十八
この家に久道さんという情報源が来たことで外での弘文の様子を知ってしまった。
今まで長いこと目を背けていた現実。
家の中でオレが作るレゴブロックやジグソーパズルの世界じゃない。
オレはおままごとの人形だ。
昔から思っていた。
下鴨家にとってオレは長男を産むまでの途中経過。
もうオレは居ても居なくてもいい。
木鳴家にとっても同じだと思うには弘文の祖父母のやさしさを知っていてできない。
やさしくされて、ゆるされて、オレは付け上がったのだ。
初めて弘文に会った時もそうだった。
やさしくされて、ゆるされて、叱られても受け入れてくれたから傍に居ようと思った。
弘文の隣で動かない人形ではなく自由で傲慢な人間として振る舞えた。自己満足でも幸せだった。
久道さんはオレが聞けば大体何でも教えてくれる。
業種は知らないが弘文の会社は軌道に乗っているという。
転校生を含めた学生時代からの知り合いとはじめた会社らしい。
メールで送られてきた写真は会社の打ち上げの風景か何かだろう。
思い返すと合コンにしては男の人数が多かった。
同窓会と思わなかったのは年配も見かけたからだ。
「偽装結婚は最低だとして、俺には関係ない話だろ」
真面目な弘文は子供ほしさに自分を誤魔化している。
子供を作るためには女の子が必要。
全寮制男子校には女の子はいないが妊娠できるオレがいた。
だから、代用しただけだ。
今更この事実からオレは逃げられない。
子供には親が必要で、オレが産んだからオレが親になる。
オレが必要ではなく子供を産んだ人間が必要なだけだ。
「だって、弘文はオレのこと好きじゃない……」
口に出したことで言葉が重くのしかかる。
心が砕け散りそうな気がした。
認めたくなかった。
弘文にとって自分がたいしたことのない存在だなんて知りたくない。
家族だから他人事じゃないと弘文は言うけれど家族だって他人だ。
他人じゃないのは自分だけだ。
自分以外はみんな他人で世界は他人ばかり。
他人からの愛情をオレはどうやら求めていたらしい。
傲慢だと封じ込めた願望が言葉になってしまった。
他人から愛されたいなんてどうかしている。
人から愛されるだけなら自分がいる。
オレはそれでは満足できない。
自分が自分を好きであることは当たり前すぎる前提でしかない。
そんなことで心は満たされたりしない。
自分が自分を好きなことで満足できていたならこんなに長々と弘文を追いかけ続けたりしなかった。
「お前は俺のこと好きなのか」
「好きじゃないっ」
「強がりとかじゃなくてマジで言ってんのか、それ」
「マジに決まってる」
弘文がオレのことを好きじゃないのにオレが好きだなんてあるわけがない。
そもそも好きとか嫌いとかそういう次元じゃない。
弘文がいることがオレにとっての普通の状態だと思ってた。
でも、それはオレの願いであって弘文の望みとは違う。
「俺が好きだって言っても?」
「そういう嘘、マジさいあく。弘文がそんな奴だと思わなかった。幻滅だね」
「嘘じゃねえよ。本当ってわけでもないが」
弘文は鬼じゃないから今まで一緒にいた相手を急に放りだしたりしない。
そんなことはわかってる。
情に厚いからこそ仲間が多い。
「お前は俺にどうしてほしいんだよ、結局。……別れたいとかそういう戯言はいい。俺が実現できることを言え」
「そばいたい」
「いるだろ。どんだけバカなんだよ。今がどうなってるのかわかってねえの? なんのための結婚だ」
呆れたように、昔からずっと変わらない「仕方ねえな」という副音声が聞こえる表情。
オレが何をしても弘文はこの表情で全部を許す。
それが嬉しくてオレは誤魔化されてしまうが、もう、ダメだ。
ハッキリさせないといけない。
お互いに大人だからおままごとは卒業だ。
「結婚しても浮気なんか簡単」
「俺は絶対にしない。お前と違って常識があるからな」
