053 副会長と生徒会長の間にあったもの
博人が何か言おうとするのをハル先輩が止めている気配がある。あっちゃん先輩は動かない。
先輩たちと博人の考えは違う。いいや、誰だって同じ考えで動いていない。
俺はそんな当たり前のことを知らなかった。
自分がフツウを持ち合わせていないことを知っているのに誰もが同じ考えを共有しているような気になっていた。
きっと博人は俺を庇ってくれる。博人の考え、価値観から、そう動いてくれる。
俺が頼むまでもなくそうしてくれる。
その理由は親衛隊長であるからではなく博人の俺への愛情表現だからだ。俺は今までずっと理解していなかった。自分がどう見られて、どう思われているのか、考えるのは怖かった。俺の怯えや卑屈は博人を蔑ろにしているのだと気づけるようになってきた。でも、自信の持ち方が分からない。空元気は本当の元気にならない。立ち向かう力がない。
人の気に障らないどこにでもいる当たり前、フツウを手に入れようと周りを模倣して一時の安寧を得る。
自分のずる賢さに嫌気がさしながら誰かと同じ気持ちであることに安心を求める。自分はちゃんとフツウの存在であると心を落ち着かせる。過去のいろいろはフツウではない、例外だと切り離して現在の自分の姿に安堵する。
俺は何があっても認めるわけにはいかない。
続いていく地獄の日々がフツウなはずがない。
姉の加虐に耐える、あの時間を肯定してはいけない。
俺に原因があって姉の行動があるんじゃない。姉の行動によって俺の傷が増えたのだ。そこは間違っちゃいけない。
フツウの現在を生きる俺はフツウの未来も手にできるはずだと夢を見る。悪夢ではない希望を抱く。大丈夫だと言い聞かせる。平気だと誰にともなく祈る。明るくない未来を想像して歩いていけるほど俺は強くない。
『こんな毎日がずっと続くなんてこと、ない』
いつか誰かに告げたのかもしれないその言葉は俺の願いだった。そう思わないと立っていられない。
歩いていて転ばされるとか、尖ったものでとりあえず俺の背中や足や手を刺してくるのはフツウじゃない。
深い意味もなく気が向いたから試してみたという理由にもならない理由で増える痛み。
それを当たり前の日常だと認めるわけにはいかない。
だから、俺はハナちゃんのそばにいることを選んだ。
俺の知る世界とは全く違う場所にいるから憧れた。
ハナちゃんは俺を引っ張っていくことが好きだった。
ヒーローである自分が好き。
俺もまたヒーローであるハナちゃんが好き。
だから、ハナちゃんと俺の関係は変わらないはずだった。
恋未満であったとしても必要な人、大切な人だと思って淡い思いを心の中で温めていた。
あの日、俺がハナちゃんに求めていた優しさという名の甘やかしを博人はいつだってくれる。
何があっても俺は悪くないと博人は言ってくれる。それは親衛隊であることの義務じゃなくて博人が俺を好きだから。それを確信してしまうとハナちゃんに大丈夫だと言って貰おうとしていたことがそもそも間違っていたと気づく。
俺はずっと見誤っていた。
幼なじみといえるほどにハナちゃんと博人と一緒に居ながら俺は二人のことを何もわかっていなかった。二人を仲がいいイトコ同士だと思い込もうとしていたし、ハナちゃんが口にする言葉を頭から信じて博人の気持ちを自覚のないままに無視していた。
博人の気持ちはまだ飲み下しきっていない。実感はそこまで持てていない。
愛されるということを理解しきれない。友愛と恋愛の違いはぼやけている。
だとしても、博人の気持ちを否定したりしない。
好きだという気持ちは有り難いことだからだ。
今までずっと義務感や浅川花火のオマケとして博人に思われていると感じてた。
俺は卑屈のなせる業(わざ)で博人の好意を踏みにじっていた。思い込みに囚われていた。そのことに気がついてもまだ抜けきっていない。癖のように好意を否定してしまう。
好きだといくら言われても俺は信じない。
俺の何が好きなのかわからないからだ。
顔の造りが他人と比べていいと言われても鏡で殴られた思い出のせいで自分の顔は直視することが少ない。
写真で見ても何も思わない。
