番外:下鴨家の人々プラス「海問題15」
下鴨弓鷹視点。
家族仲は良いと思うし、不自由を感じたことはない。
定期的に家族旅行はするし、両親の夫婦仲が冷え切っているわけでもない。
恵まれている自覚はある。
「コウちゃんが、コウちゃんの行動はヒロくんだけは責めちゃダメだ」
柄にもなくコウちゃんが言葉を飲みこむ仕草をするのを見るたびに胸が痛い。
コウちゃんはとても自由で、言いたいことをやって好きなことをする。
それは世間からすると途轍もなく狭い範囲でのことだ。
コウちゃんの頭は悪くない。
俺たちに教えるために教科書を読んで自分で分かりやすいと思った解説をしてくれる。
ヒロくんや兄貴からすると逆に分かりにくくしているものでも俺は分かる。
コウちゃんの噛み砕いてくれた内容を受け取れる。
頭が悪くないのに今のこの状況をそのままにしている。
瑠璃川さんとコウちゃんとの会話に猛烈な違和感を覚えた。
二人はとても親密に見えるのに十年近く接点がないままだった。
妊娠出産の前後で寝込んだり育児をしていたらコウちゃんからしたら、あっという間かもしれない。
公園デビューなんて遅いぐらいのタイミングで今更感すらある。
そうなったのは間違いなくヒロくんのせいなのにヒロくんに自覚がない。
俺はそれを特別悪いと思っていなかった。
友達や知り合いや近所づきあいよりもコウちゃんは俺たち子供やヒロくんで自分の世界を満たしていた。
世間からすればとても小さな世界。
兄貴は首をかしげるし、弘子は勝手だとヒロくんを批難するけれど、他の誰でもないコウちゃんが気にしていないので俺は良いと思っていた。
コウちゃんはヒロくんの束縛を何とも思っていない。窮屈だと感じることもなく平気でいる。
むしろ、どこか嬉しそう。
ヒロくんにされて嫌なことがコウちゃんにはない。
そう思っていたけれど、コウちゃんだって心がそこまで広くない。狭いぐらいでちょうどいいと思っている。小さな心だと自分の全部を分かるとコウちゃんは笑っていた。
ヒロくんと外との繋がりがコウちゃんは嫌い。
嫌いでも嫌いだと言わない。
それはコウちゃんらしくない配慮というものだと思っていた。
大人だから遠慮する。
でも、気分を落ち込ませるコウちゃんを見ていると配慮も遠慮もいらないものに見える。
言葉を飲みこんで小さな自分の心を隠していく。
ジグソーパズルやレゴブロックを作るのは無心になれるからだ。
心がないから傷つかない。何かに打ち込んでいれば痛くない。
同時に子供たちとのコミュニケーションツールにもなる。
俺は家族の誰よりもコウちゃんの気持ちがわかると思う。
心を真っ白にしたい時はイラストのない真っ白なパズルを繰り返しやる。
ときに俺に「ここのピースはどーこだ」と謎かけしながら完成させる。
子供に愚痴が吐けないというわけじゃない。愚痴未満なんだ。言葉にならない不安をパズルを作り上げた達成感で吹き飛ばす。
レゴブロックは一つあるかないかで見た目が変わる。
いるかいらないか、この色が正解か二人で顔を見合わせて全部口にしないでも通じる。
「コウちゃんは俺たちのための言葉はちゃんと口にするけど、自分のための言葉は足りない」
「そうだろ、俺もそう思う」
「全部、ヒロくんのせいだ」
どうしてそうなるんだと顔に出ているヒロくんはわかってない。知ってるくせにわかってない。
自分がコウちゃんにどう思われているのか知ってるくせにわかってない。兄貴がズルいというヒロくんの悪いところだ。
「コウちゃんはヒロくんに嫌われたくないんだって知ってるくせに意地悪だっ」
瑠璃川さんと話しているコウちゃんは自由だった。
頭で考えたことを吟味することもなく口に出す。
久道さんと話すときよりもコウちゃんの口は軽い。
なら、ヒロくんはどうなのか。ヒロくんにだってコウちゃんは軽口をたたくけれど言葉を飲みこむこともある。
わがままを言ったら嫌われると思ってる。
だから、コウちゃんは弘子が海に行きたがって表情には出さずに困っていた。
自分がヒロくんに提案したら怒られると感じてた。弘子もそう思ったからこそ久道さんを巻き込んだ。
レゴブロックも同じだ。
強くヒロくんにダメだってコウちゃんは言えない。
困ったように笑って「弓鷹と俺との共同作業のは持っていかないように言う」と口にした。
「コウちゃんはヒロくんの不満を言わないよ」
「それは嘘だ」
「言ってたら俺たちはもっとヒロくんのことなんか嫌いになってる」
ヒロくんが身体を固まらせた。
コウちゃんがヒロくんの味方をしようと口を開く気配がある。
いつもコウちゃんはヒロくんのそばに立つ。
「ヒロくんが寝起きにヒゲ面でもパジャマのズボンがずり下がって転んでもコウちゃんはかわいいって思ってる」
「実際かわいい。抜けてる弘文ってレアだ」
