やさしさをあげよう | ナノ

  八 しあわせをあげよう


 起きてご飯を食べて田山さんが俺を枕にしたりエッチなことしたりして時間は過ぎていく。テレビがなければ今が何時なのかも分からない。
 
 借金がなくなったことで気が抜けたのか俺は寝る時間が増えた。田山さんが仕事に行っている最中はほとんど眠っている。やることもないので別にいいかもしれない。とても自堕落だ。
 
 トイレとお風呂は少し特殊だから困ることもあるけれど、ご飯は常に美味しいし田山さんは優しいので困ったことは何もない。店のオーナーに嫌味を言われたり桐谷に殴られたり桐谷以外のお客さんの異常さに付き合わされていた日々を思えば天国みたいだ。これでいいのかと思うほどに満ち足りた生活。
 
 そんな生活がしばらく続いたある日、田山さんが一人の少年を連れてきた。
 
 少し前髪長いのをかわいいヘアピンで留めていた。華奢ではないけれど小柄なので中学生ぐらいだろうか。年下にからかわれた経験があるので少し構えてしまったけれど普通に「一週間ぐらいよろしくお願いします」と礼儀正しく挨拶をされた。

 少年は名乗らなかったけれど俺のことを「ドリームじゃん」と呼んだ。ユメという源氏名と宝くじを引っかけているんだろうか。よく分からないセンスだ。身体が大きいからジャンボと言いたいところを気を遣ってくれたのかもしれない。とてもいい子なのかもしれない。本当のところはやっぱりわからないけれど良い人なのだと思っていた方が精神的に楽だ。
 
 話が合うとは思わなかった。年齢的な問題もあるし、俺は人と上手く話せるタイプじゃない。けれど、意外にアニメをよく見る子だった。会話は途切れがちでも共通の話題があるのは気が楽だ。
 
 田山さんにアニメのDVDを揃えてもらって一緒に見た。
 アニメを見ている最中は無言になるタイプみたいで感想を言い合うこともないので間が持たなくて気まずい思いをしないでいい。アニメ自体も楽しかったので充実していた。

 助かったのは田山さんにその子の前で排便や排尿をするようには言われなかったことだ。普通に手錠を外されてトイレに連れて行かれた。
 
「ドリームじゃんは不自由してない?」
 
 それは少年からよく聞かれる言葉だった。
 彼がどういった立場なのか知らないけれど田山さんは普通の子供よりも気を遣っているように見えた。
 親戚の子供を預かっているというわけでもないのだろう。
 
「うん、だいじょうぶ」
 
 自分より年下だと分かっていても田山さんほど心を許せないのは俺が卑屈なせいだろう。
 普通の少年と今の俺。
 田山さんにおんぶにだっこ状態の俺は情けなさ過ぎる。年上のプライドなんてものは持てない。
 
「浮かない顔してる」
「働いて田山さんにお金を返したい……なって」
 
 彼に言っても仕方がないのに俺はつい口を滑らせた。どうしようもない愚痴だ。デリヘル以外で働いたことがないから働くにしてもどうすればいいのか分からない。学生をやり直したい気持ちもあるけれど学費のことを考えると行き詰る。
 
「それは山田と縁を切りたいの?」
 
 田山さんのことを少年は山田という。田山さんも訂正しない。本当は山田という名字なのか気になっていたら言っても直らないからだと答えられた。確かに「ドリームじゃん」を拒否したら「ドリやん」だと言われた。どっちも変わらないのでどうでもよくなった。「ドリやん」は「ドリアン」に聞こえる。以前「ドリアン」と言われながら臭いと罵られて転ばせられ続けたことがあるので「ドリアン」はイヤだ。フルーツの王様だとしてもムリだ。嬉しくない。
 
「田山さんと一緒にいたいから働いた方がいいかなって」
「一緒にいたいんだ……」
 
 どこか驚いたような声を出すものの少年は無表情だ。何か確認するように俺を見る。何か言いたいことがあるんだろう。でも、それは俺に伝わってこない。人の気持ちを察する能力が低いのかもしれない。桐谷に愚鈍愚鈍と言われ続けていた。田山さんには言われたことはないけれど、そう思われている可能性はある。
 
