こんなに簡単に捨てられる命なら

 自分を取り巻く気配を感じながら、手も足も文字通りにないので身動きが取れない。自分の体の首から下がなくなる日が来るとは思っていなかった。普通の人間なら、生きていられない状況だ。普通の人間じゃなかったとしても、こんな状況で心を壊さず、いられるのだろうか。
 
 声帯が破壊されていなくとも、舌が切り取られた段階でオレは植物と変わらない状態に成り果てた。
 
 首の下は食塩水の入った金魚鉢に漬かっている。頭を横に転がされていないのは、なけなしの優しさだったのかもしれない。触覚は死んでいない。そのせいで目をえぐられる時の痛みは大きかった。今は金魚鉢のふちのビラビラとした感触だけがオレの現実だった。ふさぐ手を持たない耳はオレをどこに捨てようかと話している声を拾う。
 
 
 吸血鬼の食糧はいろいろと制約の上で成り立っている。
 繁栄が約束されるので喜んで我が子を供物として捧げる家がある一方で、下位の吸血鬼は人間に対する見返りを用意できないという切実な問題に直面する。誰もが吸血鬼というだけで人よりも上の存在だと判断するが、人間から吸血鬼に上がったような血が薄い者たちは、権力などない。だが、吸血鬼であるというプライドだけは人一倍つよい。
 
 吸血鬼になれたということがは、吸血鬼に選ばれたということになる。
 上位種に選ばれたという事実が人を傲慢にさせる。
 
 どうにかして自分たちの地位を高めたい元人間の吸血鬼の中に研究者や医師が居た。

 彼らは自らの知識と人間のときの人脈を使って、ある計画を企てた。
 内容は吸血鬼のための永遠の食糧となる人間の製造だ。
 血を抜きすぎると人間は死ぬが、回復能力の高い人間の遺伝子を解析して、回復能力が高い死ににくい人間を作り上げ、そのうちどういった魔法を使ったのか、頭に傷がない限り首から下がなくなっても生きていける生命体を作り出した。
 
 オレはそれをヒトと呼ぶことはできないと思うが、吸血鬼からすればヒトの血の味なので、ヒトだという。

 信じがたいが、吸血鬼が嘘を言う理由などない。
 オレの先祖は吸血鬼の食糧になるために作り上げられたヒトだった。
 つまりオレもまた吸血鬼の食糧だと言えるが、三年前の十五歳ほどまで普通に暮らしていた。何も知らなかった。
 もちろん学校にも行って普通の男子高校生になる、その手前だった。
 高校の制服を隣の家の幼なじみに見せに行った、その瞬間までがオレの幸せで平和な時間だ。
 
 幼なじみの家で夕飯を食べて、自分の家に帰ると見知らぬ男たちが土足でリビングにいた。
 
 男たちは兄がオレを売ったのだと言った。
 オレを売って自分は逃げた、
 逃げたので兄と一生会うことはないと教えられて、連れて行かれたのはオークション会場。
 意味が分からないままにオレは富豪の食人鬼一家に落札された。
 回復能力が高いとはいえ吸血鬼用の食糧人間だから痛覚はあるのにとオークションの主催者はオレを哀れんだ。
 オレの先祖のことやオレの体のことを教えてくれたのもその主催者だ。現状の把握に時間は必要なかった。何一つ分からなくても、相手が説明してくれなくても、オレの現実は待ってはくれない。
 
 オークションで落札されたその日のうちに、オレは食人鬼の家の大きなテーブルに押さえつけられて、マグロの解体ショーのように大きなのこぎりのような包丁で体を切断された。
 
 不思議なことに翌日になるとオレの身体は元に戻っていた。
 五体不満足になって腹を裂かれて内臓を食べられた痛みは生々しいが夢ということにしたい。
 オレは幼なじみの家で夕飯を食べて、リビングのソファで寝てしまった。
 兄に部屋で寝ろと怒られるところだ。それを期待して、オレはリビングのソファでまどろむ部分もある。
 幼なじみに時折、指摘されるがオレはきっとブラコンなんだろう。
 そこまで日常生活で兄に依存しているつもりはないが、家族がオレと兄の二人っきりなので、親しい人の話題となると兄のことばかりになる。兄がオレを売ったなんてことはありえない。オレたち兄弟は二人で生きていこうと、そう誓っていた。
 
