番外:下鴨家の人々プラス「海問題 久道にとっての現実と真実2」

久道視点。


 木鳴弘文の家族は崩壊していて、それが俺やチームの人間たちへの優しさに繋がっていた。
 似たような身の上の人間は驚くほど多かった。家族に不満がなくてもヒロに憧れて付き従った人間は多い。けれど、依存して、頼りきりになったのは帰る場所のないものばかり。
 
 ヒロはこじれた家族を取り持ったり、家出少女たちの一時預かりもしていた。頭のおかしい奴が時々現れても自分たちで対処できないレベルまでにはならない。見極めて本当に危ないものは警察なり、大人に任せていた。
 
 いろんな失敗談を見て自分だけの理想の家族が欲しいとは思わないところがヒロと俺の気が合うところだったんだろう。
 ヒロも俺も避けていたものだと勝手に思っていた。
 四人の子持ちなんて意外すぎる姿だ。
 想像もしていなかった。ヒロが家庭を築けるとは思わなかった。
 そういう人間ではなかった。
 
 作り上げることができるのは仲間という狭いのか広いのか分からない集団がせいぜい。
 
 ヒロにとっての仲間は家族同然だった。崩壊した自分の家族よりよっぽど信頼できる真の家族かもしれない。子供時代の逃げだとしても自分の家に背を向けていた俺たちはヒロの与えてくれる居場所でぬくぬくと過ごしていた。康介くんがチームの人間をさしてモラトリアムと言っていたのは鋭く端的だ。
 
 物心ついてからずっと鬱屈とした気持ちの捌け口を求めていて、ヒロが作ったチームを整える手伝いとして憂さ晴らしをしていた。俺の衝動はヒナの暴力と方向性が似ていたのかもしれない。ヒナの周りのやつらは意味不明だが、ヒナ自身はシンプルな考え方の人格破綻者だったので、ある程度の距離感なら付き合える。
 
 
 義理の兄になった相手は善意の押し売りを得意にする人間だった。触れないで欲しいと発するオーラは無視。近づくなと告げたところでついてくる。最終的にベタな変装でチームの中に入り込んだ。
 
 ヒロに再婚相手の連れ子だと伝えると「どうしたい」とたずねられた。俺に判断を任せたのは俺の義理の兄だから以上に言外に「お前が嫌ならチームに要らない」と伝えてくれていた。当たり前のように見せるヒロのヒロの信頼というか優しさというか尊重というものがくすぐったくて、義理の兄を放置したのは間違いだ。この時に徹底的に排除したなら俺の世界は平和だった。
 
 義理の兄は持ち前の愛想の良さと包帯でぐるぐる巻きであっても美形なのがわかるせいか、チームですぐに一目置かれる存在になった。
 
 どうでもいいと思い続けていたのはそう思わなければ相手がこちらの領域に踏み込んでくると知っていたからだ。あれほど向き合いたくない相手はいない。無視しなければ自分の大切なものが踏みにじられる。
 
 チームの中でアレと接して平気だったのはヒロと康介くんだけだったんじゃないだろうか。
 ヒロは本質を無視して表面的な功績で評価して、康介くんは本質を理解しているからか、アレから気にかけられても基本的に受け流していた。
 
 人の中にある悪意というのは普通は表面に出てこない。ただ一定の条件がそろうと恐ろしく膨れ上がり伝染して共通意識に仕立て上げられる。
 
 
 たとえば、康介くんへの悪感情。
 勝手すぎると誰もが思う、ヒロだって思っていた。
 実際、誰が見てもやりすぎだった。
 他人を押しのけてヒロの隣に居ようとするのは非常識で自分から攻撃される隙を作っている。
 集団の中での不協和音になれば排除したがる人間が出ても不思議じゃない。
 
 そういう人間たちが集まって不満や毒を吐きたくなるのは大人だって子供だって同じだ。
 その中でそいつは悪意を肯定していく。
 
『あいつは勝手すぎる』
『そうだね』

『あいつはみんなを舐めてる』
『そうだね』

『ヒロさんだってあいつに迷惑している』
『そうだね』

『リーダーのために俺たちが何とかしないと』
『そうだね』

『ヒロさんはみんなのヒロさんなのに』
『そうだね』

『あいつが独占していい人じゃない』
『そうだね』
 
 
 ただ相手が吐き出す不満を肯定した。康介くんがお前たちを嫌っているなんて嘘を一度として吹きこんだりしない。吹き出す愚痴にうなずいたのだ。アレは事実ではないことを口にしたりしない。そんな分かりやすく人を動かしたりしない。
 
