副会長は何がなんでも頑張らない | ナノ

  044 副会長の目覚めと現在位置の説明


 ぬくぬく気持ちがよくて幸せな心地。
 小川のせせらぎと木々が風で揺らぐ音。
 森の空気は常に優しくて俺が泣いてても誰も文句は言わない。
 俺が怒りに任せて川に石を投げ込んでも誰も何も言わない。
 森には誰もいないから。俺しかいないから気楽。
 静かなのに常に川が流れる音があるから淋しいとは感じない。
 まだ大丈夫、まだ大丈夫と目を閉じて繰り返し念じる。
 夏の熱気を川の水が冷却して木陰の岩場は涼しくて自分だけの場所。
 ここは結界が張っている、そんな妄想をすることで心をさらけ出す。
 絶対に怖いものは来ないから、大丈夫、大丈夫。
 聞こえないのに森がしゃべっているような気がした。
 風に声があるなら俺を勇気づけてくれている。
 そう思うとまだ大丈夫まだ大丈夫。繰り返せる。
 
 悪夢ではない、幸せな夢。
 一時の解放されていた時間。
 誰にも邪魔できない俺が俺であった日のこと。
 
 
 ぬくぬく気持ちがよくて幸せな心地。
 起きたらハル先輩の腕の中。
 
「なんやてっ!」
 
 驚いて反射でツッコミを入れる時はこの台詞じゃないといけないと浅川花火から教えられた。
 勢いよく言うのがポイントらしい。
 
 そのせいでハル先輩を起こしてしまった。
 心の中で言うべきだったと反省は遅い。
 
「おはようございます」
「……うん、おはよう? いま、きよら?」
「はい?」
 
 なんのことか分からなくて首を傾げる俺にハル先輩があくびをして起き上がる。
 時計を見ると朝の四時。まだ寝ていてもいい時間に思えるけれどハル先輩はシャキッとした顔をしている。あくびをしていた時は眠たそうな顔だったのに今はもういつもの爽やかフェイス。
 格好いい人っていうのはゆるんだ顔を見せないんだろうか。
 
「なんか関西弁が聞こえて驚いた」
「ハル先輩寝ぼけてますね」
 
 こんな時間だから当たり前かもしれない。
 ふふっと笑う俺に「かわいいねえ」と頭を撫でてくるハル先輩はおじいちゃんが孫に向ける顔または知り合いの家に新しく生まれた赤ちゃんに向けるような微笑みを浮かべている。
 もしかしてこれは慈愛と呼ばれるものなんだろうか。
 
「いつもこんなに朝早いんですか?」
「あー、俺は秋津を起こすから……まあ、こんなものかな」
「あっちゃん先輩を起こしに行ってるんですか?」
「まあ、面倒だから一緒に暮らせばいいんだけど秋津は風紀だから規律違反をしたくないって」
 
 ハル先輩のお部屋は寮ではない。
 というか、部屋というより家である。
 釣鐘の家の人間は学園で過ごす際に与えられている家がある。
 学園での家ではなく釣鐘の本家という扱いなのかもしれない。
 何を基準にして本家と言うのか分からないが元々この学園の高等部は中等部と隣接する形で街の方にあった。ちなみに大学部は駅近くにある。
 高等部だけがなぜか釣鐘が管理して、釣鐘の家が建っている山に移転したのかは知らないけれど、このあたり一帯、見渡す限り、山も全部が釣鐘の持ち物ということは確かだ。
 税金対策などで学園の持ち物にしているかもしれないけれど学園を釣鐘が手放すことはありえない。
 この学園に通う生徒として知っておかなければならない大前提が釣鐘から学園を乗っ取ろうとなど考えてはならない、ということ。
 以前は何度かあったらしい学園乗っ取り計画。
 名門という扱いの学園を牛耳れるのなら多少の面倒をかけてもいいという人間はいる。
 理事長の席に座ろうとすれば釣鐘を追い落とすしかない。
 温厚で善人であるという釣鐘を騙して手玉に取るのはたやすいように思えるが現在、釣鐘であるハル先輩がこうしているところから分かるようにそんなゲスな企みは達成していない。
 釣鐘の人間は血の存続と学園の維持を至上命題に掲げている。
 ゆえに学園を投げ渡すことはありえない。
 困っている人のために金の卵を産むような会社やお札を刷っているというほどに大成功した商品の利権を譲渡したりするのに学園だけは頑なに手放さない。
 
 古い家柄にはそういう絶対に犯してはならない禁忌というようなものがあり釣鐘はある意味では有名だった。
 そんなハル先輩が住んでいるのがお屋敷というにはこじんまりとしていて寮の部屋というには大きすぎる一軒家。ただし、セキュリティは鬼である。
 外に専門の警備員が常に二人。機械などのセンサーも最新式を常に導入しているという。
 理由としては釣鐘の当主が住まう場所であり本家とも言える場所だから、らしい。
 本当のところは分からない。
 ただ勝手にはいってはいけない場所とされている。
 
