番外:下鴨家の人々プラス「海問題13」

久道視点。
 
 
 ヒロと弓鷹くんが対峙しているのを見て弘子ちゃんは「うむ、十全(じゅうぜん)なり」と頷いた。
 猫耳がかわいいので尻尾もつけたいけれど、これから山に入るので邪魔になる。
 もちろん猫耳だって木の枝に引っかかる可能性はあるが、何かあったとき用にGPSをつけているので頭につけなくても持っていてもらいたい。
 
 これから行くのは人が遭難するような険しい山ではなく、登山に慣れた人なら巨大な丘と称するそんな場所だ。
 人が手入れをしていない自然のままの森の姿は写真を撮るのに面白いものがあるかもしれないが、同時に思わぬ危険だってある。
 毒のある動植物や蛇や虫はいないらしいが、瑠璃川の言い分を全面的には信じられない。
 瑠璃川が信用できないというよりは、真面目ぶって抜けているというか真面目系クズというやつだ。
 本人のその自覚はないが真面目に生きている顔をしながら、ここぞという時に真面目さを発揮しない。
 
 本当に真面目でいい奴なら康介くんを生徒会室で放置するようなことはしない。
 説明も何もなく当時の生徒会役員たちは生徒会室に来なくなった。少なくとも康介くんの認識はそうなっている。
 これは紐解いてしまえば馬鹿馬鹿しいのかもしれないし、悪意しかないのかもしれない。
 
 当時の役員あるいは前期の役員にあたる誰かが康介くんに連絡義務を怠ったのだ。
 そうでもなければ仕事を放棄して転校生と遊びまわる姿を生徒たちに見せるなんておかしい。
 康介くんのせいで人生を棒に振ったんだから罰として生徒会の仕事を一人で処理していろ、と。
 そう伝えるはずだったのだろう。あるいは伝えても康介くんには理解できなかったので忘れたかもしれない。
 ともかく、ヒロからしたらこれは妥当な落としどころに感じたはずだ。
 
 ヒロは康介くんを手放す気が最初から最後まで一切なく、仲間として作り上げた人間関係も崩したり蔑ろにする予定がなかった。俺のように残らずまとめて捨てるようなことをヒロはしない。俺が絶縁して連絡をシャットアウトした連中すらヒロは自分のチームの中に飲みこんでいる。
 
 
「ひーにゃんはお気づきであろうが、コウちゃんはわがままではないのです」
 
 
 ヒロと弓鷹くんのやりとりを見守ることなく弘子ちゃんは歩き出す。
 どこに向かうのか分かっているからこそ心臓が痛くなる。彼女は俺の想像を超えていた。
 
「ヒロくんに叶えられる、ヒロくんなら叶えてくれることしかコウちゃんは口にできないのです」
 
 康介くんがわがままというか勝手気ままなのは発言のタイミングだ。
 発言の内容自体はわがままにしてもかわいいものばかり。
 ヒロの食べているものを一口くれとか、自分が食べきれないから半分食べてとか、願いなんて言い方が過剰なぐらいにささやかな小さな頼みごと。叶えられないはずのない望み。
 
 ヒロからすれば「今それを言うのか」というタイミングのせいで康介くんが周囲を見ていないと叱られる。
 康介くんにとってヒロとヒロの周囲の会話に価値がなかった。どれだけ彼らが重要だと思う内容でも康介くんからすれば、低次元の不良の罵り合いにしか見えなかっただろう。ヒロがわざわざこの話に参加して相槌を打つ必要が理解できなかったので彼らをうるさい虫の羽音と判断した。人の言葉を遮ってヒロに声をかける康介くんの心中はこんなところだろう。
 
 実際、当時のチームのやつらがヒロにとって重要だとか、ヒロの今後に関わらる話題を持ってきたことはない。あいつらはヒロに構われたかったのだ。なんでもいいから会話のタネにしたかった。日常的な業務連絡でもヒロとの会話が死ぬほど大切でヒロから声をかけられることを日々の楽しみにして、一日の糧にしていた。
 
 康介くんもその気持ちが分かるはずなのに妨害していた。
 その行動は喧嘩を売っていると思われても仕方がない。ヒロの声を求めるヒロからしたら重要度が低いやつらから嫌われないはずがない。
 
 ヒロは康介くんの反応を呆れたり困ったり馬鹿にしたところで嫌っていなかった。
 それが全ての答えなのにチームの一部のやつらは受け入れなかった。
 
 そばに居るのに延々とチームの人間とばかり話すから康介くんが拗ねているのがヒロにはわかっていた。ヒロからあおることすらよくあった。康介くんがチームに馴染めないのも、馴染む気がないことも本当の意味では気にしてない。自分に馴染んでいたからヒロにとっては他人事だ。拗ねたり癇癪を起こす康介くんを見て笑うヒロは悪趣味だが分かりやすい。
 
