002 匿名希望な風紀委員いわく2
「電話か、少し待っていてくれ」
冗談じゃねえと思いながらも話が終わるのを少し委員長と距離を置いて待った。
ソファーに座りに行きたい気持ちを抑えるのは大変だ。
同じ部屋に委員長といるのがつらい。無理だ。この苦手意識はどうにもならない。
委員長が三年生であることが救いだろうが俺は手にかいた汗をこっそりとズボンでぬぐう。
壁を向いて目を閉じて息を吐く。
誰かがパソコンのキーボードを叩く音が耳に入る。
書類に何かを書き込む音、プリンターが紙を排出する音。
人の声が聞こえないのは委員長の電話を邪魔しないためだろうか。
委員長が自分の席から立ち上がって電話に出ている。
見れば不作法にも少々前のめりになっている。直立不動の機械人間らしからぬ生々しさ。時間はかからないはずだと言い聞かせる。
電話に集中しているだろうからといって委員長を観察などするのは命知らずのやることだ。
俺は命知らずの怖いもの見たさでつい横目で見た。見てしまった。副会長に対して鳥肌が立つように柔らかい声で安否を聞いている委員長。
無理をするなとか何とか言っているその声を聞くのがまず無理。
俺の精神が崩壊する前にケータイ返してくれ。
皺がない委員長の姿は美形だが格好いいよりも怖い。
強面が肉厚のサバイバルナイフだとするなら委員長の涼しげな美形っぷりは切れ味のいい日本刀。
一振りで首が落ちそうで怖いったらない。
「今のところ護衛は不要だが、このままでいけば必要になる局面も出てくるだろう」
話し終わったらしい委員長がケータイを俺に渡しながら「もしもの時はお前の出番だ」とか訳のわからないことを言う。
俺はいつから委員長の秘密兵器になったんだ。
風紀の懐刀は副委員長が担当していたはずだが勘違いだろうか。
下っ端に何を期待してんだと言えるわけもなく軽くうなずく。
イヤだと言ったら晒し首かもしれない。
「副会長は二年で俺は一年なんですけど……」
護衛というのは対象者につきっきりになる風紀の制度だ。
文字通り守るために張り付く。
クラスを変更したり授業のグループ分けにすら口出しする権利があるのが護衛。
親衛隊も護衛という言葉は使うが風紀のように学校側が用意した制度ではない完全なボランティア。
風紀の場合は護衛によって授業がきちんと受けられなかったり成績が落ちたとしても免除が受けられる。
風紀としての功績さえあれば留年の心配もなく卒業できるのがこの学園だ。
どうせお金の力でどうにかできる素行の悪い金持ちの坊ちゃん方がいるのだから風紀委員としてまとめようというのがこの風紀委員会と制度の始まりであるらしい。
「堂々としたものでなくていい。見かけた時に助けてやってくれ」
一年の俺に二年の副会長と一緒に行動しろというわけではないらしいのは安心だが、どうして俺。
風紀委員会は人材不足ということは決してない。
戦力を整えるためにある程度の力のある人間は風紀に名を連ねている。
風紀が問題を起こしたら他よりも罰則は厳しいので風紀委員長以外にも各学年でまとめ役がいるぐらいに人材は豊富だ。
何かしらの功績があると卒業生の実家である警備会社への就職が決定するらしい。
この学園の就職率は進学を抜くとほぼ百パーセントである。
働き口がなくて困ったら何かしら卒業生のツテなど使って就職させてくれる。
卒業後に先輩と関わりたくない人間は死に物狂いに進学するし、切羽詰まった人間は退学だ。
実家が金持ちである同級生に奴隷志願する人間も少なくない。
人材の発掘を在学中にするなんて言うのは耳に聞こえのいい言い訳でただの奴隷だと思う。
「きよがお前とメールをしたいらしい」
きよ、と副会長を委員長が呼んだ衝撃を俺は無表情で隠して生返事。
礼儀にうるさい系な見た目の委員長だが本当はそうでもないのかもしれない。
よく分からなくなってくる。
やる気のない俺の姿は委員長にどう見えているのだろう。
叱りつける対象じゃないのかと不安になりながらこっそりと手を握りこむ。
副会長のことは嫌いじゃないが委員長との関わりが増えることになるのは勘弁だ。
何とか言って回避できないだろうか。
「仕事なんで、構わない、です」
俺が副会長からメールをもらうのはお悩み相談である。個人的な話じゃない。
守秘義務だってあるから堂々と話したりはしないがメールの閲覧は委員長にだって可能だ。
風紀としての相談窓口へのメールなのだから、委員長だって他人事じゃない。
「お前はきよと似ているから見捨てないでやってくれ」
何かが胸が突き刺さる感覚に思わず笑った。
変なタイミングで歪んだ顔を見せてしまったけれど反省はできない。
きっと誰でも思うことだ。
あの美人で愛されるために生まれたような副会長を嫌う人間なんていない。
見捨てる人間なんていない。いないはずだった。
三日前に人形のように整った顔を歪めて嗚咽を堪えることなく泣き出した副会長を覚えている。忘れられるはずがない。
あれは壊れたガラス細工。美しく精巧だからこそきっと元には戻らない。
程よいバランスだったからこそあの状態だったのだ。
三日程度で何が変わるというのだろう。
「……副会長、生徒会長に見捨てられたって言ってました?」
それなら、学園は壊れる。確実に平穏は終わる。
会長と副会長は一年の時から会長と副会長を務めたゴールデンコンビ。おしどり夫婦なんて言われるほどに仲がいい幼なじみ。
家の関係からなのか昔から常にセット扱いされる彼らの仲がいいからこそ学園は円滑に回っていた。
一年は基本的に補佐の役回りをしてまとめ役になる会長や副会長になることはない。
今期の生徒会、会長である浅川花火と副会長の朝霧きよらは一年ながらに学園を盛り上げたというのは入学して早々に聞いた話だ。
一枚岩だった生徒会に亀裂が走るなど許されるはずがない。
少なくとも各親衛隊たちは動き出すだろう。
幼なじみで家柄も容姿も別格である会長と副会長が付き合うのならともかく仲違いしたとなれば派閥争いのようなものが起こってしまう。
朝霧きよらが副会長であるのは浅川花火に能力的に劣るからではなく性格面での向き不向きが原因だ。
少し話しただけでもわかったが副会長に会長はできない。
生徒の代表として立つことが多い会長は歴代から見ても尊大で自信にあふれる人間が多い。
副会長の顔を思い出すと平時の涼しげな美人顔ではなく血の気の失せた青白い無表情。
歩き出せない子供の顔。
それは、きっと俺が知っている顔だ。
見たことはないが知っている顔。
きっと昔自分もしていた、そんな顔。
「浅川花火が見捨てたかどうかは問題ではない」
委員長も事態を正確に把握しているらしい。
つまりは副会長の感じ方だ。
彼らは幼なじみで常にそばにいた存在で一番お互いに影響力がある。
二人の喧嘩は普通のものにはならない。
全てを巻き込んでしまうのだ。
「難しい年頃だとはいえ、お互いだけの問題として解決などしないだろう」
だから、学園は荒れる。
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