 
『君がそう感じるならきっとそうだよ。君は正しいよ。君を怒らせるものが悪い。君を悲しませるものが悪い。君の気持ちは間違ってなんかない。君の感じるものが真実だ』
 
 
 十代の多感な時期の肯定されたがっていた少年少女にこれほど甘く優しい言葉はない。
 
 本当は自分の感情がどこか八つ当たりや嫉妬にまみれていたと分かっていたかもしれない。それなのにチームという集団の中でヒロにも信頼されていそうなアレに背中を押されるように励まされたら、自分の中にある憎しみや悪意や不満を育たせていくだろう。そうすることが正しいのだと言われたのだから、視野を広げることを捨て、相手を理解しようと思うことを諦める。
 
 元々が康介くんがこちらに心を開いていないのだからと罪悪感は軽減され、なんらかのリアクションをとるハードルは下がる。正しいことをするのは気持ちがいい。人を批難することすら、自分が正しい場所にいると思えばこそ思い切り罵れる。相手が悪いという前提がある。自分の言動は相手が原因であるのだから、何を口にしても、どんな行動をとっても間違っていない。
 
 自分の中から湧き上がった感情だと心から信じ込んでいる彼らが気持ち悪かった。
 
『ヒロのことは一番俺たちが分かってるなんて、俺を前にして言うなんて良い根性してんなぁ、バカが。
 見て分かんないのか、見たくないから分かんないのか知らないけど、物事には優先順位がある。ただそれだけのことだ。
 どこから見ても天使的なかわいらしさを持つ康介くんを優先するだろ、お前らよりも!!
 人間の分際で天使と同じ立場に立てると思ってんのかよ。どんだけ偉いつもりだよ。
 自分が抱える不安をヒロに押しつけて解決させたり、ヒロと同じ空気を吸ってヒロに近づいた気になって思考停止するやつら、お前らみんな気持ち悪いんだよ』
 
 ヒロの人を信じようとする気持ちみたいなものが俺のどこかにも眠っていたのかもしれない。
 ずっとヒロと一緒にいたのなら分かるはずだ。そんな、いつになく熱い気持ちに突き動かされていた。
 俺ほど一緒だったわけじゃなくても、ヒロを知っているなら他人と下鴨康介との扱いの差がどれだけのものなのか、分からないわけがない。ヒロが特別だと思った相手を排除しようとするのは自分がおかしさからだと気づくはずだ。
 
 
 自分たちよりヒロが大切なものを作ってそれを外側からしか眺めるしかできないことが、淋しくても悲しくても忘れちゃいけないことがある。
 
 ヒロは自分が憎まれたって構わないと思ってるやつだ。殴りたければ殴りにこいと実際に口にしている。不満があるなら陰口を女々しく叩くんじゃなくヒロに叩きつけに行けばいい。康介くんではなくヒロに構われたいのならヒロ本人にぶつかるべきだ。
 
 お前らはヒロの何を見てるんだと自分を見失ってるやつらに似合わないことを怒鳴りつけたが効果はいま一つ。アレに洗脳されるように自分にとって都合のいい言葉だけを集め続けたやつは自滅していった。俺の勧めでヒロと殴り合ったやつらは今もヒロの会社にいるらしい。
 
 脳みそ筋肉だから雰囲気に流されたり、義憤に駆られたりするんだろう。
 元いじめられっこの粘着質を発揮した馬鹿どもがヒナと接触して被害を広げだすのは別の話のようでいて地続きだ。
 全部アレのせいだというには証拠は足りない。チーム内で急にヒロが想定していないだろう行動を起こしたやつらはアレによくない感情を刺激されて増幅されたなんていうのは俺の妄想に近いのかもしれない。
 
 ぬるぬると、ぬめっとした空気は感じても実態がつかめなかった。
 悪人は悪人の顔をしない。そういうことなのかもしれない。あるいはヒロが解釈するようなチームの人間の愚痴を聞いて心を軽くしてやったと良い方に感じるべきなのか。
 
 アレの何がどう悪いのか。俺は言葉にして説明できない。わかるのは理由など考えずに強制的に排除するべき毒だった。
 組織の中にアレがあっていいことは何もない。
 
 
 アレの悪事の証拠は俺よりも先にヒナが手に入れたのだろう。
 弘子ちゃん曰く味噌汁の事件の裏側について語る際にヒナが学生時代のころの話もしてくれた。
 ヒナが意図的に病院送りにするレベルにしたのならアレの悪事が露見したのだと俺はどこかで安心していた。見舞いには行かなかったし、関わりあう気もなかった。
 
 ヒロが会長で俺は一瞬だけ副会長。康介くんが新入生としてやってきて俺は会計になってチームのたまり場ではなく生徒会室でふたりを見つめることが増えた。学園の中と外での違いはビジュアルの違いなのか。
 
 比較的ガテン系脳筋族が多めなチームの人間たちと出生や見た目を重視する学園の人間たち。
 ヒロを兄貴と慕うタイプは康介くんのような序列無視に反感を持ちやすいが、親衛隊なんかでまとまる集団は康介くんのやることをすべてプラスに変換するのが仕事だった。
 