 食人鬼一家の長男が朝食としてオレの指に噛みついてきたので、現実がどこにあるのか教えられてしまった。
 もしかしたら夢じゃないかと思った現実は、やっぱり現実で、オレは人にしか見えない食人鬼に食べられている。
 食べられている上にその傷は魔法のように治っていく。オークションの主催者が教えてくれたオレの特性は嘘でも何でもなかった。
 
 兄がオレを売ったのは嘘だと思いながら、こんな痛みを受け入れる人間の方がおかしいとも思う。
 二人で逃げることができないなら兄だけでも無事でいてもらいたい。そうじゃないとオレは食べられ損だ。
 
 
 食人鬼は五人家族だった。
 家にいることが少ない父。着飾った母は室内でも顔が隠れるほどの大きな帽子を取らない。
 オレを手元に置き、自分だけのエサだと主張する長男。
 それが気に入らず隙あらばオレに物理的に噛みついて食べてくる双子の兄妹。
 長男はオレの一つ上で優秀らしい。
 オレの目の前で学校の予習復習をしている。
 自分なら家で勉強などしない。
 幸せだったんだろう。
 適当にやっていてもどうにかなると本気で思っていた。
 なにも知らなかった。
 自分の置かれている状況が奇跡なのだと分かっていれば、噛みしめていた。あるいは、夜も眠れないほどの不安に苛まれたのか。
 
 勉強を頑張っているだけで、オレを食べる長男のことを何故か尊敬できてしまった。
 もしかしたら寂しかったのだろうか。
 この食人鬼の家で食べられ続ける日々が逃げ場を求めた。
 長男は他よりは、ましだと判断して心のよりどころにしようとした。
 それは、べつにおかしな話じゃない。
 
 オレは両親のいない寂しさを埋めるために兄に依存していた。
 兄が自分の世界のすべてだと、そうどこかで思っていた。兄が帰ってきてすぐに気づけるようにリビングで時間を潰す平和な時間の代わりにオレは長男の視線が自分に向く瞬間を待っていた。
 
 おやつと言ってオレの指を一本だけ食べる長男。
 痛みはあるけれど、普通の人よりも痛覚は鈍いらしい。
 その上、すこしすると痛みは気持ちよさに変わる。
 最初はとても痛かったから、慣れたのかもしれない。
 長男におやつとして指を一本、持っていかれるぐらい、気づけば気にならなくなっていた。
 
 大量の人間用の食糧を部屋に持ってきたかと思ったら、長男は「部屋で待ってろ。部屋の外には出るなよ」と告げて消えた。
 しばらくはスナック菓子やレトルト食品を口にしていたけれど、トイレに行きたくなって外に出た。
 部屋の外には双子の兄妹がいて、お腹を空かせた顔をしていた。
 まずいと思ったものの、オレは逃げることも出来ず生きたまま足から食べられた。
 糞尿を垂れ流すオレを双子とその母。
 長男はどこにもいなかった。いたら、きっと助けてくれた。
 
 オレにキスをするようになってから、彼はオレを食べなくなった。
 舐めることや噛むことはあっても、食べない。
 エサではない、別のなにかだと思われるようになったと、オレはそう判断した。
 うれしかった。
 普通の人間あつかいをされていないとしても、食べ物だと思われるよりもいい。
 
 双子の兄妹に抵抗むなしく食べられて、改めて、食べられない日々は幸せだと、そう思った。
 
 不思議なことにオレは体が欠けたままになってしまった。
 頭だけ残って、手も足もない。
 最初は双子のオモチャのボール代わりにキャッチボールにされたり、壁にぶつけられたがすぐに飽きられた。
 オレのような回復力が異常なヒトは頭を傷つけることや殺すことを禁じられているので、食べる場所がなくて困ると愚痴られた。
 
 そして、オレは捨てられることになった。
 
 どうしてこうなったのか、まったく分からないまま、深夜のゴミ捨て場に金魚鉢入りの状態で置かれる。
 猫やカラスに突かれるのが最後か、誰か優しい人に保護してもらえるのか。
 オレがどうなるのか、オレにも分からない。
 
 
2018/08/22
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