004 君が使える手札の一つ
「別の生き方を求めるなら……私の後妻になるかい」
陛下が「妻はカールを産んですぐに亡くなってしまったからね、私の隣は空いているよ」と微笑んだ。
こうやって陛下は冗談を言って、こちらの反応をうかがう。
とても陛下らしい会話の仕方に懐かしくなってしまう。
俺を七歳ではなく十七歳の侯爵家の人間としてあつかっているからこそ、こういうジョークが言える。
「陛下が批難の的になって、私は得をするのでしょうか?」
「忠臣としては七十点ぐらいだな」
「勉強不足でした」
「年の差を批難されないほど、自分に魅力があると言ってもらいたいところだ」
正解は「私は陛下にはもったいないです」という返しだったらしい。高度だ。
そこまで俺は自信に満ちているわけじゃない。けれど、陛下にそう思ってもらえるのは喜ばしい。
社交辞令というわけでもなく、俺を評価してくれる。
ほんの少しの会話だけで陛下の信頼を得られている。
そんな自分を粗末にあつかうはずもない。
「……私が囲い込みたくなるのも分かるな。君は何を経験しても、失わないものを持ち合わせている」
囲い込みたいというのは、外国へ留学させないということだろう。
他国に触れるのはいい経験になるが、悪い知識を拾って思想や行動にブレが生じる場合がある。
フォルクとの仲が微妙になったと感じたときに陛下に留学を提案したことがある。
距離を置いたほうがフォルクとは、上手くいくのではないのかと思った。
陛下は行くならフォルクのほうだと、三カ月ほど隣国に預けた。
結果、フォルクはギャンブルにハマって帰ってきた。
アレは間違っていたのではないかと思うが、陛下ではなくフォルクの選択だ。
今回は俺が留学を提案することがないので、大丈夫だとは思うが、ギャンブル好きにならないよう進言しておこう。
「フォルを見る目が……先を案じているようだから。あの子には君といるのが酷かもしれない。フォルクハルトを正しい道に進ませたいと考えているならそれは親の目線だ」
「以前の私は傲慢だったのですね」
妹であるユーティを傲慢で高飛車だと思っていたが、兄である俺も傲慢だったのだ。
ユーティの悪い噂を真に受けることがなくとも、自業自得だと感じている部分があった。
貴族社会に限らず傲慢さが鼻につけば弾かれる。
それは人間関係の基本だ。
「それがクロト・プロセチア、君の甘え方だったのかもしれない。他人を操るように言葉巧みに説き伏せるのではなく、真正面から相手をしてうるさがられる。自分の気持ちをわかってくれるはずだとフォルに期待したからこそだ」
説明がなくとも伝わってしまう。
それほど俺の言動の端々にフォルクへの感情が出ていたのだろう。
手のかかる妹がいるせいか、同い年であるフォルクに対して弟の面倒を見る感覚になったことはある。
「フォルに誠実であろうとしてくれたのだね」
陛下は俺の不出来を責めることがない。
期待していないから甘い言葉で会話を終わらせるわけでない。
最善の行動をとれなくとも、最大限に努力したことを認めてくださるのだ。
「陛下以外の誰もフォルクハルトのおこないを表立って咎めません」
「表立って、なるほど。堕落させて傀儡を作りたかったのか。私腹を肥やしたいだけの連中は、私が王であることに未だに反発をしている。フォルを手懐けたがる相手が出てくるのは仕方がない」
「王家に反逆の意思を持つ者は潰していったのですが、自分の友人に圧力をかけたとフォルクハルトが騒いだことがあります」
自分を陰で馬鹿にしていた人間を庇うのは、心が広いのか。
あるいは目の前に証拠を積まれても認められない弱さなのか。
「フォルクハルトには一切知らせずに処理すべきでした」
「バカ息子が悪かったとしか言えない自分が不甲斐ない。苦労を掛けたね」
陛下が親として個人的に話をしたところで「それは命令ですか?」とツンツンしていた反抗期なフォルクにはどうしようもない。信頼できる友人に恵まれていたカールに比べると華やかな雰囲気に反してフォルクは孤独だったのかもしれない。
