二十

 ジッと弘文を見たが冗談だと笑いだすこともない。
 ふと気づいてオレは「弘子以外の娘を作った?」とたずねると耳をねじきられかけた。弘文の視線が冷たい。
 子供に手をあげたこともないけれどオレの扱いはいつもこれだ。ひどすぎる。

「康介、お前さっき俺が理想の家族を作りたいから結婚をしてるって言ったなぁ?」

 弘文に名前を呼ばれると頭が回らなくなる。
 ここぞというときにしか弘文がオレの名前を呼ばないからだ。
 自分の名前が特別な響きになった気がして落ち着かない。
 真面目に頭を使って考えなければならない場面で日常的に子供たちを抱きあげているせいで二の腕の筋肉がいいとか、そんなことを思ってしまう。
 バレたらまた怒られるのについつい弘文の腕をなでる。

「俺の考える理想の家族の父親は浮気して余所で子供作るようなクズか?」
「そんなこと思わない、けど」
「けど、なんだ。聞くだけ聞いてやるから言ってみろ。おら、早く言え」

 弘文は「怒らないで聞いてやる」とオレの頭を軽くなでた。
 たしかに苛立った感じはないけれど、弘文の顔を見てられないので抱きついた状態で話を続けることにした。
 うなじを指でくすぐられる。
 弘文はちょっとした動作がエロい。

「転校生が」
「そもそも転校生ってなんだ。お前はさっきから、ドラマの話か? テレビか? ネットか? ゲームはわかるわけねえからな」
「弘文が生徒会長じゃなくなって少ししてから転校生が来ただろ」

 弘文にとっては転校生は転校生という名前じゃない。
 今もまだ付き合いがあるのだから当たり前だ。
 出会いがあっちが転校してきたからだといっても写真で弘文の隣でピースして写るぐらいの立ち位置。
 思い出すとはらわたが煮えくり返る。
 手下にしてるならともかく年下の男が偉そうにすることを弘文が許すわけがない。
 無礼講だといってもいつもの上下関係が酒の席では見えてくるとテレビで言っていた。

「転校生?」

 未だにわからないのか、思い出すように弘文は「転校生」と繰り返しつぶやいた。
 それもそれで気にいらない。
 弘文にとって高校の記憶はどうでもいいこととして忘れている。

「弘文も生徒会のやつらもみんな一緒にいた。オレがひとりで副会長してたのに」
「はあ? そんな昔のことまだ根に持ってんのかよ。お前、変に根暗なところがあるよな。基本的に無頓着なくせに」

 そんなに生徒会での仕事がいやだったのかとあきれた声がする。
 弘文にとってオレの孤独感はどうでもいいことなんだと改めて思い知らされた。
 オレの衝撃なんて弘文からすれば取るに足らないに決まっている。知っていたはずだ。

「弘文がいないから生徒会も学園もどうでもいいのに」
「それは、その……まあ、がんばったな」
「口先だけならいらない」

 甘やかすように「お前は自分が居なくなっても平気なように仕事片付けてた。それはみんな分かってる」と弘文が言った。ほしかった言葉じゃないけれど「康介はえらい」と囁かれると落ち着かない。耳がくすぐったい。

「オレのあとに副会長になったやつ、あの転校生」
「おい、ちょっと待て」

 抱きついていたオレをべりっと剥がされた。
 弘文がオレの顔を覗き込みながら「マジで言ってんのか」と聞いてくるのでうなずくと初めて見る間抜けな顔をした。
 すこししてオレから手を離したかと思ったら頭を抱えて崩れ落ちた。

「バレてると思ってなかったかもしれないかけど、あの転校生が弘文の本命だって知ってるから」
「うるせぇ、ばかっ!!」
「ポッと出に負けたのを認めたくなかったのにまだ弘文の近くをうろちょろして」

 ぐぬぬとオレがうめいていると弘文が「バカはバカすぎる」とつぶやいた。
 オレの勘違いだとでも言いたいんだろうか。
 あの転校生と弘文が何でもないっていうなら弘文はストーカーされている。
 弘文が悪くないなら転校生が全部悪い。訴えて勝てる。

「弘文が誘惑に負けて……」
「気持ち悪いこと言うなっ、やめろ! あいつとどうにかなるわけないだろ。一番ありえねえっ」
「口だけなら何とでも言える」

 オレの言葉に弘文は溜息を吐いた。

「お前、俺が女と話すの邪魔するだろ」
「……今はしてない」
「お前がしない代わりに娘がするだろ」
「……させないようにする」
「いいよ、べつに。夫婦になったんだからお前は俺が他に目を向けようとするのを邪魔する権利がある」
「それは知らなかった」
「俺はちゃんと言ってるし、そうしてる」

 オレはいまさら結婚というのがどういうものなのかわかった気がする。
 中学のころのオレの行動が公式に認められているのが夫婦の関係なのかもしれない。
 弘文になによりもオレを優先させて、オレの隣にいることを当たり前だと思ってもらいたくて、弘文はオレのものだと周りにも言いたい。周りに気を使えと言われるたびに周りこそがオレに気を使えと思っていた。
 オレから弘文を取ろうとするなと言いたかった。
 
 家族という枠組み、そのグループの内部事情がよくわかっていなかった。
 
 アニメのようなほのぼのとした家庭は自分の今の暮らしには当てはまらない。専業主婦という肩書を自分につけても生活に必要な家事は他人か弘文がしている。
 掃除はホコリが立たないで水回りが担当だが、弘文が毎日トイレも風呂もキッチンのシンクも洗っているのでやることがない。
 料理で活躍できたのは子供の離乳食だけだ。
 全自動な家電に囲まれていることもあって日々、ジグソーパズルとレゴブロックしかしていない。
 家族から弾かれている。
 本当はおままごとの人形どころか空き巣なのかもしれない。
 人の家に我が物顔で居座る犯罪者。
 加害妄想にとりつかれるほどオレは何もしていない。