 木鳴弘文だった頃のヒロは自分を持て余していたのかもしれない。
 分かっているはずなのに分からないものが多くて常識的な言動を心がけた。
 子供の集団とはいえ、組織の上に立ってしまったら必要なことだろう。
 破綻した言い分、矛盾した発言を繰り返すような人間についていくのは頭がおかしい奴だけだ。
 たぶん、昔の俺は頭のおかしい奴に好かれるバカ代表だった。
 自分の気持ちを正しく伝えられるだけの語彙力がなかった。感覚で通じ合えるやつかヒロみたいなちょうどいい距離で放っておいてくれるやつじゃないと人間関係が築けない。
 笑って受け流すことを覚えたのは高校になってからだ。それまでは散々失敗していた。
 
 康介くんに出会って数年、俺もヒロもまだ自分というものを作り上げきっていなかった。
 自分がどういうものなのか一番把握していたのはきっと康介くんだ。康介くんは中学どころかそれ以前から決めていたはずだ。何を決めていたのかは俺も分からなかったからこそ康介くんは不思議な子だと感じていた。
 
 人が話していたら割って入らないのは常識だ。ヒロと誰かの会話を邪魔するように声を上げる康介くんは非常識。それはその通りだし、ヒロの主張にいつだって間違いはない。ただ、チームのやつらは勘違いし続けていた。ヒロの気持ちはヒロの主張や常識とは違う。
 
 ヒロはべつに康介くんが非常識で嫌な奴だったとしても構わない。気にしてなかったからこそ腕を組まれても膝に乗られても許していた。チームのやつらは迷惑行動をする康介くんを拒絶しきれないヒロを優しいと思っていたようだが大間違い。
 
 前提を間違えている。
 
 ヒロは空気を読む読まないなんて関係なく康介くんならそれで良かったんだ。
 康介くんの言動をヒロは最初から全部許してる。でも年上なので注意しないとならないと小言を口にしていた。木鳴弘文は常識的な人間として知られていたので非常識な立ち振る舞いに注意をするのは当然だ。そこにヒロの気持ちは関係ない。木鳴弘文として今までやってきた主義主張を裏切らないためにヒロは形式的な注意を口にしていたに過ぎない。
 
 ヒロはいつだって本音と建前の使い分けが上手い。時には自分すら騙すほどの大嘘吐きになれる。嘘に慣れてしまっていた。だからこそ、俺はヒロといるのが楽で腐れ縁が延々と続いている。
 
「ヒロが叶えてくれないかもしれないことは言えないってことだね」
「だから私がいるのです。私はヒロくんに嫌われたって気にしないもの。コウちゃんが悲しい思いをするのは嫌いだけど、コウちゃんの悲しむ原因が私の悲しみの発生源にはならないの」
 
 どこまで何を分かっていて弘子ちゃんが動くのか、それは読めない。
 
「コウちゃんは私たち子供を愛しているから、私たちが不自由だと、途端にとても息苦しくなってしまうの。ヒロくんだって私たちを愛しているのだから話し合ったらそれで終わりよ。桜吹雪も印籠も見せる間もなく解決ね」
「弓鷹くんはあの日のカフェのことを引きずっていたけど」
「残念、ひーにゃん観察が足りないぞ」
「精進します」
「引きずっているのは私が髪を切ったあの日よりもっとずっと前からなのですぞ」
 
 根深いものが弓鷹くんとヒロにあるとは知らなかった。
 
「コウちゃんはたぶんきちんと言えなかったの。だってヒロくんに何をされても構わないって全身で叫んでいるんだもの。コウちゃんはそんな自分を変えられない。でも、子供のことを考えていないわけじゃない。板挟みにならないように我らが聡明なる次男は不条理な世界を黙認しておりました」
「カフェが原因や転機ではなくピークってことか」
「ひーにゃんは賢いわね。無視していた感情が一定のラインを越えて襲い掛かってきて、あら大変。下鴨弓鷹は下鴨弘文を絞め殺したい気持ちになりましたが、それは下鴨康介が悲しむので出来ないのでした」
 
 弘子ちゃんが手書きで関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉をノックする。
 分かった上で動くのなら積極的すぎる。
 分からない上で動いているなら彼女は神様かもしれない。
 
「次男の反抗期がヒロくんから束の間、コウちゃんを奪うというかわいいものなら、長女である私の反抗期はもっと挑戦的で刺激に満ちていて構わないでしょう」
 
 不安しかなくて心臓に悪い。
 それなのに俺は弘子ちゃんの願いを叶えてしまっている。
 なんだかんだ文句を言いながらも康介くんの望みを叶えていたヒロと同じ心境なんだろうか。
 
「ご機嫌麗しゅう? お雛さま」
 
 バンダナを巻いてサングラスをつけた男が弘子ちゃんを見て「ああ!?」と凄む。
 子供相手に大人げない対応だが、相手がヒナならこれでも優しい。
 昔から女子供関係なく血だるまにしていた危険人物だ。話が通じないが素直なので俺はべつに嫌いじゃない。
 街中で顔を合わせたら酒を奢ってくれたりする。
 ヒロへの愚痴と不満と殺意を垂れ流していて酔ったヒナはおもしろい。店員や他の客を半殺しにすることもあるので取り扱いには気を付けなければならないが、他人として外から見ている分には愛すべき人格破綻者。
 
 いざとなったら俺が盾になる覚悟はあるが、身体が動くか自信がない。現役から退きすぎて反応が遅れるかもしれない。弘子ちゃんを守りきるためにも気を張っていないといけない。
 
 
2017/08/20
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