「テレビ見ててクイズで不正解だったのを問題を聞き間違えたって言い訳してても無理を通そうとしてて男らしいって言ってた」
「だって、あんな堂々と言われたらアナウンサーの滑舌が悪かったよなって思うし」
「無理な褒め方が多いけど、コウちゃんがそう言うならって俺たち子供は思ってる」
ヒロくんはうずくまって膝を抱えて顔を隠す。
「子供にこんなこと言われて、落ち込んでるのと恥ずかしいのと情けないのとで気持ちがゆらゆらしてる弘文かわいいだろ」
「俺は全然かわいいなんて思わねえけど、でも、コウちゃんが言うならそれでいいよ」
「弓鷹的に、俺は康介がフォローしきれないぐらいのダメ親だと?」
「父親としてはがんばってんじゃない」
「ありがとうございます」
「コウちゃんの旦那としては最悪だよね」
「どこがだっ!?」
ヒロくんが顔を上げた。
怖い顔をするのでコウちゃんが俺を庇うように前に出る。
「自覚ないところが最悪なんじゃねえの」
「レゴの件は意思疎通ができてなかった、悪かった」
「そうなった原因について俺は怒ってんだよ。同じことはゴロゴロあるんだから」
ピンときたところのないヒロくんにイライラしてきた。
「瑠璃川さんはコウちゃんは副会長として優秀だったけど会長をやっていたヒロくんにわがままばっかり言って困らせてたって」
「まあ、毎日ずっとうるさいやつだった」
「今は? ヒロくんの目から見てコウちゃんはうるさいの」
立ち上がったヒロくんはコウちゃんの全身を見て何かに気づいたような顔をして深くうなずいた。
本当に分かっているのか疑わしいがコウちゃんの手を取って指輪にくちびるを寄せる。
気障な動作だけどコウちゃんが嬉しそうにしているのでいい。
「レゴの件は俺が悪かった。口先だけじゃない反省してる。康介に言わないで考えていたプランがある。康介のレゴは無価値じゃない。それを伝えるために俺の方の用意が済んでいなかった」
コウちゃんはヒロくんが格好いいとしか思っていないかもしれない。
ぼうっとして、何を考えているのか分からない顔をしている。
「お前に話を通すのは書面じゃないと伝わらないことが多かったのを忘れてた。費用対効果を考えるから仕事にするなら利益があるのか数字がないと許可出さなかったな。お前が自由に使える金を用意しておこうと思ったんだが、気の回し方が下手だった」
コウちゃん相手にはストレートで直接的で分かりやすくないといけない。
わがままを言っていいなら言っていいと伝えなければいけないし、嫌わないなら嫌わないと伝えるべきだ。
「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、か」
ヒロくんは笑ってコウちゃんから指輪を抜き取った。
ショックを受けているコウちゃんに「ハネムーンに結婚指輪ときたら、結婚式にプロポーズだな」と笑った。
一瞬前まで落ち込んで膝を抱えた男には見えない。
「逆行してるのが俺たちらしいのかもな。……わがままなぁ、お前がわがままじゃない瞬間が思い出せないぐらいわがままだと思ってたけど、今はらしくない遠慮期間が長いな」
ヒロくんは自分の指輪も抜いて俺に渡してきた。
コウちゃんのずれてしまった猫耳を直しながら「康介はバカだな」と小さく言った。
優しくて甘くてコウちゃん以外の誰にも向けられない特別な声。
「言っていいって言っただろ。結婚してんだから言っていいんだ」
何をじゃない。全部だ。全部を言っていいなんて、そんなこと言える人はほとんどいないはずだ。
わがままでも愚痴でも不満でもなんでもヒロくんは受け入れるつもりでいる。
それが今までずっとコウちゃんにはわからないから一歩引いていた。
レゴの詳細すらきちんと聞き出せないぐらいにヒロくんに言って良いことと悪いことの区別が出来ずに言葉を飲みこみ続けた。
コウちゃんがヒロくんの耳元で何かを告げる。
これでコウちゃんが俯く期間がなくなるかと思ったら、この二人はよくわからない。
「てめー、覚えてろよ。俺たちのチームが勝ったら完璧なプロポーズして思い知らせてやる」
歩いていくヒロくんが「行くぞ、弓鷹っ」と声をかけるので思わずついていく。
振り向くとコウちゃんが、きょとんとした顔の後に笑顔で手を振った。
きっと言いたくて仕方がないことをコウちゃんは言えたのだ。
そして、ヒロくんからしたらそれはとても当たり前すぎるから、いまさら言葉にすることにちょっぴり怒ってる。
ヒロくんとコウちゃんが別々のチームで戦えばコウちゃんがつらいかと思ったが、チーム分けをしたのは弘子だ。
弘子の見立てに間違いはなかったということだろう。
ヒロくんにプロポーズを言わせたいので兄貴には悪いが勝たせてもらう。弘子のために手を抜きそうな久道さんも本気を出すに違いない。
2017/08/22