 妊娠中や出産後に体調を崩したら自分のことばかりになる。
 気づいたら今日が終わって明日が終わって半年以上が経っている。
 
 弘文がどうしているとか子供たちの様子なんか気を配れずにずっと自分だけが苦しいとしか思わない。
 だから気持ちが学生のころから成長していない。
 
 体調や気分が落ち着いたときに弘文に損をさせているとか弘文が嫌々オレと一緒にいるんじゃないのかと考えてしまう。

 弘文がオレのことを好きなら遠慮することもないけれど弘文はオレが好きじゃないという。
 好きじゃないくせに結婚している意味を考えると子供がほしいから以外にない。
 それなのに弘文はオレ以外と子供を作る気がないっていうから、さっぱり分からない。
 
「弘文の考えはさっぱりだけど結婚がお得なのは分かったし、弘子に心配かけたのも分かった」
「心配っていうか……弘子にとって俺は『康介と一緒にいる』ことに価値があるからなぁ」
「あぁ、コウちゃんと一緒じゃないヒロくん嫌いって言われたんだ? 弘子はセット主義者になってるな」

 オレのせいで娘に嫌われていると言っていたのはこれなんだろう。
 浮かれていたオレは弘子に中学のころに弘文がどれだけ格好よくオレを助けてくれたとか毎日どうやって過ごしていたのか語った。
 弘文の祖母にいろいろと聞かれたりして口を滑らせた。
 オレの知らない幼い弘文の写真をくれるというから仕方がなかった。
 妄想というかオレのフィルター越しの美化された弘文なので実際の過去とは違う。
 それでも口に出していると弘文はオレのものだと感じてうれしかったので延々と「あの日の弘文」として弘子に吹き込んでいた。

「弘子のキレっぷりは逆に便利だからいい。どうせ俺が弘子に嫌われることはないからな」

 娘に嫌われていると言ったり嫌われることはないと言ったりと、よく分からない弘文。口が上手いので弘子を簡単に丸めこめるということだろうか。
 オレも今、また言い負かされている。誤魔化されようとしている。
 
 弘文と目線を合わせようとしゃがもうとすると手を引っ張られてソファに座らせられた。
 お腹の子のことを気にしているのか膝かけもくれた。
 こういうことをさり気なく当たり前にするからオレを勘違いさせると弘文は気付いていない。
 昔からオレに「近づくな」とか「ついてくるな」とか「危ないから裏路地に入るな」と言うくせに絡まれたら助けてくれるし、くしゃみしたらマフラー貸してくれるし、コートの中に入れてくれたり、あったかい飲み物をくれる。
 あの頃のオレは弘文にとって特別な存在だから自分を弘文が甘やかすのは当たり前だと思っていた。
 自分だけが弘文の例外なのだと思って充実した毎日を送っていた。
 
 これから、そうではないと改めて現実を教えられることになってもオレは聞くしかない。弘文が話そうとしているので耳をふさげない。

「それで、オレが弘文のハーレムを壊したから何だって?」
「いちいちバカみてぇなことを……俺はチームの人間には手を出さない。男は当たり前に範疇外だし、女でも仲間という括りのやつには何もしない」

 弘文はチームのトップだから女を食い放題ということはない。
 上に立つからこそ規則正しい真面目くんだ。
 女と見たら襲い掛かるケダモノに「男の風上にも置けねえ」と殴りつけていた。
 ときどきオレも「女じゃなくてもコレでいい」と言われて絡まれるが放っておくことなく蹴り飛ばして助けてくれていた。とくに格好いいセリフはなかったが助けられて嬉しかったので気にしない。

「弘文のマイルールは知ってる。けど嫌なものは嫌だった、から……でも、今はしない、してないからいいじゃんか。弘文の方が根暗だ。昔のことをいつまでも」

 なんとかオレは反撃の糸口を見つけた。
 オレばかりが引きずっているわけじゃない。

「言いたいなら言え。お前が言わなくてもどうせ弘子が言うだろうから、どっちでも同じだ。娘がキーキー言ってるのが嫌ならお前が先に言え。弘子は賢いからお前の言葉を邪魔しない」

 わかっている。
 オレが殺した言葉を弘子が代わりに発してくれている。
 思い過ごしじゃない。
 弘文が帰ってこなかった夜、捨てたみそ汁を弘子は知っていた。
 スマホをみそ汁に入れて壊したことを弘文は何も言わなかった。
 問いただされるべきなのに聞かれなかった理由は一つだ。
 弘子が弘文のせいだと責めたのだ。
 あの日から弘子は中学のころのオレを演じている。
 オレがもう、何も言えなくなったと察してしまったのだ。
 娘の変化の理由が自分の弱さだとオレは認めたくなかった。
 誰にも相談できるわけがない。

「俺は康介の言葉を聞く」

 嘘つきと言いたい。
 いつも聞き流しているくせにと悪態をつきたい。

「俺の言葉を嘘だと思うか」
「嘘でも、やさしいほうがいい」
「俺の優しさを感じられなかったお前がバカなだけで俺は何も変わってねえよ。最初っからずっとこうだろ。嘘じゃねえし」

 さっき引っ張られた耳を指先でなでられる。
 やさしくないと不満を吐き出したくせにオレは弘文が世界一やさしいと思ってる。
 弘文の言う通りバカなのかもしれない。
 
 何も解決していないのに弘文に見つめられるだけで幸せだ。
 
 自分の矛盾がよくわからない。
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