二十一
溜め息をひとつ吐いて弘文は口を開いた。
いろいろと感情を咀嚼した複雑な顔だ。
「あの学園で俺は人気があった」
「知ってる」
「でも、外で繋がりあるやつらは俺のことをわかってるから好きだと思ってもアプローチはしてこねえ」
そんなわかりきった話を今更される意味が分からない。
学園内の生徒会や各委員会の主要メンバーである外でも弘文と仲がいいやつらと学園内だけの知り合いである親衛隊は弘文への反応が違う。
前者は弘文をリーダーとして慕っていてヒロヒロ言っていく。
揉め事が起こると「ヒロ〜」誰かが殴られれば「ヒロー」だ。
弘文はトラブル鎮圧係じゃないので「そのぐらいてめえらでなんとかしろ」で終わることもあるし「仕方がないから助けてやるよ」と言いながらの助っ人参戦もあった。
仲間からのSOSを弘文は見捨てない。それはいい。
彼らはそういう集団としてオレが弘文と出会う前から徒党を組んでいた。
学園の生徒たちで構成された親衛隊たちは違う。
弘文のことなんか何もわかっていないのに会長会長言ってまとわりつく親衛隊たちはどうかしている。
オレが妨害に妨害を重ねて追い払わなかったら弘文だって魔が差した可能性がある。あいつらはそのぐらい図々しい。
久道さんが来るものを拒んでなさそうだったから弘文もいけると思われたんだろう。
男に興味はないと弘文がいくら言ったところでオレを孕ませられるなら性別へのこだわりなんてたいしたことない。
オレは男か女かわかんないような人間だ。
最初にオレの身体を見て弘文は気持ち悪いと言った。それが普通の反応だ。
「外でも繋がってるやつらが俺に何もしないのは……一番はお前がうざいからだ」
ボディーガードとして優秀だっていうならもっと素直に褒めてほしい。
弘文は回りくどい。
こういう話し方は子供に悪影響だ。
長男である鈴之介はすでに引き継いでいるかもしれない。
それに本当に問題なのは過去じゃない。今の話だ。
目をそらし続けることが出来ない現在進行形での弘文の不貞行為をオレは受け流せない。そのせいで気分が落ち込んでいる。
「オレがいくら言っても弘文は女の子数人と毎日話してた。弘文ハーレムは健在ですか」
「ハーレムなんかあるかよ。……話ぐらいするだろ。友達の姉や妹やその知り合いなんて全員仲間みたいなもんだし。ギャルかゴリラみてえなやつばっかだったし」
「弘文の好みはゴリラギャルか」
「……見た目はともかく良いやつらだっただろ」
「オレにいじわるするようなやつらが!?」
「いじわるってゲームだろ。ロシアン系でいっつもハズレ引くお前が逆におかしい」
トウガラシが入っている飲み物とかシュークリームとかシューマイとかみんなで共謀してオレに食べさせて笑い物にしていたくせに弘文の反応はコレ。やさしさが不足してる。
「俺とどっか行く、何かするのは誰なのか賭けてゲームして負けておいてついてくる人の話を聞かないお前。賭けの意味がねえなぁ」
「仕込みのあるやらせゲームでハメられて言うこと聞く必要あるか? オレは負けてない」
「お前のその自己中な発言で俺がどれだけ迷惑したかは聞かなくても自覚があると思ったがそうでもねえな」
「でも! だって!! オレは!!!」
過去の自分は幼く傲慢だったとわかっている。
それなのにいざ弘文から責められると反論の言葉ばかりが口から出る。
オレは悪くないと弘文に言ってもらいたい。弘文にだけは受け入れられたい。
「揉めないためにゲームで白黒つけて俺の相方を決めようとしてもお前が絶対割り込む。……んで、場の空気が悪くなる」
「結婚してるからいいって、さっき弘文は言っただろ」
「結婚する前の話だろ。……ギスギスした空気をいつも誰がどうしてくれてたか覚えてるか」
「弘文がオレを『周りを見ろよ、自己中野郎』って罵った。心の狭いド鬼畜野郎」
「そこじゃねえし、俺の心が狭かったらお前の手足を折りにいくっての」
急に猟奇的なことを言いだした。
オレに対して弘文が暴力的なのはいつもことだが、手足を折ってもいいと思われていたのはショックだ。
弘文にとってオレはやっぱり子供を産む生きた機械なんだろう。
「場の空気が悪くなったら久道ともう一人が大体助けてくれただろ」
「……あぁ包帯にいさんが水戸黄門? そういう話か」
わざわざ自分のモテ自慢をしだして意味が分からなかった。
けれど、弘文が言いたいのはモテてた話ではなく、弘文の周りに群がる人間を追い払おうとして周囲からやっかまれたオレを助けた人がいるだろ、と。そういうことだ。
オレがやっと弘文の言わんとすることを理解したのに弘文の方が首をかしげて不審げな顔をする。
「包帯? なんだそれ」
半グレ集団のような弘文の仲間たちの中に顔面に包帯を巻いてニット帽をかぶりメガネをつけた不審者がいた。
