十六

下鴨康介視点。



 子供は放っておけば育つという感覚があった。そう思ってしまうのはオレ自身が両親に何かを与えられたという実感がないからかもしれない。
 オレが何もしなくても両親が下鴨のために子供を立派に育てるだろう。わかりきっていた。
 
 下鴨として生まれたのだから男としてやってきたとはいえ跡取りを産むことは義務だ。
 女性じゃなくても出産に恐怖はない。
 下鴨の両性は必ず子供を産める。
 それは肉体的に可能だという話ではなく、どちらかといえばオカルトだ。
 母体となる両性は子供を宿したら出産するまで死なない。子供を流産することもない。
 先祖に生きているのがやっとと言われるような重病人が出産したという事実がある。
 ねじまがって残された迷信かもしれないが下鴨家にとって両性の妊娠や両性が産んだ長男を跡継ぎにするのは、もはや信仰だった。
 
 何があっても跡継ぎを産む、これは両親にずっと言われ続けていたオレの基本だ。
 何かを作って賞をもらったり、勉強をして成績が良くなってもオレは褒められないし認められない。
 オレの価値も役目もそこにはないからだ。
 
 産んだ後の育てる責任はオレにはない、そう考えていたからこそ妊娠も出産も怖くなかった。

 弘文は違う。
 親というのがなんであるのか考えている。
 どうあるのが正しいのか知っている。
 オレの考えを無責任だと弘文は叱った。
 もちろん、弘文が正しいと思う。

 友達や仲間が多く、リーダーシップを発揮して頼られる弘文。
 信頼されているそもそもの理由がどんな立ち振る舞いであっても根が真面目だからだとオレは思い出した。
 弘文は正しい、常識的な人間であろうとする。
 
 だからオレを妊娠させたら責任を取って結婚するのが当たり前。
 家族になったらオレを優先するのが普通。そうなってしまう。
 オレに縛られるのは弘文の本意ではないはずだ。
 不自由な生活など嫌いだから中学のころに不良狩りをする不良をしていた。
 
 次男を産んだら縁は切れるものだと思っていたオレに弘文はあたたかな家族像を語った。
 その理想をオレはうまく飲みこめない。
 俺が男で、いいや両性具有だからか、下鴨康介というオレという人間が子供を産んでもなお母親意識が芽生えないからか。
 親である自覚はあっても母親という枠組みにオレは当てはまらない。
 仮に弘文がオレを好きだというなら居心地の悪さは消えるのかもしれないが、そうはならない。
 弘文はオレを好きじゃない。
 
 愛し合っているわけではないのだから酷く惨めだ。
 
 離婚したいわけじゃない。けれど弘文を不当に縛りつけている。オレが弘文と一緒に居たくても弘文はそうじゃない。オレが特別にはなれなかったことはわかっている。いくら一緒に居ても本当の意味で弘文はオレのモノにならない。一方的な関係に罪悪感を覚える。そのぐらいには常識もある。
 
 予想外に弘文の祖父母がやさしくて離れがたい気持ちは日に日に強くなるし、弘文の母親の件を聞いて身動きが取れない。
 
 弘文の祖母いわく木鳴の家のために無理やりに進めた婚姻が弘文の両親であり夫婦仲は冷めきっていたらしい。
 最初からうまくいっていなかったが弘文を産んで以降とくに夫婦の関係は悪化、母親は借金を作って行方知れず。
 残された弘文の父親は嫁の作った借金を返済するために仕事に忙殺された。というよりも家に帰りたくなかったらしく仕事をし続けて弘文を放置したという。
 
 祖父母に育てられたような弘文は家族の在り方について固定観念がある。それは自分の家族、自分の両親の否定だ。
 弘文の祖父母から幼い弘文の暮らしを聞く前から気付いていた。
 日曜日にやっていそうなアニメの家族が弘文の理想なんだろう。
 オレが作り上げることなどできない世界だ。

 下鴨の家はわりとバラエティーに富んだ家系図なので弘文の理想とする家族像は共有できない。オレの知る家族は弘文の家族と違う。
 
 オレの父と父の弟はタネ違いだったりするが普通に仲がいい。
 双子でも二卵性なら誰の子供か育たなければ判断できなかったりするぐらいにアバウトだ。
 オレが本意ではないとはいえ弘文以外の男の子供を身籠ろうとしたように妊娠は婚姻が前提ではない。
 それが下鴨の家だ。
 
 下鴨の歴史を考えると配偶者を重く見ることはない。軽視はされないが本質的にはよそ者扱い。下鴨の人間が産んだ子供だけが下鴨の人間という扱いだ。
 
 オレは自分が長男を産んで育てている最中に自分が産まなかったら自分の子供だと信じなかったかもしれないと強く感じた。自分で産んだからこそ自分の子供だと信じられる。
 
 長男はオレに似ず、賢く、温和だ。夜泣きもせずまったく手が全くかからなかった。勝手に育っている。
 
 弘文というよりもオレの父親に似ている。
 成長して当主となったら同じような振る舞いになるのだろうか。
 
 木を削りだし鈴を作っていたところから木鳴という苗字になったという話なので長男は鈴之介と名付けた。オレが決めた。
 
 親としての自覚が足りないと日々言われるのでそれなら子供の名付ける権利をくれと言ったら本当に弘文はオレに任せてきた。「誰がなんと言おうと変更は受け付けない」そう宣言してくれた。それだけ本気な弘文を見ればオレも真面目に考えざる得ない。

