008 今はまったくその片鱗がない
メッツィラ商会というのはプロセチア家が祖父の代から贔屓にしている何でも屋だ。
王都でも大きな店舗を持つ有名な商会だ。
話を通せば何でもそろえてくれる。
アロイスというのは、食品部門を取り仕切っている分家の次男。だと、初対面の俺は思っていた。
実際は本家の人間だが、食べ物に興味があるので、身分を隠してパン屋として働いている。
商才がないわけではないので、メッツィラ商会のドンと呼ばれる父親から戻ってくるように催促を受けている、現在十三歳。
俺との出会いは二年後の九歳の時だ。彼は十五歳で、父からパン作りを否定され続けていた。
彼が作る食事はパンに限らず美味しいのだが、メッツィラ商会のドンからすると納得できないのだろう。
この世界に職業の自由はない。
コネもなくポッと出で事業を起こしても大体失敗する。
そういう社会構造になっている。
アロイスは自分のパンを人に食べてもらうためには、メッツィラ商会の息のかかったパン屋で働くしかなかった。
プロセチア家はメッツィラ商会からパンを毎朝購入している。
もちろん、パンを作っている人間にそんな悩みがあったことなど知らないが、偶然の出会いがあった。
山歩きの収穫で手に入った木の実や果実を腐らせるのが忍びなくて、どうにかできないかと相談した。
相談した相手は執事だが、執事はメッツィラ商会に相談して、アロイスが派遣された。
オリジナルのパンと焼き菓子を作ってくれたアロイスを俺とユーティが誉めたことで、プロセチア家で雇うことになった。
メッツィラ商会から抜けたがっていたアロイスと配達されるパンではなく焼き立てのパンを俺たちに出したい執事。
領地の屋敷よりも王都にある屋敷での生活は慎ましやかだ。
他人に対する警戒心が強いユーティを刺激しないために必要最低限の人間しか王都の屋敷に常駐させていない。そのため、俺たちの生活水準は低下した。とはいえ、不自由ではなかった。
執事からするともっと贅沢をさせたいという気持ちがあったのだろう。
人を雇うお金はあるので、身元がしっかりとしているアロイスは適任だった。
ユーティも記憶にない人間だったからか、アロイスを警戒することはなかった。
これが一番大きい。
ユーティにとって問題がない人間なら屋敷にいてくれて構わない。
そのうちアロイスはパンを焼くだけではなく、食事全般を取り仕切ってくれた。
若いがものすごく有能だった。
ものすごく有能だった。
十三歳の今のアロイスと俺には面識がない。
だが、アロイスが抱えている問題は同じだ。
二年後の十五歳のアロイスのほうが、切羽詰まっているかもしれないが早めにスカウトしてもいいだろう。
「おにいさま?」
「メッツィラ商会の姫君ゾフィアを知っているかい」
「看板むすめさん」
「以前、面識は?」
ユーティは「ありません」と首を横に振る。
面識はなくとも彼女の存在は知っているらしい。
どんな世界でも目立つ人間は目立つものだ。
「ミーデルガム家の茶会に小さな歌姫という形で彼女がやってくる」
「その方と、おともだちに?」
「事前に会っておけば、茶会で気を利かせてくれるだろう」
ゾフィアはアロイスの従妹にあたる。
商才があるのでドンから娘のようにあつかわれているが、本人は賢いので一歩引いて接している。
商人ではなく歌姫として生きていきたいのかもしれないが、難しいだろう。
歌を封じ込めるマジックアイテムは存在するが、高級品だ。
貴族たちに披露するだけでは足りないとはいえ、庶民に披露したとしてもお金にならない。
ゾフィアが商会の人間だということをふれ回れば宣伝の意味があるかもしれないが、彼女が望む評価ではない。
「商人の娘というのは賢いものだから個人的に知り合っておいて損はないよ」
「こっそりとお買い物ができますか?」
「そういうことだ。そのうち使用人を通さずに彼女から買うことができるようになる」
侯爵令嬢であるユーティは庶民のように買い物に出ることはない。
店が家までやってくるが、それだけでなく、使用人がユーティが必要になるものを事前に買い揃えておく。あれがない、これを買って、なんていう会話をする必要がない。普通なら。
