番外:下鴨家の人々プラス「海問題 長女にとっての問題は消え海は海になった」
番外:下鴨家の人々プラス「海問題 下鴨康介は誰より自己中心的だ」の三十分後ぐらい。
下鴨弘子視点。
不満があるのかと聞かれたら私は「当然!」と即答できるほどに怒りは腹の中にたまっている。と、同時にこの結末は分かっていたのだとグレートゴージャス弘子さまの好物盛り合わせピザを食べながら思う。冷めてもさすが好きなものだけ詰め込んでいるので美味しい。
一足先にコウちゃんがヒロくんに焼きリンゴを食べさせてもらっている。嬉しそうなのが後ろ姿からも分かる。
子供が大人の話に食い込めないのが現実なのはわかっていても私は口出しせずにいられない。だって、私は下鴨家の長女だ。家族として家族であるヒロくんやコウちゃんのために動きたいと思うのが当たり前。
それにヒロくんが嫌がりそうだから言い難いと思っていたいくつかのことが、私は言っていいのだと分かった。
たとえば、海に行きたい。
これは他の家の子たちは普通にやっていると言いたくなるけれど、ヒロくんとコウちゃんの力関係というかバランスを考えると気軽に訴えられなかった。下鴨弘子は自分で無敵タイムを作り上げられるけど、逆にそれ以外の時間は普通の子供でしかない。そんなことを思ってしまう。
誰に何を言われても全然気にならないときがあれば、コウちゃんの落ち込みやヒロくんの怒りにあてられて感情があっちこっちに飛んでいく。この落ち着きのなさが子供なのかしらと自己分析してみても修正は難しいのでひとまず放棄。
本当にダメな言動は家族の誰かが止めに入るからいいのだと私は軽く考えることにしている。
ともかく無敵タイムに必要なのは自分の主張が正しいという自覚だ。必要なのは証拠じゃない。気持ちのほう。
物的な証拠や証言なんて適当に覆ってしまう。大人なら尚更だ。
ヒロくんはあれで家族である私に誠実であろうとするし、コウちゃんは言いよどむ私の背中を押してくれる。
海には来れた。ついでのように山にも来てキャンプ的な行動もしている。先輩への感謝のための裏工作もできた。
私の怒りはヒロくんというかこれからコウちゃんの会社になる場所を好き勝手することで落ち着いた。
秋に芋掘りに行きたい。
落ち葉で焼いたサツマイモを食べたい。
山に松茸狩りや山菜採りにもいきたい。
ハロウィンの仮装にコウちゃんと深弘と参加してみたい。
紅葉狩りに行きたい。
小学校に通う前みたいにコウちゃんとヒロくんと紅葉を見ながらお散歩したい。深弘も一緒にいていい。
木鳴のおばあちゃんのお弁当を持って特に意味なく歩き回ってコウちゃんがヒロくんの写真を撮るのを笑いながら見る。
クリスマスには男子全員にトナカイの衣装を義務化。
コウちゃんは私と深弘とおそろいのサンタさん。
クリスマス前までに年賀状を作るお手伝いも忘れちゃいけない。
大晦日前のおせち作りはおばあちゃんとヒロくんが大忙しだけれど、きっと今年はコウちゃんの独壇場。
私はできたものをお重に詰めるか、ヒロくんをキッチンから追い払う係だ。
お正月には凧揚げをしに大きな公園に行きたい。
ひーにゃんを馬にするだけじゃなく竹馬というものに乗ってみたい。
羽子板で遊んでみたい。
夏が終わってからのことを少し考えただけでもやりたいことはいっぱいあった。
学校で誰かの家族イベントの話を聞いたり、先輩たちと話したり、テレビを見たりするとシャボン玉を吹くようにやってみたいことはたくさん広がる。同時に無茶かな、わがままかなと思うとパチっと弾けて消えていく。
ときにこのやりたいことのシャボン玉はすぐには消えずに風に乗ってコウちゃんのところに届く。そうすると半分ぐらいの感覚でやることができる。ヒロくんが見つけると次の瞬間には叶う。叶えてくれる。これはコウちゃんが悪いというわけじゃない。
私のわがままの種類がコウちゃんがどうにかできることじゃないものばかりだからだ。
ヒロくんはお金や時間などの都合を私が気にする暇もなくあっさりと当たり前にやりたいことをやらせてくれる。
アレが出来ないこれが出来ないと愚痴るクラスメイトを思い出すと恵まれている感じるけれど、逆に次が言い出しにくくなる。
これがヒロくんのやり口なのかと私は私なりに悩んでしまう。無敵タイムの外側で弾け続けるシャボン玉に困るのだ。
そんな中でひーにゃんの義理のお兄さんの話をお雛様から聞いた。
私がヒロくんとコウちゃんの時間を減らさないようにとシャボン玉を弾けさせて気持ちを持て余していたというのに許せない。
怒りは燃えたぎるマグマだ。