 弘文はなんだかんだいって言動に説得力がある。
 間違ったことをしているようには見えない。
 いつだって弘文は正しくて意思が固くて強い。
 
 でも、弘文はそれだけじゃない。

 完璧で大人に見えた弘文がオレの前ではただの短気な一つ上の男でしかなくてそれがいつだって面白くて仕方がなかった。ときに弘文の言い分が独善的で暴力的あっても気にならない。頭を叩いてきたらそれこそ弘文の白旗だ。オレを制御できていない。
 
 オレを手のひらの上で転がせていたのならもっと余裕を持つだろう。だが、できない。オレは弘文を困らせて振り回してそれでも嫌われない。特別にオレだけわがままが許される。
 オレの弘文をオレだけが引き出してオレのモノにしている。
 毎日とても気分が良かった。楽しかった。
 そんなふうに思い込めていたころは充実していた。今だって思い込めているときは楽しい。

 弘文が真実オレのものならその一生すら手に入れたって構わないのかもしれない。
 離婚なんて馬鹿馬鹿しい。手に入れた弘文を手放すなんてもったいない。
 
 オレの中にある忘れられない好き勝手やって幸せだった日々の記憶とそれをひっくり返された苦い思い。
 
 弘文は独立した人間でありオレのモノじゃない。
 オレとは関係なく生きていく弘文を理解したくないその気持ちを持て余し続けて、破綻する。お腹の中にいる三人目が女の子だと教えられて病院から家に帰れなくなった。理由はそういうところにある。

 いつに終わるのか分からない生活。
 けれど、終わりがないわけもない日々。
 幸せは最悪の形でぶち壊されるに決まっている。

 オレが産んだ男の子をそれぞれ下鴨と木鳴に寄った形で教育していくのはわかる。
 
 それならお腹の中の女の子はどうなるのか考えて「いらない」扱いを受けるのかと思ったらゾッとした。
 
 オレがその可能性を思い至ったことが怖かった。
 差別はその知識や意識がなければ話が始まらない。
 男でも女でもコドモはコドモと思っていたらお腹の中にいる三人目は三人目だった。
 
 けれども、弘文をはじめ誰かが喜ばない可能性を考えた。
 そんな酷いことを思い描いてしまえたのは誰よりもオレが女の子を喜ばなかったからかもしれない。

 人の親になる意識が足りないとは弘文に言われたのは一度や二度じゃない。
 オレに弘文のようなコミュニケーション能力はない。
 
 長男と次男は手がかからなかった上にそれぞれの家の後継者ということで親戚一同で面倒を見ていた。
 各家にはその責任があった。
 
 三人目である女の子は違う。
 育てる責任は産むオレにある。
 誰の手助けもなく誰にも望まれなかった場合、オレは彼女を救えるだろうか。
 想像は恐ろしく怖くて怖くて仕方がなくて家に帰れるわけもなかった。
 弘文が少しでも拒絶したらお腹の子よりも先にオレが死ぬと思った。

 結局は弘文が迎えに来てくれて女の子を歓迎してくれたし、長女である弘子はすくすく育っている。
 
 オレの不安は妊娠による情緒不安定として処理された。
 出産後に体力が戻りきる前に妊娠したのが原因ではないかと言われた。
 人体の不思議は完全には解明されていないし、オレの身体は両性なので普通の範疇ではないかもしれない。
 結局、不安の原因はつかめない。
 唐突に泣きたくなるのは妊娠のせいなんだろうか。
 
 大学が落ち着いたのか弘文は長男次男以上に長女である弘子の育児に乗り気だった。よく泣き喚いて手がかかるからかもしれない。
 
 子供の相手も家事も何もかも弘文は涼しい顔をしてこなす。
 弘文が意外と子煩悩だったのは家族になれたから知ることができた事実だ。
 
 子供たちからすれば最低かもしれないが、今まで知らなかった弘文の姿を引き出すことができただけで生きていてよかったと思った。オレが生き続けていなければ子供も生まれてこなかった。
 
 弘文に殺意をこもった目でにらまれていっそ死のうかと思った過去が遠い。

 一族とか家族とか子供とかこれから先の将来とかそんな話でもなく自分の知らない弘文を見れたそれだけのためだけに生きてきたのだと娘を抱きながら感じた。
 つきものが落ちたようで気分はとてもすっきりしていた。



 けれど、我に返るように現実を思い知らされる。
 それは忘れようにも忘れられない、あの転校生のことだ。
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -