010 自分の仕事に誇りを持っている

 十年前のことになるので記憶があいまいだが、ユーティの様子を見ると朝食をまともに摂っていない。
 ゆっくりと進む馬車の中で侯爵令嬢にあるまじき振る舞いを見せるユーティ。
 パンの間に野菜とチーズを挟んだものを必死に食べている。
 賢いユーティはお腹が空いたと訴えたりしなかった。
 暗殺者から手製の毒スープを飲ませられるかもしれないからだ。
 ひもじい思いをしていたのだろう。
 国の中では令嬢は華奢なほうがいいという常識があるので、ユーティの食の細さに気づかなかった。
 第二王子であるカールを振り向かせるために制限しているなら、あえて食べさせるのは野暮だと思っていた。
 
 気持ちの面はどうであれ、三歳のユーティの体は食べ物を求めていた。
 瓶のミルクを渡すとすごい勢いで飲んでいく。
 
 人心地ついたユーティは俺の視線に恥じ入るように小さくなった。
 お腹が空いているのは悪いことではない。
 ユーティが恥じているのは、自分の食欲ではない。
 
 王都の屋敷が安全ではないと疑っている気持ちを恥じている。
 
 食事を十分に摂らないのは毒を警戒しているからだ。
 両親を殺し、自分を虚弱にさせた毒。
 今まで自分が毒を摂っていたのだとユーティがいつ気づいたのかは分からないが恐ろしかっただろう。
 
 父や俺が安全だと言ったところで納得できるものじゃない。
 ユーティの中に刻み込まれている恐怖から食は進まない。
 でも、成長のために体は食事を求めている。
 
 やはり一番初めにアロイスを口説きに行ってよかった。
 害がなさそうな彼とユーティが楽しげに話していたことを思い出す。
 ユーティはゾフィアとの相性もよさそうだ。
 
「最初から屋敷に招くと警戒されるかもしれないから三日に一回とお願いした。けれど、ユーティが望むなら彼は住み込みで働いてくれることだろう」
「アロイスは、みかた、なのですか?」
「彼は二年後に屋敷で住み込みで働いてくれた。とても優秀だよ」
 
 ミルクがついていたのでユーティの口元をハンカチでふいてあげる。
 気まずげに下を向こうとするので「食べたものが出ていってしまうから下は向かないほうがいい」と告げる。
 馬車はゆっくりと動いているとはいえ揺れる乗り物だ。
 
「彼に困ったところがないわけでもない」
「アロイスの、こまったところ……?」
「彼が侯爵家に来てから約七年間で七人の使用人が行方不明になる」
 
 平均すると一年に一回というペースは速いのか遅いのか。
 とくに最初の二年間ほどで五人を殺して屋敷の隅に埋めている。
 俺の発言にユーティの顔色が悪くなる。馬車に酔ったのだろうか。
 
「彼はとても優秀で、自分の仕事に誇りを持っている。……だから、自分の料理に毒を盛る人間を決して許せないんだ」
 
 俺の言葉にユーティは口を開けっぱなしにする。
 令嬢として間抜けな顔だが、かわいいので許される。
 あごの下を撫でてあげると意識してユーティは口をすぼめた。きゅっと音がするようだ。
 
「最高の食材を最高の方法で最上の料理に仕上げたのに給仕係に毒を入れられたら、それはもう生ごみだ」
「毒を盛ろうとした人間をアロイスは始末していたのですか?」
「そうだよ。俺たちを彼は人知れず守ってくれていた。ただね、理由があっても殺人というのは揉め事だ」
 
 ユーティは重々しく「はい」とうなずく。
 以前に何かあったのかもしれない。
 
「アロイスの行動が正しかったとしても『揉め事』それ自体を貴族社会は容認しない。とくに俺たちを取り巻く事情をアロイスは知らなかったからね。食事に毒を盛ろうとした使用人を殺して埋めてなかったことにした」
 
 アロイスの立場として、問題が起きたらそれを理由にメッツィラ商会が首を突っ込んでくる。
 侯爵家に迷惑をかけないようにという名目で実家に引き取られることになる。アロイスが一番恐れていたことは、殺人が露見することにより、俺たちに食事を提供することが出来なくなってしまうことだ。
 こういう言い方をすると驚くほどの忠臣だが、アロイスの殺人は自動的らしい。
 
 俺が毒を盛られたことに怒って殺人を犯すのではない。
 料理を穢されたことに腹を立てて毒を混入した犯人を衝動的に殺してしまう。
 殺した瞬間のことは覚えておらず、目の前の死体をどうにかして処分しなければならないと必死になったという。
 アロイスの性格を考えると料理を台無しにされたことへの怒りだけではなく、料理が俺の口に入らないことへの怒りもあったのかもしれない。
 ともかく、アロイスは料理に毒が入ると料理を台無しされたことへの強い怒りに支配されてしまう。
 
「毒感知の才能を持っているのかもしれない。あるいは自分が作った料理に手を加えられると気づく才能か」
 
 ユーティが微妙な顔をするので「塩コショウや調味料を入れてもアロイスは怒ったりしないよ」と伝える。
 むしろ、味を変えるためにいくつもの薬味を取り揃えてくれる。
 体調や気分で食べたいものが変わることをアロイスは知っている。
 