ユーティからすると服に毒針が仕込まれているかもしれないという恐怖がある。
自分でドレスを作ろうとカーテンを取り外して工作していたことがある。もちろん、不格好になっていたので、俺が作りなおした。俺が買い与えたドレスを警戒することはないので、使用人越しに渡される服が嫌なのだろう。
ゾフィアから直接購入することになれば、ユーティの気持ちが楽になるのは間違いない。
疑心暗鬼によって、使用人に対して攻撃的になることも減るだろう。
「……メッツィラ商会への入り口は、大通りの緑色の門になります」
パン屋に入ろうとする俺に困った顔をするアロイス。
店に入る前にユーティと話をしていたので、わざわざ気づいて出てきてくれた。
アロイスの髪の色は俺の瞳の色と似ている。
青みがかった灰色だ。無害が服を着て歩いているような善人顔。
十三歳ながらにそこそこ大柄なのはパンを焼いているからだろう。
「ここのパン屋もメッツィラ商会だろう」
「プロセチア家の方にお売りするようなパンは置いておりません」
「毎朝届けてもらっているけれど?」
「店に置いているものとは違うのです」
申し訳なさそうに頭を下げるアロイス。
あくまでも彼は低姿勢を崩さない。
俺はそんなアロイスを無視するように店内に入る。
店の中にいた客は俺とユーティを見て、そそくさと去っていく。
貴族の子供など庶民からしたら恐怖の対象だ。
「おいしそうですね」
「ありがとうございます……」
弱ったアロイスに気づいていない顔で「どうやって買うのですか」と購入の仕方をたずねる。
彼の師匠であるパン職人は「庶民の食べ物で腹を壊して訴えられたら敵わねえ」と堂々と追い払おうとしてくる。これは本気ではなく、彼なりの愛嬌だ。
「お腹を壊すようなものを売っていないことは知っていますよ」
「……パンとは、いろいろな種類があるのですね」
俺がパン屋に入ったことをユーティも不思議に思っているらしいが、初めて入ったパン屋に興味を持っている。
「いいじゃない。アロイス、オヤジさん」
店の奥からゾフィアが顔を出した。
普通のメッツィラ商会とパン屋は中で繋がっている。
俺が馬車を止めた時点で、俺が来ると商会には分かっていたはずだ。
パン屋に入るとは思わなかったので、驚かせただろうし、身軽だったのでゾフィアが対応に来たのだろう。
現在のゾフィアは十歳。
まだまだ子供だが、大人の世界や貴族社会がどんなものなのか知っている齢だ。
俺たちを子供だと思って舐めないが、一人前にもあつかわない。
「うちのパンを坊ちゃまが気にしてくださっている。喜ばしいわね」
「ゾフィア、次期プロセチア家のご当主を……」
「お世話になっております、クロト・プロセチアです。ゾフィア嬢」
俺があいさつをすると驚いたようにゾフィアとアロイスが名乗る。
アロイスは家名を口にしなかった。
やはり、脱メッツィラ商会と思っているのだろう。
「ゾフィア嬢、妹のユースティティアにオススメをお願いします」
「え!? はい……ユースティティアさま、こちらへ」
どうしてか、ゾフィアはビックリした顔で俺を見てから顔を赤らめた。
「ティアとお呼びください。ゾフィアお姉さま」
「……ゾフィーでいいわ。お姉さまなんて、初めて言われたわ」
俺たち家族はユースティティアを「ユーティ」と呼ぶが、一般的に愛称として親しまれるのは「ティア」だ。祖母の愛称が「ティア」なので、身内は「ユーティ」と呼ぶのが普通になっている。
第二王子であるカールがユースティティアをユーティと呼ぶのは、身内感覚というよりも俺の呼び方がうつっているのだろう。
「……あの、申し訳ございません。失礼な振る舞いを」
「恐縮しすぎだ、アロイス」
「――はい」
顔を真っ赤にして、前掛けを握りしめてもじもじするアロイス。
挙動不審だが悪い人間ではない。
彼はプロセチア家の厨房を任されるようになって半年後に殺人を犯す。
それから度々、彼は人知れずに使用人たちを殺していく。
今はまったくその片鱗がない。
2019/08/18