でも、コウちゃんの言動で私の中の弾けて消えたシャボン玉は風船に形が変わった。
簡単に壊れて消えたりしない。コウちゃんは魔法を使えるわけじゃない。わかっているけれど、私の世界はまたすこし新しく生まれ変わった。
ヒロくんが誰かに時間を割くのが嫌だった。コウちゃんがそれを嫌っているからだ。そう思っていたのは本当なのに私の本音は別の場所にも隠れていた。
ヒロくんに私がやりたいことというシャボン玉が届いたのならすぐに実現する。思いついたもの全部なんてわがまますぎて自分でも呆れてしまう。全部を叶えたいわけじゃない。私は弾けて消えて誰にも届かないと思ったからこそシャボン玉をたくさん作った。
私が律儀にも順番待ちをしているのに家族でもない他人がわがままを叶えられているなんて知って怒らないわけがない。誰よりもまず先にコウちゃんで次に私で、その百人ぐらい後に回してひーにゃんの義理のお兄さんなりなら、まだここまで怒らない。
コウちゃんのことはコウちゃんにやらせるのがヒロくんの主義なのは知っているので、コウちゃんが泣いた苦しみや悔しさや切なさはコウちゃんがどうにかするのはそれはそれでいい。無神経なヒロくんに無神経だと言い続けるのは私の役目だ。
ヒロくんがコウちゃんを庇えば逆にコウちゃんがよく思われない状況に追い込まれることを私は知っている。ヒロくんは人妻にモテていた。モテすぎてどうかしていた。さっさと話を切り上げればいいのに延々と保護者の方々に囲まれる。美人から地味まで容姿は関係なくモテる。恋とか愛とかの話ではなく雑談の盛り上がりが半端ではない。話の切れ間がない。終わったかと思えば別の集団に捕まるヒロくん。長男と次男と長女である私の別々の学年でそれぞれの親たちと付き合いのある顔広ヒロくん。
学校関係の人たちなので会話をするなとは言えないのだけれど、コウちゃんはイラっとして爆弾を落とすこともままある。
両親のどうしようもなさに直面すると私のシャボン玉はそもそもシャボン液のまま地面に水たまり状態。干上がるのを待つばかりになってしまう。
ありがたいことにひーにゃんが新しいシャボン液を作って吹くことを応援してくれる。だから、私はおにいの半分ぐらいは優等生でいようとしていた。
「ヒロくん」
私は見えない風船をヒロくんに投げつける。シャボン玉のように割れたりしない。ビーチボールの要領だ。
わがままの順番待ちなんかしなくていい。コウちゃんは周りを蹴り倒して、突き飛ばしてヒロくんに抱きついた。
ヒロくんはコウちゃんを避けることもなく抱きとめて平気な顔をしている。
大人だから順番を後に回した相手にはフォローを入れるのだろうけれど、ヒロくんはコウちゃんが来たらしっかりがっちり受け止める。手の中にあったものを放り投げるか誰かに預けてコウちゃんを取るのだから、私の怒りだって手からこぼれてしまいそう。
「私たちとひーにゃんは小屋でゆったりするのでコウちゃんとヒロくんはテントね。テントは瑠璃ドンに準備してもらっております」
「違うチームなのにか?」
「勝者である私が正義なのです! 小屋かテントのどちらかとしか言っていないのでこういうのも当然あり」
「ルールブック弘子の名は伊達じゃないな」
「いつからそんな二つ名がついたんだよ」
コウちゃんを呆れた目で見るヒロくん。
「あした、海に潜りたいの」
「……瑠璃川、ダイビングの機材とポイントは?」
「あります。子供用のものも、たぶん」
「たぶんじゃねえだろ。きちんと確認しろ。水中カメラはあるか」
「船にあったと思います」
「思いますじゃなくて確認しろって。……久道の兄貴が肩を落として去ってって暇してんだから連絡して確認してもらえ」
「ヒロ先輩……ひどすぎじゃないっすか」
「なにがだ?」
ひーにゃんの義理のお兄さんとコウちゃんのやりとりを見た上で負け犬状態の相手をこき使うヒロくん。瑠璃ドンには真似できない領域にいるのがヒロくんなのでした。
我らのヒロくんはいつだってある意味で鬼なのだ。
ひーにゃんがすごく安心した顔でヒロくんを見ているので私はこれはこれで、というものなんだと大人の世界に多少の理解を示すことにした。
今日は疲れたので明日の夜にひーにゃんに星座を教えてもらうことにする。
朝ごはんを食べたらひーにゃんの義理のお兄さんにお礼と嫌がらせをしに行こう。
今日のこの場は終わっても私の過去の怒りが完全に消え去ったわけではない。下鴨弘子はさっぱりあっさりしているヒロくんとは全然違って粘着質だとこの機会に魂に刻み込んでもらうのだ。
2017/09/19