 アレが入院してからチームはおだやかだが、集まりが悪くなったこともある。
 ヒロが街に出ることが減ったからだ。ヒナを恐れているというわけじゃない。もう少し上手く立ち回れば酷い怪我をさせることなどなかったと考えていたのかもしれない。
 
 ヒロは自分が蹴られようが殴られようが気にしないが、避けられる戦いに他人を巻き込むと落ち込むこともある。ヒナとは和解できたはずだとヒロは思っていたんだろう。話せばわかる相手はでないけれど、話さない方法で分かり合えるとヒロは期待していたはずだ。そして、ヒロの考えは正解だったからこそ、現在の会社の中でヒナのポジションは重要なところにある。
 
 
 
「そういうところじゃないですか。弘文は兄弟のことは兄弟で勝手にやってろって思ってるけど、オレと娘は居るなら居るで立場をわきまえろよって思ってますけど」
 
 
 康介くんの言葉は俺に向けられていたわけじゃないのに酷く痛かった。
 ヒロの優しさに甘えている俺こそが異物なのは分かりきっている。
 
 高校のとき、転校してきたアレがおそろしくて親衛隊なり都合のいい相手の部屋をはしごしていると、風紀委員長をやっていた義理の弟が生活態度を注意してきた。風紀なのでこういうことはたびたびあったので聞き流していると康介くんが生徒会室で一人で仕事をしていると教えられた。
 
 いくら優秀でも一人では無理があると駆けつけて手伝うことにした。楽しかった。康介くんがヒロのオマケのその他ではなく、俺という人間に焦点を合わせてくれた。酷く充実した時間は重苦しいものに変わる。
 
 康介くんと結婚するつもりだとヒロが言って俺はそうなるだろうと半分以上安心していた。泣いていた康介くんを思えばヒロの選択が一番正しい。俺があの手をとることがあったのだと思える気持ちになれるほど近くにいることができて、それだけで十分だ。
 
 まるで種明かしをするように「よかったね」とアレが声をかけて来なければ、俺は今のような生活を送ることはなかっただろう。
 
『コー君がひー君を誘惑したって聞いたよ。よかったねえ。一生の宝物だね』
『……何が言いたい』

『おにいちゃんとして一肌脱いだ甲斐があったなあって。だって、生徒会室にコー君が一人でいたから、ひー君との距離が近くなったんだもんねえ。それはほらほら、ひー君のおにいちゃんがヒロやみんなに「勉強教えてー」とか「入院しててゲームできなかったから」って言えば「仕方ないな」ってなるからね。ヒロとかあれで真面目だから身体が痛いって言えば嘘でも付き合ってくれるからね。ヒロが付き合えばみんなも付き合うし、ね』

 このいやらしさは言葉で説明できない。ヒロが許容する甘えのラインを見極めた上でのバレていい嘘。バレることが前提の嘘。ヒロなら仕方がないと思ってくれる予想を立てた上で動いている。
 
 きっと俺がもっと賢かったなら、きっと俺がちゃんと考えていたのなら康介くんが泣くことはなかった。
 その余地を残した上での穴のある言動だったのだから。

『ホントはコー君を孕ませたかった? あぁ、そんなことをしたらヒロと一緒に居られなくなるから、ひー君としてはダメなのかな。むずかしいね』

 覆い隠した心の中に土足で踏み入り傷口に塩をすり込むのではなく、傷を広げるように指を入れてきた。

『おにいちゃん、超能力者じゃないからひー君の心の中を全部わかるわけじゃないんだよね。ひー君がどっちを取りたいのか分からないから、どっちにでもいけるような状態にしたんだ』

 微笑みながら自分はいい仕事をしたと胸を張る。
 ヒナよりも理解しがたい狂いっぷりだ。
 
『ヒロの役に立ちたくてヒロと何だかんだでおじいちゃんになるまで付かず離れず一緒にいるのか、恋愛に生きるために全部を捨てちゃうのか。どっちに転んでもひー君が喜んでくれるだろうって思ったんだ』

 俺は自分からは動かなかった。康介くんが伸ばしてくれた手を完全に取る前にヒロが来てうばっていった。それに悔しさと安心を覚えていた。
 
 俺はヒロを裏切れない。裏切りたくない。でも、もし許されるならと、どこかで思ってはいた。康介くんが望むならヒロに笑って謝って殴られていい。

『ヒロの真似っこするの好きだもんねえ。ヒロが笑ってると楽しいから、チームの人間に良い人でいてもらいたかったんでしょう。ヒロが怒ってると自分もムカつく気がするから暴れてみる。じゃあ、コー君が好きなのもヒロの真似っこ?』