「規律違反って寮に住まないことですか?」
「いいや、ここは釣鐘の人間以外の立ち入りが禁止されている場所だから」
 
 変な言い方だけど釣鐘の聖域みたいなものとハル先輩は口にする。
 
「な、なんやてっ!!」
「きよらのそのテンションがなんやて?」
「ハル先輩ダメです。勢いよく言わないとっ」
 
 俺は浅川花火にダメ出ししまくられた。「お前のなんやてはなってない」って。発声練習のように「なんやて」を俺は連呼し続けたんだ。俺より上手く「なんやて」を使いこなせる奴なんかいない。
 
「生徒手帳に勝手にここに入らないように、場合によっては退学もあるっていうのが書いてある」
「副会長なのに知りませんでした……というか、俺は」
 
 やってしまった。
 これだから浅川花火に「お前は常識がないんだ。そのうち、マンホールの蓋が閉まってないことに気づかずに落ちるぞ」とか言われるんだ。よく分からないけれどマンホールは異次元に繋がっているらしいので俺は異世界で生活しないといけなくなるらしい。
 それはそれでいいような気もするけれど、世界が変われば幸せになれるのかといえばそんなこともないだろうからファンタジー妄想はほどほどにしておくべきだ。
 浅川花火は「俺は竜を召喚して魔王と友達になって建国する」とか言っていた。
 どんな世界観なのかよく分からない。
 
「わがまま言っていいって言ったのは俺だし……気になるなら――」
 
 いつもはしないような悪戯っ子の顔でハル先輩は口を開いた。
 
「釣鐘の家の子になるかい? きよらなら大歓迎だ」
 
 そんな思考の片隅にも浮かばないけれど、絶対的で強固な命綱の存在を教えてくれた。
 冗談じゃないのはハル先輩の瞳を見ていればわかる。
 元々、ハル先輩はこういった冗談など言わない。
 保健室で見た悪夢の後のおぼろげな記憶。
 ハル先輩を頼ったけれど、この釣鐘の家のことなど忘れていた。
 誰もがハル先輩と夜を共にすることがない理由。
 
 でも、俺は一緒に徹夜したりなんだりしたから、忘れていた。
 この学園の中で釣鐘というのは普通の生徒の名字じゃない。
 
「俺が欲しいなら釣鐘晴太の全部がついてくるけれど煩わせないように調節は上手い方だと思うからきよらは細かいことを気にしないでいい」
 
 意味が分からないけれどハル先輩は俺にハル先輩が持っている肩書きを自由に使う権利をくれようとしているんだろう。
 そう簡単にありがとうございますと貰えるものでもない。
 だって、俺は何を返せばいい。
 
「まあ、こういう選択肢もあるよねってことだ。理解しきれないなら忘れていればいい。ただ、ここで一緒に過ごしたいと思うなら俺はその願いを叶えてあげるし、それを誰にも文句を言わせないことが出来る。たとえばきよらの血縁者にも否やは言わせない。俺の行動は誰にも制限させない。それは約束するよ」
 
 堂々と言い切るハル先輩はそれだけ色々なものを持っているということだ。
 人と人との繋がりから始まる力。
 起業していくつかの会社を持っているとも聞く。
 代理を立てて自分はアドバイザーや会長職に置いていたりすることもあるらしいけれど高校生という枠組みに居ない人。
 なんとなく学生という時間を消費する人間が多い中でハル先輩は多忙すぎる日々を送っている。
 改めて思い知る。ハル先輩は懐が広いなんて言葉では済まない器の大きさだ。
 
「ハル先輩はどうして俺の親衛隊に入ってくれたんですか?」
 
 これは俺が言うことじゃない。
 俺がハル先輩にお願いしに行ったんだ。
 でも、親衛隊が安定したら抜けてもよかっただろうし、副隊長なんていう役職を背負って仕事を増やさなくても良かったはずだ。
 
「覚えてない? 俺は初めて人を好きになったかもしれないって、そう言っただろう」
 
 どういうことだろう。確かに言われたけれど、それが今の話に繋がるんだろうか。
 話をしてみて俺のことを気に入ったから親衛隊に入って副隊長にもなったっていうのがハル先輩の言いたいこと?
 それにしては、なんだか飲み下せない引っ掛かりがある。
 
「見返りを求めない好意はあるよ。俺はまだ自分の感情だけで満足しているから何も返って来なくても構わない」
 
 好きになってくれてありがとうなんてことを言うべきなんだろうか。
 いいや、それもおかしいのか。
 
「……あはは、そうだな。秋津を起こしに行く前に少し話でもしようか」
 
 恋愛談義なんてどうだい? そうハル先輩は笑う。
 からかっているというよりは楽しそうで何かを期待している顔。
 
 そんな顔されても俺は何も言えない。
 目が覚めてから新事実連発で頭が回ってない。
 
 寝ぼけているのはハル先輩じゃなくて俺だ。頭の回転が悪すぎる。

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