命綱が欲しい。
匿名希望くんが何か言いたげに俺を見るので「君のおかげだよ」と微笑む。一瞬驚いた顔の後に目を細めて「あみだか」と口が動いた。「初恋の相手にフラれたのならその人と全く逆のタイプの人」とも言っていたのにそちらだとは思わなかったらしい。
「この一年に言いくるめられたのか?」
「付き合うことになったのは俺ときよの問題だ。傷物にした責任を取る」
あっちゃん先輩の言葉に空気が凍りつく。なんでだろう。
責任をとるというのはお風呂から上がった時に言っていたから、もしかして髪の毛を食べていたことから。寝ぼけてたあっちゃん先輩はかわいくて面白かった。頭に歯を立てられたわけでもないから気にしてない。
「痛くなかったから大丈夫です。なんだか新鮮でした」
「……すまない」
「裸のお付き合いとか、そういえば俺、したことないです」
池もプールも大浴場も突き落とされたり沈められたりして良い思い出なんかないから人と楽しくお風呂に入ったのは初めてかもしれない。
小川のせせらぎは好きだけれど川で遊んだ覚えはない。
「川辺でキャンプとかしたいですね」
「夏休みが楽しみだな」
ハナちゃんが何言ってんだコイツみたいな顔をするけれどあっちゃん先輩は俺の言葉に頷いてくれた。
大丈夫。夏休みも俺は変わらずにここにいる。あっちゃん先輩は約束を守る人だから。大丈夫。
目をそらすのではなく未来を夢見て俺は夏休みの約束をもらう。その頃はもう恋人でも何でもなかったとしてもあっちゃん先輩は約束を破ったり嘘をついたり誤魔化したりしない。
今回の件は三日間という前提があっても恋人は恋人。あっちゃん先輩の融通の利かない正しさは甘えがないようで怖かった。でも「恋人は甘やかすもの」という常識が適応されている今はきっといろんなことが例外だ。
規則に厳しい風紀委員長に俺は全力で甘えに行く。助走をつけた突撃は嫌がらせみたいだけれど一生のうちの三日間だから許してもらいたい。
「きよらが言ってると全部戯言に聞こえる」
「ひどい」
「お前の頭がからっぽなのが悪い」
「きよはお前にそんなことを言われるような成績じゃない」
「そうだーそうだー」
あっちゃん先輩の俺の擁護に俺は全力で乗っかった。
ハナちゃんの視線が呆れたものになる。
「秋津先輩、コイツは勉強できるタイプの馬鹿ですよ?」
「馬鹿じゃないよ。さきに馬鹿って言ったハナちゃんが――」
「うるせー、馬鹿っ」
たぶん、軽くなんだろうけれどハナちゃんが俺の頭を叩こうとした。
それほど気にするものでもないはずなのに俺は動揺のあまりテーブルのカップを払いのけた。手がたまたま当たったというには口に入れていないコーヒーの量はある。
普通は落ちない。
なら、俺は意図的に落としたんだろうか。
どうして?
自分の行動なのに自分で把握できない。なぜだろう。それはとても怖い。
さっきまで笑えていたのに今は顔がこわばっている気がする。
折角のコーヒーをダメにしたことを謝って掃除をしないといけない。
割れてしまったカップは弁償するべきだろう。
頭は回るのに口は動かない。
ハナちゃんが言う通り俺は馬鹿なんだろう。
お風呂に入ってぽかぽかしていたのに身体中が冷たい。
血の気が引いて今にも倒れそうだ。
何も考えずにいたい。
でも、まだ何も終わっていないのに始まる前から終わってる。
あっちゃん先輩が俺を隠すように抱き上げた。
心の中で大丈夫と何度も繰り返してからやっと顔を上げると心配そうな顔のあっちゃん先輩。
まだちゃんと話が出来ない気がしてあっちゃん先輩の耳元で「誰かが見てます」となんとか口にする。
風紀室の扉が少しだけ開いていた。ハナちゃんの向こう側、誰か知らない相手と目が合った。
いいや、そんな気がするだけで本当は誰もいないのかもしれない。
俺は幻覚を見ているのかもしれない。いつも俺の主張は切り捨てられる。
口にしてから後悔するのにどうして言ってしまうのだろう。
「そうか、怖かったな」
あやすように背中を撫でられる。重くなっていた身体が少しだけ軽くなった気がする。
ハナちゃんと希望くんに「仮眠室に行く」とだけ告げてあっちゃん先輩は俺を抱き上げたまま移動した。
風紀室には保健室と似たような設備が揃っている。もちろん薬などは保健室の方がきちんとしているけれど、ちょっとした薬をもらうのなんかは風紀室の方が空いていて便利だ。
冷徹だと周りに恐れられるあっちゃん先輩がいる風紀室に頭痛で薬をもらったりするのは俺ぐらいかもしれないけれど。
「この部屋は防音だし、中からも外からもロックがかけられる」
「わるいことしほうだい」
茶化したかったわけではないけれど明るく答えたかった。けれど、声はひび割れていて、とても普通じゃない。
あっちゃん先輩はベッドに俺を座らせて抱きしめる。背中や頭を撫でられてゆっくりと息を吐き出してから俺は気付いた。
身体が痙攣といえるほどに震え続けている。
なんだ、これ。気持ち悪い。
自分のことなのに全然わからなくて疑問しかない。心と体が離れている。
早く二人のところに戻って「急にごめんね」と笑って謝らないといけない。
ハナちゃんはまた仕方がないって顔をしながら文句を言うだろう。
匿名希望くんはどんな顔をするか想像がつかない。
あっちゃん先輩は――。
「悪いことしたいか?」
酷く艶やかな低い声で囁かれた。いつもの空気を切り裂くような冷たいものじゃない。あっちゃん先輩の声にちゃんと熱がある。俺の冗談に乗ってくれたのなら悪いことじゃなくてこれからするのは良いことじゃないのかと、そんなことを思った。
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