番外:下鴨家の人々プラス「海問題 長女の中に刺さったトゲについて」
番外:下鴨家の人々プラス「海問題13」のあと。
ヒナと弘子と久道との密談。
久道視点。
ヒナと顔を合わせて弘子ちゃんが口にしたのはカメラマンを頼んだことだけじゃない。
彼女はやはりどうしようもなくヒロの子供なのだと思った。
「大人は、自分が通り過ぎた場所だと思って子供のことを軽く見るでしょう」
瞳に宿る憤怒は彼女を彼女たらしめる。ヒロもそうだった。大人や社会への反骨精神に満ち満ちていたからこそチームの人間はヒロを信頼してついていった。反骨精神とは反社会的な行動じゃない。だから、チームの人間に地域の清掃活動をさせたり警察の協力をさせたり老人たちの介護活動をしたりといった社会貢献をさせていた。
社会や制度から弾かれた不良を不良品にしようとしなかった。ヒロの優しさは時に残酷だし、犠牲を強いることもある。
普通なら使い物にならない部品でも普通ではない使い方で役立てる。それがたぶん木鳴弘文。
冷酷だとか無慈悲だとか、そんなことはきっと誰も思わない。懐の広い我らのリーダーであるヒロ。
俺はずっと何が良いことがあるわけでもないのにヒロの世界を維持する手伝いをしていた。暇つぶしだっただけだ。
大学生がチームの人間関係をかき乱せば叩き潰しておいたし、ヒロの予定や想像の外側のことをするチームの連中も弾きだした。
特別、木鳴弘文に思い入れがあったわけじゃない。
俺には何もなかったから目的を持って動いている幼なじみの力になってやっただけだ。つかず離れずの腐れ縁。それ以上でもそれ以下でもない。
弘子ちゃんの中にヒロを感じて安心しながら淋しくもある。見ないふりをし続けている事実が胸に突き刺さってくる。
「子供の考えは取るに足らないと思っているんじゃないの」
俺は弘子ちゃんがヒナに何を言っているのか分からなかった。彼女がやりたいことは想像がつかない。康介くんが木鳴弘文のどこをあれほど愛したのかも分からない。
「あなたは下鴨康介に性的な興奮を覚えますか?」
「うん」
瑠璃川にも聞いたことをヒナにもたずねた弘子ちゃん。素直にうなずくヒナもヒナだ。サングラスにバンダナというやんちゃな見た目を裏切る「うん」というかわいらしい返事。
「下鴨弘文と下鴨康介が一緒にいる光景を見てどう思います?」
「安心してる」
ヒナの言葉に弘子ちゃんは力強く微笑んだ。ヒロが喧嘩を始めるときのギラギラとした目をしていた。
「コウちゃんにとってヒロくん以外はぜんぶヒロくん以外なの」
「知ってる」
「嫌じゃないの」
「いやじゃない」
静かなヒナの相槌にうなずいた弘子ちゃん。ヒナに手を差し伸べて「おしえて」と口にする。
「コウちゃんをコウちゃんじゃなくさせようとするものがあるなら、それを悪意と私は呼ぶわ」
「悪意……、でも、そのでどころは」
「ヒロくんだというのなら二人の子供として私が否定いたします。ヒロくんにあるのは無関心さだけ。デリカシーだってないし、ないない尽くしでも、コウちゃんへの執着はたっぷりだから構いません」
よくわかっていると驚くが納得もする。ヒロの無関心さを知っているからこそ弘子ちゃんはこうまで生き急ぐように精神を早熟させる。そうでなければ康介くんが救われないからだ。
木鳴弘文は知らない。愛の言葉を知らないし、愛ゆえの自分の行動の余波を知らない。
「ヒロくんが家に帰ってこなかったことがあるの。一度もそんなことなかったのに」
言われて連想するのは自分が火炎瓶を放り投げた事件だが、物心つくかつかないかの弘子ちゃんが覚えているとは思えない。
「原因を知っているでしょう」
ヒナが人格破綻者とはいえ、幼い少女に言えるはずもない。きみの父親は酔って前後不覚になったのか、薬を盛られて意識不明なのか、真偽はともかく精子狙いの男女に拉致られましたなんて冗談にもならない。
康介くんを孕ませたのだから自分だっていいじゃないかと叫んだ女の醜悪なこときたらない。男でも良かったなら一晩でいいと懇願する男の気持ちの悪さは異常だ。
燃やし尽くしたいと俺が思っても仕方のない地獄絵図。これはヒロの放し飼いの結果なので自業自得だが、同時に俺のせいでもある。ヒロが不穏分子を放置しているのは俺の暇つぶしのオモチャ作りでもあった。俺の居場所をこういう形で作っていた。
木鳴弘文というのはそういう人間だった。使えない不良品をゴミだしする仕事を俺に与えてくれていた。普通ならどうかしていると思うかもしれない。俺とヒロの関係はおかしいかもしれないが、人生に目標も楽しみもなかったのだから仕方がない。
本当に欲しいものは何一つ手に入らない。だから、擬似的な居場所に甘んじる。
「私は、私の世界を壊すものを絶対に許さない。私の世界は両親が仲良くしている世界。邪魔するものは残らず敵だ」
