029 俺と結婚しよう?
「イラプセル?」
呼びかけて少し待つが、戸惑ったカールが目の間にいるだけだ。
膠着状態になった。
フォルクの中にいたイラプセルは正体を看破するとベラベラとうるさく話し始めたものだが、今はその様子がない。イラプセルがカールを操っているわけではないとすると話が変わってくる。
沈黙の中、開けられたままの窓から風が入り込む。
外からの優しい香りが室内に届く。
ミーデルガム家の花々は、今日も爽やかな中に甘さのある絶妙な香りをさせている。
俺のためだけにユスおじさまが香水を作ってくれたことを思い出す。
裏で進行している不穏な火種を知らないで、平和と思い込んでいた幼い日々。
今回はまず間違いなく、あんなことにはならない。
「……オピオン、大丈夫だ」
オピオンの制止をなだめつつ、目の前の相手に近づく。
妖精王であるイラプセルでも、第二王子のカールでも俺を攻撃する意味はない。
頭を撫でて、頬を両手で包み込む。
照れているのかカールは顔を真っ赤にした。
第二王子に対して不躾ではあるが、抱きしめてみる。
「……カールの拘束を解いたとき」
オピオンはすぐに「今日、一目見た第二王子でしたね」と返してくれる。
何もかもを説明せずに済む相手は、助かる。
「オピオン、ちょっと」
カールを抱きしめたまま、オピオンを手招き、その手を取る。
俺とオピオンは問題なく触れあえている。
オピオンの手を取り、カールの頭に置く。
これも問題ない。
俺がオピオンとカールから距離をとるとオピオンの手はカールの体を通過する。
オピオンの手が通過したように見えただけで、もちろんカールは何の影響も受けていない。
気持ち悪そうに表情を歪めてオピニオンが俺の隣に下がった。
「困ったな。これは――カールの意識を保ったままイラプセルが居る。いいや、残滓か?」
「クロト? どういうこと? 俺は、何かおかしい?」
「カールが自主的にそこにいるならいいのだが……自分が普通の世界に居ないと理解できるかい」
オピオンを警戒して妖精の国に自主的に避難したなら優秀というだけで済む。
心をいじる力を王族が警戒するのは当たり前だ。
拘束を解いたときはカールはその場にいた。
オピオンが触れられたのだから、妖精の国に行ったのはオピオンが警戒する直前だ。
俺に頭突きをする前にオピオンがカールに向けて力を使ったのかもしれない。
俺の質問に答えたくなるようにカールの心を操作しようとした。
すこし心に働きかけるぐらいなら、自分の心であっても気づけない。
「ねえ、クロト。俺がおかしい? その司祭がおかしい?」
「……その目はイラプセルか? カールと呼べないな」
カールの目の色は金眼だが、雰囲気が違う。
この執着に染まった瞳はイラプセルのものだ。
妖精の国は時間の外側にあると言っていた。
イラプセルが時間を戻す前の記憶で行動を起こす可能性はあったが、どうしてカールなのだろう。
次期国王はカールだと妖精王は考えているのだろうか。
「混じり合っている自覚がないなら放っておきたいところだが、ヴィータ嬢の誘拐を放置できない」
「興味ないくせに」
「自作自演なのだから、放っておきたくもなる」
俺の言葉に人を食ったような笑いをする。
温厚でお人好しの空気をまとっていたカールらしさがない。
「クロトは兄上と結婚したい? したくない?」
「できないだろう」
「気持ちの話だよ。兄上と結婚したくないならそう言って。このままだと婚約することになるよ?」
「……それはない」
俺たちのやりとりをこっそりと覗き見していた妖精でもいるのかもしれない。
妖精たちは妖精王であるイラプセルの言いなりだ。
植物を大切にしていたり、王家の血が流れている人間にも友好的だ。
「誰の気持ちも見えていないね。兄上の執着も、俺の思いも、父上の感情も」
「そこで、どうして陛下が出てくるんだ」
「そういうことを本気で言うから、イラプセルに殺してやりたいって言われ――うん? なんだろう、知らないことを知っている?」
きょとんとした顔のカールが周りを見渡して首をかしげる。
「あれ? なんだろう。いま、よくわからないことを言っていた?」
「イラプセルの影響だろう」
「そうなんだ? 父上に聞けばいいのかな」
「解決するかは分からないが、陛下に相談しておいたほうがいいね」
フォルクがイラプセルの依り代となった際、完全にイラプセルの人格だった。
この国の王の妻は自分の妻でもあると適当なことを言っていた。
俺がフォルクハルトと婚約しなければ、妖精王の興味を引くことにはならないと思っていた。
カールの様子を見ると事態は単純ではない。
「フォルクに婚約者になるように言われたけれど、俺にその意思はないよ」
「クロト、それは意味がないから? 兄上に価値がないから、必要としないのかな」
五歳ではなく、十五歳のカールと向き合っている気がする。
頼りない幼さが瞳から消えている。
イラプセルではなく、カールではあるが、五歳児とは思えない顔立ちだ。
「婚約には確かに意味がないね。ヴィータ嬢はカールではなくフォルクがお好みのようだ」
「うん、兄上との婚約のために仕掛けるみたい。無駄なのにね」
微笑みの中にピリッと毒があるカールの言い回しに肩から力が抜ける。
妖精王には話が通じないが、カールとはちゃんと話し合える。
「兄上が冷静だったら、クロトは出し抜かれてしまうよ?」
「それは喜ばしいことだ」
「負けたとか、気に食わないとか、そう思えないものね。クロトは兄上の成長を歓迎してしまう」
第一王子であるフォルクハルトの成長を喜ばない国民がいるのだろうか。
操りやすい王族がいいと考える貴族は国の寿命を縮めることになる。
自分にとって都合のいい相手は王族ではなく伴侶にしておくべきだ。
「クロト、俺と結婚しよう? まだヴィータとの婚約は発表していない。なら、今日の席は俺とクロトの婚約発表の場にすればいい。兄上の思う通りに進むべきではないだろう?」
カールの良い笑顔はイラプセルと重ならないのだが、やり口が似ている気がしてならない。
誘いを断ったら「国を上書きするぞ」という言葉をイラプセルは言い放つ。
大変めんどうな相手だった。
不可視の存在である妖精の国が現出すれば、重なり合っている我が国を塗り潰すことになる。
当然、国民は死ぬ。
おとぎ話は現実になってはいけない。
幻想は幻想のままでいい。
第二王子、カールハインツが温厚な性格で、貧乏くじを引きがちなお人好しというのも幻想だったのかもしれない。
2019/09/14