人を容姿の美醜で判断したことがない。
美しいと言われ褒められ続ける姉のことを俺は愛しいとも恋しいとも思ったことがないのだから、外見で人を評価できない。むしろ、姉の美しさは恐ろしい。賛美されればされるほど彼女の態度は傲慢で横柄になる。だが、それを周囲の人に悟らせることはしない。「愚痴を聞いてくれるわよね」という言葉と共に俺にだけ向けられる。恨みのこもった五寸釘とトンカチの音。こうして俺の怖いものはどんどん増えていく。
容姿のことはともかく、好きだと言って大切にしてくれるのは気分がいい。
だから、親衛隊との交流は楽だし怖くない。
それではハナちゃんはどうなのか。
あの時まで絶対的な味方だと思っていた。
ハナちゃんに恋愛的な意味で告白を受けたことはないし、俺からしたこともない。
もちろん好意はお互いに感じていた。俺の気持ちは伝わっていただろう。
手を繋ぐのはいつものことで肩を寄せ合う距離感がふつう。
他の誰にも許さない近さで一緒にいられる人。ハナちゃんに俺は怯えないで済んだ。
ハナちゃんは人に喧嘩を売るのが趣味みたいな人だけど俺には優しかったし俺を一番に優先してくれていた。特別だった。
ずっとそばにいたから分かり合ってると思ってた。
もしお互いが結婚しても妻よりも一番の特別はお互いだとそんなことを思っていた俺はバカだ。
でも、転入生が現れて俺にはそもそもフツウの道などないことを知ってしまった。
転入生の言動をハナちゃんが擁護したこともそうだけれど彼の目的を察すると動けない。
見間違いで勘違いだと思いたかった。それでも、ひたひたと悪夢は俺の後ろをついてくる。逃げられないと声がする。
今の時間はオママゴトで飼い殺しを受ける檻の中がお似合いのフツウとは程遠い存在。俺はそういう人間だ。
ぐちゃぐちゃの頭で愛と庇護と優しさと支えと目的を欲しがりながらも本当のところはただ逃げたいだけの弱虫。
自己正当化のために他人を欲しがる恥知らず。
きっとみんなそんなものだとハル先輩は笑ってくれるし、あっちゃん先輩は最初から俺の自主性に任せてる。引きこもりを止めるその日にあっちゃん先輩は開き直りの大切さを教えてくれていた。
その場の衝撃で迷って分からなくなっていつまで経っても歩き出さない意気地なしが俺。
怖がって、手探りで何度も同じところをグルグル回ってバターになって途方に暮れながらも進むしかない。
繋がっている手は振りほどかれない。
その確信はどこまでも心に力をくれる。
俺一人だと全部をダメだと思ってしまう。
何も達成することは出来ない机上の空論に感じてしまう。
恋をすることもまともに出来ず、愛を求めてたところで逃げ腰が抜けない。
分かっているから三日間だけの仮初。
本当の恋を知るための時間。
青春っていうものを楽しみたい。
必要なのは盲目的な愛情じゃない。肌を這い回る舌先の悪夢。こびりついた気持ちの悪い感覚を打ち消すだけのもの。
今まではハナちゃんにヒーローを見ることで、フツウであることで、俺は救われていた。
今しかないなら尚更、これが最後かもしれないと覚悟を決めて向き合っていかないといけない。
曖昧な関係が終わる。すでに恋をしようと思った段階で、誰かを頼りきるのではなく傍にいて欲しいと感じた時にはハナちゃんとの曖昧さを終わらせるつもりでいた。無意識のうちに答えは出ていた。
俺はハナちゃんから視線をそらさずに繰り返す。
これは俺が今まで積み上げてきてしまった負債。
「俺が、朝霧きよらが、浅川花火を好きだと思ってる?」
あっちゃん先輩は「俺を盾にしても武器にしても構わないことを忘れるな」と言ってくれた。大丈夫だ、忘れていない。巻き込んでしまって申し訳がないなんて、もう思わない。
一緒にいてくれて、ありがとう。
それだけを全部が終わったら伝えたい。
あっちゃん先輩だけじゃなく、博人にもハル先輩にもちゃんとお礼をしよう。
そんなの気にしないでいいって言ってくれそうな三人だけれどこういうことはしっかりしないとダメだ。
「それはいつまでの話?」
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