二十六

下鴨康介視点。



 弘文が息を荒げている姿はセクシーだ。
 めずらしく俺を名前で呼んでくる。こういう時だけずるい。
 浴室内に射し込む光に照らされた弘文にドキドキする。
 
 自分の心臓の音しか聞こえない。
 
 昨日に電車で感じた気持ち悪さや肌寒さが消えていく。もう何も覚えていない。オレのぜんぶが弘文でいっぱいになった。これを幸福感というのかもしれない。
 
 少し動けば濡れた浴室で滑ってしまうかもしれない。
 足に力が入らない。近くにいる弘文の魅力に腰が抜けそうになる。
 
 浴室に駆け込むように入ったので電気はついていない。
 外から見えないよう加工したガラスを壁一面に張っているようで室内に入った光は朝のもの。まぶしいぐらいに明るい中でオレたちは夜の営みを始めようとしている。。
 
 キラキラ光っている弘文にドキドキするのは仕方ない。
 
 誰もが分かりきっている事実、弘文は格好いい。唐突で訳が分からないことも多いし、暴力男でオレにやさしくなくても格好良くて頼れるのは間違いない。
 
 旅行の荷物は全部弘文が持つし段取りを決めたり旅館を選んだのも弘文だ。
 オレが予定をなかったことにしてしまっても弘文はオレの手を離さなかった。
 昔から弘文はぐったりしているオレに「静かでいい」と言いながら付き合ってくれる。
 
 弘文が一緒にいてくれなかったのは弘子を妊娠していた時ぐらいだ。
 あの時期はずっと放っておかれた。
 
 
「弘文、へんたいっ」
 
 
 口から出てきた言葉は別に昔の苛立ちをぶつけるためじゃない。
 露天風呂には行かずに部屋に戻って敷きっぱなしの布団に転がされた。
 それに不満はない。朝からエッチでどうしようもない弘文にときめいていた。オレがバカならバカでいいと思った。求められて嬉しかったからだ。そのオレの激しく動いていた心臓が冷えていく。ドキドキが消える。
 
「なんでお尻を弄ってんの」
「使えるようにしようかと」

 鞄からコンドームを取り出した弘文は手早く自分とオレにつけた。そして、オレの腰の下に畳んだバスタオルを置くとローションをお尻に入れてくる。変態だ。アナルセックスは妊娠に関係ない。ノーマルな性癖とは言い難く変態だと言っていい。
 
「前ばっか使うとゆるくなるとか、そういうやつ?」
「今年は両穴責めて行こうと思ってるだけだ」
 
 真顔でオレのお尻を解していく弘文。
 今年はということは、今日だけではないということになる。
 弘文はヤるときはヤる男というかヤらないときがない有言実行の男だ。
 子供の数を考えれば弘文にヤる気がまったくなかったら四人はない。タネ違いであるなら四人ぐらいはよくある話だ。下鴨の両性は身体が男の体に膣がついてることによるイレギュラーな病気にかからない。
 妊娠出産で下鴨の両性、オレは死なない。そういう風に出来ている。そういったルールが覆ったことはない。
 同じように両性が跡取りを産まないという掟破りも許されない。目に見えないもので守られているのなら決まりは守っていかなければならない。
 
 それでも、精神的に男なので同じタネで四人も子を成すオレのようなタイプは異例だ。
 男だから男に抱かれるのは抵抗がある。心のどこかで女を抱きたいと思っているわけじゃない。ただ「女を抱きたいと思うのが一般的な男」という意識がある。弘文に散々常識がないと言われるがオレは至って常識的だ。
 
「両穴って、なに」
「二穴でもいい。膣と尻だ。尿道も含めてほしいなら三穴にしてやる」
 
 さっぱり理解できない。
 尿道がおしっこが出る穴なのはわかる。
 今の話の流れで絶対に含まれない場所だ。
 弘文の男性器がオレの男性器の中に入るような異常なことがこれから先、起こるんだろうか。
 ゾッとして震えるオレに「ゆっくり細い棒からいく」と言われたが無理だ。変態もいい加減にしてもらいたい。
 