 投げつけられる言葉に心が穢される気がした。
 自分の感情がヒロに引っ張られることが多い自覚はあった。
 心の中に何か同じようなものがあってヒロの言動に「たしかにな」と返したくなる。真似ではなく共感していた。
 ヒロの全部に共感できるわけじゃない。ただヒロの気持ちも淋しさも憤りも虚しさも同じものが俺の中にもあったのだ。
 仲間や友達が何であるのか、ヒロと居ると分かった。
 一人じゃないと思えた。居場所ができたと感じた。
 
 ヒロを裏切るぐらいなら康介くんを天使として触れられない綺麗なモノ扱いしている方が気持ちが楽だ。
 どうせ、康介くんからしたら俺でも汚い浮浪者のオッサンでもヒロでない時点で同じなんだから。

『ヒロが抱いた後ならコー君を抱きたくなるのかな。好きな子とお話しするだけで満足しちゃうひー君にはハードル高いかなあ。でもね、おにいちゃんだって男女関係なくエッチなことしてコー君を見ないようにする弟が心配なんだよ!』

 おにいちゃん心とやらを力説されても気持ち悪さしかない。
 俺への善意だけで他人を平気で踏みつけにしていた。
 ヒロや康介くんを利用されることがないように離れて生きていこうとして失敗した。
 
 
 男でも女でも付き合う相手が急にストーカーになっていく。
 執着心が強いとかそういう話じゃない。わりきったセフレとしての付き合いのはずが泥沼になる。
 康介くんの影を求めたからという訳でもないはずだ。康介くんのヒロへの執着は並外れたものだけれど、一方的に見えてヒロが許さない場所までハミ出ることはなかった。考えなしに見えて頭がよかったのだろうか。
 
 結局耐えられなくなって死に方ばかり考えていた時にヒロが俺を自分の家に連れて行った。
 ヒロはいつだって他人に居場所を与えようとするやつだけど、さすがにこれは特別扱いがすぎる。そんなに俺はヤバイ状態なのかと軽口も叩く気力もなかった。
 
 詳しいことを何も言わなかったけど、ヒロの気持ちは分かってた。康介くんを俺にくれることなんかないけれど、俺を見捨てることだってないって、そういうことなんだって分かってる。康介くんが俺と仲が良すぎるとヒロに怒ってみても無視。ヒロにとって友達や仲間の力になるのは当たり前のこと。結果として康介くんを蔑ろにすることになっても気にしないのは康介くんが自分から離れないと思っているからだ。
 
 喧嘩してもすれ違っても康介くんはヒロの言動を肯定的にとらえる。自分を優先しろと訴え続けはするけれど、仲間に優しいヒロらしいところが好きなんだと結論付ける。
 だから、俺は納得していたのに転職先の誰かしらと恋愛や交友関係でトラブルが起きる。人恋しさに手を出すことをやめたのに失敗する。
 
 最初からどこかおかしかったのかもしれない。
 
 ヒロが俺を見捨てないという前提で誰かが俺を窮地に陥れたんじゃないだろうか。これは妄想なんだろうか。
 逆のことが起こって俺は自分が蛇の腹の中にいることを実感した。
 
 消防車のサイレンの音を聞きながら「ひー君がいたからヒロは助かったね。ひー君のおかげだね」と俺を褒め称える幻聴が聞こえるようだった。
 
 ヒロを襲った男女は昔に俺と関係があったやつらだ。正確にはヒロに手を出そうとしていたから先に俺が自分に引き寄せておいた。ヒロは恋愛系統に潔癖で精神的にも肉体的にも心底ダメだった。俺は平気だから味見がてらヒロから俺に興味を移させておいた。ヒロのために犠牲になったとは思わない。持ちつ持たれず適材適所だ。いつもの俺たちだ。
 
 だが、このしっぺ返しの食らい方は意図的じゃなければ神がかりすぎている。
 
 誰もが悪いことをしていると思っていない。アレとかかわった人間たちは自分が正しいことをしていると思っている。それが気持ち悪くてたまらない。
 
 悪意を愛と言い換えようとする自己満足を極めた連中には不快感しかない。
 
 でも、そのたびに思い出してしまうのは「うれしかったよね」という一言。
 
 生徒会室で泣いた康介くんが俺を頼ってくれて嬉しかった。
 ストーカーに悩まされて苦しんでいたのをヒロに助けてもらえて嬉しかった。
 かわいい子供たちのいるあたたかい家庭というものがあるのを知れて嬉しかった。
 ヒロを助けるために昔みたいに何も考えずに動ける自分がいて嬉しかった。
 
 子供たちや康介くんに信頼してもらえて嬉しい。
 
 ヒロや康介くんたちが与えてくれる善意や優しさを自分の手柄のような顔をするアレを義理でも兄だなんて思えるわけがない。
 
 
2017/09/07
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