弘子ちゃんの言葉に迷った様子を見せながらヒナは言った。
「俺の娘がここまで言うなら仕方ない」
「おい、ヒナ」
「犯人はあってないようなものだ」
弘子ちゃんの耳を汚すのかと思えば違った。ヒナは床に転がったトンカチを蹴り上げて手でキャッチする。ジャグリングするようにトンカチを自分の周りに放り投げては受け止める。いつ弘子ちゃんに投げつけるか気が気ではない。
「これで、手が滑って俺が怪我をしたら、責任は誰だ」
「状況設定がいろいろと微妙かしら。私たちが来なかったら、私が質問しなければあなたはトンカチで遊ばなかった」
「原因は自分だと思う?」
「すべてを背負うつもりなんかないわ。あなたのコントロールの問題だし、あなたがそれをやり始めたことはあなた自身の判断だもの。自分の責任を自分で取れない大人はろくでなしよ。ヒロくんみたいになっちゃう」
「そう……、じゃあ驚かせようと声をかけた人間が居たのなら?」
ヒナが何を言わんとしているのか分かった。
「集中している中で声をかけるなんて、いやがらせ?」
「さあ、相手の気持ちは知らない」
「トンカチが床に落ちたぐらいなら、事故でいいわ。集中力が切れたお雛様の負け」
「落ちたトンカチで足の指が砕けたら?」
「それも事故かしら」
「トンカチが頭に当たったのなら?」
「相手の答えは全部『こんなことになるとは思わなかった』だというのなら、悪ね。本心なら想像力の欠如という悪。建前なら責任の放棄」
「心の中のことは分からない。どんなことになるか未知数なら」
ヒロが帰ってこなかった件についての原因が誰にあるのかヒナはあたりをつけている。相手が「あえて」その行動に出たのかどうか、ヒナは確証がないから断言できずにいる。
「声をかけるのではなく抱きついて『トンカチを投げて遊んでいたなんて気づいてなかった』って言い出したなら」
「わかりやすい女狐的行動。自分は何も悪くないという領域にいる人間特有のいやらしい攻撃。……ひーにゃんは心当たりがあるの」
俺の言葉に弘子ちゃんの目が光る。
ヒナが「ここに来てる」と口にした。そうだろうとは思っていたが改めて聞きたくない。
「瑠璃川ホントつかえねえわ」
「しかたない。お前とアレは仲のいい兄弟ということにされている」
「学校卒業してから会ってねえし」
「あっちはお前を見てる」
「ヒロ越しで?」
苦虫を噛み潰している俺の膝を蹴り飛ばす弘子ちゃん。おそろしい子だ。床に倒れた俺の背中を叩く。励ましてくれるのは分かるが、頭を撫でるぐらいにしてもらいたかった。猫耳をつけていなければそうなったのかもしれない。
気が抜けたので大きく息を吐き出した。弘子ちゃんが俺の背中に腰を下ろした。重くないのがなんだか、かわいい。
「コウちゃん、お味噌汁作ったの。私は味見をしたの。ヒロくんは飲み会で帰りが遅いからご飯はみんなで外で食べて、台所は使われないのにお風呂から出たらコウちゃんがいた。私は味見をしたの。コウちゃんは喜んでた。おいしかったもの。良いお嫁さんは美味しいお味噌汁を作れる人なんだって、がんばったって笑ってた。……起きたらコウちゃんは泣いてた。味噌汁もなくなってた。ヒロくんは帰ってなかった」
俺の背中に座ったまま床を蹴る弘子ちゃん。表情が見えないからこそ恐ろしい。
「イライラするの。私の世界を壊す人間が居るのがイライラする」
どこか共感してしまう苛立ち。弘子ちゃんの言動に親しみと既視感を覚えるのは、やはりヒロを思い出すからだろう。
「私が味見をした味噌汁をヒロくんは食べなかった。仮に私の記憶違いでヒロくんが食べてたんだとしてもイライラは残ってる。だって、コウちゃんは全部なかったことにしたんだもの。それは味噌汁だけじゃないヒロくんへの自分の気持ちも私たちのことだってなかったことにするんだ!」
康介くんは百と零なところがある。ヒロへの思いを込めて作ったものがなくなったのなら、ゆっくりと確実に他もなくなっていくだろう。問題は味噌汁なんかじゃないのだと弘子ちゃんが訴える気持ちはわかる。
同時にそういった康介くんの情緒をヒロが理解しないのも目に見えていた。幼いながらに弘子ちゃんはずっと分かっていたのだ。言葉にして表現できたのは今かもしれないが、感覚として知っていたからこその、怒り。
「そっと悪意を人に囁きそそのかす、それを証明するのは難しい」
「誰の気持ちも、正義も何も、下鴨弘子には関係ないの。私が悪だと言ったら悪なの。私は私の世界こそが大切なのだから、ヒロくんに嫌われても痛くもなんともないもの。ヒロくんの危ない遊びはもう終わり。親ならば当然でしょう」
俺の背中から立ち上がった弘子ちゃんは「記憶は風化していくけれど、感情や印象は消えない」と口にした。それはどこか康介くんを思わせた。
2017/09/04