「尻のあとに膣に入れるのは衛生的によくないからな」

 なぜか覚えておけと念押しされる。

「で、どうする」
「弘文、なんでオレが自分で入れることになってんの」
「どっちに入れるか康介が決めていい。同時責めはお前の体力が残ってたらな」
 
 決めていいのではなくオレが自主的にお尻を使うかどうかを見ようとしている。
 オレがお尻に弘文の性器を入れたら弘文は男好きということになる。
 女性器を積極的に使おうとしたら弘文は女好きということにもなる。
 どちらを選択してもオレは自分の選択を悔やみそうだ。
 弘文が男女どちら共にとられてしまう。そんな気持ちになって落ち着かない。
 
 今まで気にしないようにしていたオレの身体的特徴。普通の人とは違うのは異常だと言い換えてもいい。これは弘文にとって気持ちが悪いものだ。受け入れられないものだ。
 
 転校生が、包帯にいさんが、弘文と笑い合っていたことが問題じゃない。言い訳としてあのネタをオレはもう使えない。あの衝撃は本当に苦しくて痛かった。本当のところ一番の恐怖は転校生の存在じゃない。
 
 オレが両性であることや下鴨の家のやり方は弘文の性格や生活と合わない。
 
 集団をまとめ上げることに長けていて、大人数を周りに置くのが似合っている弘文の姿を忘れてない。
 オレが見ていないだけで外で働く弘文は出会ったころと変わらずに輝いているはずだ。弘文が忙しいということはそれだけ頼られている証拠だろう。
 
 生徒会室で副会長として一人で仕事をしていたオレと楽しく仲がよさそうな転校生と弘文たち。
 対照的で笑えない。オレの立ち位置、存在がどういうものなのか、思い知った。
 弘文に執着しているのはオレだけで弘文はそうじゃない。その淋しさと悔しさと苦しみを今もずっと忘れられない。オレの中から消えない。
 オレは集団に馴染もうとはしなかった。当たり前に笑い合えている転校生に絶望したのはポッと出に負けたからだけではなくオレが同じ行動をとれないと思い知らされたからだ。
 
 大勢の人間に囲まれる姿が似合う弘文と役割を課せられた人形でありワガママな未熟人間。
 
 いろいろと半端なオレは弘文が許してくれる限りは何だってできる。好き勝手振る舞える。でも、弘文が許してくれないならオレはもう何もなくなってしまう。人形としてだって期限切れだ。
 
「弘文が、きもちいい、ところでいい」
「反省することにしたんだ、俺は」

 何のことかと思ったら「下手なんだろ? 痛いんだろ? 俺とのセックス」そう言って笑う弘文が恐ろしい。
 殺意の滲んだ瞳でにらまれるよりも怖い。
 
「康介に合わせる。康介のしたいように、康介が気持ちいいようにしてやる」
 
 オレの頬をから首元を撫でる。失った温度がまた戻ってくる。さっきよりも心臓の鼓動は早く大きい。頭の中にあるのは「どっちでもいい」「どうだっていい」という投げやりなもの。ただ早く弘文に触れられたい。弘文が気持ちいいと思ってくれるオレがオレだ。
 
「無理矢理するのはレイプになるし、気持ちいいと言わせると後で下手くそ呼ばわりされるから逐一お前の許可を取ることにする」
「へんたいだ、へんたいなことをする気だ」
「そうだな。……子供を作るんじゃなくて自分たちの快楽を追求していくのが変だっていうなら変だ」
 
 オレの中にある矛盾も嘘も誤魔化しも弘文は全部まとめて知らないのに知っていて、見てないのに見つけてる。やさしくないと訴えながら許されるやさしさに甘えて、好かれていないと嘆きながら嫌われているはずがないと確信していた。
 
 弘文のことを知っている。弘文のことだけを見ていた。だから、弘文が自分の望まないことをしないのは知っている。責任を取りたい、家族が欲しい、そんな理由で弘文が自分を曲げるわけがない。
 
 弘文が弘文でなくなる日は来ない。転校生の正体のようにオレが弘文の中のルールが見えたり気づかなかっただけで弘文は最初から変わらない。
 
 急に現れた転校生と親しく肩を組み合ったり仲良くしていたわけじゃない。傷ついた年上の友人が新しい場所で馴染めるように手伝おうとしていただけだ。弘文が優しいなんて知っていたんだから、アレが誰であるのか気づかないオレがおかしかった。
 