「同い年であっても、義母の立場にいる人間からの苦言を無視するほど愚かでもない。……後妻の件は、君が使える手札の一つとして、考えておいてくれればいい」
侯爵家の人間で王子の婚約者よりも現王妃の発言力は大きい。影響力だってある。
陛下は本当に息子思いの愛情深いお方だ。
使えるものは何でも使えとおっしゃっている。
感動している俺の手を取り、軽く唇を押し当てる。
唇以外の口づけは、祝福だという。
いつでも俺を案じているという意思表示だ。
約束の際や旅立つ相手にすることが多い。
フォルクには嫌がられたので、あまりしたことがない。
「本当なら、暗殺者の件でユースティティア嬢の話を聞きたいところだが時間がないね」
「ええ、これ以上は、周囲も彼らも限界です」
怪しまれてはいけない偶然の出会いを装った理由。
俺と妹を王子たちの婚約者にするという話ではない。
ユーティの話だ。
これは人払いがされていないと難しい。
「よく見ているし、気が付く、最高の相手だと思うのに……婚約解消とは、もったいない」
頭を抱えて嘆くような陛下に申し訳なくなる。
近づいてきたユーティとカールが同時に首をかしげる。
三人でじっくり庭園を見てもそこまで時間は潰せない。
陛下がいくら察しが良くても十年間の話を語りつくせるはずもない。
「いずれ、正式な席を設けて話をしよう。……いいか、クロト?」
これは秘密の通路を使って王宮に侵入しろという指示だ。
通じるだろうかという戸惑いがわずかに陛下から感じられる。
俺は大丈夫だと肯定するよう「ええ」とうなずく。
「日差しが強い場所は苦手ですので、配慮いただけますと助かります」
「雨雲色の瞳は太陽と仲が悪いのか」
俺の瞳は灰色だ。光の加減で青みを帯びることもあるが、陛下やフォルクのような碧眼とはまた違う。
憂いを帯びた瞳で「大変だね」と目の下を軽く撫でられた。
高齢の先代に出来た待望の世継ぎであった陛下は若くして今の座に就かれた。
考えられないほどの苦労をされたのは間違いない。
陛下の思う大変さと自分の恵まれた環境に感謝しかない。
「薄曇りの方が過ごしやすくはありますが、太陽はお慕い申しております」
太陽はこの国では陛下のことを指す。
太陽を赤と表現する国があれば、黄色や黄金と表現する国もある。
我が国は王家の色彩を太陽として崇めている。
俺の返事はそうおかしなものではないが、陛下は目を細めてフォルクの頭を撫でて「苦労するぞ」と言った。
フォルクは苦さを含んだような、それに戸惑うような微妙な表情をしている。
気づかないうちに失言をしたのだろうか。
「正式な対面は数日後のミーデルガム家の茶会でしょうか」
「そういうことにしておいてくれ。今回の出会いは偶然だ。……ユースティティア嬢?」
俺と陛下の会話をボケっと聞いていたユーティが名前を呼ばれて背筋を正す。
「わかっています! だいじょうぶです。わたくし、三歳ではありません。いえ、三歳ですが、あの」
「大丈夫だよ、ユーティ。陛下には我々の事情をお話ししている。わかってくださっているよ」
焦って、涙目になるユーティを落ち着かせる。
今回、ユーティの話は全くできなかったが、父から陛下への説明は済んでいる。
以前のときは、ユーティの精神状態への心配をいただいたが、事実関係の詳細な説明を求められなかった。
七歳の子供に出来ることと出来ないことがあると陛下は知っている。
先程の会話は七歳の子供に向けた言葉ではない。
それがとても誇らしい。
「フォルクハルト様、友人としてこれからよろしくお願いします」
別れる前のよくある挨拶だと思うが、フォルクは痛みをこらえるような表情をした。
どうしたのかと思ったが、握手のために差し出した手が空ぶって恥ずかしい。
横から引っ張るように手をつかまれた。
「……カールハインツ様、今後なにかと妹と共に顔を合わせると思います。よろしくお願いしますね」
「カールと、カールと呼び捨てにしてください」
「はい、カール。俺のこともクロトと」
微笑むと顔を真っ赤にしたカールが俺の手を振り回す。
陛下が止めてくれなかったら、腕を痛めたかもしれない。
子供の全力はすごい。
2019/08/13