繋いだ手が心強いせいか俺は心臓に茨が巻かれるような痛みから解放されていた。
　何もかもを失って役立たずの空っぽだけが残されるのだと思っていた。
　いっそ死にたいという気持ちは自分を直視したくないからこそ。
　
　取り繕っていた外側は普通とは程遠くて不格好で異常で気持ちが悪い。
　心のどこかでそれを認めていたのに情けなさを見逃してもらいたがっていた。
　愛されたいと甘やかされたいが同じ意味の言葉になっていた。そのことに違和感がある。
　愛は甘いだけのモノじゃないと知っている。
　それなのに優しくして気にしなくていいと耳に心地いい言葉が欲しかった。
　肯定だけを求めていたのだ。そして、そのことを理解して情けなくて恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
　
　気にするなと言われたら重苦しいものは全部消えて楽になることを知っていた。勝手な期待をかけて裏切られて落ち込んだ。そんなことは今に始まったことでもないのに皮膚に貼りつく気持ちの悪さから逃げたくて一方的に頼って玉砕。
　
　振り返ってみて整理すると俺はどうしようもなく他力本願な人間だ。
　自分の気持ちを自分だけで抱えきれない。
　
　朝霧きよらの中にある浅川花火の大きさ、依存心。
　それらの移行先を探していたけれど全然違うものが手の中にある。
　
　あっちゃん先輩は物事をとてもシンプルにとらえている気がする。それは人に冷たさを与える。握り合っている手はちゃんと温かいから誤解されるのがかわいそうになる。あっちゃん先輩の当たり前や正しさが周りの人に窮屈さを与えるのはきっと加減がないからだ。正しすぎるその姿は愚直。柔らかくあたたかなハル先輩の周りには人があふれている。あっちゃん先輩とはまるで逆。
　
　それをあっちゃん先輩は羨ましいと思っても妬むことはない。
　理想だとしても、届かなくても、あっちゃん先輩がハル先輩になる日は来ないという当たり前を、常識を、そのまま受け入れる。普通はそこまで割り切れないことをあっちゃん先輩は平然とする。その正しさに悲しみを覚えるのは割り切りが諦めに見えるからかもしれない。
　
　親衛隊談義のような入り込めないハル先輩と博人を放置してあっちゃん先輩は俺に聞こえるだけの声で「無理はするな」と言った。昇降口で立っている浅川花火が目に映ったからかもしれない。逃げ出したいような気持ちは未だに残っている。
　
　でも、握られている手のひらは温かかった。与えられている優しさもまた俺にはもったいないぐらい。
　俺は引きこもる前にきちんと浅川花火にいや、ハナちゃんに言わなければならない言葉があった。
　喉は麻痺して震えるだけで言葉を出すことが出来なかった。信じきって頼りきってその癖、俺は今まで一度として浅川花火と向き合うことがなかった。
　
　ハル先輩と話している中で気が付いた。
　いいや、導いてくれたんだろう。ハル先輩はいつだってそうだ。答えをくれるんじゃなくて問題の解き方を教えてくれる。俺が欲しい答えじゃない。考える力をうながしてくれる。何も考えずにいるのはきっと楽だけれど俺はそれが上手くできない。考え始めてしまったら突き詰めてしまう。迷い出したら手探りで動き回る。
　
『自分の感じるものに自信を持っていい。きよらが自分を情けないと思ったのならそれは事実、情けなかった。生徒会長の浅川花火に言いたいことを言わずに諦めたのは情けないことだった』
　
　心が痛くて悲鳴を上げた理由を棚上げし続けても傷は一切治らない。
　自分の情けなさ、自分の至らなさ、そういったものと向き合えるような強さは持てない。
　
「無理をしたいなら無理をしていい。俺を盾にしても武器にしても構わないことを忘れるな」
「そばにいてくれるだけでいいです」
　
　繋いだ手が心強い。ただ歩くだけことも、向き合って視線を合わせることも俺は怖くてたまらなかった。誰にも合わせる顔がない弱さに満ち満ちていた自分が情けなかった。大丈夫だと言って欲しがった自分が情けなかった。
　
　あっちゃん先輩はハル先輩ではないからきっと俺が情けないと自分を責めても気の利いた言葉はかけられない。俺に答えも問題の解き方も教えてはくれない。その代わりに恐ろしく辛抱強く隣に居てくれるのだろう。俺の勝手すぎる八つ当たりをしたとしても手を離したりしない。
　そう約束したから困った顔や悲しい顔をしたとしてもあっちゃん先輩は離れていかない。それは有り難いことだと小さく息を吐き出した。
　
　少しだけ指先に力を入れる。あっちゃん先輩は嫌がったりしない。手を振り払われないことに泣きたいぐらいの安心を覚える俺は誰も想像が出来ないほどに弱い。生まれたての子供みたいに自分を守る術を持たない。だから人を真似て何だかんだで誤魔化しながらやってきた。間違ってしまったけれど、まだきっとやり直せる。元通りにならなくても繋がりは切れていない。
　
「おはよう」
「……なんで秋津先輩と」
　
　やっぱりそこに視線がいくらしい浅川花火、いやハナちゃん。ハナちゃんらしい。
　ハナちゃんはいつだって変わらない。だから今回のことは俺の方に原因がある。
　今までずっと積み上げてきたもの、俺とハナちゃんの間にあったもの。
　きっとハナちゃんは気付いていた。
　
　ハル先輩や博人とは違った方向性でハナちゃんは俺を理解している。
　だから的確に傷つけることが出来た。そのことを俺はちゃんと分かってしまった。
　
「恋人になった。……付き合うことになりました」
　
　自分でも声が硬いと自覚しながら口を開く。ハナちゃんじゃない知らない人に話しかけているみたいだ。距離が遠くなっている。
　博人が言っていた見せつけるべき相手は浅川花火なんだろう。
　
「嘘だろ」
　
　驚きではなく疑いの目。嘲りではなく探り。
　それに俺は微笑んだ。偽物でも。仮面のようでも。嘘くさくても構わない。
　
「なんで嘘だと思うの。俺があなたを好きだから？」
　
　今まで俺たちはいろんなことを避けてきた。関係に名前を付けずにいたのだ。
　明文化などしなかった。恋の形もよく分からなかったから、そばにいたい気持ちが恋愛だと思っていた。
　
　淡い淡い感情は蜃気楼みたいに実態がなくて掴めない。
　けれど、俺はすでに前に進む選択をした。間違っていても、もう戻れない。

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