「オレだって常識があるから弘文の浮気を黙認してやった。一回も責めてないっ」
「俺は浮気したことねえだろっ。ふざけんのも大概にしろよ」
相当怒っているのか弘文が耳を引っ張ってきた。
頭突きもされた。
子供に言って聞かせるしつけの仕方なのにオレにはこの扱いだ。愛が見えない。
弘文は父親になっても暴力男だ。
「俺はホモでもなんでもないがお前を抱くし、今後もお前以外を抱く気はない」
「挿入しなければ浮気にならないと思ってるんだ、クソだ」
「お前はホント俺を怒らせるのが好きだよな。……なんでわかんねえんだ」
苛立ったような舌打ちの後にくちびるを奪われた。
触れ合うだけのかわいいキスじゃない。
思わず勃起するようなねっとりとした情熱が舌先から伝わってくるくちづけ。
「戸籍上とか書類上とかじゃなく俺がお前の夫で、お前が俺の妻なんだ。俺の欲望は全部、お前が受け止めるもんだろ。その責任がある」
「浮気されたら性的な魅力不足のオレの責任? 勝手だ。責任逃れの言い訳にオレを使うな」
「……俺はちゃんとお前が浮気しないような状況を作り上げて成功してる」
そう言って弘文はオレの腹をなでてくる。
あまり目立たないがきちんと女の子が宿っている。
弘子が生まれてからセックスレス疑惑があったが久道さんがやってくる少し前からオレたちのセックスライフは再開された。
夜に子供たちはオレの両親たちのところで寝るので弘文はヤりたい放題だ。
ちなみに今は久道さんと四人で寝ている。
「お前の欲望はちゃんと俺が発散させているし、お腹に子供がいたら他の男にも走らないだろ」
「オレが他の奴のところに行ってほしくないみたいに聞こえるんだけど? 弘文って意味不明なんだよっ」
「なんでお前が怒るんだよ! 怒りたいのはこっちだ!! 俺が仕事してる間に誰かとヤってたらってムカつく想像しなきゃならないこっちの身にもなれ」
お互い苛立ちながら言い合ってわかったのはオレが弘文に尻軽だと思われていることだ。
理由はなんだろう。弘文と転校生の姿を見たくないから久道さんの精子をもらおうとしたからだろうか。
それは弘文が妨害して結局オレは生まれてからずっと弘文のことしかしらない。
オレの身体は弘文専用状態だっていうのにこんなに疑われている。
中学から数えるならオレと弘文はそろそろ十年の付き合いなのにまったく信用されていないし、わかってくれていない。
「オレが弘文以外とするわけないっ」
「言い切れるのか!?」
「弘文の赤ちゃんを作るって初めて会ったときから決めてた!!」
「久道は?」
「エッチ得意そうだったから」
「得意そうなら誰でもいいんじゃねえか!! ふざけんなよっ」
こめかみを拳でぐりぐり押してくる。
痛いのにやめてくれないので頭突きをした。
オレの頭が痛かった。
「エッチは! 弘文、下手だった! メチャクチャ痛かった」
「四人目を作る時にあえぎまくってたやつがなに言ってんだ」
「それはオレのぬれぬれ技術が上がっただけで弘文がうまかったからじゃない!! 勘違い野郎は黙れ」
「安定期になったら覚えてろよ。思い知らせてやる」
「子供が必要なら五人目は久道さんにお願いするから弘文はもういい」
売り言葉に買い言葉で思わず口にしたワードは弘文にとって地雷だったらしい。
息が詰まりそうなほど、殺意のこもった視線を向けられる。
たしかに怒られることを言ったかもしれない。だがオレは破瓜の痛みを忘れてない。
弘文がテクニシャンかと聞かれれば絶対にノーだ。
だから、オレは間違ってない。
「人の話を聞いてなかったのか、大バカ者!! お前の欲望は俺が受け止めるって言ってるだろ。子供がほしいなら俺に言え。俺に頼め。俺以外の精子で受精するな」
弘文は大真面目なのかもしれないが自分を追い込むことばかり口にしている。
何にも分かっていないバカは弘文の方だ。