「……オレの身体、気持ち悪いって言った」
「言ってない。いつの話だ。妄想を事実みたいに口にすんなよ」

 きっぱりと否定されたがオレはたしかに聞いた。
 弘文は絶対に言った。
 
「仮にオレが言ったとして、それで傷ついたお前はセックスレスを希望すんのか、違うだろ?」
 
 さすがにここでデリヘルを頼むとは言えない。
 オレは弘文と違ってデリケートに出来ている。
 腰を振って出して終わりではなく弘文にへばりついて一生を終えたい。
 
「気持ち悪がられても気にしないで立ち向かえよ。そんなこと大得意だろ」
 
 弘文に対しては性的な話以外ならいつだってそうだ。
 オレのやることなすこと全部が否定されても気にしない。
 最後に弘文が受け入れると分かっているからいくらでも突き進める。
 
 弘文がオレの手を握ってきた。
 指の間に指を入れる恋人つなぎ。
 ぎゅっと握られて「オレはずっとこうなんだろうよ」と言われた。
 よくわからなくて握り返すと弘文が手を外そうとする。
 
「なに、なんで?」
「俺の手は外れてないだろ。康介が握ってくるから外れない。普通に手を握ってたら片方が手を外そうとしたら振り払える。けど、これだとそうはいかない。ケンカの時に近接で決めたい時に距離をとらせないように昔よくやってたわ」

 相手を逃げられなくするケンカ殺法の話を裸で抱き合ってる時にする弘文は空気を読めない。
 握り合う手を二人で見つめてオレはやっとわかった。
 
 弘文は許してくれていた。ずっとずっと許してくれていた。永遠にオレが手を離さないでいても許してくれる。弘文が手を離してもオレのせいで離れられない。それでもいいと言っている。
 
 結婚は書類上のことで何の意味もないのに弘文を縛り付けて損をさせてしまう。そう思っていた。
 お互いに婚姻関係が継続できないと納得しなければ離婚届が出せない。
 恋人つなぎのように握り合ってしまうと片方の意志だけで離れられない。片方の意志で決められない。相手を信頼していたり、相手と離れようと思わないからこそ選べる契約。
 
 オレの中にあり続けた「なんで?」という疑問への答えが握っている手だ。
 お互いが同時に離れようと思わない限り外すのが難しい。
 逆に言えば今までずっと離れずにいたのは弘文が握っていたからだ。オレは何度も数えるほどに手を離していた。握りたいのに握ったら自分の何かが負ける気分になる。取り返しのつかない自己否定とはオレが両性であるということだ。
 
 人とは違う身体。
 気持ちの悪い身体。
 自分だけにある義務。
 
 否定しないで受け入れていたのは両親がオレはこういうものだとして生まれて生きていくのだと教え続けたからだ。
 誰の代わりにもならないオレの役割。跡継ぎを産むために男なのに膣を持った。
 男か女が普通であってオレが普通から弾かれていたなんて分かっていてもオレの基本はオレ自身だから他人の普通に馴染めない。
 弘文の普通の中にオレは絶対に入れない。だから、特別が良かった。例外でありたかった。
 普通じゃない身体だったとしても特別なら許される。オレがオレであることを弘文には許し続けてもらいたい。
 
「気持ちいいのは嫌いじゃないから、やっぱりどっちの穴でもいいよ。弘文はどっち使っても気持ちよくしてくれるんでしょ」
 
 握っている手に力を入れて息を吐き出す。
 
「オレのお尻でエッチしながら脳内で別人をコラージュしてたら嫌だなあって思ってた」
「お前の中の俺はどれだけ最低野郎なんだよ。なんで後ろ使うの嫌がるかと思ったらバカか? いや、知ってたよ。お前はバカだよ」
「本命の男とエロいこと出来ない腹いせでオレを」
「気持ち悪いこと言ってんなよ。あぁ、気持ち悪いって、……お前の身体の話じゃなくて考え方だろ。性格とか。悪いところしかない」
 
 雰囲気をぶち壊してラブラブエロエロムードを台無しにする弘文に言われたくない。
 手を離そうと暴れるが押さえこまれた。
 
「結婚してよかったって改めて思ったのにぃ」
「今更かっ! 前の時にツッコミ入れたら殴りそうだったから言わなかったが遅すぎるだろっ」
 
 どっちがいいのか聞いておきながら弘文が勝手に挿入してきた。もう待ってはいられないという童貞メンタルかもしれない。怒られるので言わないでいたがバレていたのか二穴とも突っ込まれた。

 弘文が度がしがたい変態でもオレは手を離さないだろうからこれはオレたちにとって当然の成り行きだったのかもしれない。
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