奇抜なファッションで反社会性をアピールしながら「まあまあ、ここは穏便に」と御老公のような温和な雰囲気を出す包帯にいさん。
得体がしれない異様さがあった。
インパクトのある見た目なのでさすがのオレでも覚えている。
包帯にいさんは弘文と他の仲間より距離が近かった気がする。
それにイラっとしなくもないが、すっぱいガムを食べさせられて涙目になるオレに口直しのジュースをくれる。そういう人だった。
「悪い人じゃないけど食わせ物っぽい」
「そんなこと思ってたのかよ。あんだけ世話になっておいて」
「で、包帯にいさんがどうしたって」
わざわざこのタイミングで話題に出す人なのか疑問だ。
オレは弘文の本命の話をしている。
考えるのも嫌だけれど話し合わなければいけない。
何かあるたびに連想して思い出しては落ち込むのはうんざりだ。
「あいつは……久道の兄貴だ」
「へえ、包帯してて顔分からなかった」
全然興味はなかったが弘文に怒られそうなので感心したようにうなずいておく。
久道さんは風紀委員長の兄だという認識しかなかった。三人兄弟らしい。
「久道は連れ子で上と下とは血がつながってねえんだ」
「包帯にいさんが久道兄だとして、で?」
話が見えてこない。
この会話はどこにむかっているんだろう。
「顔を隠してグレた義理の弟の様子を見にチームに入ったわけだ。すぐにバレたけど」
「弘文の仲間に包帯にいさんが入った経緯とかどうでもいい。オレも暇じゃないんだよ?」
「……だから、お前が言ってるバカな話がバカだって言ってんだよ。理解しろバカがっ」
突然の罵倒。
弘文はオレをすぐバカバカ言うけれど話が読めないのはオレがバカだからじゃない。
絶対に弘文はオレのことをエスパーだと思ってる。
心が読めないんだから話のつながりがわからなくても仕方がない。
悪いのはオレではなく言葉の足りない弘文だ。
オレ以外とは上手い具合に話している。年上だって手玉にとれるほど、ちゃんとした話術を持っているのに手抜きだ。オレに対して弘文は雑すぎる。
「お前が転校生だって言ってるやつは、お前が包帯にいさんって勝手に命名してるやつだ。これでわかっただろ」
「はあ? いま、久道兄だって話してなかった? 久道さんってもう一人いるの?」
「だーかーらぁ!! かわいそうってか、申し訳ねえんだろぉがっ」
苛立った様子で弘文がソファを叩く。
なんでこんなに二人してくだらない言い争いをしているのか分からない。
転校生の素性はそもそもオレに関係ない。
弘文が転校生を好きじゃないなら早くそう言ってほしい。
逆に転校生を好きだって言うならオレがここから出ていくしかない。
オレがしたいのはそういう話だ。
自分の所在が、立場が、居場所が、役割が、はっきりしないからオレはこんなにも身動きがとれない。
オレが断言できるのは子供たちはオレが産んだということだけだ。
育てたとか親としてやれているのかは胸を張って誇れない。
自分のことばかり考えて、悩んで迷ってばかりのオレよりも子供たちの方が精神が安定している。
「俺のってか、もとはと言えばお前のせいだ」
「なにが!?」
話をすり替えてオレを悪役にする気だ。
弘文のずる賢いところが現れた。
バカなのも悪いのも全部オレだって、そう言う気だ。
「お前が絡まれたやつを俺が追い払って、あのころ、そんなことはよくあって……犯人は誰なのかはわからねえけど、俺たちの中で、見た目が目立つからあいつが復讐の標的になったんだ」
苦悩するように頭を抱える弘文は男前だと思う。
憂いを帯びた姿がいいと思っていたら内容は頭に入ってこない。
そうも言っていられないのでオレはひざ掛けの端をいじりながら「つまり」と、まとめる。
「弘文に殴られたやつが久道兄を襲ってファッションじゃない本当の包帯男になったわけだ」
冗談みたいな話でも不良界隈にはよくあることなのかもしれない。
弘文にくっついていてもオレは不良じゃないのでよくわからない。
報復行動はよくあることなのかイレギュラーなのか判断できないので弘文が訴えたい内容が見えてこない。
オレは話を横道にそらされているんだろうか。
「あいつは長男だったから久道たちと違って進学校にいたんだ。怪我のせいで勉強に遅れて連続で進級試験に受からなかった上に結構ないじめを受けたらしくて……俺たちの学園に転校してきた」
オレと弘文が通っていた中高一貫の学園は進学校というわけじゃない。
他の私立校から比べれば校則に多少の厳しさはあっても授業を聞いていればテストは平均点以上いく。
「義理の弟よりも下になった上に血のつながった弟とは同学年とか地獄じゃね?」
「元凶であるお前が言うな!! だから、俺らはみんな気を遣ってただろっ。昔のことでもアレは時効にならねえよ」
「いちゃいちゃするのが弘文の気の遣い方? かわいそうなやつがいたらキスしてあげんの?」
「お前の頭がかわいそうだから今キスしてやろーかぁ」