 人より劣っているのなら人より頑張らないといけない。
 俺の決意をどう伝えればいいのか言葉を選んでいると少年は「なるほど」と頷いた。
 
「しあわせをあげよう」
 
 少年は言う。「痛みのない嘲りのない優しさだけが満ちた世界をあげよう」とすらすらと少年の口から出ていく言葉は俺が欲しかったもの。でも、自分だけが楽をして幸せになっていいんだろうか。幸せには代償がいると俺はどこかで知っている。
 
「山田のことは気にしなくていいよ。……ドリームじゃんが幸せであることが山田の幸せだから。山田は献身的なタイプなんだよ。好きな相手をお姫様にしたいんだ」
 
 俺が聞くに聞けない田山さんの内心を少年は教えてくれた。
 頭っから信じ込むんじゃなくて田山さん自身に確認をとるべきだとも思ったけれど俺は都合のいい方へ流される。少年の言葉を信じたいと思っている。
 
「今が幸せで山田のために何かをしたいなら……簡単だ。何もしちゃダメ」
「それ、どういう」
「山田の愛を否定すれば幸せは壊れるってこと」
「お、おれが、働くのって」
「ドリームじゃんのためにあのドケチが部屋を買って貯金を渡して真面目に働いてるんだから台無しにしちゃかわいそう」
「お、お、おれ、はっ、そういう、つも」
 
 自分よりも年下相手にどもりまくる恥ずかしい人間。でも少年はそれでいいという。なおす必要もないし働く必要もない。田山さんはそのままの俺を好きでいてくれるから何もしなくていいという。
 
「山田のために何かしたいなら家事でもすれば? 専業主婦も立派な職業だからいいんじゃない」
 
 俺が外に働きに出ることを田山さんは望んでいない。田山さんが望んでいないことをするのは田山さんに対する裏切りになる。その考えは分かる。俺のことを好きだから俺のために頑張ってくれている田山さんの努力を無駄にすることになると少年は言っている。頭に思い浮かんだのは「賢者の贈り物」の話だ。

 妻は夫の時計のチェーンを買うために自慢の髪を切って売り、夫は妻のために髪を飾る櫛を時計を売り払って手に入れた。お互いがお互いの宝物を手放して相手のための贈り物を手にして相手を喜ばせるその話は美談の一種なのかもしれない。正直、俺はそれほど好きじゃない。髪は伸びるし時計も買い直せるかもしれない。相手を思って宝物を手放す決意は美しい。でも、結果的に相手の贈り物に意味がなくなってしまうという皮肉。
 それに相手の大切なものを売り払ってでも自分に贈り物をくれて嬉しいという気持ちがあるのかもしれない。
 お互いが同じ行動をしたという嬉しさもあるかもしれない。
 それでも、俺はあまりその話が好きじゃない。
 
 髪を短くなった妻を夫は嫌いにならないだろうけれど俺が夫の立場なら自分のために髪を切って欲しくなかったと思う。貧しくても美しい髪を自慢にしていた妻。相手のためを思っての自己犠牲は素敵な事かもしれないけれど愛よりも俺は悲しさを感じてしまう人間だ。
 
 時計を手放して櫛を買って家に帰って短い髪の妻を見たら折角の贈り物が台無しになってしまったと悲しくなる。短い髪の理由が自分にあるのなら尚更、素直に喜べはしない。
 
 少年の言うことはその通りかもしれないと頷けるのは俺がこういう考え方で田山さんも同じタイプに見えるから。
 
 外での働きに対して俺は店に戻ることを考えた。田山さんは俺の怪我を怒っていた。嫌がっていた。それは店に勤めることを辞めて欲しがっていたということだ。
 
 俺の察しが悪かったから田山さんの気持ちを汲みとれずに無理矢理のような状態で監禁されてしまった。けれど、田山さんからすれば一緒にいたいと言った俺の願いを聞いてくれただけだ。そこには悪意なんかない。俺のための行動。
 