「アロイスは俺たちにおいしく食べて欲しいだけなんだ。殺人によって毒殺犯を排除するのはよくないかもしれない。けれど、彼は心の底から俺たちにおいしいものを提供したいだけだ。自分が食事を提供する、その時間と空間を守りたかっただけだ」
 
 もちろん、俺か父に殺人の告白をさっさとして欲しかった。
 そうすれば、もう少し早く組織を追い詰めることが出来た。
 
「時間を戻す前の俺たちは知らない間にアロイスによって守られていたんだ」
「そうだったんですか」
「致死性の高い毒ではなくてもアロイスは見抜いて弾いてくれる。十四歳を過ぎると呼ばれた先で出されるお茶やお酒に媚薬を混ぜられるようになった。だから、アロイスにはとても助けられたよ」
「びやく!?」
「自分の娘に手を出させるためなら、まだ、子供思いな親だと思うところだけれど……」
 
 貴族には享楽主義者が多い。
 とくにお金を持っている人間は娯楽をやりつくしていて、刺激を求めている。
 その上、頭は鈍っているので後のことなど考えない。
 俺に手を出す意味を金だけを貯めこんだ下級貴族は理解していない。
 もちろん、愚かな彼らの背後にはプロセチア家を滅ぼさんと画策する組織や反体制派などもいるだろう。
 俺さえいなければフォルクハルトを傀儡として使える。
 彼らは国の繁栄や安定などを考えない。自分の代がそこそこに平和ならそれでいい。
 中には戦争をしたがっていた集団もいた。
 
 手を組んだり、そそのかされたり、裏切られたり、ハメられたりと俺が十年間見てきただけでも貴族社会は単純ではない。
 
 毒物、劇物ではなく、ちょっとした媚薬程度なら戯れで済むと思って仕掛ける。
 バレたとしても使用人の首を切り、お詫びの品として高級品を渡せば終わりだ。
 未然に防いだ場合なら、相手の立場によっては罪にも問えない。
 次期侯爵であるなら侮られるわけにはいかないので、糾弾するが、第一王子の婚約者という立場ではことを荒げるわけにはいかない。俺ではなくフォルクハルトの評判を下げかねないからだ。
 
「お、おにいさま……あの、お身体は」

 聞き難そうなユーティに「問題ないよ」と微笑みかける。

「アロイスが居てくれると助かるんだよ。彼は口当たりがいい悪酔いする酒も毒に分類して弾いてくれる。酔うにしてもほろ酔いで翌日に尾を引かない量に調整してくれる。健康を損ねないように酒の量を調整するのは、経験がないと難しいものだ」

 そして、俺の場合は酔い潰れたり、二日酔いなど経験するわけにもいかない。隙を見せられる立場じゃない。
 まったく飲めないと社交の席で恥をかくので、ある程度は慣れておかなければいけない。
 俺がどれだけ飲めるのか、陛下が見極めるために協力してくれとおっしゃってくれたこともある。
 だが、陛下に醜態を見せるわけにもいかない。

「なるほど。アロイスのゆうしゅうさ、とても理解できました」
 
 キリっとした顔でユーティがアロイスの必要性を納得してくれた。
 
「おにいさまの貞操をまもるのは、とても、たいせつなことです」
 
 ユーティが真剣だからこそ、なんだか微笑ましさがある。
 
「ありがとう、ユーティ。俺がユーティを助けるようにユーティも俺を助けてくれ」
「もちろんです! ゾフィーお姉さまと仲良くなるとアロイスを引き入れやすくなりますか?」
「どうだろうね。彼女は歌姫としての活動を心の底で望みながら、アロイスのために商会の姫君を演じることになるのかもしれない」
 
 アロイスの穴を埋めるためにゾフィアが奮闘する様子を覚えている。
 彼女は納得していたかもしれないが、未練はあっただろう。
 
「歌姫、とは、……歌うことで、おかねをもらう人ですか?」
「そうだね。吟遊詩人とはまた違っている。あれは歴史の語り手であり、噂の根源だ」
「飲み屋?」
「そういったところで歌うことで彼女の気持ちがおさまるのならいいかもしれない。けれど、ゾフィアはもっと多くの人間に自分の歌を届けたいのさ。以前、彼女への罪滅ぼしとしてアロイスの主人として、席を設けたけれど」
「怒らせてしまった?」
 
 女性の気持ちというのは分からない。
 あの場面での失敗は、歌を聴く気がない人間が居たことだろう。
 彼女の自尊心を傷つけてしまった。
 
「ゾフィーお姉さまのことは、いったん、わたくしにおあずけください」
「いい案があるのかい?」
「……はい。おにいさまは、ちかく、領地に戻られるのでしょう?」
「ある程度、味方を増やしてからになるね。敵対組織の規模も動きも分かっているから、さっさと排除するよ」
 
 ミーデルガム家の茶会のあとに待っているのは、同年代の貴族連中との顔合わせだ。
 呼び出されて三十分前後、子供だけで話をしたり、庭の自慢を聞く。
 王都にいる大体の貴族の顔と性格を把握したので、親子の比較という観点で報告書を作って父に提出した。
 おもしろかったのか父が陛下に渡したことで、個人的に話を聞きたいと呼び出された。
 
 十年前のことなので、どんな報告書なのか覚えていないが「容赦がない正しい目線だ」と陛下から評価いただいた。
 貴族の子息との接触は不要かと思ったが、今回は違った視点からの報告書を作ってみるのもいいかもしれない。
 
 
2019/08/19
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