うなずいたら耳を引っ張られた。
キスしてくれない。嘘つきだった、
「お前には人の心がないのか!! この人でなしがっ」
「なんで!? キスしてくれるならしてよ! いいよ?」
「するかよ、バカがっ」
オレがされると思わなかったタイミングではキスするのにオレが頼むとしないなんて弘文はド鬼畜野郎だ。
人を翻弄して楽しんでいる。見た目は魔王なのに小悪魔的だ。大人の男がカワイイ属性をチラつかせるのは犯罪だと思う。
「転校生の転校してきた理由がかわいそうだとかオレに関係ない。弘文がオレに優しくなくて転校生に浮気してた理由になんかなんない。そもそも襲われた原因がオレや弘文だったって確定じゃないだろ。復讐だろうっていうのは推測で本当のことは犯人を見つけなければ分かんないはずだ。なんでオレが責められないといけないんだよ」
人違いとか、私怨だったとか。
いくらでも怪我をした理由はあるはずだ。
進級試験に受からなかったのもいじめられたのも究極的には自分の責任だ。
どうして弘文がオレを守ったことが原因になったと思い込めるんだろう。
報復の可能性があるなら目立つ格好をするべきじゃない。
正体を隠したかった久道さんにはバレたというなら普通の格好をすればいい。
弘文のように仲間というフィルターをかけていないオレからすると包帯にいさんの行動は自分から不幸な結果を手繰り寄せいているみたいだ。
「浮気を正当化させるための悲劇的なエピソードの創作?」
「ちげーよ……あいつと、誰とも浮気なんてありえねえ」
「それならそう言えばいいじゃん。なんで包帯にいさんが包帯になった話をすんの」
「今まであいつのこと気づいてなかったのか!? って、そういう話をしてんだよ」
「包帯にいさんは包帯だった。転校生は転校してきた」
わかるわけがない。
知っておけというのなら自己紹介をしに来るべきだ。
あいさつをされたところで覚えないかもしれない。
世話になったと言っても包帯にいさんの本名すらオレは知らない。
久道さんはオレに何十回と自己紹介をしてくれた。
覚えようとはしないオレを責めることなく、めげることなく、根気強かった。
「……学園の外であいつに会わなくなって気になったり、転校してきたあいつの声で気付いたり、思い出したりしなかったのか?」
「弘文以外どうでもよかったから」
あれはモラトリアムの集合体だ。気づいたら入れ替わるような一人一人の顔なんて覚える意味がない。
久道さんだけ自分はここにいるとアピールし続けた。長い付き合いになるとわかっていたんだろう。思い返すとありがたくて頭が下がる。他はそうじゃない。オレが覚えようと思わないことが透けて見えていたのは周りに失礼だったかもしれないが、オレに覚えさせようともしなかったのだって久道さん以外のみんなだ。
久道さん以外からすればオレは弘文にくっつく邪魔な荷物だ。弘文本人にすらそういう扱いを受けていた。
彼らは弘文という指針があってクズにならなかっただけで、少し間違えればオレに絡んできたりする不良と同じ人種になっていたと思う。見下しているのではなく事実として。だからこそ弘文はすごい。
包帯にいさんには細々と世話を焼かれて助かった。
けれどオレの中心は弘文だった。
弘文のそばにいることを妨害する人間の顔も弘文のそばにいることを許したりオレを認める人間の顔も平等に記憶にない。覚えようとしなかった。オレの人生に関わりのない人間を記憶にとどめたりしない。
久道さんは弘文の親友で近いから顔も名前も覚えた。
生徒会で会計もやっていたし、弘文がなにを言っても大体オレの味方について話をまとめてくれる役をしていた。
思い返すと包帯にいさんと久道さんはオレに対する反応が似ているかもしれない。
風紀委員長と久道さんは似ていないので久道さんの兄弟について考えたこともなかった。
誰が誰の友達とか誰が誰の兄弟だとか弘文の仲間内の人間関係なんかオレはひとつも興味がなかった。知ろうとしないし、覚えようとしない。
そういうところが周りから嫌われていた理由なのはわかっていても弘文がオレを嫌ってないならそのままでいいと思っていた。
あの頃、オレは心のすべてを弘文で埋めることで必死だった。
他の誰かとのやりとりに構っていられない。
配慮や気遣いというのは神経を使う。
他人とうまくやっていこうと悩んで時間を使ったりしたくなかった。
自分の中にある熱量を全部、弘文にぶつけたかった。
「でも、弘文にとってオレこそがどうでもいいんだって気づいて、いやになった」
オレの言葉に弘文が不思議そうな顔をする。
まったく伝わっていない。
こんなにも切実なオレの訴えを聞き流しておいて「俺は康介の言葉を聞く」とはどういうことだ。
優しくて格好よく見えた弘文を返してほしい。
転校生のせいでオレと弘文はいつまで経っても噛み合わない。