 それなのにそれが余計だと言わんばかりの態度になれば田山さんを傷つけるかもしれない。いいや、かもじゃない。「賢者の贈り物」よりも悪い。妻が髪を切ってまで手に入れた時計のチェーンを売るようなもの。時計のチェーンを売ったとしても髪は戻って来ない上に気持ちまで踏みにじることになる。
 少年が言うように「台無しにしちゃかわいそう」なのだ。今の状況を変えることが田山さんにとってプラスじゃない。
 田山さんにお礼として何かをしたいのなら田山さんが望むことをするべき。
 
 目から鱗が落ちた気分だ。少年に指摘されなければ俺は自分の「田山さんに世話をされていて悪い」という気持ちを優先して田山さんが俺にしてくれている優しさを踏みにじったかもしれない。
 
 何もしないでずっと眠っているような自堕落な生活が悪いものだと思っていた。けれど優先するべきは田山さん自身の気持ちだ。田山さんは遠慮しない。優しいけれど俺に気を遣って言いたいことを言わないような性格じゃない。
 少年の言葉というよりもいつもの田山さんを思い出すと今現在の状態に満足しているように見える。田山さんが現状維持を望んでいるからこそ俺は何がなんでもこの部屋から出なければならないと思ったりしなかった。甘えているとしてものんびりと過ごしていた。
 
 ただ少年という外部の存在に何もしない自分が恥ずかしくなった。病気で身体が動かないわけじゃない。借金を田山さんが払ってくれたのなら全部は無理でもいくらかは俺も働いて返したいと感じた。けれど、この部屋から出て働くというのは田山さんの望みじゃない。俺のある種の自己満足。居心地のいい空間を捨てて田山さんの為という大義名分で行動しようとしている。「賢者の贈り物」の構図と似ている。そして、この俺の行動は田山さんの気分を害するだろう。
 
 せっかく作り上げた空間が俺のせいで壊れるのだ。俺だって田山さんと一緒にいる生活が幸せだと思ってる。維持したいからこそ部屋から出るべきだと思ったけれど、そういうことじゃない。田山さんが望まないことをするべきじゃない。与えられるものを素直に受け取らずに跳ね除けられるのは悲しいことだ。俺は田山さんを悲しませたくなんかない。
 
 田山さんの好意を受け入れるだけなのは申し訳がないと感じていた。でも、そうじゃない。大切なのは他の誰でもない田山さんの気持ちだ。
 気持ちを踏みにじられるのはとても悲しいことだから俺はこのまま受け入れているべきなのだろう。
 
 田山さんは譲歩してくれるけれど譲らないところは妥協しない。俺の身体を枕にしたりするのもその一つ。最初は膝枕だったけれど俺が足が痺れると訴えたら色々と試して最終的に尻になった。それだって俺がつらくならないように時々体勢を変えたりしてくれる。田山さんは優しい。
 
 今回のことは俺のことを思って行動してくれているのは間違いない。田山さんに何の得もなくて俺は申し訳がないと思ったけれど、そういうことじゃない。もっと単純に考えてしまっていいのかもしれない。
 
「好きな相手の為には何だってしたくなるものだ。お姫様でいるといいよ」
 
 少年の言葉に戸惑いながらも頷く。ここまで言われて田山さんの好意を受け入れないのは傲慢に感じてしまう。俺が働けば口でどういったとしても田山さんの行動が余計なことだと言っているようになる。少年の言う田山さんの愛の否定。俺はそんなことをしたくない。
 
「田山さんは優しい。……俺は優しさに甘えている気がしてた、けど……いいんだよ、ね?」
「甘やかしたいって人には甘えておけばいいっていうのがオレの持論」
「あり、がとう。……料理、教えて、もらえるかな?」
 
 恐る恐るたずねると「もちろん」と返された。

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